25話 棺の中。歓迎の青過②
ヨハネの前に現れたレオは、手足は右足しか残っておらず、肌は焼けただれ、見るも無残な姿に変貌した。その表情は、黒く塗り潰されてわからない。
心胆を寒からしめる死人の姿に目を剥き、ヨハネは一歩、また一歩と後ろに下がる。
「どうした、ヨハネ。俺だぞ」
「良かったわね。恋人、生きてたわよ」
青褪めるヨハネは何度も首を振る。
「ち……違う! レオじゃない!」
「何言ってるの。何処からどう見ても、貴方の愛する恋人でしょ?」
「レオじゃない! レオなはずがない! だって……だって、レオは……!」
ヨハネの脳裏に一瞬、白い棺の中に横たわる同じ姿が甦った。身体を小刻みに震わせ、呼吸が早くなる。
「酷い子。折角、恋人が会いに来てくれたのに、そんな怖い顔して。ほら。再会の熱いハグしなさいよ」
「嫌だっ!」
ヨハネはレオに背を向けて、逃げ出そうとした。だが、正面に現れたマティアに首を掴まれ止められた。
「ぐっ……」
「ハグしろって言ってるでしょ」
女性の声から一転、男性的で威圧感のある声音に変わった。
黄色い双眸に闇を落とすマティアに首を掴まれたまま投げられ、ヨハネは倒れる。
片足しかなく歩けないレオは、幽霊のように音もなくスーッと近付いて来た。
「ヨハネ」
「ほら。恋人もハグしたがってるわよ」
逃げることを許されないヨハネは、マティアに操られて意志と反して立ち上がり、レオと向かい合う。
「やだ……」
「迎えに来た。一緒に行こう」
「やだ……!」
ヨハネは幽霊でも追い払うように、両腕を縦に横に振りまくり拒絶する。
「我儘な子ね。迎えに来てくれたのに。一緒に行けば、幸せになれるのよ?」
「やだ。いやだ……。ごめん……。ごめん、レオ……」
レオは、ヨハネの目の前まで近付く。分離した黒い右手が、遠隔操作をされているかのようにヨハネの頬に触れる。「……っ!」ヨハネはビクッと震えた。
「俺と一緒に、来るんじゃなかったのか」
「やだ……」
「お前は、それを望んでたんじゃないのか。まさか。俺を裏切るのか」
表情はわからないはずだが、ヨハネの目には、レオに針を刺すような目を向けられているように見えている。
「違う。裏切るつもりじゃ……」
「じゃあ。なんで俺と来ない」
「それ、は……」
「お前の方が酷いやつだな。俺がいなくなったから、代わりを用意してるんだろ」
「違う! レオの代わりなんて……!」
頬に触れていたレオの右手は、ヨハネの腕を掴んだ。
「じゃあ。俺と行くよな」
「!?」
急に足元が泥濘んだ。目を落とすと、地面が黒いヘドロと化し、飲み込まれるように徐々に足が沈んでいく。
「そうよ。一緒に行かないなんて、有り得無いのよ。今の儘で生き続けようなんて選択、アタシが赦さないんだから」
ヨハネに冷淡な視線を刺し、ヘドロに縛り付ける。マティアの前では、ヘドロから逃げることは赦されない。
棺の外では、ペトロに背中を守られながら、アンデレが精神治癒を続けていた。
「アンデレ。何か感じないか!?」
「ううん。何も」
(おれの力が届いてるのかすら、わからない。何も手応えがない……)
外部からの干渉が困難な棺は、アンデレの力でも中の状況を覗くことはできない。大事な場面だが、アンデレにも不安が積もっていく。
ヤコブもヨハネを案じ、バンデがいないヨハネのために何かできることはないかと、戦いながら考える。そして、効果がありそうな唯一の方法に考えが至る。
「ユダ! お前も協力してくれ!」
「私が?」
「頼む! お前なら!」
頼まれたユダは一瞬迷うような表情をするが、ただ心配しながら戦うよりはと、棺の側に寄った。
ペトロの時と同じように棺に触れれば、ヨハネのトラウマが垣間見える。ユダは、茨の棺に触れた。
「……」
だが、何も見えない。ペトロの時はトラウマを垣間見ることができたのに、なぜかヨハネのトラウマは、何一つ脳に入って来ない。
「どうして……」
(もしかして、潜入ができない理屈と同じなのか?)
ユダはなぜか、潜入ができない。それも、棺に触れるのも、共通して「相手のトラウマを覗く」という行為だ。未だに潜入ができない理由は不明だが、同じ理屈があるのだろう。
(でも。ペトロの時は見えたのに……)
そう。ペトロの時にはトラウマが見え、感情のリンクもできた。それは、バンデだったからだろうか。
(どうする?)
通用するはずの方法はなくなった。ヨハネのトラウマは何で、苦しみの根源は何なのか、一切知らない。心当たりと言えば、真冬の早朝に出会った時の、全てを捨てようとしていた彼の表情だけだ。
使徒の中で一番、共に過ごした時間が長いのに、ユダはヨハネの過去を何も聞いていなかった。そんな自分にどんな言葉を掛けられるだろうと気後れしかけるが、彼の心に届く言葉はあると信じ、思いを届けた。
「もしかしてきみは、本当はあの冬の日から時間が進んでいなかったの? 私と一緒に笑顔で過ごしていた日々の陰に、本当はずっとあの日のきみがいたの? 何も知らなくてごめん。知ろうとしなくてごめんね。でも。もう遠慮はしない。きみの過去を、私に教えてくれ! そしたら、これまできみが私を支えてくれたように、今度は私がきみを支える! きみが望むことを……望む中で私ができることなら、なんでもする! だから、私を頼って! 私はその手を取るから! ヨハネくんの心に寄り添うから! だから戻って来るんだ!」
ユダの声掛けを見たアンデレも、手応えのない状況を打開できる方法なんだと捉え、見よう見まねで中のヨハネに声を掛け始めた。
「ヨハネさん! 一人で戦おうなんて思っちゃダメっすよ! ちゃんと、心配してくれてる人がいるんですからね! おれは、使徒としてはまだ全然だけど、ヨハネさんが苦しんでるなら何度でも癒やします! だから諦めないで下さい、ヨハネさん!」
(届け! おれの力……!)
〈護済〉の玉の光が、拒むように棺に反射する。それでも力と思いが届くようにと、アンデレは目を瞑り祈った。




