32話 約束を果たしに
週末になり、シモンにデートに誘われたヤコブは映画を観に行った。
観終わった二人は、映画館の目の前のショッピングモールをふらふらと歩いていた。けれど、シモンはちょっと機嫌を損ねていた。
「ヤコブ、映画に全然集中してなかったでしょ」
「集中してたって」
「本当にー? ボクがチラッと見た時、観てる振りしてぼーっとしてるように見えたけど」
「そんなことねぇよ。観てた、観てた」
「えー? 疑わしいなぁー……」
久し振りのデートに気を抜いている疑惑に、シモンはジト目を向ける。
「じゃあ問題です」
「問題?」
「ヒロインを助け出したヒーローが彼女を逃がす時、何て言ったでしょう?」
「え? えーっと……」
ヤコブは思い出そうと、脳から最新の記憶を呼び出す。だが、冒頭のヴィランの不敵な笑みと、ハンバーガー屋でケンカをする主人公カップル。あとは、主人公とヴィランの激しい戦いを漠然と覚えているだけで、台詞なんて一言も思い出せない。
「『必ず帰るから信じて待ってろ』?」
「ブッブー!」
当てずっぽうで言ってみたが、大ハズレだった。
「そんな無難な台詞じゃないよ。正解は、『帰ったら、オレの好物の特製チェリーパイ焼いてくれ。お前の愛という隠し味のな』だよ。ほら。やっぱり観てなかった」
「ごめん……」
「気分転換にって誘ったのに」
「本当にごめんて」
口を尖らせるシモンに申し訳なくて、ヤコブはヘコんだ。
だがシモンも、本当に機嫌が悪くなったわけではない。デートを台無しにしたことを本気で気にするヤコブを心配する。
「アレンさんと話したのに、まだスッキリしないの?」
アレンに言えていなかったことを打ち明けることができ、後悔はしていないと言っていた。しかし、ヤコブの中では何一つ進歩をしていない表情だった。
「まだ何か気になってる? ヤコブの心に、他に何が引っ掛かってるの?」
シモンが尋ねると、後ろめたいヤコブは目を伏せた。
「実は……。一つ、言えてないことがあるんだ」
「直接関係すること?」
「ああ」
「それを言えなかったから、まだ引き摺ってるんだね。それなら、ボクが聞いてあげるよ。ヤコブの気持ちを、ちゃんと汲み取ってあげられないかもしれないけど」
「そんなことねぇよ」
「でもこの前は、独り善がりなこと言っちゃったし」
自分が望まない選択をしようとしていたのが納得できないからといって、ヤコブの胸中を推し量ろうとせず、手前勝手に押し付けてしまったことをシモンは反省していた。
そんな素直なシモンの頭を、ヤコブはポンポンと撫でた。
「いや。嬉しかったよ」
あの時のシモンの言葉は、ヤコブの心に響いていた。年下なのにこんなに頼りになるバンデに出会えてよかったと、心の底から思っている。
ヤコブが元気がないなりに微笑んでくれて、シモンは少しホッとした。
「じゃあ、ごはん食べながらでもいい? お腹空いちゃった」
「そうだな。フードコートにでも……」
腰を据えられる場所を探そうとした。ところが、タイミング悪く死徒の気配が邪魔をした。
「来たか」
二人はデートを中断して東の方へ向かい、約束の地であるジャンダルメンマルクトを目指した。
到着したと同時にユダたちとも合流したが、今回もまた既にテリトリーが展開され、憎悪のバルトロマイが待ち構えていた。
バルトロマイはヤコブの姿を捉えると、仇のように紫色の眼光を向ける。
「ご丁寧に、前回と同じ場所を指定か」
「お前が、正確に我との約束を思い出せるようにな」
「心配しなくても忘れてなかったよ。俺はいつでもいいぜ」
バルトロマイとの再戦の時を覚悟の心持ちで待っていたヤコブは、再び棺の中での戦いになることに動じていない。
「ヤコブ」
シモンは、ヤコブを案じて手を握った。また独り善がりな気持ちを言いたくなるのを、ぐっと堪える。
「俺の決着をつけてくる。どうなったとしても、戻って来たら笑顔で迎えてくれ」
微笑したヤコブは、シモンの手を離した。
「やろうぜ」
「己の結末を見据えているような、良い表情だ……。ビフロンス。他は任せる」
地面に紋章が現れ、いやらしい微笑みを湛えたビフロンスが召喚された。
「御任せ下さい。主殿」
《因蒙の棺!》
バルトロマイは、ここに入れと命じるようにヤコブの目の前に黒い沼を出現させた。ヤコブは固い表情で沼に足を踏み入れると、その姿はまたたく間に飲み込まれた。