第12話 好敵手のお願い
その日の内に、シェーシャは屋敷を放り出された。
忍びの郷に移ったものの、彼女の怒りは収まることを知らず。十蔵は同じ〈森の住民〉である妖精族・パックを呼びつけ、いかなることかと事情を訊ねたのだが、
『〈乙女の瞳〉で婚約者を奪われたァ? あははははっ、馬っ鹿じゃねーの』
エルフの聴覚は人よりも優れている。
パックはこの直後、凄まじい速さで駆け込んできたシェーシャに捕縛され、ボロボロの姿で軒先に干されることとなった。
詳しい事情が知れたのは、四日が過ぎたこの日、シェーシャの父・カシュヤパが訪れた時のことであるのだが、
「お父様は馬鹿ですかッ、阿呆ですかッ! 何のために先人が知恵を残し、書を残したと言うのですッ! それを軽んじ、同じ過ちを犯すなぞ、まったくもって愚かとしか言いようがないッ!」
「お、〈乙女の瞳〉など、デタラメだろうッ!」
「デタラメと思うのなら、マナサの姿をどう説明するのですッ! その目で見て、なおデタラメと仰るのですかッ! 節穴ですか、その目はッ!」
早朝から響く、シェーシャの怒声。
父はまず、勝手に船に乗った次女の安否を気遣い、九郎の屋敷へ。
そこで豹変した次女を見て、どういうことかと長女・シェーシャを叱りにやってきたのだが、
「教科書とは何のために存在するか、お父様は知らないでしょう」
「親をコケにする気か。知徳を磨くためだ」
「馬鹿とそうでない者を分けるためですッ! だいたい、お父様はマナサを過保護に育てすぎなのですッ! 少しでも時代に合わせッ、同世代の男に接していればッ、〈乙女の瞳〉も弱まっていたと言うのにッ! 今の時代、手垢がついていないエルフなぞ、化石だと小馬鹿にされるのですよッ!」
普段は厳しい父も、今回ばかりは長女の方が圧倒している。
横で立ち会う十蔵も、親子喧嘩の内容を整理し、今回ばかりは父親が悪いと静観を決め込んでいる。
騒動の原因となった〈乙女の瞳〉とは何か。
それは、エルフの乙女たちが患う“病気”の一種で、瞳を潤わす涙の中に魔力が混じり、長い歳月を経て結晶化・レンズのように目を覆う――これを〈乙女の瞳〉と呼び、懸想する者を見つめると、淫魔・サキュバスよりも性質の悪い、自身にも影響を及ぼす魅了状態に陥ってしまうと言うのである。
対処は男遊びなどでコントロールを覚えるか、結晶を溶かす目薬を差すか。
父・カシュヤパに限らず、厳しい戒律を守る家ほどこれを軽んじる傾向があり、娘は恋物語などで募らせた人間への強い憧れにより、こと重い状態に陥るのだと言う。
「――十蔵殿」
屋根から逆さに、隼人は縄を使って降りてくる。
「いっそこのまま、マナサ殿と九郎殿をくっつけた方がいいのではござらぬか」
「……私もそう思っていた。しかし若のお心がどうか」
「あの二人を見れば、花も恥じらうでござるよ」
「そうか。若い二人だ、互いに溺れすぎぬようにだけ注意してくれ」
「了解でござる。――ああそうそう。本音を言うと、こうなってよかったと思うでござるよ。あのじゃじゃ馬娘を扱えるのなんて、十蔵殿くらいでござるから」
なに、と十蔵は目をやるが、
「こっちの話でござる」
と、逆さのまま屋根に戻ってゆく隼人。
その忍者の傍らでは、今もなお、娘が父親を罵倒し続けている。
◇
――叱り方が妻とそっくりだ
翌朝。シェーシャの父・カシュヤパは、ふらふらになりながら忍びの郷を出て、九郎の屋敷のある城下町に。その娘は「女は一人の男を愛し続けるように出来てないのよ」と強がりを言いながらも、内なる怒りをすべて吐き出した反動か、虚しさに苛まれていた。
「……なーんで、二年前に忍者どもに会ってるのに、マナサは〈乙女の瞳〉が暴走したのかしらね」
開け放った窓から、波揺れる青い稲穂の景色が覗く。
窓縁に左肘を立て、顎を乗せる恰好のシェーシャは、指先で縁を不満気に叩きながら、横に立つ十蔵にボヤいた。
「くのいちにも似た惑術がある。我々はそれを喰らわぬ訓練をしているのに加え、隼人は常に覆面姿だ」
「忍者ってホント、使えないクソどもね」
はぁ、とため息を吐く。
「私は妹の何に、負けたと言うの」
「若さ」
「正直な人って嫌いよ」
シェーシャはため息を吐くと、十蔵を残して部屋を出た。
いつまでも憤然とはしていられない。まだ胸に残るもやもやをどう晴らそうかと、十蔵の屋敷をうろつくことにした。
(もしかしたら男運ないのかしら……?)
