キリンの社会進出における課題について
「やっぱり建築資材は重いですよ。肩、いや、首こりがきついんです」
キリンはそう言うと、長い首をゆっくりと左右にひねった。すると、関節の音らしき、パキッ、ポキッといった軽やかな音が、長い首の至る所から聞こえる。うん、確かにかなりこっていそうだ。
近所のスーパーの向かいにある、建設中の大きなマンション、そこでは一頭のキリンが働いている。若いオスのキリンで、長い首を器用に使い、クレーン車のように資材を上から下へ、下から上へと運ぶのが彼の仕事だ。そんな彼に、今日私は取材をさせてもらっている。
「他にもお仕事で大変なことはありますか?」
「そうですねえ、あとは首が伸びないことですかね」
「首が伸びない?」
私は彼の言っている意味が分からず、思わず首を傾げた。キリンは首が長いけれど、首が伸びないのは当たり前じゃないか。私はノートに走らせる鉛筆を止めてキリンを見た。
「はい。例えば、もう少し首が長ければ土台に乗らなくても上の階まで資材を運べたり、上にあるものをくわえて下したりできるのになあと思うことがしばしばあるんです」
なるほど、そういうことか。体のパーツがあと少し長かったらなあと思うことは、きっと誰にでもあることだと思う。もちろん私もあと数センチ手が長かったら届くのに、そう思いながら焦らされることがよくある。それがキリンの場合は首なんだ。私は「なるほどなあ」と言って頷きながら、彼の例え話を聞いてすっかり納得した。
「もちろん、もう少し足が長かったら届くのになとも思うことはあるんですが、足よりも首の方が長いと便利な気がするんです」
「でも、首が長くなるとさらに負担がかかって首こりが悪化しませんかね?」
「あ、本当ですね。それは困りますねえ」
キリンののんびりした返事を聞いて、私はついくすくすと笑ってしまった。そんな私に釣られて、彼もふふふと笑った。
「キリンさんはどうしてこのお仕事をなされてるんですか?」
「大した理由はありませんよ。このお仕事はお給料がいいんです」
キリンはそう言ってから、建設現場でのお仕事が高層ビルの窓掃除の仕事よりもかなりお給料がいいことを教えてくれた。それから高層ビルの窓掃除は、キリンにとってかなり大変な割にはお給料が安いことも。
「キリンの社会進出が注目され始めたのって最近のことじゃないですか。だからそもそもできるお仕事が少ないんですよ」
「あ、そうなんですね」
「そうなんです。動物園以外にも、高層ビルの窓掃除や、植木の剪定、トンネルの天井や電線の異常確認、配管工事や外壁塗装、消火活動など、少しずつ活躍の機会は増えてきました。でも、お仕事の内容がお給料の金額に見合ってなかったり、雇用制度が整っていない会社が多かったり、まだまだ課題が多いんです」
キリンの社会進出がメディアで大きく取り上げられるようになったのは、ここ二、三年のことだ。それよりも前から動きはあったみたいだが、ニュースで耳にする話の内容を考えても、キリンが言うようにまだまだ課題は多そうだと思う。このキリンも苦労しているのだろうなと思い、同情ではないけれど、少ししんみりとした気持ちになった。
「今の職場はどうですか?」
建設現場の向かいにある、スーパーの隣の公園で取材をさせてもらっているため、私は周りを確認してから聞いてみた。
「仕事内容はハードですが、働きやすい会社ですよ。保険も入れましたし、キリンにも有給休暇の制度が使えます。残業代もちゃんともらえますしホワイトな会社ですよ」
「それは良かったですね」
「はい、それはもう」
嬉しそうに話すキリンの声に、なんだか私も嬉しくなった。
春の公園はいい。芝生は綺麗だし、花壇には明るい色の花が咲き、木には新しい葉が茂り始めている。花粉もようやく落ち着き始め、公園でのんびり過ごすにはぴったりの季節だ。
公園でのキリンの取材が珍しいからか、やってきた時よりも周りが賑やかになってきた気がする。でも、キリンは全く気にしていないみたいだったので、私も気にしないことにした。
