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七人でひとつ

作者: 氷貸

 学校から自宅のちょうど中間点あたりにアンティークショップ『ハーメルン』がある。大きい通りから少し外れて、陰気っぽい路地裏を行った先にその建物はぽつんとそびえていた。私はそのお店が纏っているノスタルジーな雰囲気が好きで、数年前から学校帰りや犬の散歩に出かけた時とかにお店の前を通っていた。


 絵本で読んだような古めかしい西洋風の建物、足を止めると微かに聞こえる振り子時計の規則正しい音、一人でお店に入る勇気が出ず中には入ったことはないけれど、お店の前にいるだけで異界にいるような気がしてお気に入りのお店だった。


 冷やかしになるかと思って店内を覗き見たりもしなかったから、遠目から見て色々な雑貨が置かれているということしか知らない。ただ、私がお店の前を通る度に目を奪われる小人達を除いて。




 お店の窓辺に飾るようにして置いてあるそれはガラス細工の小人達で、私が初めてこのお店を訪れた小学生の時、そこで六人の小人達が楽しげに笑っていたのを覚えている。最初、小人達はお店に飾ってあるものなのかなと思っていたけれど、それからしばらくあと、五人になっていることに気付いたときに小人達は売り物なんだと思うようになった。それが私が知る唯一のお店の商品だった。


 小人達は小洒落たガラス台の上に載せられていて、そこには丁度小人二人分くらいのスペースが余っていた。それを見て元々この小人達は七人居たのだろうと察した。小人といえば七人だし、よくよく見てみると、彼らがかぶっている帽子はそれぞれ橙、黄、青、紫、藍……消えた一人はたしか赤色の帽子をかぶっていた。これらは七つある虹の色から一色ずつ取ってきているのだろう。


 意地の悪いお客さんがいたものだと思った。この小人達は、七人でひとつのものだったということは見て取れることだ。何を思って一人ずつ引き離すように掠っていったのだろう。ただの置物である小人達に思いを馳せてみると、何だかやるせない気持ちになってくるのであった。


 今では小人達は三人にまで減ってしまっている。私は残された彼らをせめて一緒に居させられないかと思い、お小遣いを手に『ハーメルン』へと向かった。買われてしまった四人。これからの私の人生で、散ってしまった彼らをどうにか取り戻して元の七人に戻せないだろうかなどと思いながら。




 いつもの細い路地から幅ギリギリに収まっているトラックが出るのを待ってから店の方へと進んでいく。三人の小人を横目にお店の入り口の前に立つとそこには「close」の札が掛けられていた。この時間帯、いつもなら開いているのに間が悪い、また今度出直そうかな。そう思って引き返そうとした時、なにか心の中で引っかかるものがあった。


 いつもと何かが違うというちょっとした違和感。その正体はすぐに判明した。ああそうだ、時計の音が聞こえてこないんだ。こつこつという時計の音、今日はそれが聞こえてこない。お店を閉めているから時計を止めているのかとも思ったけれど、なぜだか無性にそのことが気になって窓の外からお店の様子を窺った。店の中は明かりがついていなかったけど、おかしな事になっているというのはすぐに気付いた。


 店の外から見ても分かるほどたくさん置かれてあった雑貨が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。


 その光景に唖然とし、しばらく動けずにいると、すぐ横から扉のベルの音が鳴った。少し驚きながらそちらの方へ振り向くと、お店の中からおじいさんが出てきていた。店を通りがけるときに何度か見かけたことがあったので、すぐにその人が店主の人だと分かった。


「あ、あ、あの、すみません、このお店って……」


 おじいさんと目が合い、私はすぐに問いかけた。


「ああ、お客さんかい……悪いけど、この店は閉めることにしたんだよ」

「そう……ですか」


 店の中を見て、すぐ頭に浮かんだ想像通りの答えだった。店が空っぽになっているのを見た時ほどの衝撃はなかったけど……とても残念に思って、少しうなだれる。そんな私の様子をしばらく見てからおじいさんは口を開いた。


