16話 噛み締める苦い青
とある日。悪魔出現の気配を感じ、ヨハネは事務所をユダに任せて現場へ向かった。
事務所から近く一番最初に到着したので避難を促していると、アルバイトを抜けて来たヤコブと、友達と遊んでいたシモンが到着した。
「えっ。アンデレ来るのか」
「さっき、『絶対行きます!!!』ってメッセージ来たから」
「遅かれ早かれ、慣れてもらわないとだからな。やる気があっていいじゃん」
「とりあえず。悪魔が出て来そうだから、領域展開して待ってみよ」
ヨハネに連絡したアンデレは仕事中らしく、抜けるのに一苦労しているようなので、戦闘領域を展開して先に始めることにした。
領域を展開して間もなく、倒れた二十代の男性の身体から出た黒い霧が異形の姿を成した。
「僕が潜入するよ」
「おう。よろしく」
ヨハネは男性の傍らに腰を下ろし、いつものように潜入を開始した。
暗い深層へ潜ると、男性が膝と一緒に抱き枕を抱えて啜り泣いていた。
その周りには、名前が表示された着信画面のまま固まるスマホや、相手の男性と頬を寄せ合うとても仲が良さそうな写真。そして、一目では数え切れない数の赤いバラの花びらが一面に落ちていた。
悲泣する男性は、胸懐を吐露する。
「虚しい……。虚しい……。どうして、きみがいない世界で生きられるだろう……。自分はバカだ……。愚かだ……。救いようがない自分が、許せない……」
(大切な人を喪ったのか……)
写真に目を落とし、ヨハネは愁眉を浮かべる。
「きみは優しかった……。自分がどんなに怒っても、我儘を言っても、大きな腕で包み込んでくれた……。自分を大切にしてくれた……。それなのに、自分のたった一つの過ちが、きみを傷付けた……。別れなくなかったのに……」
大きな後悔を抱えるその言葉に、ヨハネは同調する。まるで、自分を見ているようだった。
「自分が間違ってたことに、あとになって気付いたんですね。本心じゃないのに、酷いことを言ってしまったと……」
「ただ、謝りたかった……。きみと、やり直したかった……。生涯をともにするって約束を、果たしたかった……。それなのに……」
「後悔だけが、罪悪感として残ってしまった……」
自分と似ていて、吐露される言葉たちが沁みて、古傷が疼くようだった。
「最後に、自分の気持ちを全部言いたかったのに、何も言えなかった……。悲しくて……苦しくて……絶望して……きみの命を、繋ぎ止められないかって……」
「後悔だけが残るのが、怖かったんですよね……。わかります」
(僕も、そうだったから……)
ヨハネは苦衷を滲ませる。男性との相互干渉が、少しずつ深くなっていく。
「時間を戻したい……。こんなに苦しめられる日々を過ごすくらいなら、彼を追い掛けた方がよかったんだろうか……。いっそのこと、その方が楽だった……」
「そうですね……。追い掛けてしまえば、罪悪感から解放される。後悔を繰り返すこともない」
(僕もあの時、それを選択しようとしていた……)
脳裏に甦る。輝いていた青春が、雨が続く鬱屈とした日々に変わり、太陽を見なくなった往日を。
啜り泣く男性は、止まらない後悔を吐き出し続ける。
「取り戻したい……。彼との幸せな日々を、続けたかった……。自分が愚かしくて、憎い……。こんな、虚しいだけの日々を呼んだ自分が……憎くくて、憎くくて、堪らない……」
(僕も、自分が憎い。あの幸せを取り戻したい。でも。もう、二度と……)
男性の一言一言が、自分の気持ちに置き換わる。深くなる相互干渉で、息が詰まっていく。
ヨハネは、自分に言うように男性に伝える。
「でも、戻って来ない。どんなに後悔しても、あの一度限りの幸せは、あの時間だけのものなんだ」
「じゃあ。どうしたら、この苦しみから解放されるんだ……」
男性は顔を上げ、目蓋を腫らした目でヨハネに問う。脳裏に一瞬、彼は誰時の静かな黒い水面が甦る。




