第36話 帰り道
お待たせいたしました。少し長くなってしまいましたが、お楽しみいただければ幸いです。
宿への帰路、ルーネの後ろから声をかけるものがいた。
振り向けば、買い物帰りと思しきキャシーが手を降っている。それだけで、ルーネは心が躍るものだった。
手を振り返そうとしたその時、キャシーの幾歩か後ろからエレンの姿が見えた。その途端、さっきまでの興奮は何処へやら、心がざわつくのを感じた。
「ルーネも買い物帰りかしら?」
「あ、ああ。キャシーもかい?」
「ええ、この街はやっぱり凄いわ。ルテティアに負けず劣らず、欲しいものはなんでも揃うんだもの」
やがてそこにエレンも追いつく。片手にマグを、もう片手には肩に担いだ麻袋の紐を持ったその出で立ちは、まるで風来坊のようだった。
「お、ルーネか。お前も帰途か?」
「……ああ。エレンはキャシーの買い物に付き合ってたのかい?」
「いいや?俺も帰ろうと思って酒場を出たら、たまたまキャシーがいたからな。荷物持ちを押し付けられただけさ」
笑って言うエレンに苛立ちつつ、どこか安心した自分が嫌いでしかたなかった。
「そうかい、代わりに持とうか?」
「お、持つか?こいつは意外と重いぜ?」
そう言って投げて寄越した麻袋がジャラジャラと音を立てる。持ってみれば確かにそれは、ずしりと重かった。
「……これ、なんだい?」
「さあな。キャシー、これなんなんだ?」
「ん、言ってなかったっけ?新しい鏃よ。色々試してみようと思ってね」
「なるほど、そいつはいい心がけだ。ルーネは何買ったんだ?」
ルーネは答えに詰まった。まさか興奮剤を、とは言えないだろう。基本的には興奮剤を用いる連中など、決まってろくでもない連中に違いなかった。魔術師が時折使うことなど、二人が知るよしもないだろう。
「……ちょっと魔術の触媒とかをね」
「ほう、そんなものまでこの街にはあるのか」
「ああ、この街では売れるものは何でも売ってるそうだよ」
その後皆が下らない会話に興じているうちに宿につく。
すると、またもや後ろからルーネを呼ぶ声がした。今度の声の主は、リュウだった。
「よう、三人揃って買い物かい?」
「いや、僕らもちょうどさっき合流したところさ。君らは?」
「珍しいこともあるもんだ、オレたちもついさっき会ったばかりだぜ」
リュウもまた、麻袋を一つ担いでいた。そういえば、彼は金銭を持っていなかったはず、どこから調達したのだろうと思ったが、初対面のときのことを思いだし、考えるだけ馬鹿らしくなった。
後ろの会話に少し耳を傾ければ、トキの買ってきた研磨剤の話で盛り上がっていた。こういう時にはどうしたって、寂しさを憶えるルーネであった。
そういえば部屋を出るときに鍵を掛け忘れてないかと、胸元の鍵を探す。しかしその拍子に、先程買った興奮剤の瓶が床に転がってしまう。
あっ、という声を出す間もなく、隣にいたリュウがそれを拾い上げた。その瓶を見たリュウが、怪訝な顔に変わるのを、ルーネは直視できなかった。
しかし、次にリュウから放たれた言葉は、ルーネが予想だにしなかったものだった。
「これは……お前、体調でも悪いのか?」
言葉の意味がわからず、返す言葉が見つからないルーネを尻目に、リュウは言葉を続ける。
「それにこれ、どこから手に入れたんだ?こういうのが手に入るなら、オレもその店を見に行きたいぜ」
「リュウはそれが何か知ってるの?」
「むしろお前は知らないで買ったのかよ。こいつはマオウ、オレも詳しくは知らんが、ソーマという霊薬の材料さ」
ルーネは未だ言葉が出てこなかった。興奮剤として買ったものがそんな霊薬だなんて夢にも思わなかったし、また、それをリュウが一目見ただけで分かったことにも驚いた。
「で?結局どこか悪いのかよ。大丈夫か?」
「ああ、いや、うん、大丈夫。これは魔術の触媒に使えるかなと思って買っただけだから。そういえば、店主の人も流れの癒術師から貰ったって言ってたから、そんなに手に入るものじゃないかもしれないよ」
「そうか……故郷にあったものだからな、ちょっとばかり懐かしくてな」
故郷、か。まだルテティアを出て2週間程度だったが、軍学校と領地以外での時間を殆ど過ごしたことのないルーネにとって、望郷の念を抱くには十分な時間だった。領民はどうしているだろうか、新しい代官は無理な執政をしていないだろうか。
そもそも、無事義勇兵団に足る人数を集めたところで、自分は領地へ戻ることができるのだろうか。様々な考えが浮かんでは消える。
それでも今は、この任務を遂行するしかない、そう心に誓ったのだ。気を取り直して、宿に戻ったら言おうと思っていたことを皆に伝えることにする。
「そういえばリュウ、この後時間あるかな?」
「おう、オレは空いてるぜ」
「よかった、今後のことについて話しておきたいんだ」
「そんな話すことあったっけか?まあいいぜ、どうせ暇だからな」
振り返り、いまだ話の止まぬ3人にも同意を取る。宿の主人に2スーほど渡して少し広い部屋を貸してもらうと、今日のシャルルとの会談について皆に共有した。
「なるほどね、誠実なやつでよかったわ。あのナタニエルの後任っていうから、もっとろくでなしかと思ったじゃない」
