第16話 光の背後に影は立つ
雑木林に激しい剣戟の音が響く。
刀を振るう狼族・白牙と、着物姿をした流し髪の男・一柳。
牙をむき出しにする白牙に対し、一柳は涼やかな顔でそれを受け流す。白牙も負けてはいないが、赤糸縅は傷だらけだ。
シェーシャは魔法で、パックは魔法剣で援護・加勢するものの、もう見切ってあるとばかりに攻撃は空を切り続ける。
(遠くで聞こえる鬨の声からして、作戦は上手くいっただろうけど……!)
シェーシャは焦りを抑えきれなかった。
妖刀の呪いが解けると知れば、一柳は復讐、欺瞞、利己……いや、臆病風に吹かれて飛び出すと予想し、見事に的中させた。
尾張永重は武人の指揮しか執れぬ。敵本拠点〈白松城〉をカテリーナが急襲したことで、永重は焦り、神楽のいる城下町に魔物を集中させるだろう。そこを伏せていた兵で叩く。
ここまでは上手くいった。
問題は今――目の前の一柳を倒す、つまりは妖刀をへし折ること。
妖刀が敵にある限り、魔物を呼び込むゲートが無限に作られ、奥で機を窺う魔王も引きずり出せないのである。
(城にあるのが、唯一の魔王の通り道……これを脅かせば、奴は現れる……それは分かってる、分かってるけど……っ)
傷を負えば呪いによって死ぬ。
刺し違える覚悟があれど、一柳はそれで十蔵にやられそうになった。
奇策は二度目になると凡策。三度目は愚策。
相手も警戒し、踏み込んだことはしてこないはずだ。自身は霊体ゆえに疲れを知らず、相手が隙を見せるか、疲弊するのを待てばいい。
ここでも時間との勝負。
一か八か。魔力をすべて使い、逃げ場のない魔法を唱えてやろうか。
(逃げ場のない……)
シェーシャがふと頭に何かが浮かんだ時、
――奴の視界を覆え
頭に声のようなものが響く。
一柳は忍びだけあり、こちらの動きに対して瞬時に反応する。
風で土を巻き上げる。炎を巻き上げ木々を焼く。氷壁で囲う……。
思いついたものは瞬時に却下した。相手は人並みの術や技が通用しない。
(十蔵ならどう考える……いや、どう考えさせるかしら)
模擬戦では周囲を見て、采配するように仕向けた十蔵なら。
「周囲……あ、そっか」
一柳は手裏剣を投げ、それを白牙が刀で弾く。パックもひらりと躱す。
相手はどこか余裕めいて、おちょくるように動いているようにも。そこから外れているエルフなぞ、もはや取るに足りぬと言わんばかりに。
シェーシャは杖を置くと、すっと意識を集中させた。
――昔、巻物を使わず忍術を繰り出すくのいちがいた
人間ができて、エルフが出来ないわけがない。
(常識は己に限界を作る……エルフは常識に囚われた、堅苦しい世界の生き物ね)
何故、蜘蛛は四重詠唱と言ったのか。
ある者は忍術に長け、当時は必須だった巻物を使わなかった常識破り。自身を彼女に重ね合わせる者がいたからである。
それは“姫”の名を持つ女であり、母である。
なれば、自分は“王”の名を持ってやる。蛇の如き執念を持った“女王”に。
【火よ――】
【水よ――】
【土よ――】
【風よ――】
相反する属性があれば、相乗する属性もある。
火と風、水と土。
あのとき考えついたのは、右手と左手でそれぞれ二重詠唱を行うこと。相乗効果の属性を合わせれば、魔法を安定させられる。
「シェーシャッ、何をしてるんだッ!? 魔法は杖がなきゃ――ッ」
パックが焦るのも無理はない、とシェーシャは思う。
だが杖を経由すれば二重詠唱が限界だ。四重ともなると杖が耐えきれず、安定化すらも出来なくなる。だから杖は使わない。
素手でやればそれこそ肉体への負担は凄まじいだろう。
それに耐えられるか、耐えられないか、それは己の身が決める。
「ツ――ッ!!」
両手に相乗する魔法を。今度は相反するもの同士を混ぜる。
危険の言葉で片付けられない愚の行為。その方法も至って簡単なもので、
「ッ、ア゛ア゛ァ゛ァァァァァァァァ――ッ」
単に力業でねじ込めばいい。
真っ白な光がバチバチと音を立て、今にも爆発しそうな魔力を力任せに御す。
両手が灼熱に包まれたかのように。それが手首、肘まで突き抜け、今まであげたことのない絶叫のような悲鳴が、無意識に喉から発せられる。
(ここに来てから……いえ、アイツと関わってからロクなことしてないわ……ッ)
練習でやったのは両手に魔法を持つまで。
ここからどんな魔法にするかなんて、考えてすらない。
だが頭のどこかに、そのイメージがあった。
(私をこんなにした責任、取りなさいよクソ忍者――ッ!!)
