表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/74

第7話 追わせる女

 縁側で本を読んでいたシェーシャは、ふと顔を上げた。

 甘雨に喜ぶ常緑の生け垣が、その向こうに黒い門扉が静かに佇む。先ほどと変わらぬ光景に、これで何度目かと小さな息を吐いた。

 上屋敷の離れを与えられてから二週間――。

 若君はすっかり熱を上げ、菓子や花が届けられることは当たり前に、川辺の花が綺麗だから、天気がいいからなどと、あれこれ理由をつけてはシェーシャに会いにやってくる。呆れるほどだが、そのマメさがシェーシャを喜ばせた。

 シェーシャもまた、この国と夏に慣れつつ。

 今では浴衣姿の方が楽になり、異人が住まうことに困惑していた使用人たちも、『緑豊かな庭を背にする姿はとても美しく、気がつけばその光景を目に刻み込んでいます』と評判を集めるまでになっていた。


(この私が、人間に焦がれる日がくるなんてね)


 手にした本に目を戻す。その口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

 ふいに人の気配を感じ、弾む心を抑えず顔を上げた。


「……なあんだ」


 そこいたのは、ほろりと苦く笑う袴姿の十蔵だった。


「若と思わせてすまないな」

「別に」


 シェーシャは本を閉じると、小さく伸びをした。


「私は誰も待ちはしないわよ」


 九郎に仕えている忍びなので、この屋敷に十蔵が現れるのは当然のこと。

 気づいた女中が茶を運んでくると、十蔵はシェーシャの横に腰掛け、二人で風に揺れる庭の草木を眺めながら、そっと茶を口にする。

 つかの間、穏やかな時間が流れた。

 不快ではない沈黙であったが、シェーシャには少し気になることがあった。


「……アンタ、何かあったの?」


 お茶受けの薄焼きを取るついでに、十蔵の横顔をチラリと検める。

 いつもと違う気がしたからだ。

 む、と眉を少し持ち上げた十蔵は「何もないが」と不思議そうに言うも、茶を飲み干し、ひと息吐いてから、ゆっくりと口を開いた。


「まあ、強いて挙げるならば――お前の目に、この国はどう映っている?」


 突然の問いかけに顎を小さく引いたものの、シェーシャは「そうねえ」と(おとがい)に指をかけた。


「上っ面、かしらね。上手くは言えないけれど、無理に平和を迎えてる感じ」


 十蔵は「そうだろうな」と鷹揚に腕を組んだ。

 今の普段通りと言うべきか、いつもの忍びの顔に戻っている。

 先ほどの物憂げな顔は何だったのか。

 少し気になりつつも、十蔵の言葉を待った。


「今この国は、空洞の上に泰平を敷いているだけに過ぎん」

「魔物との戦いに終止符を打ち、それを実感する間も無いうちに内乱を起こした。魔物か戦争、どちらの平和を迎えてるか分からない状態なんでしょ」

「そこまで察していたか」


 シェーシャは、ふふんと鼻を鳴らす。


「ここに来てずっと、魔物がいないことに違和感あるんだもの。この国の“人間”の根っこに、未だ魔物の存在が燻ってるんじゃないの」

「用意された平和に住まわされている、と私は見ている」


 同感ね、と茶を啜るシェーシャ。

 そして薄焼きをもう一枚、口にすると、


「――で、それが九郎と私をくっつけたい理由なのかしら」

「それは以前に話したことだ」

「嘘よ。政略のためなら、私である必要はないもの」


 互いに庭を見ながら。

 一拍を置き、十蔵は「うむ」と頷いた。


「私は施政については明るくない。しかし上様が提案された、貨幣の流通量増加、貧者救済に銭を与えるなどの案は間違いだと思っている」

「大間違いよ。そんなことしたら物価暴騰、雇用側は賃金を下げ、救済金があるならばと下層の住人は働くなる。国力が一気に落ちるわ」

「しかし、それを止められる者がいないのだ」


 なんで、とシェーシャは眉根を寄せた。


「我々、忍びが消しているからな」

「ああ。アンタはそう言う側の人間だったわね」

「権力に巻かれることが賢者の選択――そんな者が居座り続ければ、あと十年、二十年で、この国は滅ぶだろう」

「なら、エルフの経験則で教えてあげる。本来ならば、アンタら暗部が動かなきゃならないの。馬鹿者の命令に従う、己の愚かさを知りなさい」


 強い口調に、その通りだ、と十蔵は何度も頷く。

 いかにもその言葉を待っていたかのように。


「明日の朝、迎えの駕籠がくる」

「……はあ?」

「若がお呼びだ」


 九郎が、と呟き理由を探るも、十蔵はそのままスッと姿を消した。


 翌日の早朝。十蔵の言葉の通り、屋敷に格式のある黒駕籠が入る。

 やはり駕籠は好きになれそうにない。乗り込んだシェーシャは、気持ち悪さを我慢しながらそう思い続けた。

 駕籠は城門をくぐった中庭で降り、そのまま(くるわ)を通って城内へ。控えの間に放り込まれたかと思うと今度はそこで待機、一向に呼びにくる気配はなく、ただひたすら無為な時間を過ごし続けていた。


