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第4話 因果。報いの刃

 魔法に長けるエルフであれば、転移(ポータル)を習得していてもおかしくない。

 隼人は僅かな休憩すら惜しみ、三日間、古城を目指して駆けた。

 沸き立つ焦燥が胸をえぐるからだろうか。やっと尖塔が望める場所に差し掛かるも、普段は覆い尽くすような闇の気配が――それは城全体からと言ってもいいほど――感じられない。


(ターニア殿……!)


 その者は、心より愛した女であった。

 趣味趣向が合うだけではない。自身の持つ“邪”の力・その波長が合う、運命の巡りの相手と言える。

 古城の敷地から内部へ。

 無事であってくれと地下監獄への階段を下り、冷たい闇の中に身を投じる。

 そして願望を抱きながら、闇に沈む監獄を一望するも――周囲に散乱する囚人たちのなれの果てが、それを容易く打ち砕いた。


「ターニア殿ッ、いずこに!」


 焦るその声は空しく響く。

 骨はおろか彼らが武器にする鉄球でさえ、真っ平らな切断面を残していたのだ。


「ターニア殿ッ、他に誰かおらぬか!」


 何度も、何度も声を張り上げるが、望む返事は返って無い。

 しばらく通路を進むと、酷く崩落した場所があった。


(ここは、詰め所があった場所……)


 囚人たちが立てこもったのか。

 大魔法を撃ち込まれたらしく、瓦礫に大量の骨片が混じっている。


「む、これは……」


 瓦礫から覗く小さな角缶――監獄の主人(あるじ)が愛用していた紅茶缶だった。

 実は冒険者から召し上げた安物の茶葉なのだが、チャッチャッと乾いた音をたてれば『とっておきだぞ』と笑う彼女の、何ものにも代えがたい“思い出”が蘇る。

 半分焼けて黒ずむ缶。大事に懐に押し込んでいたその時、


「――!」


 隼人は闇の中に小さく蠢くものを感じ、ハッと顔を上げた。

 それと同時に隼人は駆けた。

 ネズミではない。何かが身じろぐ、小さな“命”の存在だった。


「――ッ、ターニア殿ッ!」


 それはやはり。最も奥の檻の中に、壁にもたれ掛かる軍服姿の女が――彼女こそ、探し求めていた女看守・〈微睡みの(オ・ルヴォア)茨姫(ターニア)〉だったのである。

 軍服は焼け焦げ、不規則な呼吸は小さく。最後の力を振り絞るかのように、来訪者の声のする方に向かって顎を上げていた。


「ああ、来たのかい……」

「ターニア殿、しっかりなされよッ!」

「はは……ドジっちまったよ。至近距離で、魔法を……」


 右肩から袈裟斬りにされたのだろう、痛々しい痕が走っていた。

 近づけば左腕もなく、右脚もおかしな方向に。美しい顔は焼けただれ、目は殆ど見えていないようだ。

 まさに息があることが奇跡と言える。


「最後に会えて……よかった……」

「ターニア殿、大丈夫だ。拙者が……!」

「無理、だよ……。アンタも同族な、ら……知って……」


 隼人はもう助からないと理解していた。

 妖刀が恐ろしいのはその斬れ味ではない。傷口に呪いをかけ、命ある限り出血が続くことにある。

 石床には夥しい量の血だまりが浮かび、手をやる隼人の指の間からも、血は止めどなく零れ続けていた。


「この気は〈恨〉の……やはり妖刀が……」

「奴に一発……お見舞いしてやった、よ……。後ろから、脇腹に鞭の柄を……ぶっ刺して……はは……奴の顔ったら……」


 顔はその時に焼かれたのか。

 深手を負い、エルフの狂剣士は撤退した。

 上層の玉座近くで何かをしようとしており、近づくと、女がと顔を歪めて斬りかかってきた。

 絶え絶えに話すターニアは、残った右手を隼人の手に添えた。


「アタシの結晶を抜い……て……そ……れば、アンタと一緒に……」

「ターニア殿、諦めてはならぬ……!」


 無情な静寂が広がってゆく。


微睡みの(オ・ルヴォア)茨姫(ターニア)


