お役御免はまだ遠く
身を切るような寒風が吹くが、雑木林には未だ霧が残る
白牙は神楽の増援に向かい、パックはリザードマンと共にどこかへ遊びに行ったらしい。一帯はシン……と静まりかえっていた。
そこに戻った十蔵であるが、胸を押さえると、傍にある木に背を預けた。
――すべてが終わった
霧の中は不思議と落ち着いた。
ここで終わるのも悪くない。知恵ある者が事後処理を済ませ、忍びの世界を作り替えることだろう。禍根を断ち、憂いはすべて取り払った。
長い息を吐きながら、そう思っていると、
「――はい」
横からぬっと、黄色の桃のような果実が突き出される。
それを持つ赤くただれた手――誰のものか、十蔵はすぐに分かった。
「呪い、これで解くことできるから」
目を逸らしながら言うは、シェーシャである。
手に白い杖を持ち、霧の中でも頸飾を眩く光らせる。いつも通りの気丈で自信家な顔つきだが、内面は妙にしおらしく感じられた。
「……これは、〈黄金の果実〉か?」
「そうよ。若返るだけじゃなくて万能薬でもあるの。人間には毒だけど、一個ぐらいなら大丈夫だから。これで効かなきゃ諦めて」
ほら、と突き出すのを十蔵は訝しげに受け取る。
やはり様子がおかしい。瞬きが多く、視線も忙しく動いている。
いったい何をと顔を向けると、シェーシャは顔を背けた。
「た、タダってワケじゃないわよ。受け取る条件が一つ、あるんだけど……さ」
言いにくそうに、もじもじと、
「……それ、エルフの嫁入り道具の一つなのよね。私が婚約すると聞いて、お父様が用意していたんだけど、お流れになったでしょ? 実はエルフにも呪いみたいなのがあって、それ晴らすにはアンタに〈黄金の果実〉を使うしかなくて、だから何と言うか――」
チラリ、と十蔵に目配せをし、赤い顔を伏せたまま続ける。
「よ、よく考えたらアンタは裏の支配者でしょ? 私が編み出した四重魔法をもって新たなクラス〈女帝〉を名乗るによさそうだし……そ、それとその、あちこちでアンタの妾になってー、なんてお願いされたら、ね?」
シェーシャは更に続けた。
「そ、その、仕方なくよ? 仕方なくだけど、あ、あ、アンタの妻になるのもいい、かなー、なんて……えへへっ……やっと言えた……」
プロポーズの返事をとばかりに、彼女は上目で確かめるのだが、
「……あれ?」
十蔵は忽然と姿を消していた。
目の前には霧が申し訳なさそうに漂うだけで、誰もいないのである。
いったいどこに。
もしかしたら倒れたかと足下を確かめるも、澄んだ目には湿った土しか映らない。
「ちょ、ちょっとどこ? 生体反応もないし……」
火、水、風、土の属性を組み合わせ、ぶっつけ本番で発生させたので濃霧の効果は分からないのだが、どうやら魔力を帯びているらしく、生けるものすべての気配を探知することが可能らしい。
シェーシャはそれに頼り切っていた。
いや、結婚を意識しすぎて失念していたのだろう。
十蔵は霧隠れの術を使用し、また影の中に潜れることを――。
「じゅ、十蔵? ど、どこに消え――」
キョロキョロするエルフの背後、足下の影が膨らんでゆく。
「あれ……そういえば、前にもこんなこと――」
先端尖らせる影の前には、大きく揺れる尻が。
そして影は、その大きな尻に目がけ、
「まさかアイツ――ン゛ニュゥゥンッ!?」
ぶっ刺した。
「――……!」
影は両膝から崩れたシェーシャを残し、木と木の間を飛び去ってゆく。
手には〈黄金の果実〉を。それを囓りながら、やれやれと首を振った。
(神楽が最近、変な言動をしていると思っていたが。なるほど……妾にと頼んでいたのか。琴も戻っているとなると、これは面倒なことになりそうだ)
どうしてあの女エルフの尻に刺すのか。それは自分でも分からないが、あえて言うならば面白いからだろう。そしてその背後から聞こえる、女の怒りを聞くことも。
そろそろかと思ってみれば、
『逃がさないわよ、クソ忍者ああァァァッ! 私を弄んでおいてドロンなんてッ、絶ッッ対に許さないんだからッ! 地の果てまで追いかけ、絶対に結婚してやんだからねェェェェ――ッ!』
霧を通じ、蛇の如き女の怨念が追いかけてくる。
今回はやや本気度が違う。
(しばらく大陸に身を隠した方がいいか……?)
お役御免はまだ遠く。
忙しい時間が続きそうだ、と影はため息を吐くのだった。
※【背後からの一撃! 〜お役御免からの影働き。女主君(の尻)にイタズラした忍者、いざ参る〜】
これにて正真正銘、完結となります。
前回の完結時点で構想はありながら、着手まで時間がかかってしまいましたが、無事完結できてよかったです。
至らない部分もあったかと思いますが、最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m




