第14話 それぞれの決戦の地
元より、挑んできた相手をぶちのめす方が好きだ。
シェーシャは短い時間で作戦をまとめると、九郎の屋敷にいる父・カシュヤパと連絡を取り、行動を起こした。二週間後の、藍の空に残夜の月を残す時間帯だった。
赤褐色のレオタードスーツに黒い外套――ハイ・ウィザードの恰好で忍びの郷を後にする。
城下町まで神楽や忍びが同行し、そこから先は一人で歩いた。
夜寒を迎えたかと思えば、一年はあと暦一つを数えるのみ。長寿のエルフにとって一年は特別なものではないのに、何故かこの年・この日だけは長いものに感じていた。
(大陸の支配を目論んだ愚王……確かにこの地ならば、復活の足がかりには最適ね。でも――)
忍者とエルフがいることは誤算だった。
閑散とした職人たちの居住区に入ると、明るくなった空を見上げる。
「――シェーシャ」
長い往来の途中に、人の影があった。
緑色の長い外套。首からかける金色の帯・ストラを垂らしたエルフ――父のカシュヤパである。
周囲に魔法の結界を張り、警戒しながら娘の歩み寄ってくる。
その様子は普段通りなのだが、意欲のある家臣の子たちに教鞭をとっているためか、角がとれたようにも感じられた。
「言われた通り、娘が妖刀の呪いを解く方法を発見したと広めておいた。今日はその決行日だ、ともな」
「感謝致します。お父様」
「私はあまり賛成出来た案ではないと思うのだが……本当に、お前はそれでよいのだな?」
「ええ。私も覚悟を決めました」
そうかと頷くと、カシュヤパは肩からかける小さなバッグを差し出した。
シェーシャが受け取ると続けて、手に握っていた杖を突き出す。
「え……お父様、これは」
「杖なしで戦うのは辛かろう。それにナージャ家に伝わる〈フラウニの杖〉は、やはりお前が持つに相応しい」
「し、しか、私はもう……!」
「マナサの〈乙女の瞳〉は治まったものの、すっかりこの国の王子に嫁ぐつもりでいる。元より家督を継ぐのは長女であるお前であるし、私も時代に合わせた考えをすることにした」
誰に嫁ごうが構わない。
娘ではなく家という建物を残さねばならないなど、古いエルフの考えだ。
カシュヤパはそう言うと、
「必ず生きて帰れ」
娘の肩を叩き、背を向けて歩み始めた。父は九郎の家にて妹・マナサらを守らねばならない。
将軍の嫡男・九郎に、魔法に長けたエルフの父娘がいるとなれば、相当数の魔物が襲撃してくるに違いないためである。
シェーシャは胸に手をあて、その背に頭を垂れた。
杖を振り、周囲の結界を解いた。
そしてザッザッと乾いた土を踏み鳴らす。大股に歩きながら、視線の先にある〈白松城〉に向かって。
背後から、とてとてと歩いてくる足音が聞こえ、振り向くと、そこには褐色肌をした銀髪の少女・カテリーナの姿があった。
「首尾はどうじゃ」
黒い軍服。腰のホルスターに二丁の銃を下げた姿。
左手には酒が入った大徳利を握り、戦いが待ちきれないと言った様子だ。
「上々よ。――てか、アンタたちドワーフがどんな秘策を持ってるか分からないけど、失敗だけはしないでよ? 特に酒の呑みすぎとかで」
「馬鹿言え、ドワーフに『酒の呑みすぎ』なんて言葉はないわ」
「それで早死にしといてよく言うわ」
「早死に、のう」
カテリーナはぐいと大徳利をあおる。
既に何本か空けているらしく、ほのかに顔が赤い。
「お主らエルフは長い一生を持つゆえ、目先の出来事しか見ようとせぬな。ドワーフも少しずつ寿命が短くなり、悟りつつあるのじゃぞ? ――異なるものは絶え、人間だけが残るとな」
そうね、とシェーシャも同意した。
「滅びを迎えた時、我らはこの世界に何を遺している。このままでは〈忘れられた存在〉となるだけじゃ。……しかし人の血に混ぜれば、いつか存在が忘れ去られたとしても“証”を遺すことは可能となるじゃろう。もしかすれば、わしらの創造物は、後の世に“オーパーツ”として讃えられるかもしれんしのう」
にひひ、と相好を崩すカテリーナに、シェーシャは「どうして笑っていられるの」怪訝そうに眉を寄せるも、
「お前らエルフほど、生に悲観しておらん」
とだけを言い残し、広い交差路にて二人は別れた。
エルフは西の小高い山に。ドワーフはそのまま真っ直ぐ、人気のない城下町に。
互いにいがみ合ってきた種族の共闘。どちらも未だ気づいていない。
