終章 雪白の姫が王子様に出会うこと
旅姿の巫女二人が現れたのは、田の畔塗も終わり、家々の軒先を燕が飛び交う弥生半ばのことだった。
一人は背が高く金の蓬髪に小麦色の肌、もう一人は黒い乱切髪に白い肌の若い女だった。
二人とも埃と垢で汚れ、袖口の綻びた白衣をまとい、首に伊良太加の数珠を二重に掛け、太短い包丁のような鉈を馬手に差す異形の体である。
二人は町の入口、塞の神の塚まで来ると、傍らの大岩に笈の脚を乗せて立ち姿のまま一息入れていたが、笠を持ち上げて棹の旗に目をやった。
「丸に違い太刀。ライン大公家の旗印だね」
金髪小麦肌の巫女が声に出し、片割れを見やった。黒髪白肌の巫女が小さく頷くや、杖を取り直して二人並んで塞の注連縄を潜った。
その背を掠めるように二羽の燕が飛び抜けていく。
空は縹色に染まり、雪が解けた山裾の緑は春霞に煙っている。
山が里近くまで迫るこの辺りでは、行者の姿はそれほど珍しいものではない。ただ、時期が奇妙だった。
正五九月と称し、睦月、皐月、長月に斎戒沐浴して聖堂詣でし、日待月待の祭りをする。
この三つの月は旧教では忌月に当たっていて、山岳行者たちは三長斎月といい、護摩供養を行ったり、檀家へ守り札を配る。
弥生の今は行者どもも山中の諸堂に籠り、皐月に配る札刷りに忙殺されている筈だった。
「グイナード・ドレイル・ライン様の御陣屋はいずれでございます」
二人は道を行き交う人に尋ね尋ねて、ようやく町外れの大きな屋敷に辿り着いた。堀を深く掘り、矢避けの幕が張り巡らされて砦の形をしている。周囲には種族も様々な破落戸同然の半具足どもが屯しているが、皆、二人が行者だと知って目を逸らした。
土居の上に藁葺の巨大な長屋門が建ち、手前の小川では山茶摘みの帰りだろうか、数人の老婆が腰籠の中身を見せ合っている。
乞食巫女二人はその老婆たちを掻き分けるようにして門前に立ち、
「もの申します。当主が御在宅であられましょうや」
すぐ脇の木戸口が開いて、野良着姿の若者が現れた。
「ここをどなた様の御邸と心得る」
膝に溜まった藁の細片を叩きながら言った。草鞋でも編んでいたのだろう。
「グイナード・ドレイル・ライン大公様でございましょう」
黒髪の巫女が澄ました顔で答えた。
「帰れ、わぬしらのような旅の乞食芸人風情が若殿に会えると思うておるのか」
大公家の下僕ともなれば、物言いもどことなく横柄だ。
若者は笠に隠れた二人の顔を下からまじまじと覗き込み、
「ふむ、二人ともなかなかの器量じゃな」
風呂など入らせれば見映えがしそうじゃと好色そうな笑みを浮かべた。
金髪の巫女がすっと腕を伸ばすと、その若者の顎を掴んだ。
「何を」
巫女は構わず若者の顎を締め上げた。若者の耳の奥で、硬いものが軋む音がした。顔が苦痛に歪む。
「ねえ、こっちは焦れてるの。せっかく下手に出てあげたのに」
今から獲物を引き裂く肉食獣のように赤い瞳が細く歪んだ。
「と、当家主は他行中だ」
若者は掠れた声で答えた。
巫女は途端に興味が失せたように手を離した。若者が思わず腰を落とした。
「どこに行ったの」
「隣村に祝い事があって、帰りは遅くなる。今日は戻られぬかも知んねい」
顎を擦りながら何とか答えた。
「あら」
金髪の巫女はひどく困惑した顔をした。
黒髪のほうが、
「さる御方より、グイナードに直接手渡し、物語りなどせよと命じられて参ったのですが」
「渡し物なら、俺あ預かっておくべい」
「左様ですか」
巫女は逡巡の体だったが、やがてのろのろと笈を降ろし、中から紫布に包まれた小さな箱を取り出した。
「これけえ」
若者は汚らしい手で包みを受け取り、無遠慮に布を解きだした。
「これ、そのように手荒く扱うものではありませぬ」
若者は相手の語気の鋭さに少し驚いたが、解く手を止めない。
「ふん、小汚ねえ札だな」
憎体に言いながら札に描かれた螺旋の模様を睨むと、
「若殿には何と伝える」
「札を見せればそれで十分」
笈を背負い直し、
「では、頼み置きます」
踵を返すと、二人は来た道を歩き出した。
「おおい、巫女さんよう」
若者は慌てて後を追い、
「お前ら方は何処から来なすった。名は」
聞いておかねば後で俺が主人に叱られると若者は叫んだ。
「名は必要ございません。都から参ったと主様に御伝えあれ。しばらく辻の巡礼宿で寝泊まりしています」
二人は振り返りもせずにそれだけ言うと、畦道を踏みしめて去っていった。
グイナード・ドレイル・ラインの帰宅は、その小半刻後だった。ほとんど入れ違いといってもよかった。下僕から事情を聞いたグイナードは、札を手にするや、
「あっ」
と口を開けた。
「ケイン」
庭先に座った下僕の若者に、何故御引き止めせなんだかと声を荒げた。
二人が辻の報謝宿にいると聞いたグイナード、すぐさま宿直の馬廻衆に物具つけさせ、自らも重代の鎧に身を固めるや、