哮りをあげ、掲げた光の球を地面に叩きつける。
着弾した瞬間、光が破裂し――林の中、いや、山全体が真っ白に染まった。
地熱、風水の条件が揃うことで、宙に細かな水蒸気が揺らぐ自然現象。濃霧である。
「な、何ぞッ!?」
「何だあッ、き、霧かこれッ!?」
白牙とパックが驚嘆し、キョロキョロ左右を見渡す。
もうもうと立ちこめ続ける霧は、ほんの一メートル先にいた者でさえ見失うほどぶ厚く、そして晴れることを知らなかった。
声だけが聞こえる霧の中。シェーシャは両膝をつき、息荒く己の両手を見つめながら、
「ッ、あ゛ッ、あ゛あ゛ッ、あ゛あ゛ァァァ……ッ!!」
感覚が無い。肘まで真っ赤に、血の代わりに溶けた鉄を流し込まれたかのような灼熱が走り、ガクガクと震え続けてた。
情けない声は勝手に出ている。
四重詠唱ではなく四重魔法となったが、魔法は成功した。
「逃げ場、なくして、ッあ゛あ゛……やったわ゛よ……!」
これからどうするか考えていない。
白牙かパックか斬るだろう。……が、どちらも自身が立つ場所すら見失っているようで、それぞれバラバラの方向へ歩み始めている。
どうやら霧が濃すぎたらしい。
よりにもよって、どうして霧なのか。反魔法霧は〈模擬戦〉の基本だから、などの言い訳が浮かぶものの、それは納得する答えでは無い。
素直に己の心と向き合えば、“霧”の名を持つ女に似ていると言われたからにすぎない。
『――よくやった』
不意に背後から声が聞こえ、「え」と顔を上げた。
その目の前を、黒い影が横切る。
「まさか……」
瞬間、強烈な剣戟の音が響いた。
「――じゅ、十蔵、だとッ!? 貴様、どうしてッ!」
シェーシャを守るように降り立つ影――それは、十蔵であった。
見慣れた忍び装束姿。手には短い刀を握り、明日すら分からない者と思わせないほど、しっかりと地面を踏みしめている。
「無能と死霊は成長しないと言うが、まさにその通りだ」
「なに……」
「一度目は私が死んだと思い込み、油断した。二度目も私が死ぬと思い込み、油断した。――同じ失敗を繰り返すなぞ、阿呆の極みよ」
「ぐッ! ただのやせ我慢だッ! 妖刀の、妖刀の力を容易く破れるものか!」
「まあそうであろうな。だが、お前は忍びになる時、父・雷迅から教わっていなかったのか? 忍びは息絶えるまで忍びだと――ッ!」
十蔵が消え、宙に火花が散った。
「一度も味わえなかった母の乳。あの世でたらふく口にするがいいッ、十蔵ッ!」
「甘ったるいのは苦手だ」
「味を知らぬからだろう。だからあの世に送ってやると言うのだ。この忍びの頂点に立つ俺がァッ!」
「味を知るから負けるのだ。私ですら忍びの頂きに立てておらぬ。それに敗れたお前の頂きなど、たかが小塚にすぎん。忍びの才あれど、お前には器はない」
「器だと? そんなもの何になるッ!」
火花が二つ、三つ……一柳と互角に思えるが、呆然と見つめるシェーシャには、十蔵が圧倒しているように感じられた。
「すごい……」
思わず嘆息してしまう戦いぶりだった。
跳んだ十蔵が両手を振り抜き、六本の苦無を一挙に投げる。すべて幹に突き刺さったものの、四本が一柳の身体を通過していった。
その動きは目では見えない。
なのに霧を通じて、木を蹴って三次元で戦う忍者が鮮明に。一挙一動が手に取るようで、この中では投擲具や刃を向けられても、すべて避けられる自信さえあった。
(もしかして、これが私の霧の……?)
