第5話 不器用なアドバイス
魔法の訓練をしていたシェーシャは、ふぅ、とひと息いれた。
屋敷裏の訓練場。子供たちからの興味を集めたのは、これより少し前のこと。今は山鳥が鳴く穏やかな時間が流れている。
平和を脅かす魔物は一旦落ち着いた。
九郎が戒厳令を敷き、城下町の女・子供たちを侍が護る寺社仏閣に避難させたことで、賑やかだった通りは閑散としているらしい。
「魔物はもう、神楽に任せておけばいいわね」
先日、神楽は援軍を要請するため帰省していた。
その山道にて複数の魔物と出くわしたのだが、これを彼女は嬉々として応戦。瞬く間に魔物を両断した。同行した忍びたちの報告によれば、中に剣が通用しない頑強な魔物がいたはずなのだが……彼女が編み出した剣術〈一念剣〉に、『馬鹿』を冠した十蔵の見立ては正しかったらしい。
シェーシャはため息を吐くと、眼前に広がる砕石、燃えたり割れたりした薪の山を眺めた。
「四重詠唱なんて無理に決まってるじゃない」
蜘蛛に言われ試してみたものの、結果は想像通り、やれやれと首を振るばかり。
しかし、不可能との言葉で片付けるのはエルフの、ひいては自身の沽券にかかわる。
生来の負けず嫌いなシェーシャは、プロセスの見直しを図ろうと、杖でガリガリと地面に文字を描き始めた。
「単純に単発属性を四つ詠唱すると、やはりロスが多い。複合魔法二つで……魔法に魔法を重ねる形にしたら……ふむ……反相性の組み合わせを……」
遠くでムクドリがぎゃぎゃっと鳴き合う。
地面に描かれた字は五メートル四方にまで到るも、突然、馬鹿らしい、と土の魔法で掘り返し、抹消した。
方法の成否はどうあれ、やれば間違いなく大怪我する。
魔法もまた四属性を同時に放つだけ。1を生み出すのに2や3を消費するどころではない無駄さである。そんなリスクを負うぐらいなら四つの属性魔法を続けた方がいい。
「やれやれ。無駄な時間を費やしたわ――」
地面に置いた水の入った竹筒を拾い上げようと、上半身を屈めたその時、
【土よ。我が命に応じ、跳べ】
突如。柔らかくなった地面から、拳ほどの塊が飛び出す。
そしてそれは、身を屈めたシェーシャの腰の横を掠め、
『――おぐっ』
背後の影から、両手を伸ばす忍びの胸に直撃した。
鷹揚に振り返ってみれば、そこには影から上半身を浮かばせたまま、胸を押さえ唸る男が一人。浅黒く無骨そうな顔で、蘇芳色の忍装束をまとっている。
「忍者の技は、女にスケベなことするためにあるの?」
「ぐ……違う、とも言い切れ――ああ、いや違うぞ! くのいちのためにな、うむ! 見慣れないデカ尻があるから、新米のくのいちかとな。ムッチリとしたいいケツだから、俺自ら誘惑の指導をと」
「……これを埋めたら忍者の木が出来るかしら」
目を鋭く、杖を掲げるシェーシャに、忍びは「まてまて」と慌てて手を前に突き出した。
「俺は偉い」
「は?」
「俺は先代頭目・雷迅である。無礼な行為はどうなるか――うぼっ!?」
言い終わる前に、忍びの両脇から土が迫まる。
小さな土山が出来たそこを、シェーシャは踏みつける。
「あの男の身内なら、なお容赦しないわ」
先代頭目はすなわち、十蔵の父ということ。
土山の中でしばらく藻掻き続けたのち、少し離れた場所から、ぶわっと、大きく息を継ぎをするかのように飛び出てきた。
「何をするかっ! 十蔵と言い、父や先代に敬意を払え、敬意を!」
「私にはそんな言葉はないの。親の顔が見たいと思ってたけど、これで納得したわ」
