第8話 勝者の笑み
「あーっはっはっはっはっ! 忍者ども、よくやったわ!」
シェーシャは九郎の上屋敷に戻ると、そこで待っていた十蔵を見つけ、高笑いと共に讃え続けた。
「応じてもらえなかったと、若は言っていたが」
「すぐに返事をせず、三回の懇請を経て初めて応じるのが女の作法よ。あの坊やにも言っておきなさい」
エルフの寿命は長く、九郎の方が早くこの世を去る。
それは遠くない未来、自身が摂政もしくは執政と言う名の“女王”の座に就くことを意味していた。
「私の調べによれば、この国の人間の寿命は五十、六十ぐらい。エルフを嫁にした男は基本的に早世だから、まぁ結婚生活は二十年ほど。……ふふっ、それまで愉しませてもらうとしましょ」
もちろん九郎への愛もあり、権力欲はその次にくる褒美のようなものだ。
特別に仕入れさせたワインに手を伸ばし、美酒を楽しむエルフの姿に、十蔵はやれやれと首を振った。
「この国では、スカートをはいて政治は出来ぬぞ」
「今は、ね」
ブロンドの髪をかきあげ、得意げな表情を浮かべる。
「権力は暴虐すら可能にする。文句つけてくるのは、ボッコボコにしてやるわ。――アンタたち、忍者どもを使ってね」
「ふむ。硬い肉を柔らかくするには、棒で叩くのが一番と言うからな」
「あら、あなたにもユーモアがあったのね」
くすくすと微笑むシェーシャに、十蔵は腕を組んで息を吐いた。
話はそれで一区切り。夏雲が覗く縁側から、うるさいほど蝉の声が流れ込む。
『うぅーい。今日も来てやったぞーい』
間の抜けた声がした方を向くと、そこには肩に長柄のハンマーを担ぐ、胸にさらしを巻いた褐色肌の少女が一人。のっしのっしと侵入してくるところであった。
「んー……?」
「む、この女どこかで――」
シェーシャと女の子は目を細め、顔を確かめ合う。
職人と思われるいでたちだが、この国の者とは違う銀色の髪をしている。
この顔に見覚えが。
そう思うと同時、彼女が何者か、頭に浮かぶまでは一瞬だった。
「アンタッ、あの時のドワーフッ!」
「き、貴様はあのエルフかッ!?」
驚き顔で指差し合う二人。
縁側に現れたのは、エルフと未だにいがみ合う、そして個人間でも禍根を残したままのドワーフ・カテリーナだったのである。
「何故じゃッ、何故エルフの芋虫がここにおるッ!」
「誰が芋虫よ、ゴミ虫!」
「なんじゃと! ――おいジュウザ、説明せい!」
水を向けられた十蔵は特に動じず、むしろ起こることを想定していたかのように平然と構えていた。
「この娘は、我が主人に輿入れする、予定となっている」
「輿入れ? なんじゃ、エルフが人間にか?」
そーか、そーか、と嬉しそうに何度も頷くドワーフ。
プライドが高く、見下している人間と結婚せねばならないほど落ちぶれたと思っているのだろう。
「人間となあ、うんうん、まぁせいぜい子作りに励めよ。ここの家主はヒョロい優男の――って、何じゃとおおおッ!?」
ドワーフの娘はやっと気づいたらしい。
「もしや、クロウか!?」
「そーよ。相変わらず、一人でも騒々しい種族だこと」
「痴女が男漁りしておると聞いておったが、まさか、貴様のことかッ!?」
「誰が痴女よッ! これはれっきとしたハイ・ウィザードの服ッ!」
罵り合う二人の傍らで、十蔵だけが冷静に、
「――シェーシャがお前たちの雇い主となる。この者の言葉は若の言葉とし、以後、従うように」
「話が違うぞい! お主の部下のハヤトに誘われ、ついてきたのじゃ! こんな芋虫の命令なぞ聞けるかッ! こんなアホタレは止めろと、クロウに忠言せい!」
指差されるシェーシャだが、この日ばかりは上機嫌に、ほほほと勝者の笑みを浮かべている。
「川を押しても流れを変えられぬように、恋情もまた人の手ではどうにもならぬ。主人が決められたのなら、我ら影はそれを尊重する」
「ぐゥゥ……ッ! なら仕事は止めじゃ止めッ、これまでの工事分の金をよこせいッ!」
「報酬は完成してからの契約だ。それにお前たちドワーフの矜持と言うものは、プライドで左右されるものなのか」
仕事を投げ出すのは職人の恥。
しかし、したり顔を浮かべるエルフの下に就くことも我慢ならない。
「ぬ、ぬゥゥゥゥゥー……ッ」
ドワーフの職人魂か、種族としてのプライドか。
天秤にかけるカテリーナであったが、ふと机に置かれたワインの瓶に目を留めると――
「なら酒じゃッ! 北の米どころ・山留村の〈獅子祭〉を樽ごとよこせいッ! それでやってやるのじゃッ!」
「よかろう。手配しておく」
「樽じゃぞ、樽! あとイカの塩辛もじゃッ! 最近あれにハマっとるッ!」
大陸から持ち込んだ芋を蒸し、上に乗せて食うのが美味い。
主旨からだんだんと逸れてゆき、ツマミの話から最終的には十蔵に勧められた、
「――ぬる燗に鯖の味噌煮じゃと? うむうむ、考えるだけで樽一ついけそう……よし、昼飯はそれにするぞ! ……と言うか、お主もこい!」
それでチャラにしてやると言い、屋敷を飛び出して行ってしまうのだった。
「……ホント、ドワーフは扱いやすい種族だわね」
それを見送ったシェーシャは、やれやれと首を振りながら息を吐く。
血は酒で出来ていると豪語する通り、怒り心頭でも『酒』の字が入れば、意識がそっちに流れてしまうのだ。
「と言うか、連中もここに渡ってたなんて聞いてないわよ」
「聞かれておらぬからな」
「あそ。城に大陸の技術が使われてると思ったけど、なるほど、連中なら納得だわ。マジック・ジャマーなんて普通の技術者は扱えないもの」
十蔵は眉を上げた。
「マジック・ジャマーとは、魔法の効力を及ばぬようにする金属のそれか?」
「そうよ。……ってか、アンタが持ち込んだんじゃないの?」
「初耳だ。それはどこにあった?」
「五階部分の西側の、ちょっと奥まったところかしら」
「西側の……上様の居室か。そんな大がかりな施工したことも聞いておらぬ」
「部屋そのものじゃないわ」
そうね、と目線を宙に浮かせ「横幅二メートルくらいの箱かな」と、両手で大きな四角を描く。
城を探っていた日、魔法を切る直前に更に絞り込んだのだ。
「その大きさだと行李か……」
「杖を通してないから、不明確だけれどね。荷箱くらいドワーフにとっては片手間だし、現場で頼まれたんじゃないの」
「しかし、どうして城を探っていたのだ?」
シェーシャは「決まってるじゃない」と、ブロンドの髪をかき上げ、
「ゆくゆくは、私のものになるからよ」
妖しく微笑む姿に、十蔵はため息を吐く。
その外・屋敷の入り口から『おーい、はよせいーッ』と、カテリーナの大きな声がした。