「あなたは、たしか家の前をいつも通っていた子だね」

 予想外の言葉にハッとおじいさんを見上げた。

「私のこと、覚えてくれてたんですか。一度もお店の中に入ったことはなかったのに」

「はは、店のカウンターからいつもあなたのことを見かけていたからね。店の前で何度も立ち止まっていただろう」

「あ……そ、そうでしたか」


 極力店のことを気にしている様子を見せないようにしていたけれど、向こうからはそういう姿がしっかりと映っていたようで、少し顔が熱くなった。おじいさんは扉にかかっている札と花飾りを外し扉を開ける。

「少し、中で話でもしないかい。荷物はほとんど運び出してしまったから中には何もないけど、最後のお客さんがあなたならこの店も喜ぶことだろう。この店にとってあなたは顔の知らない常連さんだったからね」

 にこやかにおじいさんは言った。私は誘いに乗って、その敷居をそっとまたいだ。




 少し待ってなさいと言っておじいさんは奥に下がった。一人になった私は部屋の中を眺め回す。部屋の中には本当に何もなく、なのに狭く感じた。商品が所狭しと並んでいた時は身の置き場もないほどだったことだろう。


 建物は古びている割には汚れっぽくはなく、手入れが行き届いていたことが見て取れる。壁の方を見やると棚や時計の経年による跡が微かに残っていた。いつも聞いていた時計の音はここに掛かっていたものだったのだろうか。


 最後まで客として入ることがなかった『ハーメルン』の名残に触れ、在りし日はこんな様子だったのだろうかと空想する。しかし想像だけで『ハーメルン』の全てを補完できるわけがなく、もぬけの殻となった一室を見て、一度でも勇気を出してお店に入れば良かったという後悔の念が私を苛んだ。


 窓辺に近づく。空っぽのお店だが、三人の小人が唯一残されていた。どうして小人達だけ残されているのだろうと疑問に思ったところで、店の奥から階段を降りる足音が聞こえた。


「やあすまないね。見せたいものがあったんだが、引っ張り出すのに少し時間を取ってしまった」

 そう言いながらおじいさんは姿を現した。手には小さな写真立てを持っている。おじいさんが手渡してきた写真立てを受け取り、見てみる。色あせた写真に写っていたのは私が想像しようとしていた在りし日の『ハーメルン』だった。


「これって……」

「ああ、この部屋の写真だよ、店を始めたばかりの頃のね。この時はまだモノはそんなになかったから、あなたが通っていた時期とは変わっているところもあるけど、店の構造なんかはほとんど同じさね」


 おじいさんは写真にあるものを指さしながら説明してくれた。名のある職人が作ったという壁掛けの振り子時計や、終ぞ売れることのなかった食器棚、売り物ではなかったのにお客さんの熱意に負けてタダで譲ってしまった古いタイプライター。一つ一つ懐かしみながらおじいさんは語ってくれた。

 そしてその内、おじいさんは窓の所を指さした。


「これ、もしかして」


 古い写真。ところどころぼやけていて、遠くに写っている物は何か判別できない物もある。おじいさんが指さしたのも一見何かは分からない物だったが、私にはすぐに分かった。


「あの子達だよ」


 二人して窓の方へと視線を向ける。窓辺の小人達。おじいさんはその内一人の――藍の帽子をかぶった小人を手に取り、愛でるような視線を向けた。


 ……そんな感慨深い表情をするくらい思い入れのあるものなのだろう。きっと、この店にあった物の中の、どれよりも。


「おじいさんはどうしてこの子達を売ってしまったんですか」


 おじいさんの様子を見ている内に、言おうか言うまいかずっと悩んでいた言葉が口を突いて出てしまった。


「今日、本当は私、その子達を買いに来たんです。昔からその子達が気になっていて、でも少しずつ減っていくのを見て、何だか寂しくなって……。だから、私が元の七人に戻してあげようと思って……」

