第10話 霧中の解
忍びを統括したシェーシャは、部屋ではなく書庫を訪れていた。
手に持つは忍びの経歴が綴られた本。十蔵が口にした『一柳』との名前に覚えがあったからだ。
【一柳 十蔵に討たれ、死す。享年 二十一歳】
それを見つけ、やはり、と呟いた。
乳幼児すら手にかけた外道。呪わしき力を使ってでも蘇るほどだ、当時六歳の十蔵にやられた屈辱は相当なものだろう。
だけど、とシェーシャはページを摘まんだまま考える。
――殺したはずのお前が、俺の首を取ったようにな
それはどう言うことか。
他の犠牲者と同じように、一柳は十蔵を襲撃し、殺したものと思い込んでいたのだろうか。
何かが引っかかる。
答えはこの書庫にあると踏み、手当たり次第に本を引き抜いてゆく。
【こと修道士・モンクの技能は、忍びにも役立つものが多いでござる。
指先を鋼のごとく強靭なものへと変える覆気、打力を高める剛撃、防具を越えて威力を伝える貫通――など。
これに狙撃手・レンジャーの狙射を合わせれば、相手の急所を的確に狙うことができるでござる。
すべて揃えたのを、拙者はオールインワンと名づけ、これが直撃すれば絶大な効果が得られるでござる。
とくにメイジマッシャーという魔法使いの尻への一撃は、相手を絶頂悶絶させるほどでござる(十蔵殿が実証済み)】
シェーシャこのページを破り、燃やした。
大陸の記録など輸入すればいいだけだ。
【大陸では絹糸の評判はよく、また金や銀、銅の純度の高さが評価を得た。
だが、こちらは資源が豊富ではないため、鉱物らの流出に関して議論が必要。特にドワーフは強欲なため、金銀などは厳しく管理せねばならない。
輸入に関しては、まず薬と砂糖類からどうか提案している】
(ふうん……あれも裏ではちゃんとしてるのね)
その記録を閉じ、別の書物を開く。
【比丘尼 享年二八歳
敵の襲撃を受け、子・十兵衛を抱いたまま死す。夫の蜘蛛は不在】
あった、とシェーシャは手を止めた。
蜘蛛が言っていた墓――それは形あるものではなく、記録ではないかと考えたのだ。
その読みは正しかったのか。紙は古いが、文字を綴る墨はまだ新しかった。
【十の蔵にてさる方が男の子を産む。
赤子は泣かなかった。儂と妻は焦った。
見立てよりも一か月早く、母は薬を使ってでも無理やり産んだのだ。
しかし赤子は生きていた。
じっと見つめる赤子に、母は涙しながら言った。
――強い子じゃ
赤子は聡いと感じた。泣けば命を刈り取られる、甘えれば母の覚悟を揺るがしてしまう。
されど母の容体は思わしくない。
十の蔵で産まれた子に名付ける、母は子に使命を告げた。
――忍びの世を終わらせよ
母は直後、死んだ。
儂は託された子を抱き、我が子を抱く比丘尼に別れを告げた。
この夜、母と赤子が死ぬ。鬼と蔑まれることは覚悟の上だ】
シェーシャは驚くほど冷淡に読み終えていた。
いや、驚くべき場所が多すぎて分からなくなった。
一柳が手段を選ばず候補者の命を狙っていると知り、人知れず産んだ子――蜘蛛は妻と自身の子を身代わりにして、十蔵をどこかに隠したのだ。ゆえに一柳は『殺した』と思い込んだ。
『――シェーシャ殿。こちらでござったか』
そう結論づけると同時。
屋根から隼人が降り立った。
「ござる。見張りはどうしたの」
「十蔵殿が目覚め、鬱陶しいと追い出されたでござる。それより、いきなり忍びたちからの支持を集めたらしいでござるな」
「だって浮き足だってるんだもん。誰かがやらなきゃ、無為な時間を過ごすだけよ」
「雷迅殿が『返り咲くチャンスを失った』と落ち込んでたでござるよ」
隼人は目を細め、楽しげに言う。
「ござる、アンタに聞きたいことあるんだけど」
「ほいほい。何でござろう?」