いやいや、と首を振る。
かつての恋人も親友に寝取られただけ。今回も運悪く、エルフの病気によって婚約者が洗脳されたに過ぎない。
思えば、深く関わったのはその二人しかおらず、十蔵の姿が頭に浮かぶも、男運の悪さと言えばコイツだけだ、と断定した。
(しかし希望的観測ではなく……最初のローウェンを数えたら、今回で二回目。次でしくじったらマズい……いや、大丈夫よね、ローウェンは私からフッたんだから)
どこからか子供たちの賑やかな声が聞こえる。
屋敷の裏の方のようだ。長い廊下を歩いていたシェーシャは、そこは足を踏み入れたことがないのを思い出し、向かってみようと足を向けた。
その時、背後から「シェーシャ殿」と女の声がした。そこには、十蔵の妻・神楽が立っていた。
「探しておりました。しばし、時間を頂いても?」
「構わないわ。何かしら」
神楽は周囲をうかがうように見渡し、少し声を潜めた。
「ここでは――私の部屋へきて下され」
彼女の部屋は屋敷の中央付近にある。
黒い板敷の間で、女らしいものは文机と着物架け、少し浮いて見える白板の桐箪笥のみ。壁にかけられた刀や槍、鎧が、彼女らしさを現している。
対面するように置かれた座布団に座るや、神楽は「此度の件は」と両手をつき、神妙な面持ちで頭を下げた。
「主君が不義理を行ったこと、平にお詫び申し上げます」
「別に貴女が謝る必要ないわよ。薄々と上手くいきそうにないな、って思ってたし、逆にちょうどよかったわ」
神楽は妙なところで律儀だ。
だがそれは、シェーシャが彼女を気にいる部分だった。
「して、今後の伴侶探しはいかほどに?」
「……あのね、私は婚活しにここに来たわけじゃないの。誰かの夫のせいで、大陸にいられなくて避難してきただけなんだから」
「ですが、そろそろ腰を落ち着かせねばならぬのでは?」
「う゛……。ま、まあ確かに、少し焦りを感じてるのは事実だけどね」
父親には怒りをぶつけただけではない。
妹が九郎と結ばれた場合についての話もし、それとなくエルフの郷・実家に戻れるよう手配する、と父より伝えられた。
家の名を継げるのが自分しかおらず、勘当を解いてでも家に戻したいのが本音だろう。
『今からでも妹か弟を用意できるのでは』
更なる条件を引きだそうと、その場は断る意志を示した。
だが実際問題、行き遅れと後ろ指差される年齢が迫り、結婚か帰郷するタイミングを図らねばならない時期でもある。何より『三度捨てられたエルフの女は永久に結婚できない』とされ、父はこれを懸念したからなのだ。
本音を言えば少し焦っている。
すると神楽は、その言葉を待っていたのかのように身を乗り出した。
「貴女に、折り入ってお願いしたいことがございます」
「何よ、突然あらたまって」
シェーシャも居住まいを正すと、神楽は「実は」と目を見据えながら口を開いた。
「夫の、側室になってもらえませぬか」
「……は?」
この女は何を言っているのか。
「私は好敵手が欲しい。見目麗しさに胡座をかいたら行き遅れ、いよいよ道を失った女が、最後になりふり構わず妻ある夫に手を伸ばす……これ以上に相応しい相手がありましょうや」
「アンタ、殴られたいのよね? ボッコボコに殴られたいんでしょ、ねえ!」
「重臣である蜘蛛も『くのいちに向いている』と言い、私は思ったのです。突如として現れた異国の美女が、くのいち・愛妾となって頭領である夫の傍に――冷遇される正妻……何とかして夫を振り向かせる物語を、と」
こいつは酔っているのか、と思わざるを得ない。
道を失わせたのは誰の夫なのか。
どうか、と額を擦りつけて土下座したその姿には、プライドと言うものがまるで感じられなかった。
「エルフの私が、人間の妾なんて受け入れると思うの? 死んでも御免だわ」
「なんとっ! では正妻の座を……なるほど! 保険の女ではなく!」
「違うッ! アンタの妄想から私を外せってのッ! それと次、保険の女って言ったらドツき殺すわよッ!」
腕を組み、うんうんと考え込む神楽。
もはや何も聞こえておらず、肩を怒らせながら部屋を出てもなお、エルフの耳には『情の求め合いに持ち込むべきか?』などと、よからぬ思案に耽る声が続いている。




