第17話 怨鬼と魔王
一柳が討たれことで、城の方でも異変があった。
巨大な闇が近づいてくる感覚――激戦を繰り広げる最中、隼人だけがそれに気づき、いよいよか、と左手の人差し指と中指を立てる。
遅れて魔物の女・ターニアが。隼人の身体が次第に黒染まってゆくのを見て、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「無事に帰ってきておくれよ」
「無論でござるよ」
隼人が笑みを向けた直後、一気に黒く染まった。
黒は緩やかに膨張。やがて三メートル近くもある巨躯に、隆々とした筋肉を作り始めると、
「――このオレ様がァ、負けるワケねえからよォォォッ」
背中からは無数の触手を生やし、肩からは二本、鋭い爪を持った腕を伸ばす魔物――かつて東の国を震撼させた〈怨鬼〉となったのである。
目の部分はまん丸で赤光り。口の部分はギザギザの白い線が走る。
戦っていた人間たちは驚嘆し、中には槍を向ける者もいたが、唯一この場で事情を知る神楽は、横からそっと槍に手を添え、下げさせた。
「本当に信じていいのだな」
「うるせえェッ! それを決めるのはオレ様だッ!」
鋭い爪先を神楽に向けて叫ぶと、怨鬼は長屋の屋根から屋根をどしどし駆け。
そして半壊した城を仰げる、中央付近の位置まで来ると、深く身を沈め、屋根に左手をつく恰好で、がぱっと顎まで裂ける大きな口を開いた。
――ブレス
宙に浮かぶ真っ黒な球体。つかの間の溜めを経て、太い光線が走った。
夜がきた。
そこから少し離れた場所にいるドワーフのカテリーナや、侍たち、誰もがそう思った。想像するは、赤い稲妻がゴロゴロうねる嵐の夜――。
閃光を瞬く光線は、途中の長屋をえぐりながら城の石垣部分に。突き刺さる光が尾まで到達すると、一瞬の間を置いて、漆黒のドームが四分五裂。深紅の雷鳴を轟かせる。
空が灰色に戻った頃にはもう城は瓦礫の山に。黒煙が晴れ、文字通り「柱一本残した」状態となっていた。その瓦礫が突如、遠目でも分かるほど膨らみ始めた。
『――怨鬼ッ、貴様ァァァァァアッ!』
黒鎧の騎士王、と形容すべきか。
骸骨顔にフルプレートを着込んだような、巨大な存在。魔王、闇皇帝……これこそが、かつて大陸の支配を目論み、魔と協力した王の末路・ティノー王なのであった。
手に握る大剣を握り締め、怨鬼を忌々しく睨みつける。
「やぁっと、あの城にいるクソッタレをぶち殺せるよォォンッ! ィヤッハッハッハァッ!」
怨鬼は駆け、魔王に向かって飛んだ。
「貴様ッ、与を裏切ったのかッ!」
「どの口がほざくッ! 先に裏切ったのはテメエだろうがよォォォッ!」
魔王は剣を引き抜くが、怨鬼の方が早い。
右の拳が思い切り、魔王は地面に向かって叩きつけられた。
「怨の字は恨みだ、糞野郎がッ! よくもオレ様を当て馬にしやがったなッ!」
下の左手は鎧の首元を掴み、右腕二本、左腕一本は何度も顔を殴りつける。
魔王もやられっぱなしではない。手にした大剣を振り上げ、掴んでいる怨鬼の左腕を切り落とし、前蹴りで距離を取った。だが怨鬼はニヤリと笑っただけで、すぐに切り落とされた左腕を再生させる。
魔王には動揺が見てとれた。
ティノー王は元人間。純粋な邪悪とは、絶対に追いつけない距離があるかのように――。
「てめえの計画よォ」
怨鬼が頭を傾けながら、楽しそうに口を開いた。
「オレ様が、あとを引き継いでやるよォン」
「何ッ!」
「媒体を得て復活するのは賢いヨ? オレ様の頭じゃ思いつけねェな。闇の力を受け注ぐ器・その核に無能な殿様を選ぶこともよォォ! だからオレ様のブレスにすら耐えられねェ、ウェッハハハハァッ!」
憎々しく睨む魔王に、怨鬼はぶんと殴りつける。
相手も抵抗するのだが、振るう剣は虚しく空を斬るばかり。返す刀に相手は膝蹴りから肘打ちを入れる。
その実力の差は、子供でも圧倒的だと分かるものだった。
「だから、オレ様が、力に耐えうる存在を、作るんだよォォ!」
追い打ちをかけながら、怨鬼は続けた。
「あの古城はオレ様の宮殿にしてやんヨ。妃をはべらせてなァ」
「き、貴様、まさか……!」
「ンー、二世はなんて名乗ってやろうか。魔王? 新人類? シンプルに魔人かァ? 魔物とのハーフだから救世主か? まあ、これから地獄に堕ちる貴様にゃ関係ねェか」
言うと、怨鬼は魔王の身体をぐるぐる回す。
ぶんと高く飛ばし、自身も追いかけ飛翔。そして上空高く、頂点に達するや両脚で踏みつけながら落下する。四本の腕は組み、まるで便器に踏ん張るような恰好で――。
「これがオレ様考案フェイバリッド! 〈糞野郎地獄逝〉!」
その真下には、これまでと違う深紅のゲートがあった。
元いた場所に叩き返すのか、それとも地獄に繋がっているのか。
怨鬼は地響きと共に魔王を叩き付け、堕としたのである。
「ウェッハッハッハッハァーッ! えんがちょんー!」
沈んで行く魔王に、怨鬼は呵々大笑。
両手の人差し指を繋ぎ、空いた片方の手で切り。最後に残った手は、魔王に向かって中指を立てる。
完全に沈みきったのを見届けると、
「だーけど……オレ様のブレスすら防ぐ、あのアマの霧が厄介だァな。マジであれどうすっかねェ……」
憮然と腕を組み、そこだけ霧に包まれた山を眺めるた。
足下のゲートでは、魔王は身体に纏う闇を乖離させながら、地の底に向かって堕ちてゆく。姿が見えなくなると、ゲートはすっと消えた。