「十蔵はアンタの乳兄弟だけど、アイツも〈怨の一族〉とやらの中で育ったの?」
ふむ、と覆面の上から顎を揉む。
「そうでござる」
「侍の家でしょ? 十蔵はどんな経緯で忍者になったの」
「一緒にやってきた蜘蛛殿が訓練をつけたでござるよ。拙者はそれを見て、面白そうなので仲間に加えてもらったでござる」
「よくそんな動機でやるわね……」
「まぁ、〈怨鬼〉の力を遊ばすのも勿体ないでござるから」
隼人は柔やかに言うと、
「では拙者はこれより、神楽殿に十蔵殿からの言伝を送ってくるでござる」
「先に行ってきなさいよ」
隼人が消えた書庫に、再び静寂が戻る。
(十蔵を〈怨の一族〉の保護下で育て、忍びとなって一柳を討ったのね)
憎悪の根源と十蔵の出生についての解が得られた。
残る謎はそれが何故、自分が十蔵に狙われる理由になるのか。
蜘蛛が遺したそれを読み返そうとするのだが、
「――邪魔なんだけど」
本に目を向けながら言えば、
『本当にくのいちであるまいな……?』
今度は背後に雷迅が現れる。
その顔には少し焦りが浮かんでいた。
「蜘蛛にも言ったけど、老いただけよ。年寄りは蟄居してなさい」
「お、老いてなぞない! いやそれよりも、お前、俺の無月衆を乗っ取るつもりか!」
「まぁ、まともな指揮官がいなきゃそうなるわね」
「この世で不要なものを教えてやる。それは女のものさし――おぐ!?」
言うなり、雷迅の頭に何かがぶつかった。
「な、何をする!」
「女を代表しての返事よ」
それは氷の塊。
素手での魔法にも慣れてきた。
「そんな感情的な訴えしかできないからアテにならんのだ、まったく……! 神楽と言い、十蔵はもうちょっと女を選べ。もっとこう純朴で舅を頼ってくれるようなのを!」
「その十蔵について聞きたいんだけど」
シェーシャは顔を横に向け、訊ねた。
「アイツの母親って、アンタの妻よね?」
「ぬ……そ、その、はずだが」
「歯切れ悪いわね。何か手を出したらダメなのに出したの? 蔵で隠れて産むくらいだから、出産したことも知らなかったのだろうけど」
「な……!?」
なぜそれを、と驚く雷迅に、持っていた本を持ち上げる。
「蜘蛛の巣ってかなり丈夫なの。いちど張れば何十年と残るわ」
「なるほど……」
雷迅が納得すると、
「やはりお前は似ておるわ」
と、諦念と懐かしみを込めた様子で首を振った。
「昔、西方の敵国に侵入した俺は、そこでくのいちと出会った。これが堪らなくそそる女で、その場で押し倒した――ら、これが実は敵の忍軍頭の娘でな。もう互いに惚れ合ったし、いいかと連れて帰ったのだ」
「無茶苦茶ね……」
「まあ相手の親は激怒するわな。俺も覚悟を決めたが、その娘はなんと一人で父に挑み、ぶん殴り、諦めさせたのだ。――その名は〈霧姫〉。薬の知識にも長けたいい女だった」
霧姫、と反芻するシェーシャを、雷迅はじっと見つめる。
「お前は似ておる。どこがと言われたら答えられんが、俺的には尻だ。あれの尻は最高だった。ハリがあって、安産型の美尻がもう堪らん。今でも揉みしだきたい、やらせろ」
「頭の中身飛び出るくらい張り倒すわよ」
「……その冗談が通じぬ、物騒な性格もな」
「てことは何? 私がアイツにつけ回されるの、母親に似てるからってこと?」
「そんなのは知らん。だが俺は羨ましい」
霧姫について、蜘蛛は当然知っているはずだ。
蜘蛛が納得した様子。彼が遺した記録から考えると、答えは自然とそうなる。
背後からの一撃を仕掛けたがるのは、いわゆる、子が母にする悪戯の一つ――甘えなのか、と。
「アイツは霧隠れの術が得意だったが、何より忍術の腕が凄まじかった。父と対峙した時など、術で山全体を包み込むほど濃い霧を発生させたほどだ」