 私はしどろもどろになりながら私の思いを伝えた。口下手な私がよくもまあ堰を切ったように話せるなと、自分でも意外に思いながら話していた。


 決して語気は荒くなく、細々とした言葉を一つずつ紡いで、糸のように弱々しい。だけど、他にもいろんな感情はあったけど、今の私は間違いなく怒っていた。おじいさんの思いも知らず、一人ずつ小人を買っていったお客さんのその理不尽さに、そして何よりそれを許したおじいさんに対しても私は怒っていた。


 突然話し始めた私に対しておじいさんはきょとんとした顔をし、その後私の話を静かに聞いていた。そして私が話すのをやめると、おじいさんは言う。

「そうかい、あなたもこの子達を気に入ってくれていたんだね。この子たちもうれしく思っている事だろう。代わりに私からお礼を言わせてもらうよ」


 表情は元のにこやかな顔に戻っていた。おじいさんの穏やかな雰囲気にあてられ、さっきまでの毒気が抜けた。


「あっ、そのっ、ごめんなさいっ! 会って間もないのにいきなりまくしたてちゃって」

「いやいや、あなたの気持ちがよく伝わったよ。それに、おんなじ感性を持っている子に会えたことがぼくは嬉しいんだ。……そうかい、あなたはずっとこの子達を見ていたんだね」


 おじいさんは窓の外を向いていた小人達をガラス台ごとこちらに向けた。三人はいつもと変わりない屈託のない笑顔で仲睦まじい。


「安心するといい、この子達は一度だって売り物にしたことはないよ」


 おじいさんの口から予想外の言葉が出てきた。

「え、でも……じゃあ、いままでいなくなった子達は」

 私が戸惑っているとおじいさんは、写真をよく見てみるようにと私に言った。


「そう、あなたが言ったとおり、この子達は全部で七人なんだ。ガラス台と七色の帽子をかぶった小人達のセット。ぼくが妻との新婚旅行で見つけた物でね、一目惚れしてしまったんだ」

 新婚旅行中なのにね、と照れ臭そうに笑った。

「この小屋のような家で暮らすようになってから、窓辺のこの場所は、小人達の定位置になった。それから息子が生まれ、育ち、巣立っていったとき、ぼくはこの家に店を開いたんだ」


 おじいさんの話を聞きながら、写真についてひとつ気付いたことがあった。たしか、この写真は店が始まってからすぐの写真だったはずなのに、小人達はこのとき既に六人しか居ない。


「息子が家を出て行く時、ぼくは宝物の小人達から一人、青色の小人をお守りとして息子に託したんだ。離れていてもぼくたち家族は絆で結ばれている。そんな思いを込めてね。それから息子が結婚して、孫が生まれて……家族が増える度に一人ずつ小人達を託していったんだよ」


 わだかまっていたものがすとんと腑に落ちていく感覚があった。

「そう――だったんですね」

 嬉しくもあったし、安堵したというのもあった。思い違いをしていた自分が恥ずかしいし、おじいさんに対して申し訳ないという気持ちもあった。でも、複雑な気持ちがいっぱいの中で私の心を包んだのはやっぱり暖かなものだった。


「ぼくはね、今日あなたに会えて本当に嬉しいと思っているんだ。ずっと小人達のことを気にかけて、思ってくれて……家族が増えたその時に、あなたは立ち会ってくれていた。だから、最後にこうしてあなたに感謝をすることができて本当に嬉しい」


 おじいさんは『ハーメルン』を、というよりこの家を懐かしむような目で眺め回した。


「もしかして、お引越しされるんですか」


 この家には生活感というものが全く感じられなかった。店の商品だけを運び出したならここまでにはならないだろう。すでに家財を整理して、住んでいた痕跡を払い落としてしまったように感じた。

 今言った『最後』という単語も、店の最後ではなくこの街を出る直前という意味での『最後』というわけだ。


「ああ、息子が一緒に住まないかとぼく達に持ちかけてくれてね。この家よりも随分と立派な家らしい。かなり無理をしたらしいけれど、新しく生まれる息子の為に頑張るって意気込んでいたさね」