空を見上げると、一羽のハゲワシが郵便鞄を引っ提げて飛んでいる。ハゲワシを追いかけて見ていると、今度は反対方向から『鮮魚輸送中』のたすきをかけたフラミンゴの群れがすごいスピードで飛んできた。ハゲワシとフラミンゴの群れはすれ違いざまにぺこりと頭を下げて各々の目的地に向かって飛んでいった。
鳥たちの運送業への進出は目を見張る勢いで進んでおり、海から遠い地域でも水揚げしたての新鮮な海の幸が食べられるようになった。最初は運送中の鳥によるフンの落下が世間を騒がせたが、運送業界の大手四社が協力して、鳥用トイレを全国に漏れなく設置したことによりすぐに解決、今では誰も鳥たちの運送に文句を言わなくなった。
「どうかされましたか?」
私がぼんやりと遠ざかっていくフラミンゴたちを見ていたので、キリンが声をかけてきた。
「すみません、フラミンゴさんが飛んでいるのを見て、私も空を飛べたら空輸のお仕事ができるのになと思いまして」
「あー、わかりますよ。空輸の仕事ってかっこいいですよね。私も鳥だったら絶対に空輸の仕事をしたいなと思いますもん」
キリンも遠ざかっていくフラミンゴたちを見て、羨ましそうに言った。
「キリンさんは憧れる動物はいますか?」
「いますいます。キリンでいることが嫌ってわけではないんですが憧れる方はいますよ。例えばパンダさんとか」
「パンダさんですか?」
想定外の動物に私は驚き、思わず手にしたノートを落としそうになった。まさかキリンの口から、パンダに憧れているなんて聞くと思ってなかった。まあ、キリンが憧れていそうな動物の見当なんて全くなかったから、誰に憧れていると言われても驚いていただろうけど。
「パンダさんってすごく人気じゃないですか。みんなの心を鷲掴みにするカリスマ性、あれはやっぱり憧れますよ」
「確かに。パンダさんの人気はもう圧倒的ですよね」
「でしょう? こないだ仕事帰りにゾウさんともその話になったんですよ。パンダさんっていつ見ても芸能界の重鎮みたいなオーラがあるよねって」
キリンがいうゾウとは、同じ現場で働く若いオスのゾウのことだろう。彼にも後日取材をお願いしたいと思っていたところだ。もし取材ができたら、このパンダのお話も聞いてみようと思い、私は取材ノートの隅に『ゾウにパンダのことを聞く』と、簡単にメモを残した。
「キリンさんの最近の悩みとか困り事ってなんですか?」
取材の最後に気になることを聞いてみた。すると、キリンは「うーん」とうなり、首を横に少しだけ傾げてから「悩みってほどじゃないんですが……」と言って、足であるものを指した。
「電線がもっと少なくなればいいなあと思います」
「電線ですか?」
「はい。少ないところもあるんですが、住宅街の中だと電線だらけの場所も多く、それでよく転びそうになるんです」
「なるほど、電線が多いと歩きにくいんですね」
「そうなんですよー」
キリンは小さなため息をつく。電線なんて空を見ないと気にならないけれど、キリンみたいに背が高い動物にとっては障害物になる。電信柱が多い道を歩くのはさぞ難儀するのだろう。
「最近は無電柱化が進みだしたので、少しずつ歩きやすくなっているんですが、それでもまだまだ多くて」
地震対策を兼ねて政府が電信柱を減らし始めたが、まだまだ街中にはたくさんの電信柱が並んでいる。
「電線を地中に埋める工事ですよね。始めてからもう何年も経ちますが、かなりゆっくりしたペースですもんね」
「そうですそうです」と言うと、キリンはまたため息をついた。
「急いでいる時に走りたくても電線があるから危ないし、もう少し無電柱化のペースが早くなればいいんですが……」
社会進出が進み出したとはいえ、キリンの話を聞いてまだまだキリンたちにとっては住みにくい社会なんだなあと改めて思った。
「ネコさん、いい絵は描けましたか?」
取材を終え、二冊のノートと筆記用具をショルダーバッグに片付けて、私がすすーっとキリンの頭の上から長い首を滑り台のように滑り降りると、頭上からキリンに聞かれた。私は地面に着地すると同時に自分の体がカチンと固まったのを感じた。どうやらバレていたらしい。
「あの……気づいていたんですか?」
恐る恐る見上げると、キリンは怒ることもなく優しく笑いかけてくれた。