「それで、君たちには何を報酬として貰うか、一緒に考えてほしいんだ。もちろんエレン、君も一緒にね」
ひっそりと部屋を抜け出そうとしていたエレンにも釘を刺す。舌打ちを一つして、如何にも不満そうに腰を落とすエレンだった。
「いいけどよ、俺なんかいたってしょうがないだろ?」
「そんなことはないさ。これから多分プロヴァンス伯領まで向かうんだけれど、そこまでの馬の食費とかだって君は詳しいだろ?」
「わかったよ、いりゃいいんだろ」
再び頬杖をつくとムスッとした顔のままそっぽを向く。その姿がどこか可笑しくて、キャシーとリュウはくすりと笑うのだった。
「さて、じゃあ何を要求しようか?路銀以外に要求するものってあるかな?」
「引き出せるならなんだって引き出せばいいんじゃない?」
こういうときのキャシーはどこまでも強欲である。だけれど、そこがまた頼もしいところでもあるのだ。
「なんでもって、具体的にはなんだい?」
「そうねえ、例えば水や食料、あとは馬なんかも必要ね。それと義勇兵団の宣伝、ついでにトロイの徴税権なんてのはどうかしら?」
「何言ってるのさ、国領から徴税権を奪うなんて死刑になるよ?」
「冗談よ冗談。でも実際そんなところかしら。他に誰かある?」
するとリュウが口を開く。
「可能であれば、オレたちの分の装備も揃えてもらえるか?先の戦いでオレたちは殆ど武装解除されちまったからな。まともに戦えるのはトキくらいでよ、出来れば頼みたいんだが」
キャシーが少し難しい顔をしたのをルーネは見逃さなかった。
今回に限ってはキャシーの考えていることは分かる。リュウたちを武装化させることによって、自分たち三人では手に負えなくなってしまうことを危惧しているのだろう。
だがルーネは、キャシーが口を開く前に、力強く言い放った。
「ああ、もちろんだよ。君達も、もう仲間なんだから」
改めてキャシーを見ると、目が合う。肩をすくめた彼女の諦めたような顔が、ルーネには少しだけ嬉しかった。
「そしたらあとはエレンの番だね。伯爵や男爵の分の物資は彼ら自身に調達してもらうとして、30人規模の人間がプロヴァンス伯領まで動くには、どのくらいの物資、もしくは路銀が必要かな?」
エレンは少し考えて、話し出す。
「馬の有無で違うだろうな。全員が馬で移動する場合には速度は早まるが馬の食料が必要になってくる。まさか30頭もの馬を野草で養うわけにもいくまい?概ね1日につき1頭で、6ドゥニエから1スーはかかる」
ここまで話してエレンは面々を見渡す。質問がないことを確認して、次の言葉を続ける。
「手元に地図がないからなんとも言えんし、プロヴァンス伯領のどこに行きたいのかにもよるが、トロイからでは普通に行けばひと月はかかると見ていいだろう。急げば半月で着くかもしれないが、馬に乗り慣れていない人間が多いなら到底勧められねぇな。すると最大で45リーヴルほどは必要になる」
こういう時のエレンにはルーネもキャシーも舌を巻く。騎士という職業柄とはいえ、馬を用いた移動についての知識は彼をおいて右に出るものはいないだろう。
「45リーヴルか……とりあえず交渉するだけは交渉してみよう。正直、一刻も早くアンジュー公に助けを求めたいしね」
「なんか急ぐ用事があるのかい?」
「ああ、トキは知らないかもしれないけど、ちょっと色々あってね。アクイタニア伯と交渉するためにも、アンジュー公は後ろ盾になってもらいたいんだよ。……ああそうだ、飛脚も断られたから、公にその辺も頼んでみなきゃなあ……」
「飛脚?どこかに用事があるのか?」
「うん、その件でアクイタニア伯に手紙を届けるんだ。それも、アングレーム伯の直筆のものを届けるから、出来る限り信頼できる飛脚に頼まなきゃいけないんだ」
しばし沈黙が続いた後、リュウが再び口を開く。
「アクイタニア伯の元へはここからどのくらいの距離なんだ?その手紙、オレが届けてやるよ」
「え、でもここからじゃ軽く100リーグはあるよ?」
「100リーグ……千里程か、任せとけ。身一つならひと月で往復してきてやるぜ」
ルーネはその意味が理解できなかった。しかし、キャシーが驚きつつも納得した顔をしてリュウを見た。
「あなた、長距離の移動も可能なの?」
リュウもニヤリと笑ってそれに応える。
「そういうことだ、任せてくれるか?」
「……なんだか良くわからないけど、僕は君を信じるよ。そうだ、それなら服を一着仕立てないといけないね」
「いや、時間がないんだろう?下人っぽい服でいい、どっかで適当に調達してくれや」
「そうか……わかった。では帰りはプロヴァンス伯領まで来てくれ、場所はそうだな……アヴィニョンでどうだろう?きっと、僕らはそこを目指すことになるだろうから」
「了解、それじゃ出立の準備をしておくぜ」
飽き飽きした表情のエレンが目に映り、ルーネは一旦解散を提案する。これから少し忙しくなるのだろう。だが、やることがあるというのは、それ自体が幸せなことだと感じる。
宿の主人に鍵を返すと、部屋に戻るルーネ。
窓の外を見れば、日が少し傾いてきていた。穏やかな陽気に、ルーネが眠りに誘われたのは、無理もないことだった。
次回の投稿は未定です。少し遅くなるかもしれませんが、出来る限り早めの投稿が出来るよう努力致します。