「! そうなんですね――」


 おめでとうございます、祝福しながら私も嬉しくなった。だってこれで七人目だ。ここにある小人達は三人。おじいさんとおばあさん、そして新しく生まれるお孫さん。これで小人達は家族全員ひとりひとりに託されることになるのだから。


「……長いこと、ぼくと妻はこの場所に住んできた。家具一つ、部屋の汚れ一つ、全てに沢山の思い出が詰まっている。正直、ここを離れるかどうかすごく悩んだよ」


 おじいさんは私の頭の上をぼんやりと眺めながら話す。名残惜しそうな口調で、皺の入った目尻に薄く涙を浮かべて。

 その思い出は美化するまでもなく綺麗なものだったろう。それを置き去りにするのはかなりの決心を要したのだと思う。


 でもおじいさんはその後に続けた。ああ、だけどおじいさんはそれ以上に――

「でも、それ以上に、この七人が集まるのを、ぼくはとっても楽しみにしているんだよ――」




 食材の買い出しに、スーパーへと向かう。これから肉じゃがを作ろうって時に糸こんにゃくが冷蔵庫に無いのは誤算だった。夕方の予定外の買い物。夕日が街を赤く照らしていた。


 いつものスーパーにいつもの道順で向かうのだが、途中、いつも横目にもかけず通り過ぎる路地がふと気になった。

 赤い街中に、そこだけ暗い一本道。私は昔からこういう雰囲気のある場所に弱い。あまり寄り道したくは無かったけれど、引き寄せられるように私はその路地へと入っていった。


 家々が並び少しごちゃついた通り。途中に分かれ道もなく、三分も歩かない内に行き止まりに行き着いた。何を期待していたわけでもなく、むしろ短く済んでよかったと思い、スーパーへの道行に引き返そうとする。


 自分のすぐ隣にアンティークショップを見つけた瞬間、浮いた足はすぐに真下の地面を踏み締めた。人通りの少なそうな路地にアンティークショップ。地元で昔、足繁く通っていた『ハーメルン』のことを思い出した。

 

 懐かしいな。そう思ったとき、私はそのお店の中に自然と足を踏み入れていた。あのこぢんまりした『ハーメルン』よりも中は随分と広い。これは結構な寄り道になりそうだ。


 店には私の他に客はおらず、カウンターの向こう側に店主らしきおじさんがいるだけだった。私を一瞥し、いらっしゃい、と一言だけ言って新聞に目を戻す。私は店内をくるりと見て回った。


 棚に所狭しと並べられたティーセット、食器類やカトラリー。店の中央には大きな円卓があり、白いテーブルクロスの上にはスパゲッティの食品サンプルがいくつか置いてあった。この店主さんは無愛想に見えて、ちょっと茶目っ気のある人なのかなと思った。


 カウンターの上にもちょっとした置物が沢山並べられていた。ブリキ製のバイクや飛行機のフィギュア、銅製の十二支の動物たち。隣に何気なく置いてある本立てもそれっぽい装飾がなされていた。

 やっぱり私はこういうのが一番好きなのだろう。立ち並んでいるバラエティに富んだ置物たちはいくら見ていても飽きなかった。


 一通り見終わってから、元々の目的を思い出す。元よりここで何か買うつもりはなかったし、また時間があったら来ようかな。


 一角から離れようとしたそのとき、視界の端に映ったものが私の後ろ髪を引っ張った。


 それはなんだったのだろうか。再び視界を置物たちに戻し、何かを探した。雑多に並ぶ置物たち、その子が何かを主張するということはない。何十個もある中から、俯瞰で一つだけ選ぶのはとても難しい。お気に入りの物というのは時間をかけて見つけるものだ。


 だけど、それでも目が合ったのだ。その一つだけが他とは違うと、すぐにわかった。


「すみません、この子欲しいんですけど――」


 この子が私にとっての小人達なのだろうと、そう思った。

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