2日目ー② 崩れる
秩序も日常も常識も、こういう空間だと崩れていくんでしょうね~、知らんけど。
AM.8:03
声が出ないようにがっちりと口を押えられる。普段ならば混乱や動揺が先に来る感情なのかもしれないが、雄黄の頭の中を占めていたのは圧倒的に「恐怖」だった。油断していた。トイレに立った時、1人で何の心配もないと、普段の生活のように振舞ってしまっていた。こんなことになるのなら、鴇を連れてくればよかった。
「放せ!!」
ようやく口を塞がれていた手を引き剥がすと、その場から逃げ出そうと2,3歩離れた。その時、低い声で「待って!」と呼び止められる。
「お、お前…勿忘?」
「怖がらせてごめんなさい。危害を加えるつもりなんてなかったの。」
勿忘の甘ったるい声に、雄黄はひどい嫌悪感を覚えた。彼のことはよく知っている。そして、普段から「雄黄くんのことが好き」と言われていることも、人づてに聞いていた。
「な、なあ、何か俺に用か…?俺さ、彩羽ちゃんたちと一緒に行動してて…早く戻らないと、みんな心配するからさ?」
「大丈夫よ、みんな雄黄くんのことなんて心配してないわ。みんな自分のことばっかり…他人のことなんて、二の次だと思ってるんだから。だけど、私だけは違う。」
「(これが女の子だったら、すっげー嬉しいんだけどさあ…)」
性同一性障害というのが、今や認められた「個性」であることは言うまでもない。雄黄は心の底からそう思っていた。個人の人となりを誰かが否定していいはずもないし、そんな彼ら、彼女らに「気持ち悪い」だの「おかしい」だの、言葉を投げかけるのは間違っているとも認識していた。
「(だけど、向こうに感情の自由があるように、俺にも感情の自由があるわけじゃん!?男女の交際と一緒で、好きでもない相手からの好意って、時には迷惑に感じたり、気味悪く感じたりしたりしなかったり…)」
一体、自分は誰に言い訳をしているのだろうか。雄黄は我ながら情けなくなる。勿忘はいつも強引だ。彼…彼女は、彼女自身が持っている障害以前に、人間性として難が多々見受けられるのだ。
「心配しないで大丈夫。こんな理不尽なチーム分けなんかで、私たちの絆は断ち切られたりしないわ。雄黄くんのことは助けてあげる。私が命に替えてもね。」
「は、はは…そりゃ嬉しいけど…けど、今んところどうしようもなくない?俺も勿忘もそんな頭良い方じゃないじゃん?だから、賢い奴…萌葱とかその辺が、いいアイデア出すまで待ってみてもいいかな~、なんて――――」
「ちゃんと教育科に入学できてるんだもの。雄黄くんはバカじゃないわ。そういう謙虚なところも、良いと思うけど。」
「あはは、そりゃどうも…」
「けど、あんな萌葱の言うこと信用しちゃだめよ。ああいう顔も頭も完ぺきな男は、絶対中身はどす黒いから。」
偏見を嫌うくせに、彼女自身は凄まじい偏見を持っている。これが、多々ある難の1つである。そもそも彼女は、女性への憎悪が尋常ではない。「あの女は尻軽」「アイツはビッチ」という発言を、公衆の面前で平然と行う。そういった女子を軽視するような発言をするから、雄黄は内心勿忘のことが苦手だった。
加えて、この強引さである。ここへ連れてくるときも、まるで拉致かのように引っ張ってこられた。そして、こっちの意見はほとんど聞き入れることのない。このような性格が災いして、勿忘は男女問わず学内の多くの生徒たちに嫌われている。雄黄は「オカマ」という言葉をあまり好ましく思っていないため、そういう単語を使うことはなかった。そして、余計な揉め事を起こしたくないことから、勿忘にも比較的優しく接してきた節があると、自分でも自覚していた。そんなことから、いつの間にか勿忘は雄黄に執拗に迫ってくるようになったのだ。
