第8話 憎念に蘇る忍び
シェーシャはこの国の作法に倣い、墓石に手を合わせていた。
身元不明者が集まる無名の墓石に、数日前、何者かがら廃寺に火を付け、風雨を凌いでいた無宿人が焼け死んだとされた者が加わった。
(あなたは襲撃者が城に戻るのを察知したのね。我ら森の仲間のため――)
交差した手を胸にあて、膝を二度曲げる。
それはエルフにおける最大級の礼賛であった。
(無念は必ず)
そう誓うと、シェーシャはそっと墓を確かめた。
――儂の墓に手がかりを残しておいてやるから、気になるなら調べりゃいいぞ
自身の思う十蔵のイメージと、他者のイメージが違う。
蜘蛛はその理由に気づいたらしいのだが、墓石の裏を眺めても変わった様子はなく。張り付く苔の裏にも、何か文字が刻まれている様子もない。まさか墓を掘り起こすような、畏れ多いことまでさせないだろう。
(そもそも隠遁を主とする忍びが、こんな不特定多数の者が訪れる場所に、メッセージを遺すのかしら?)
何か別の意味があるのでは。
シェーシャは調査を諦め、境内へ引き返した。
(死者蘇生術を期待した? いや、そんなことはないわね。術の存在を知るならば、あれを習得すると他の魔法使えないことも知っているはずだし)
落ち葉がかかる長い石階段の中腹で、休憩ついでに背後を振り返る。
古ぼけた門に【正善寺】と看板が掲げられた小さな寺。今は年配の住職が一人で管理しているらしく、冬の装いに変えた山を背景にした光景は、とても侘しく感じられる。
人の形をしているから弔われるだけで、無縁仏の扱いは道端で倒れた畜生とどう違うのだろう。
名を明かし、正体を明かし、忍びの郷に遺灰を持ちかえることは、偽善やエゴの極まりだと蔑まれるだろうか。
(そもそも、名を明かすって『蜘蛛』って名前も本名なの?)
――忍びは明かせぬことも、知らぬことも多いと言うこと
無縁仏ゆえに墓には名がない。
あれ、と何かを思い出しかけたその時、敏感になっている背後に気配を感じると同時に、
『シェーシャッ!』
聞き覚えのある声が響き、振り返った。
「え――」
すると真っ正面に、ほんの一メートル手前に、寺の住職と思わしき姿が。ちょうど左下から、一筋の赤い閃光を走らせようとしたところ――。
背後の気配に気づいたから反応できた。
そして名を叫ぶ声があったから反応できた。
しかし……肝心の身体が、まるで追いついていない。
――斬られる。
風の魔法で自身を吹き飛ばし、致命傷を避けるしかない。
覚悟を決めて手を掲げようとしたすぐのこと。腹から鋭くも鈍い痛みが突き抜け、身体が浮遊感に包まれた。
一瞬のことで理解が追いつかなかったが、くの字に曲がり、黒い“何か”が腹部にめり込んでいることを把握する。
力に抗うことができずとも、目はしっかりと開いていた。
蹴られたのだ。自身の身代わりとなって、刃に斬り上げられる忍び――十蔵に。
「――つッ!?」
目の前の出来事を把握するよりも先に、階段の角に背中をしこたま打ちつけ顔をしかめた。
涙がじわりと浮かぶ目には、片膝をついた十蔵と、赤い刀を振り上げたままの、
「ふははははッ! よもや貴様を斬れるとはなッ!」
同じ忍装束姿の長い黒髪の男。
両手で刀を柄を握り、十蔵を見下ろしながら構えている。
「だが興ざめだ。貴様を斬ることがすべてであったのに、たかが異人の女一人のために……その甘さはやはり俺が頭目になるべきだったのだッ! ここで死ねッ、無月の恥さらしがッ!」
刀が大きく振りかぶると同時、シェーシャはさせじと杖を向けるも、