「駆けよ」
後ろも振り返らずに馬を進め、慌てた兵たちが小走りに駆け出した。
その夜、鎧の金具が触れ合う音と馬の嘶きに、すわ戦かと戸外に飛び出した町の住民たちは異様な光景を目撃した。
軒の傾いだ行者宿の前で、篝火が二つ燃えている。炎は時折風に舞い、周りの闇を赤く照らした。
下馬した大公グイナードは、整列した鎧武者を従え、二つの炎に挟まれて立った。全員が息を詰め、固く口を引き絞って乞食宿を見つめている。
「御迎えに参りました」
暫くして、宿の戸板が軋み音を立てて開き、巫女が二人、暗がりの中から浮かび上がるように現れた。金属音を響かせて騎士たちが一斉に平伏した。
「グイナード・ドレイル・ラインでござる」
「先の帝の娘、アニーナです」
黒髪の巫女が菅笠を取る。顔を拭ったのだろう。雪のようと謳われた白い肌が、篝の炎を受けて僅かに朱に染まった。
「おお」
やつれているが、かえって凄みの増した美貌に、軍勢の間から思わず声が沸いた。
「遠路はるばる我が地によう参らせられました」
「そなたの御父上の尽力あればこそです」
「その御言葉だけで、冥土の我が父も浮かばれましょう」
さあ我が屋敷へと手を差し出した。
姫は大公の手を取ると、もう一方の手で金髪の巫女の手を握った。
「スウ、貴方も」
「あたしはここまで」
金髪の巫女の顔に寂しげな微笑みが浮かんだ。
「そんな、貴方は私の命の恩人。貴方がいなければ、私は山中で凍え死んでいました。せめて一緒に来てください」
「駄目だよ。あたしたちの仕事はここまで。ここからは姫様が一人で行くの」
「どなたかは知らねども、姫様の恩人なれば、共に来て貰えぬか」
グイナードが口を挟んだ。その顔をまじまじと見つめていたスウは、
「良かったね、姫様。結構いい男じゃない」
姫に向かって悪戯っぽく笑うと、グイナードに声をかけた。
「ちょっと欠けちゃったけど、無事にお姫様を届けたよ。姫様をよろしくね」
冬山の逃避行の凍傷のため、アニーナ姫の足の小指は両方とも千切れていた。
姫とスウはしばらく指を絡め合っていたが、
「これからは、この人に可愛がってもらうのよ」
ゆっくりと指を引き離した。
「スウ」
姫の黒い瞳に涙が溜まる。姫が何か言おうとするのを押し止どめ、スウは首を振った。
「ニド姉なら、こんな時にどう言えばいいのかちゃんとわかってて、えぐい文句の一つや二つ用意してるんだけどね。でもあたしって学がないから」
赤い瞳を細めて精一杯の笑顔を作った。
「振り返っちゃ駄目だよ。お幸せにね」
こうしてお姫様は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
それから一月後、先帝の息女アニーナ姫を奉じたグイナード・ドレイル・ライン大公は、皇帝位奪回の旗を揚げた。酒色に溺れるフレイ新帝の仕置きの悪さに辟易していた諸侯がこれに同調し、帝国版図に戦火が燃え拡がるのに刻はかからなかった。百年にわたる戦乱の時代が始まろうとしていた。
アニーナ姫をグイナードの許に連れてきたという巫女の行方は杳として知れない。
もう梅雨も終わったというのに嫌な天気だった。
生温い粘ついた気味悪い風が、湯治宿の人々の顔を陰間のように撫で回していった。
僅かな涼を求めて川の岸辺に集って気晴らしをする湯浴みの客たちのために、桟敷が連なり、床几が出る。
仮設の茶店や菓子屋が水辺に建ち、その華やかさは、桜花が風に乱れて飛び散るような派手々々しさだ。
その喧騒の中を、歩き芸人の形をしたスウが入ってきたのは、暮れ六つの拍子木が鳴る頃だった。
川に新しい橋ができている。その白木の仮橋の下では、三味線を弾く者、尻端折りして魚を追う者、女に絡みつく酔客が見える。
(さて、どこに)
周囲を見回すスウの視線が一点で止まった。
長床几でダークエルフの娘が浴衣の襟をはだけさせ、団扇で風を送っている。
「お姉」
憮然とした顔でスウが声をかけた。
「あら、遅かったわね」
ダークエルフの娘がにっと笑った。
「遅かったねじゃないよ。大変だったんだから、まったく」
どすんと音を立てて隣に坐り、懐から紙巻を引き出した。
「姫様のことは噂で聞いたわよ。ご苦労様」
「皆は」
「朝から何度も湯に入ってるわ。嫌ねえ、貧乏くさくって」
「お姉の良い人は」
「あの人もよ。もう、二人で寄席に行こうって、こうして待ってるのに」
口を尖らせて、紙巻をくわえた。
二人してしばらく煙をくゆらせていたが、やがてスウが口を開いた。
「ねえ、これからどうするの」
「実はね、次の行先が決まりそうなの」
スウが僅かに眉を歪めた。
「また、妙なものに肩入れしてるんでしょ」
「うふ」
その言葉に応じるように、蝙蝠が二人の頭上をついと横切った。
おしまい