ふん、と鼻息荒く腕を組む雷迅の姿は、どことなく十蔵のようだと思った。
中年の風貌。顔の大きさや厳めしさは違うものの、雰囲気は親子であることを証明している。
「――で、お前はここで何をしておる」
「別に? ただ魔法の練習をしてただけ。そちらの蜘蛛とやらに、無茶苦茶な提案をされたから試してたの」
「蜘蛛が?」
雷迅は意外そうに目を瞠り、考える仕草をした。
「あの偏屈者が珍しい。……ああいや、十蔵に関しては甘いしな」
「それで案の定、無理だったから帰ろうとしたところに、スケベなオヤジが出てきたってワケ」
「男はみなスケベだ。いや、俺はそうとも言い切れんが、絶品の桃尻が誘っていれば、ちょっと山を下りたくなるものだろう?」
シェーシャが杖を構えるも、
「ふむ。大陸の術の弱点、既に見抜いておる」
「は――?」
雷迅は深く身体を沈ませ、跳ねた。
それは疾風の如く速さだった。肌に感じる空気の痺れから、足や腕に雷の何かを纏っていると分かる。
距離は約五メートルほど。忍びの瞬発力では、到達まで一秒もかからない距離だ。
迎撃しかないとシェーシャは黒杖を突き出すも、
「お前は杖なくば、男に組み敷かれる女よ」
「――あッ!?」
かろうじて捉えられた黒い影・その右腕が、杖を弾いたのである。
それと同時。杖を握る手に、ジン――と重く鈍い痛みが走り、反射的に離してしまう。杖を通じて電撃を逆流させたのかと気づくも、時すでに遅く、雷迅の左手が前に突き出された。
――胸を揉もうとしている
そうと分かった瞬間、シェーシャは右手を突き出した。
【風よ。炸裂せよ】
速い詠唱。パァンッと空気が破裂すると、雷迅は背中から、シェーシャは尻から地面に落ちた。
「ッ、つぅ~……ッ」
杖なしで放った右手は、灼熱に包まれるかのように熱い。
モタつきながら立ち上がろうとする自分に対して、相手は身体のバネを使って跳ね起きる。
もう一度こられては対処が難しい。
杖を拾うと同時、元頭目でも容赦なく仕留める気で大魔法を唱えるべきか。
「うぅむ……杖を使わずとも魔法を使えたか」
「お生憎様。私は他の魔導師と違うのよ」
再び迎撃すべきか。だが戦闘に長けた忍びに、同じ技は二度通用しないとみるべきだ。
相手の次の一手に対し、思考を巡らせる。
「……昔、巻物を使わず忍術を繰り出すくのいちがいた」
は? と、シェーシャが睨むも、
「今でこそ当たり前だが、当時は巻物が必須でな。それの口癖を思い出した。――『常識は己に限界を作る言葉だ』とな」
雷迅はくるりと翻って、
「お前の気質はそいつに似ている」
と言うと、呆気にとられたシェーシャを残し、高笑いしながらその場から姿を消すのだった。
「何なのよ、もう! 忍者ってホント、ワケの分からない連中ね!」
唇を尖らせ、まだ痺れの残る右手に目を落とす。
――常識が限界を作る
杖を使わず魔法を使用するのは「非常識な行為」と言っても差し支えない。
「……まさか、ね」
非常識は「常識」を知るものが、相手を謗る時に使う言葉。
常識破りは「常識」を知るものが、相手を讃える時に使う言葉。
どちらを言わせるかは自明の理。
先ほど地面に描いた魔法のプロセスは、決して答えが出なかったから消したわけではなく、自身の「常識」が、これ以上は無駄だと判断したに過ぎない。
「可能にするには、覚悟が必要ってことかしら」
シェーシャが手を強く握り込むと、痺れが波を引くように消えてゆくのを感じていた。




