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百年戦争異聞録 ―没落貴族と十人の英雄―  作者: 乱坂 螢音
盗賊の街
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第38話 同じ空の下で

あけましておめでとうございます。遅れてしまいましたが、お楽しみいただければ幸いです。

 その翌日、ハンプシャーのとある寂れた港町で、中型の船へと乗り込むヘンリーの姿があった。イリアスとガエリアの海峡に面した港町は大型のものが多く、どの港もそれなりに栄えているものだったが、ここはどうやら例外のようだった。

 見送りに来たのは父であるランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、監視のためにつけられた近衛兵が二人だけという寂しい様子であった。

 ヘンリーがちらりと振り向くと、曇り切った顔を浮かべる父の顔が見えた。それを見るとつい自分も目を潤ませそうになるが、それを振り切るように、静かに、しかし力強く、父への別れを告げる。


「では父上、行って参ります」

「ああ、どうか力不足の父を許しておくれ。そして、弟たちと仲良く、な」

「なにを言いますか。あなたは今でも、私の立派な父上です。どうか、ラルフのことも含め、あとのことはよろしく頼みます」


 正午を告げる鐘が、二人の会話を遮った。近衛兵がヘンリーに船へと乗り込むようにと促す。彼がが乗り込むと、その船は凪いだ海を滑るようにして進むのだった。

 沖合に出た船が帆を張ると、水夫の一人が船尾に備え付けられた魔導具を起動する。それは微風を起こし、それに乗って船は走り出す。


 船の揺れが収まったのを感じて、ヘンリーは船室から甲板へと昇った。鼻腔一杯に満たされる潮の匂いが、彼にその旅路を改めて自覚させた。

 空を見上げれば、太陽が燦燦と輝いている。それを見つめる目には、未だ消えぬ炎が宿っていた。


「さあ、ここからだ。必ず僕は戻ってみせる」


 船の甲板でヘンリーは一人呟く。船室へと身を翻す彼の胸元のペンダントが、太陽の光を反射して、きらりと光った。

 


 同刻、トロイ。西へと続く街道の端で、今まさにここを発とうとする一人の少女と、それを見送る三人の男女がいた。


「これで大丈夫だね?路銀は足りるかい?」

「十分だ、後は任せておけって」


 すっかり下人の格好になったリュウが、ルーネから手紙を受け取りながら言う。腰には新しく買った二振りの短剣と、いつの間にやらそこにあった、赤と黄色の混じった綺麗な羽根が一本刺さっていた。


「じゃあ頼んだよ、その手紙を渡すだけで構わないから。返事は待たなくてもいい、すぐ帰ってきてね」

「お、いいのかよ」

「ああ。読んでさえもらえれば、すぐにでもプロヴァンスへ早馬を飛ばすに違いない、それだけ重要なことをしたためてある、だそうだ」

「そうか、そりゃ気楽でいいや」


 そう言ってリュウはからからと笑う。


「それじゃ行ってくるぜ」

「うん、行ってらっしゃい。それにしても、エレンは相変わらず酷いや。見送りくらい来たっていいじゃないか」

「いいんだいいんだ、あいつはそんなタマじゃない。お前とキャシーが来てくれただけでも嬉しいさ」

「当たり前じゃない、友の見送りにこないやつなんか人でなしよ」


 朗らかにそう言ってのけるキャシーを見て、どことなく照れ臭さを覚える。

 思えば遠く故郷を離れ、友と云える者は今までトキしかいなかった。盗賊団の面々は友人というよりは同じ境遇の仲間といった面が強かった。もちろんそれもまた彼女にとっては大切な関係なのだが。

 照れと一抹の寂しさを隠すように笑うと、目の端にいたトキの方へ向く。改めてみた彼は、ついこの間街を襲ったときよりも、幾分と背が伸びて見えた。


「トキ、留守は任せたぜ。間違っても内乱なんか起こさせるんじゃねえぞ?」

「心配いらないよ、あとのことは任せて」


 そのただ短い言葉だけが、リュウには何よりも頼もしかった。彼の言葉が、自分のやるべきことをやってくればいい、そんな気にさせてくれる。

 外套についたフードを被ると、今度こそ、彼女は歩き始める。その長い旅路は、普通の旅人なら片道でさえ優にひと月はかかるだろう。だが、彼女はそれをひと月で往復すると言ってのけたのだ。

 見送るルーネたちの目から、やがて彼女の姿がふっと消える。それを見届けると、リュウの旅の無事を祈りつつ、彼らは宿への道を戻る。

 ふとルーネが空を見上げれば、雲ひとつない快晴だった。暖かな陽気が、此程の疲れた彼の心を、どこか安らげてくれる気がした。

 