「そりゃあわかりますよ。会話のテンポに関係なく、鉛筆の擦れる音が聞こえるんですから」
「あ、そうか……そうですよね。ごめんなさい」
私は素直に謝った。
キリンの頭の上で絵を描いてみたい。建設現場で働くキリンを見て、私はそう思った。でも、いくら私がネコで体重が軽いと言っても、頭の上で絵を描かせてくれっていうのは失礼だろう。そこで、悩みに悩んだ末に辿り着いたのが『取材』を依頼することだった。
幸い私が雑誌記者だったこともあり、キリンは快く取材を承諾してくれた。もちろん取材内容も取材ノートにメモしているが、同時並行で別のノートに鉛筆でキリンの頭から見た景色の絵を描いていたのだ。
キリンの声をしっかり聞くため、なんて理由をこじつけて頭の上に乗せてもらい、高いところが好きと言って、取材中はずっと立ってもらっていた。
「本当にすみませんでした」
私はバレていたことの恥ずかしさと、改めて自分の非礼に居た堪れなくなり、キリンに謝罪をした。
「いえいえ、そんな、気にしないでください。取材なんて滅多にしてもらえることじゃないし、お話を聞いてもらえて楽しかったので」
「そう言ってもらえて嬉しいです。今回の取材内容はしっかり記事にさせてもらいますので、原稿ができたら確認していただけるよう持ってきますね」
絵が描きたかったことがきっかけだが、いいお話が聞けたので、私はキリンの取材内容を絶対に記事にしようと決めていた。微力だけど私が記事にすることで、キリンが少しでも生活しやすくなればいいな、そう本気で思ったのだ。
「本当ですか! ありがとうございます。そうだ、取材記事の話から変わるんですが、よかったら、描かれた絵を見せてくれませんか?」
キリンに言われ、私は悩んだけれど彼に自分が描いた絵を見せた。ショルダーバッグから絵を描いたノートを取り出し見せると、彼が「わー! 鉛筆でこんなに描けるんだ。すごいですね!」と言って私を褒めちぎるので、私は嬉しいやら恥ずかしいやらで何も言えず、赤面してしまった。
「見せるつもりはなかったのに……」
私はぼそりと呟いたが、キリンには聞こえていないようだった。
キリンの記事は想像以上にすごい反響だった。
そもそも記事が出る前に『キリンの頭の上で絵を描くネコ』がネットで話題になった。もちろんそれは恥ずかしながら私である。取材中何度か下が騒がしいなと思っていたら、知らぬ間に写真を撮られていたらしい。
勝手に写真を撮られたことは腹立たしいが、綺麗に撮ってくれていたので許すことにした。あと、自分が話題になるなんて初めてだったので、恥ずかしい反面嬉しくもあり、怒るに怒れなかったのだ。
そんなこんなで、話題になったネコが書いた記事ということで、キリンの取材記事は注目を浴び、色んなところで話題になった。また、ニュースでも大型動物の社会進出が大きく取り上げられるようになり、国会でも法整備や見直しの必要性が審議されることとなった。
まさかここまで大きな話になると思っていなかったので、私も、そしてキリンもかなり驚いていた。
「書かせていただいた記事がこんなに話題になるなんて、夢にも思いませんでした」
取材から三ヶ月後、私は再び頭の上に乗せてもらいながら公園でキリンとお話をした。
「私も驚きました。でも、ネコさんのおかげでなんだか色々良い方向に進みそうです」
「そう言っていただけて嬉しいです。早く大型動物の皆さんが住みやすい社会になると良いんですが」
「そうですねえ。まあでも、まだまだ時間はかかると思いますよ」
「そうですよね……」
社会は今変わり始めようとしている。でも、そのスピードはゆっくりだから、電信柱が一気に無くなることはないし、法律がすぐに変わったり、新しく施行されたりすることもない。私はキリンの頭の上で思わずため息をついてしまった。
「そんなそんな、気を落とさないでくださいよ。私はネコさんに心から感謝しているんですから。ゆっくりでも社会が変わるのなら、私は首を長くして待つことにしますよ」
私の下から聞こえるキリンの声は、取材をさせてもらった時よりもどこか明るくなっている気がした。