十蔵は挑発している。
一柳は刀が本体であるのに、あえて霊体である部分を何度も斬りつけ、その未熟さを知らしめる。自信家のプライドは当然ズタズタにされ、怒りに剣筋が単調なものに変わっていることすら気づかないまでになっていた。
自分の影を見ているようだ。かつて〈模擬戦〉で敗北を重ね、周りが見えなくなった自分の影を。その時は後ろに控える“影”がつかず離れず、導いてくれた……。
そう思っていると、十蔵はトドメとばかりに姿を消していた。
「まさか、その術は〈霧隠れ〉……!」
「そうと言えるか。何となく出来るかと思ってやってみたが、まったく面白い霧よ」
「ッ、ふざけるなッ! どこだッ、くそッ! ――ぐあッ!?」
ああ、とシェーシャは思った。
(やはり母親は霧姫なのね)
歴代の忍びの中でも秀でているとは言葉通り。
十蔵は死を目前にしてもなお己を成長させる、限界知らずな頭目。
未来永劫これを越えられる者はいない、まさに『忍びを終わらせる存在』なのだ。
「何故……何故、俺が……ッ」
「簡単な話だ。私は生きているし、現在に甘えず常に限界を超えてきた。そして――」
より強い、剣戟が鳴った。
「光を勝利に導く、それが後ろに伸びる影の使命。たとえ同じ失敗をする阿呆でも、支えると決めれば全うする。その差よ」
あ、と思うと共に、白牙が哮りをあげた。
「――ようやく見つけたぞ、小僧ッ」
ぬうん、とかけ声と共に火花が散る。
「……ッ、しまッ、刀にヒビがッ」
「才に胡座をかき基礎を疎かにするから、刀での受け方を忘れるのだッ! ぬうりゃあッ!」
一柳の苦悶の声がし、それを追うように十蔵が『パック』と命じた。
霧の中で、解呪の気配がする。
(彼女、ディスペル使えたっけ?)
そう思い出そうとしている内に、
「じっちゃんの仇ィィィッ!」
甲高い金属音が、霧が立ちこめる雑木林に長く響き渡る。
それは、死者への弔いの鐘にも聞こえるものであった。
◇
静寂が流れ、霧が薄らと晴れる。
十蔵たちがは意外とすぐ近くで戦っていた。シェーシャが睨む先には、折れた刀を持ったまま、身体を垂らしボロボロに崩す一柳の姿があり、その姿は枯れた柳を彷彿とさせた。
「き、さま……な、何を見て……いる……!」
「しぶといわね。それほど地獄に堕ちるのが怖いの?」
一柳は呪うような目で一歩、二歩、よろめきながら前に。
「貴様、貴様だけでも――」
パックと白牙は得物を構えながら、横歩きで並んで動く。……が、どうしたことか、十蔵だけは腕を組んだまま、一柳の後ろ、林に目を向けていた。
「なに、私が引導を渡せってこと?」
無茶させないでよ、と不満を漏らし立ち上がろうとした、その時――十蔵が見ていた一柳の背後から、ぬっと大きな影が。
「え?」
シェーシャが口を開けたまま。
「ぬ?」「む?」
そして、白牙やパックも気づいていなかったらしい。
唯一、一柳だけが気づいておらず、
「貴様を殺せば十蔵は――」
刀を振り被ったち同時。上から大きな口が、一柳の身体をパクリ――。
三角の編み笠に黒の空衣、白袈裟をかけた僧侶姿のリザードマンが、文字通り丸呑みにしていたのである。
このトカゲに見覚えがある。
だがそれらよりも先に、口を突いて出たのは、
「あんたも、こっちに渡ってたの?」
「ゲコ!」
それは大陸で、魔法を教えて欲しいと現れ、模擬戦でも剣を並べたトカゲの魔物・リザードマンだった。
魔法ではなく、妖精の魔法剣を会得したのち、住み処を襲うオークを撃退しに行ったと聞いていたが、その後、パックについてきたのだろう。
しかしどうして、この国の僧侶の恰好をしているのか。
「なんだ。寺の池からここに来たのかあ」
パックが飄々と言う。
「ゲコ」
「家族を置いて援護に駆けつけたあ? 遅いってえー!」
呆気にとられているエルフと狼をよそに、リザードマンは急にいきみ始め――
「!」
ブッと屁をした。
このリザードマンは魔法剣を使用した時、背びれにそれと同じ属性が放たれるが、
「一柳はどうやら、屁でもない男だったらしい」
と、十蔵が真面目な顔で言う。
坊主の念仏や葬儀が面白くなったリザードマンは、その真似事をしている内に、喰った霊を浄化させられるようになった。今はそれを活かし、罪喰い人のようなことをしながら各地を渡り歩いている。
――シェーシャが知ったのは、霧の中に、妖精とトカゲと狼の笑い声が生じた後のことである。