「――女がッ、邪魔をするな!」
黒い星型のものが杖に突き刺さり、「あっ」と声と共に手からこぼれ落ちた。
いや、離した。
男が投げたのは手裏剣。ぶ厚いそれから火薬の匂いを感じ、シェーシャは咄嗟に腕で顔を覆いながら身をよじった。
「――ッ!」
バンバンッと大きな炸裂音がしたのはその直後のこと。
木片が背中や肩を叩き、きいんと耳鳴りが響く。
「くくッ……お前の妖退治は実に立派であったぞ。なんせこの俺でも冷や汗をかいたぐらい強力な術だ。――だがその強力な術も、唱える杖あってこそ」
「……ッ、退治ってまさか、魔物を呼び込んだ目的は……!」
「俺は海の向こうは知らぬからな。ふふ……なかなか勇敢だった。その使命感を持った目で、俺の策だとも知らず頑張っていたのだからなあ。事情が事情でなければ、殺さず囲ってやってたところだぞ」
それを聞いた十蔵は、ふっと笑みを浮かべた。
「やはり、この女が厄介とみたか。一柳――」
言うと同時に、十蔵が目にも見えない速さで刀を振り上げていた。
よそ見していたのもあり、一柳と呼ばれた男は反応に遅れ。刀を弾き上げると、くるりと一回転、ガラ空きとなった右腰から斬り払った。
「……ッ!? だが無駄だッ!」
しかしどうしたことか。
斬られたはずの一柳は血を流さないどころか、刀が素通りしてゆくではないか。
それどころか。刀を振り抜いた十蔵の胸を、赤い刀が貫き、
「ぐ、ゥ……ッ」
「十蔵ッ!?」
シェーシャの口から「まさか……」と悲鳴のような声が洩れる。
再び片膝をついた十蔵を嘲笑うかのように。一柳は刀を深く突き入れ、勝ち誇った高笑いを浮かべた。
「今度こそ取ったぞッ、十蔵ッ! 俺は、お前を殺すために蘇ったのだッ! 殺したはずのお前が、俺の首を取ったようになァッ!」
刃を握る十蔵は横目で、チラリとシェーシャに目配せをした。
(蘇った……? 武器が素通りし、その言葉の通りなら……)
そこから導き出される答えは一つしかない。
「――貸し一つよ、クソ忍者ッ!」
シェーシャは手を前に突き出し、
【光よ。迷える魂に、大いなる慈悲を与えたまへ】
瞬時に詠唱を完了させた途端、突き出した手からカッと光が放射する。
「ぐ、な、なんだッ、この光は……か、身体が焼けるッ!? グオオアァァ!?」
「杖がなきゃ魔法が使えないなんて考えは、もう古いのよッ!」
唱えたのは解呪の魔法。
一柳は霊魂であり、忍者と言うより侍に近い戦い方をしているのは恐らく、
「私が杖なら、アンタはその魔剣を媒体にしなきゃ存在できないんでしょッ!」
刀を使い捨てに、乱暴には扱えない理由があるのだ。
手にした赤い刀を目がけ、ごうと放った火球は、十蔵が刃を握っていたお陰で刀身に直撃した。
「ヌグウゥゥアァァッ!? こ、このクソアマァァァッ!?」
「うるさいわね、クソ忍者その弐のくせに!」
杖を握っていないため、火球までも威力が弱い。
しかしそれでも大きな効果があったらしい。一柳の身体が燃え、大きく歪む。刀にもダメージがあったのか、慌てて十蔵を蹴り飛ばすように刀を引き抜くと、
「ここは退いてやる……! だが十蔵はじきに死ぬッ、その時こそ我らが勝利となろうッ! 奴の復活をもってなッ!」
捨て台詞を残し、一柳はさっと溶けるようにして消えた。
「奴の、復活……?」
よろめきながら立ち上がるシェーシャであったが、
「ちょ、ちょっと……嘘でしょ……ッ!」
ぐらりとその場に倒れた十蔵を見て、体裁など構わず駆け寄るのだった。