「……ああ、戻ったんだね、メモワール」


 窓辺に肘を置いて外を見やる青年が静かに呟いた。色白の顔と黒い髪、物憂げな顔が一見不健康そうな印象を与える長身痩躯のその青年が、窓から飛び込んできた黒い塊を受け止めるとそっと撫でる。そこから器用に手紙を取り出し、机に広げて目を通す。その目は、行を追うごとに熱を帯びていくようだった。

 しかしそれを読み進めていくうちに、彼の目から光が消える。やがて手紙を投げ出し、椅子に深く凭れると、自虐的な笑みを浮かべて呟くのだった。


「やれやれ、結局どこまで行っても、僕は僕でしかないのか。……君とも違う、僕にはこれしかないんだから……」


 目の前に並ぶ様々な形をしたガラス瓶を眺める彼の目には、哀しみがありありと浮かんでいた。その一つに手元から赤い石を入れ、別の瓶から青い液体を注ぐ。そこへ彼が自らの指を小刀で切って血を垂らす。すぐに立ち上った煙がやがて消えると、そこには薄く金色に光る液体が湛えられていた。


「全てを解決してくれる万能の薬なんか、空想上のものでしかないってわかっているのにね……それでも、僕はそれを求めずにはいられないんだ」


 手元へ戻ってきた黒い塊をまた撫ぜると、ガラス瓶から石を取り出し、残った液体を飲み干す。

 彼は苦虫を噛み潰したような顔を隠そうともせず、だが、確かな足取りで部屋の隅に描かれた魔法陣へと向かうと、すぐに短く古代ノルン語を唱えた。すると、その魔法陣から勢いよく石柱がせりだし始めた。

 だがそれも束の間、直ぐにそれは瓦解してしまう。呪文を唱えてから、たったの3秒ほどの出来事だった。

 

 それを見て、悲しげな表情へと変わった彼は、再び椅子へと深く凭れる。仕方ないと割り切って、彼が羊皮紙に何かを書き始めるまで、少しの時間が必要だった。

 

 やがて、彼の部屋から空へと、何かが勢いよく飛び出した。彼が窓辺から空を見上げると、その黒い塊が大きな翼を広げて大空を旋回するのが見える。それが彼には、とても美しく、そしてとても羨ましく映るのだった。

 


 一方、ルーネたちの目的地であるプロヴァンスはアヴィニョンにも、窓から外を見やる青年が一人いた。

 先ほどの彼同様、どこか憂いを帯びた表情を浮かべてはいたが、その青年の目には、確固たる決意が宿っていた。

 大空を見つめ、思案に耽っていると、やがてノックの音と共に一人の女性が入ってくる。その美しい青い髪は、この青年のものと全く同じ色をしていた。


「お兄様、お父様がお呼びですわ」


 よく見れば、その目は幾分か腫れており、目尻には涙の乾いた後がうっすらと残っていた。


「……ああ、わかった、すぐ行くよ。僕が最後なんだろう?」

「ええ、シャルルは呼ばないそうよ。お父様も酷いお人だわ」

「そう言ってやるな、ヨランド。シャルルをこの家の宿命に巻き込まなくて済むなら、それでいいんだ。あんなに心優しい弟を、ヨランドだって戦や政争で失いたくはないだろう?」

「それは……そうですけれど……」


 今にも泣き出しそうな顔で俯く彼女の頭を優しく撫でると、鏡の前で身だしなみを整えていた妻に声をかける。


「イザベル、準備はいいかい?」

「ええ。いいわよね、アニェス?」

「はい、イザベル様。いってらっしゃいませ」


 身繕いを手伝っていた侍女が跪いて言うと、男はイザベルと呼ばれた女性の手を取る。

 振り向いて窓の外をもう一度見上げれば、随分と穏やかな天気だったことに気がついた。

 気負わないつもりでいたものの、さっきまで見ていたはずの天気のことも気に止めておけない程、肩に力が入っていたのだと気づく。


 再び空を見れば、昨年病で急逝した兄に笑われた気がした。何となくそれが癪に触ったが、同時に、肩の荷も軽くなった気がした。

 扉の方へと向き直ると、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。その顔は、再び決意に満ちた顔へと変わっていた。

 


 それはとても穏やかな日だった。同じ空を見上げた四人は、それぞれ異なった道を歩み出す。その道がいつか一点に交わることを、今は誰も知るよしもなかった。


本話をもちまして第一章を〆させていただきます。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。第二章の執筆も開始しております故、今後ともご覧いただければ幸いに存じます。

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