27話 暗闇の追憶
職場に早退を申し出て帰って来たヤコブは、ベッドに仰向けになっていた。額に手を置き、半分しか見えなくなった天井を無気力に見つめている。
「ヤコブ」
シモンがカモミールティーを淹れて来てくれたので、ヤコブは怠そうに起き上がってマグカップを受け取った。温かいカップから湯気が立ち上り、甘く優しい香りが鼻腔を撫でた。
「よかったね。カモミールティー買っておいて」
「本当だな」
シモンは隣に座り、二人は一緒に飲んだ。
昼間の暑さは、夕方になり和らいできている。夏の緯度で空を移動する太陽は、まだ地平線より高い位置をのんびりと下っているところだ。
二人の部屋の隣のリビングルームでは、料理当番のペトロが夕飯の準備をしている。きっと、事務所の業務を早めに切り上げたユダが手伝っているはずだ。
シモンはヤコブの体調を窺う。
「気分、落ち着いた?」
「落ち着いてるよ。思ったほどダメージ食らってねぇし」
そう言うわりには、声にいつもの張りがない。
「強がっちゃって」
「強がってねぇよ」
「誤魔化さなくていいよ。バンデだから、嘘つくとわかっちゃうから」
バンデの繋がりが以前よりも強くなっているおかげで、シモンに見透かされてしまっているようだ。
「それに……。棺に触って、ヤコブのトラウマも気持ちも、少しわかったから」
「そっか。じゃあ、下手な誤魔化しは無駄だな」
それでは嘘は通用しないと諦めたヤコブは、微苦笑した。
「シモンには、ちゃんと話しとくよ。俺のトラウマ」
カモミールティーをもう一口飲むと、ヤコブは浮かない表情でシモンに話し始めた。
「……この前さ。公園で戦闘になった時、俺が危険を侵しそうになっただろ」
「うん」
「あの時、あの子供と昔の自分が重なったんだ」
「昔のヤコブと?」
そしてヤコブの記憶は、さっき戻った過去に再び遡る。シモンは、なるべくいつも通りの雰囲気を心掛けて、心を向けて聞いた。
「十二歳の時のことなんだけどさ……。俺には、四つ上の兄貴がいたんだ。頭良くてイケメンで、自慢の兄貴だった。趣味でギターやってて、あのギターはもともと兄貴が使ってたやつなんだ」
ヤコブは、クローゼット横のカバーに入ったギターに目をやった。
「そうだったんだ」
「カレッジに上がると、兄貴は先輩に誘われてバンドを組んだ。そのバンドの結成当時のメンバーが、俺にMV出演のオファーをくれたアレンとジェレミーだったんだ」
「お兄さんの学校の、先輩だったんだね」
「俺、しょっちゅう練習に付いて行ってたんだけど、みんな演奏上手くてさ。兄貴の歌声も最高で、プロになれるって俺は毎回言ってた。そしたら、有名レーベル主催のオーディションにエントリーした兄貴たちは、一次審査を通過したんだ。その頃はまだ、インディーズでもなかったのに」
「本当に? すごいね、お兄さん」
自慢だった兄がシモンに褒められると、ヤコブの表情が少しだけ和らいだ。
「だろ? すごいよな。演奏動画を上げてたんだけど、その実力が密かに噂になってて、優勝候補にまで上がってたらしいんだ。親父もおふくろも友達もみんな、きっとこのままプロデビューするんだって期待してた。でも……」
しかし、また気持ちが沈鬱し、表情が翳る。
「俺のせいで、できなかった」
「ヤコブのせいで?」
ヤコブの心が沈むのをシモンは感じ、断片的に見た映像を思い出す。ここから先は、彼の心が許した者しか入ることができない領域だ。
「二次審査は、レーベル本社で審査員を前にした演奏審査だった。その日がちょうど兄貴の誕生日で、俺はサプライズプレゼントを用意してた。兄貴にもそれを予告してて、楽しみにしてるって言ってくれてた」
「どんなサプライズを用意してたの?」
「弾き語りだよ。兄貴に演奏の仕方を教えてもらってたから、隠れて一生懸命練習して、その成果を見せて喜ばせたかったんだ。だけど、兄貴はオーディションに行かなきゃならなくなって、俺は約束を破られたと思って納得いかなくて、当日の出発直前になって兄貴のギターを奪って駄々をこねたんだ。それがいけなかった」
「……何が、あったの?」
一瞬、訊くのをためらった。けれど、ヤコブの心の一部を占領している、陰雲に覆われた暗澹を自分が見なければと、シモンは慎重に尋ねた。少し、怖い気もした。
ヤコブは、暗澹の中核を口にする。




