第37話 イリアスにて
ルーネが目を覚ましたのは、ちょうど日が出ようかという明け方だった。白んだ空と赤みがかった地平線のコントラストがとても美しく見えた。
それにしても我ながら随分と寝たものだ。思ったよりも疲れていたのかと苦笑する。
トレトゥールはどこもまだ空いてないし、そもそも特段腹が減ったわけでもないと気付く。
何もやることがない時間は久々だった。家にいた頃は領地の管理や魔術の研究に追われていたものだが、それが随分遠い昔のことのように思える。
商人ギルドへ向かうにもまだ早すぎる。少しばかり時間を潰しに散歩に出ると、昨日とは違ったトロイの姿が目に入る。薄っすらと霞の被う街の静けさは、ルーネにとってとても心地のよいものだった。
やがて教会の鐘が9の刻を告げる。商人たちがその姿を見せ、徐々に騒がしくなっていく街を後にして、ルーネは商人ギルドへと向かう。
昨日と同様に、受付に話を通すと、すぐに上へ行くように告げられる。
それにしても、この階段の高さは4回目とはいえ慣れないものだ。防衛のことを考えれば致し方ないこととはいえ、なかなかに疲れるものだった。
最上階の扉をノックしてから開けると、慌ただしく来客用の準備をしているシャルルがいた。
「……お邪魔でしたか?」
「いえ、そんな!こちらこそむしろ慌ただしくなって申し訳ない。どうぞおかけください」
なんだか申し訳なくなって声を掛けると、更に慌ててシャルルはそれを否定した。
ソファに腰掛けると、シャルルがカップをふたつとポットをひとつ持ってくる。昨日と同じようにカップを手に取ろうとすると、シャルルがそれを手で制す。そしてポットから注がれた液体は、ルーネが以前ナタニエルに振る舞われた、静かに泡立つ水だった。
「商人が偶々この水を売っておりまして。非常に珍しい、飲める生水だそうですよ。麦酒のようですが、どうやら確かに酒ではないのです」
「……これはラングドックのものですか?」
「よく御存知で。以前どこかで飲まれたことが?」
「ええ、数日前にナタニエルがこれを振る舞ってくれました」
それを聞くと、シャルルは納得と苦笑いの入り雑じった複雑な表情を浮かべた。
「ああ、どうりで珍しい商人がいるわけですね」
「ラングドックの商人は珍しいんです?」
「そうですね、ラングドックからは距離があるので、大市が開催されていないときにはなかなかいません」
シャルルは一息にカップの水を飲み干すと、後悔の表情に変わって話を続ける。
「……ナタニエルも、街の発展には本気で取り組んでいたんでしょう。引き継いだ仕事を見ればわかる。私たちがどうにか彼を正しい方向に導いていれば……」
ルーネは彼にかける言葉が見つからなかった。そしてまた、彼は苦笑いへと表情を変えて話を続けるのだった。
「……こんなこと、貴方には関係のない話でしたね。それで、先日話したこと、考えていただけました?」
「……ええ、こちらからの要求は単純、プロヴァンス伯領までの路銀と馬、そして装備をできる限り揃えていただきたい、それに尽きます。それともし可能なら、この街でも義勇兵団を募って貰えれば幸いです」
「なるほど、わかりました。後者は今すぐにでも高札を立てましょう。前者についても出来る限りの支援をお約束します」
「感謝申し上げます、これで義勇兵団も第一歩を踏み出すことができました」
ルーネの差し出した手を握るシャルル。こうしてようやく、彼の義勇兵団が動き出したのだ。
一方その頃、イリアスはシュールズベリー。議会の場で若き皇帝チャールズ2世が、跪く二人の男に怒気を含んだ声で勅宣を下していた。
「議会の場で決闘を申し込むとは何事か!もうよい、其方たちには大いに失望した。ノーフォーク公トマス・モウブレー、これよりヴェネツィアへ無期限、また、ヘレフォード公ヘンリーをガエリアへ2年の追放処分とする!」
「陛下、それは余りにも……!」
「黙れ!余に逆らうと申すか!如何に叔父と言えど、皇帝は余なるぞ!」
「……いえ、滅相もございません。陛下の仰せのままに」
議会の席から立ち上がりかけた初老の男が引き下がる。その息子、ヘレフォード公爵ヘンリー・ボリングブルックは唇を噛んで帝の前で跪いていた。
ざわつく議会を議長が静めると、近衛兵達が二人の公を議会の外へと促す。ヘンリーは父に目配せを一つすると、黙って近衛兵に従うのだった。
「陛下はご乱心なさったか!」
「いや、いいんだラルフ。君がそう言ってくれるだけで僕は嬉しいよ」
追放刑の前日。ヘンリーは親友のウェストモーランド伯爵ラルフ・ネヴィルの元を訪れていた。人払いをしてもらい、二人だけの席を設けてもらっていたのだった。
「そうは言っても君だって陛下の従弟だろう?そこまでされる謂れはないはずだ」
「もうそれはいいんだ。それより、今から聞くことをどうか心して聞いてほしい」
そういってヘンリーはラルフへと静かに語り出す。その内容は、ラルフにとって全く想像もつかないことだった。
「……本気で言っているのかい?」
「ああ。弟たちはまだ幼く、中央の権力闘争に耐えられないだろうから、ね」
「だけど僕だって、せいぜい新米伯爵だ、王族である君の家とは格が違いすぎる。それなら、伯父のパーシー伯爵に頼んだ方が……」
「違うよ、君だからこそ、だ。君が例え平民だろうと、王族だろうと、僕は君に託したさ」
難しい顔をしてラルフが考え込む。やがてあきらめたような顔をして口を開いた。
「わかったよ。君がこういう時、自分の意見を曲げないやつだって僕は知ってる。だけど、これだけは言わせてくれ。僕はいつまでも待っている、だから焦って無意味に死んだりはするなよ。それにきっと君のお父様が陛下を説得するはずさ、それまでの我慢だ」
「はは、やっぱり君は僕の一番の理解者だ。大丈夫、ガエリアのボーフォートに弟がいるんだ、しばらくはそこで世話になるさ」
ダラムの大聖堂が夜の10の刻を知らせる鐘を鳴らす。それを聞いて、名残惜しそうにヘンリーは立ち上がった。
「そろそろ時間だ、どうか、よろしく頼むよ。……なんだよ、泣くなって。今生の別れってわけじゃないんだ、いつかまた会えるさ」
ラルフの目がうっすらと潤んだのを見て、笑いながら、ヘンリーはラルフの手を握る。
「ああ……ああ、そうだな。後のことは任せておけ、僕がどうにかしておくよ」
ラルフもまた、ヘンリーの手を強く握り返すと、肩を抱き寄せて叩く。ヘンリーもまた、微笑みながら、それに応えるのだった。
年内に最後の投稿を予定しております、それにて第一章が完結となります。どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。