「ゆくぞ相棒。ドワーフの破壊槌を見せつけてやるのじゃ!」
おんぼろ長屋が音を立てながら膨らんだかと思うと、そこからバキバキと音を立てながら現れる、カテリーナのゴーレム・〈ヴォルカン〉。左腕には三本のブレードが添えられ、その腕を近くの長屋に腕を突き立てたかと思えば、ぐんと巨大なコンテナを引っ張り出していた。
◇
シェーシャは雑木林に入っていた。
禿山が目立つ中、そこは唯一、深い雑木林を持つ。
枝葉生い茂る暗い林道を歩いていると、周囲の木々が危険を報せてくる。それは痺れのようなものだが、何を伝えているのかはすぐに分かった。
「――いよいよ、おでましかしら」
ぬらり、と木々の間から姿を現す獣型の魔物たち。
唸りをあげるのは、茶色と白の〈ハウンド〉と呼ばれる大型の狼。集団戦闘を得意とし、上級の冒険者たちでも気が抜けない魔物だった。
多勢に無勢。接近されたらその時点で終わりだ。ゆっくりと杖を掲げ、獣の位置取りを覚える。自身を要にした扇状に八体。
すると、
「――グルオオオオオッ!!」
太く、そして低い地響きのような唸りが林全体に広がった途端、獣たちは目を剥きながら顔を上げ、草の踏音が近づいてくると、そろりと後退を始めようとする。
獣の魔獣の多くに、自身より強いものには挑まない特徴がある。それは同じ獣であればなおさらのことで、
「ヌウウォォォォッ!」
赤糸縅の具足を纏った狼人――白牙は、朱槍を振り上げる恰好で飛びかかった。
まずはシェーシャから見て右側の狼に叩きつける。狼は「ギャウッ」と悲鳴をあげ、血を吐いた。
土の上なのに大きくバウンドした狼は、ぴくぴくと痙攣をし、それに慄いた隙に、白牙は手の中で槍を回してひと突き。その隣にいた狼の喉を貫く。
狼はやっと牙を思い出し、三体が一斉に白牙に飛びかかるも、
「ぬんっ、ぬうんっ!」
大股に槍を薙ぎ、斜めにひと振り、戻す勢いで横にひと振り。
そのたび狼は吹き飛び、最後の一体、正面から来たものは、
「――ッ!」
左手で喉輪にかけ、獣の牙を突き立てる。
えぐり取られた首から夥しい血が噴き出し、土を黒く染めた。
残る狼は三体。一番遠くにいるのは、指示を出す群れのリーダーだろう。
それが脱兎の如く逃げ出したのを見て、残るに二体も逃げ出すのだが――
【氷よ。氷柱となりて敵を貫け】
シェーシャが継承された杖を突き出し、鋭い氷柱で後頭部から串刺しにした。
「――ギャウッ!」
血を吹き出し倒れた途端、
「ギャアッ」「ギャインッ」
残りの二体も毛皮が切り刻まれ、そこから鮮血が噴き出した。
その上に、すうっと姿を現すのは、淡い虹色に光る薄羽を持つ小さな存在――妖精族のパック。白いくのいちの装束姿で、手には風を纏う剣が握られている。
エルフ・人狼・妖精。大陸でも希少な〈森の住人〉の集結だった。
「まずは上々」
と、白牙。
「へーんっ、こんなの楽勝だい」
パックは鼻の下を擦りながら、胸を張る。
「油断大敵よ。それで町の様子はどう?」
と、シェーシャが訊ねれば、
「中央の通りに大型の魔物が出た、との報せを聞いてから来た。お嬢が先陣を切り、斬り伏せているようだ」
「想定通りね」
神楽と別れたのち、彼女はその城下町一帯の防衛にあたった。
実家からの援軍と合流。そして隼人を筆頭にした忍者軍団を合わせ、約六百の兵を率いている。
これより少し前のこと。
神楽はずっと、自称・妊婦であるのを案じており、
『やや子が流れぬか不安で……』
『そんなもので流れるような軟弱もの、次期頭目にはそぐわないでしょ』
これに神楽は『そうかッ』と立ち上がり、
『我が子よ、腹の中で踏ん張れいッ! 誰よりも早い初陣、母と共に戦おうぞッ!』
馬に跨り槍を構える姿に『アホは扱いやすくて助かるわ』と零すものの、当然、神楽の耳には届いていなかった――。
「さて、これからが本番よ」
シェーシャたちが警戒する中、木々がまた警戒を呼びかける。
今度は先ほどよりも強く、死の危険を感じさせるものだった。
「単騎か。よほどの自信家と言える」
「いよいよ来やがったな! じっちゃんの仇、取ってやる!」
白牙とパックが身構える中、シェーシャは「餌に食らいついたわね」と、城のある方向の空を眺め、ゆったりとした動作で杖を天に構えるのだった。