「敬二―!敬二、どこだーーー!?」
「龍星…!?」
その時、いなくなった親友を探している鴇の声が聞こえてきた。勿忘は露骨に「チッ」と大きな舌打ちをしたが、にんまりと口角を上げて、その場から立ち去る。
「じゃあね、雄黄くん。私に任せておけば、それで大丈夫だから。」
「……」
「あっ、敬二!お前こんなとこにいたのか!…って、1人で何してたんだ?」
「いやぁ…まあ、ちょっとな。」
嫌な予感がする。アイツはたった一人で、何をしようというのだろうか。
※※※
「俺はこのまま逃げ回ってたい。」
「だから、昨日みたいに安全地帯にいればいいじゃんか。俺はちょっくら行ってくるって言ってるだけで。」
「待てよ!お前、大事な友達を見捨てていくのか!?そういうところが日本人の悪癖だ!直さないと国際社会でやっていけないぞ!!」
「あ、あくへ…?何言ってんだよ、リ…?」
象牙はうんざりした様子でリを払いのけようとするが、彼はがっちりと象牙の身体にしがみついて離れようとしない。友達っていっても、彼とはそんなに仲が良かった記憶がない。幼いころから今まで、自由気ままに行き当たりばったりな生き方をしてきた象牙にとって、こうして自分にまとわりついて自由を制限してくる相手というのは、非常に厄介だった。
「んなぁ、俺はさっさと動き回ってさ、何か食べられるもんとか手に入れたいわけ!3日も何も食べれないと死んじまうよ…」
「何で3日後には帰れる前提なんだよ、このバカ!」
「いや、だってこのゲームの期限は3日だって最初に―――」
「3日経てば、片方のチームは全滅するんだぞ!俺たちは今数の上で不利なの!!何聞いてたんだよ昨日!」
「けど、蒼山が大丈夫って言ってたじゃんか。アイツは偉そうで嫌いだけど、俺たちより頭はいいんだから、言ってることは正しいだろ。」
「おい、一緒にするなよ。俺とお前は違うだろ。お前はクラスでドベ、俺は半分だ!」
「リって確か30位くらいだろ?うちのクラスは41人だから、半分じゃないんじゃないか?あと、ドベは俺じゃなくって湾田―――」
「30じゃなくて28!良いんだよ半分みたいなもんだろ!あと湾田を数に入れるんじゃない!そうやって揚げ足ばっかり取って、日本人は島国なだけあって陰湿だ!」
象牙はちょっとムッとした。確かに頭のいい方ではないが、さっきからのリの言動は、明らかに誉め言葉ではないし。きっと悪口だ。そんなことを言うやつと一緒にいたくない、というのが象牙の素直な気持ちだった。
「…それじゃ、お前は1人で何とかしろよ。俺は早くいきたいんだって!」
「ふざけるな、俺を安全地帯まで連れてけよ!」
「ええ?」
リは歯をむき出しにして、怒りをぶつけるように象牙のことを睨んだ。これだけ怒っているんだ。もしかしたら間違ってるのは自分かもしれない。象牙はそんな気分にすらさせられた。
「ここでチームメイトを見捨てて逃げるのか?そんなことしたら、お前は最低な人間の仲間入りだぞ。敗戦から何も学んでないのか?慈悲の精神や、不戦の誓いをしてきたんじゃないのか?日本の教育は何やってるんだ?」
「い、いや…難しいこと言われても、俺あんまり授業とか聞いてなかったし…」
十色高校に入れたのも、実は前の席の答案をカンニングしたからだし…とは、口が裂けても言えない。そんなことを絶対に言ってはいけないというのは、どれだけバカな象牙でも分かっていた。自分の成績で十色高校に入れたなんて、こんなラッキーなことはないのだから。
「だからか、だからお前はそんな風に道徳が磨かれてないんだ!いいか、ここで俺を安全地帯まで連れて行くのは義務だ!隣国の留学生1人大事に出来ないで、お前は何もつかめないし、何も為せないぞ!」
