34話 罪の墓標
再び棺に囚われたヤコブは、冷たい風と緑の匂いを感じた。
目を開けると、周囲を緑の木々で囲われた場所にいた。一面の芝生には、生花で彩られた雑誌ほどの大きさの墓石が一列ごとに並んでいる。
曇天の下に広がるこの景色には、見覚えがある。故郷にある墓地だ。
ヤコブは自分の目の前にある、名前と生まれた年月日と没年が刻まれた墓石に視線を落とす。
(兄貴の墓……)
長年避けていた場所に立っていた。自分が来る資格はない場所。しかし、ようやく来られたヤコブの心持ちは、思っていたよりも落ち着いていた。
「其れが、お前の罪の証だ」
ヤコブの後ろにバルトロマイが佇んでいた。逃亡を図られないよう、紫色の鋭い双眸を向けている。
「お前の家族。血を分けた兄弟。お前が運命を捻じ曲げた者の末路」
改めて侵した事実を突き付けられると、ヤコブの心臓はのし掛かる重苦で止まりそうになる。
「……そうだ。俺が運命を変えて夢を奪った、兄貴の墓……。周りのみんなに喪失と絶望を与えた俺の、罪の証だ」
「お前に猶予を与えた。其の間に、お前の己への咎は切っ先を変えたか?」
「変わるわけがない。そう簡単に赦されるほど、人の本心も変わらない……。兄貴の気持ちを知ることが叶わない限り、俺の選択肢は増えもしなければ減りもしない」
「兄の本心を知りたいか」
「知れるものなら」
「其処に居るではないか」
バルトロマイに言われて視線を上げると、墓石の向こう側にデリックが立っていた。しかしやはり、黒く覆われた顔で表情はわからない。
「兄貴……」
「憎い」
たった二文字で、剣で心臓を一突きされたように痛みを覚える。
「憎い。憎い。お前が憎い。僕を煩わせたお前が憎い。僕から音楽を取り上げたお前が憎い。僕の夢を奪ったお前が憎い。僕の人生を終わらせたお前が憎い。生きているお前が憎い」
表情はわからないのに、ヤコブの目には意趣の目付きの表情がはっきりと見えていた。単調な声音も叱責していて、砥がれた言葉の一つ一つが心臓の真ん中に突き刺さる。
ちゃんと向き合うつもりだったが、デリックの顔を直視するのが怖くなったヤコブは目をギュッと瞑り顔を逸らす。
「ごめん……! どれだけ謝っても足りないのはわかってる。俺は、兄貴の全てを奪った。俺の我儘が、プライドが、兄貴の運命を捻じ曲げた!」
「お前がそんな性格じゃなければ。くだらないプライドなんかなれけば。お前なんかがいなければ」
「俺がいなくなれば、兄貴は満足するのか?」
それが本当に、デリックの本心かはわからない。しかし、この空間で見聞きしたことは、本人にとって全て現実となる。バルトロマイが作った幻覚であろうと、ヤコブの罪悪感から生まれた妄想であろうと。
「どうだ。実兄の本心を聞き、己の罪深さが身に沁みているだろう……。だが。お前の懺悔は其れだけか」
「え?」
バルトロマイは、まるでそれを知っているかのように問い質す。
ヤコブは嫌な予感がして、顔色を変える。
「まだ有るだろう。しなければならぬ懺悔と、償わねばならぬ罪が」
すると、デリックの墓石に刻まれている文字がバグを起こし、文章に書き替えられた。それは、あるSNSの書き込みだった。
「……!」
その横に並んでいる墓石の文字も、次々と文章に変わっていく。そして、一列全ての墓石の文字が、ある文章に書き替えられた。
「これも、お前の罪だな?」
「やめろ! 今すぐ消せ!」
隠していたことを詳らかにされたヤコブは動揺し、血相を変えて隠そうとする。
「『AJDAには、簡単に人を傷付ける最低なやつがメンバーにいる』……。『AJDAの歌なんか聴く価値はない』……。『AJDAは、本当は他人が曲を作って他人が歌ってる』……。『オーディションにAJDAを通すな! みんなは本当のやつらを知らない!』……」
それを一つずつ読み上げるのは、いつの間にか現れていた黒い顔のアレンだった。
アレンは幻滅し、好青年の中に隠していた冷然さを表出させた顔付きで言う。
「これを書いたのはお前だったのか。ヤコブ」
「アレン……」
「このSNSの投稿のせいで、同じオーディションを受けてた他のバンドから陰でいろいろと言われたよ。学校でも変な噂が広まるし、誹謗中傷まで受けた。そのおかげでメンバーが抜けて、まともな活動ができなくなった」
このSNSの投稿の件が、ヤコブがアレンに言えなかったことだった。自分の口から謝罪できなかったことがこんなかたちで暴露されたヤコブは、すっかり怯えて畏縮する。
「違う。これは……。一時的な感情で書いただけで……。気付いた親父がすぐに削除したよ」
「でも投稿は拡散された。嘘だったものが偽りの事実になって、たくさんの人の目や耳に入った。そして、ありもしない話まで生まれて誇張され、そのせいで演奏する場所を失った。お前にデビューのチャンスを奪われるだけでなく、演奏する自由さえ失った!」
アレンはヤコブに意趣を注ぎながら、一歩ずつ近付いて来る。ヤコブは逃げ出したい衝動に駆られるが、覚悟して来たその足を芝生に接着させた。
「ほ……本当にごめん!」
「ヤコブ。お前は一体、僕たちからいくつ希望を奪えば気が済むんだ! どれだけお前に翻弄されればいい!?」
アレンはヤコブの胸倉を掴んだ。黒い顔に怨色が蠢き、それが悪魔のような形相に見える。
「ごめん……。本当に、ごめん……」
恨み骨髄に徹するデリックは、静かに瞋恚の眼を向け続ける。
※「AJDA」… デリックたちの最初のバンド名。メンバーのイニシャルの一文字目を並べた。