 微笑む彼女に口づけをしても、もう目覚めることはなかった。

 だが、完全な“死”を迎えたわけでもない。

 悪魔や魔族に類する存在は、心臓に値する魔結晶が失われるか、もしくは聖水や魔法などで塵とされない限り、(にくたい)は魔界に還り、時間をかけて蘇生する。


(同じ魔でも、〈怨鬼〉と大陸の魔物の力は違う……しかし、ターニア殿の治りが早くなるのであれば、この力を……)


 傷が癒えても記憶は蘇らない。人間への恨みだけを肉体に刻んだ、新たな〈微睡みの(オ・ルヴォア)茨姫(ターニア)〉として現れるだけだ。

 では魔界に還らせず、ここで魔力を注ぎ込んでやれば。

 隼人は僅かな可能性に賭け、力の一部になりたいと言う彼女の遺望(のぞみ)を拒んだ。


「――隼人」


 寝顔を眺める隼人の後ろに、十蔵が音もなく降り立った。


「こうなる原因を作ったのは私だ。狂剣士の正体はシェーシャの元恋人、討伐していた魔物など見るに女に対して執拗な殺意を抱いていた――取るに足りぬと捨て置いたことにある」


 隼人は背を向けたまま、「いや」首を振る。


「斬ったのが誰であれ、結果はこうなっていた。それにシェーシャ殿のことも、必要だからそうしたまで。ターニアが斬られたのは、誰の落ち度でもござらぬ」


 しかし、と立ち上がると、


「申し訳ないと思うのならば、しばらく、拙者を自由にして欲しいでござる」

「よかろう。鬼が出ても何とかしてやる」


 十蔵が腕を組み言えば、隼人はふっと笑みを浮かべた。

 眠る女を残し。監獄は再び、シン――と静けさが戻る。


 ◇


 それから幾日。地下監獄に落ちる闇を、白い明かりが払う。

 宙に浮かぶ光球の下に立つのは、櫛の通っていない長いボサボサ髪の男。尖り耳を覗かせながら、長い石階段の下でゆっくりと周囲を見渡した。

 その仕草は警戒しているように見えるだけで、眉間に残る深い傷跡が愉快げに動いている。

 大きな動作で佩刀(はいとう)した得物を、しゃらり、と引き抜くと、刃を光に反射させながら、奥に向かって大股に歩く。

 ぱきりと踏んづけた骨の砕ける音が響き、男は笑みを浮かべた。


「魔界にはまだ還ってないだろうが、もしアマが生きていれば……くく……」


 仕留め損なった獲物を探し歩く。

 所作は刀を扱う侍のものではないが、大陸の剣士とも言いがたく。

 とある檻の一画に差し掛かった時、男はピタリと足を止め、数歩後退した。


「……?」


 何の変哲も無い、壁に“Ⅵ”と書かれているだけの通路である。

 しかし明かりの光輪は――その端が、すっぱりと切り取られたかのような闇が満ちている。目を凝らしても見えず、男が足を一歩前に出した、まさにその時のこと、


「ッ!? だ、誰だッ!」


 咄嗟に刀を構え、その影を睨んだ。

 届かなかった光の場所に、細く、長い人の影が立っていたのである。


「な、なんだ……冒険者、か? いや、この気配は……」


 人の影は動かず。

 緩やかに、そして低い声を発した。


「我。“隼”の字を冠する。汝は何の字を冠する者ぞ」


 男がぐっと体重を前にかけた瞬間――影が四散した。


「――(おそ)い」


 それは一瞬。男の背後に、うずくまる影が一つ。

 覆面頭巾から血の色に光る眼を覗かせ、その前では白鞘に半身納められた黒刃を構える忍者の姿。

 カチ、との音と共に刃が納められると同時。

 男の身体からポロリと、頭が落ちた。


【怨】


 忍びは一つ言い残し、振り返ることなく歩き去ってゆく。

 男は何が起こったのか分からず、冷たい床の上で、棒立ちの身体をただ見つめるばかり。唯一、手にした魔剣が折れていることだけ理解した。

 床に打ちつけた痛みの悲鳴も、息の出来ない苦しみの声も上げられない。


「……!」


 刹那。顔に迫る足。

 彼がやっと死を悟ったのは、短い砕音が監獄に響き渡った時のことである。

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