「わかった、わかったって。お前日本語上手いなぁ…俺の知らない単語、めちゃくちゃ使ってくるじゃん―――」
一方のリは、象牙と話しながら「いいカモを見つけた」と言わんばかりに、内心ほくそえんでいた。頭の悪い象牙は、難し言葉でまくしたてるとすぐに言いくるめることが出来てしまう。象牙は頭は悪く、小柄で力もないが、身軽で運動神経は良い。今みたいにうまく使うことが出来れば、あとは渋染や鬼銅が「シロ」のチームを皆殺しにしてくれるかもしれない。
「よし、それでこそ男だ。…あ、あと、もしこの後に食べ物を探しに行くなら、俺の分も取ってきてくれ。それから、何かレアな武器もな。明日からは安全地帯が完全になくなるんだ。護身用の武器は持っておかなくちゃ。お前も必要なら、余分に確保しとけよ。」
「は…はあ!?何で俺が、わざわざお前の食うもんや武器まで探してこなくちゃダメなんだ!?そんなの自分でやればいいじゃんかよ!」
「お前…助け合い、おもてなしの心を忘れたのか!?口では耳障りのいいことを言って、内心は自分のことしか考えていないんだろう!?遅れてる!先進国から考え方がどこまでも遅れている!!」
リが再び言葉でまくしたて始めた時だった。ものすごい勢いでこちらに走ってくる音が聞こえ、象牙とリは、2人して音のする方向へ顔を向けた。
「見つけた…まずは2人、可愛そうな子たち!!」
「あれって、勿忘か―――?」
「うわああぁぁーー!!」
リはその姿を見た途端、一目散に駆け出した。象牙は何が起こっているのか、どうしてリが逃げたのか理解できないまま、首をかしげて勿忘を再び見た。近づいてくる彼の顔。鬼のような形相に、手に持ったナイフ…
「ナイフ!?ナイフだぁぁーーーー!!」
象牙は走り出した。そうか、そういえばアイツは違う、別のチームだったんだ。2日目になって、こちらのことを殺しに来たに違いない。象牙はフルスピードで走る。一刻も早くこの場から逃げなければ。追い付かれれば命はない。象牙はあっという間に、先に走っていたリを追い越した。
「おっ…おい、待て待て待て待て!!おっ、俺を見捨てるのか!?自分だけ逃げきれれば…っ、それで満足かっ!!?」
「先に逃げたのはリだろ!?お前だって自分だけ逃げようとしてたんじゃん!俺に何にも教えてくんないで!」
リが苦し紛れに象牙のズボンのベルトを掴んだ。身体の重心のバランスが崩れ、象牙は思い切り転倒する。それにつられてリも地面にころげると、勿忘がもうすぐそこまで迫ってきているのが見えた。
「ぎゃああああーー!来るな来るな!何とかしろ!」
「うわー放せ放せ!頼むから放してくれって!!」
「はぁっ、はぁっ…ふふ、悪く思わないでね。「クロ」の連中は全員殺すって、もうそう決めたのよ。だって、別に価値のないやつらばっかりじゃない?雄黄くんがいなかったら、昨日の時点でそうしてたかも。けど、雄黄くん1人くらいなら…きっと向こうも、説得すれば見逃してくれるわ!!」
勿忘がナイフを振り下ろそうとした。象牙が悲鳴を上げてその場から這いずって逃げようとする中、誰かがリと象牙を飛び越えた。手からまっすぐ伸びているのは、長刀――――
「なっ…!?」
勿忘は不意を突かれ、応戦しようと立ち止まった。しかし、驚く勿忘の開いた口に長刀の先を差し入れると、影の主はそのまま長刀を肩に担ぎ、てこの原理で思い切り振り抜いた。
「勿忘浩太、死亡!勿忘浩太、死亡!」
「ハハッ、楽勝楽勝、自分が勝ったと思い込んでる奴ほど、殺すのが簡単なやつぁいねぇな!」
上から滴り落ちてきた返り血を避けながら、蒼山は不敵に笑った。「殺人」への恐怖や抵抗は、彼の中ではすっかり麻痺していた。
「さあ、サクサク行こうぜ。「シロ」組の腰抜けどもなんざに、負けるはずもねぇ。」




