29話 罪悪感と望み
夕食後。ペトロはヤコブの片付けを手伝っていた。結局、今夜の夕食は三人だけだった。
「片付けくらい一人でやるのに」
「手持ち無沙汰だから」
少し沈黙の時間となり、食器が触れ合う音と、水が流れる音だけがキッチンに響く。
水の流れが止められると、ペトロがまた静かに口を開いた。
「……あのさ。ヤコブは、ヨハネの気持ち知ってたのか?」
ペトロは、意図せず遭遇してしまった状況をヤコブたちに話していた。
「ああ。ずっと相談受けてたし、尻も叩いてた」
「そうなんだ……。ユダは、知ってた?」
「さぁな。俺たちが応援してたから、雰囲気は察してたかもしれないけど」
ペトロはまた口を閉じる。ふきんで水滴を拭き終えても、同じ皿を何度も拭き続ける。
「……なに考えてる?」
「何も」
片付けが終わった後。ヤコブは、ヨハネの様子を見に部屋を訪れた。
すっかり夜の帳が降り外は真っ暗だが、部屋はペンダントライトを点けず間接照明の明かりだけだった。
窓際のテーブルの上には、空になった皿と、料理に手が付けられていない皿が乗っている。
ヤコブは、ベッドの横にいるユダに声を掛けた。
「ヨハネ、どうだ?」
「さっき寝たところ。ペトロは?」
「部屋戻った」
顔を覗くと、ベッドサイドのランプに照らされた顔が目を腫らしているのが薄っすらわかった。
「話、何か聞いたのか?」
「うん。少しだけ」
「トラウマのことか?」
「そこは、はっきりとは聞いてない」
「そっか……。なのになんで、お前が感傷的になってんの」
憂いを抱いたユダは、その気持ちを胸に下げ続けていた。
「……さっき、告白されたんだ」
「ペトロから聞いた」
告白されたことを聞いてもヤコブが案外普通なので、不思議に思ってユダは振り向いた。
「驚かないんだね。もしかして、ヨハネくんの気持ち知ってた?」
「ああ。俺とシモンは、ずっと相談されてたから」
「そうだったんだ」
再びヨハネの方に顔を向けたユダは、思い煩う胸中をヤコブに話し始める。
「何も返せないのが、悔しいんだ」
「なんで」
「本当だったら、バンデが側にいてあげて、心の内の言葉を聞いて寄り添ってあげられるのに、私は、そっと支えるくらいしかできないなって……。本当は、なんとなく気付いてたんだ。ヨハネくんの気持ち。だけど、何も言って来ないから、気のせいなのかなって……。私から、きっかけを作ってあげたらよかったのかな」
ちゃんと耳を傾けようと、ヤコブはテーブルの椅子に腰掛けた。
「ヨハネくんはきっと、私とバンデになることを望んでたよね。もしもそうなっていたら、目の前で涙を流す彼に思い切り胸を貸せた。心に残る罪悪感が消えるまで側にいて、支えてあげられた。安心できる言葉を、何度でも掛けてあげられた……。でも私は、ヨハネくんの気持ちを、気のせいだと思って見なかったことにした。だから、何もあげられない。本当にほしい言葉も、涙を拭ける胸も、特別な気持ちも、何一つ……。不甲斐ないよ。使徒のリーダーとしても、一人の人間としても。彼にできることが限られてしまうことが、とても悲しい」
ヨハネとは、その心の機微にも気付けるくらい、一緒にいる時間が仲間の中で一番長い。自分に向けられる眼差しが時々違うことにも、なんとなく気付いていた。けれど、出会った時の彼の境遇を慮って、忖度して、一歩踏込もうとしなかった。
あの日、なぜあの橋にいたのか。何があったのか。少しでも聞くことができれば、ヨハネもこんなに煩悶するまで苦しまなかったのではないかと、ユダは後悔の念に駆られる。
黙って聞いていたヤコブは、口を開いた。
「もしもの話をしても、しょうがねぇよ。こいつだって、夢を見ながらわかってるよ。どんなに祈っても、変えられない運命だってことを……。ヨハネは、ユダとバンデになる運命じゃなかった。ヨハネが告白をうだうだ迷ってたことも、お前が気のせいだと思ったことも、そういう運命だったからだ。どっちが悪いとかじゃない」
どちらに同情するでもない、ヤコブらしい冷静な第三者の目線で言った。それでもユダは、選ばなかった選択を今選ぼうとしていた。
「そうかもしれない。だけど。あったかもしれない運命だ。だから私は、ヨハネくんが望むことを聞いてあげたい。私にできることがあるなら、できるだけ力になってあげたい」
バンデでもない。恋人でもない。でも、一人の人間としてできることを考えた時、ヨハネの望みに応えたいと思った。ただの「ユダ」としてできることなら、きっとあると。
「それがお前の罪悪感で、罪滅ぼしか?」
「そうだね。恩返しも兼ねて」
「そういえば。記憶失くした直後は、ヨハネに世話になってたんだっけ」
「事務所を立ち上げてからも献身的に支え続けてくれてるから、恩返しするならここだよね」
「それだったら、まとまった休暇あげた方がいいんじゃね?」
「それじゃあ。たくさん休んでもらおうかな」
世話になりっぱなしなのに、何も返さないのは不公平だ。ヨハネはそんなことは思っていないだろうが、受け取ったものの中で返せるものを返したい。それが、ユダが望むことだった。
「ヤコブくん。ちょっとだけ、ヨハネくんを見ててもらっていい?」
「わかった」