 ――何とふしだらな恰好だ

 ――異人の遊女が紛れ込んだのか? 誰ぞ、追い返せ

 ――耳が尖っておるし、見世物ではないのか? 大陸では女が裸になる踊りがあるとか


 道すがら。城勤めの者たちはレオタードスーツ姿のエルフを見て、聞こえよがしに囁き合った。


(女王になったら、まずは連中を処刑しようかしらね)


 そんな企てをしながら口元に茶を運ぶも、器の中はすっかり空になり。底に残った水滴は、艶やかな唇を濡らしただけであった。

 鼻を鳴らしながら器を皿に戻し、薄ぼんやりと明るい障子戸を眺める。


(暇だし、今のうちに城でも見ておこうかしら)


 黒杖を取り上げられたので、人差し指を宙にかざす。

 杖は放たれる魔力の安定化も兼ねている。もし一般的な〈魔術師(メイジ)〉が杖無しで魔法をした場合、魔力によって腕が焼け、最悪は二度と腕が使えなくなってしまうほどの危険な行為だ。

 それが可能なのは、シェーシャがエルフであることと、『横着』と言う研鑽を重ねてきたためである。


【土よ――】


 瞼の裏に、箱を重ねたような五段構造の建物が浮かぶ。

 元は山などの地脈を探る魔法で、それを応用したものだ。

 城の廊下は幅員三メートルほどと広く、部屋の配置や構造に合わせ、複雑に折れ曲り入り組んでいる。部屋の細部までは分からないが、自分と同じく待たされている者がいるらしい。


(建築学には疎いけど、壁とか大陸の技術が使われてるわね。交流はあったみたいだし、改修工事の際に導入したのかしら?)


 もう少し詳しく――魔法の効果をあげたその時のこと。

 突如、城のひと部屋が()()()()()()


「これってまさか……」


 魔力が安定しないから見えないのではない。

 一点だけ真っ黒に塗り潰されたそれは、


(やはり〈魔法妨害板(マジックジャマー)〉ね……あの男が持ち込んだのかしら)


 魔法の発展に伴って重宝されるようになり、昨今では〈模擬戦〉で使用される耐魔法防具の材料として人気が高い。ドワーフが開発した金属板なので、エルフのシェーシャは使用していない。

 詳しく調査しようとするも、障子戸の向こうから足音が聞こえたので、シェーシャは魔法を打ち切り、居住まいを正す。

 灰色の人影が障子戸の前に止まった。

 それがすっと横にスライドすると、色と紫の矢絣模様の着物を着た女中が恭しく頭を下げる。


「お待たせ致しました。これより案内させて頂きます」

「そう。頼むわね」


 再び廊下に出ると、好奇心にかられたであろう男たちが、視線をシェーシャに固定しながらすれ違ってゆく。

 好奇、好色、嫌悪、蔑み……。

 みな裃をつけているが、中にはとてつもなく長い袴の裾を引きずりながら歩く者も。彼らは為政者のようであったが、滑りやすい床に注意を払いながら進むさまは、なんとも滑稽だった。


(四角の車輪を好むって意味が、これほどまでとはね)


 この城・国の為政者たちは使えない。

 同時に、十蔵はいかに柔軟な姿勢なのかと知らしめられた気がした。


「――シェーシャ殿。よくぞいらして下さった」


 広い畳敷きの間に通されたかと思えば、そこでまた待つ。

 目の前の一段高い台や、渓谷を描いた水墨画。窓から覗く入道雲を眺め、それにも飽きてきた頃になってやっと、九郎が姿を現すのだった。


「待たせすぎ」


 櫛を通した総髪。紺色の着物に、水色の裃姿の青年は普段よりも一段と凛々しく見え、胸がときめくのを抑えきれない。

 当の九郎はと言えば、シェーシャの咎に、引き締めた表情を苦笑いに変えてしまう。


「申し訳ない。これが、この国のならわしでして」

「この国は無駄が多すぎよ。伝統もいいけど効率化も図らないと、どんどん取り残されてゆくわ」


 九郎は「そうなのです」と、困ったように答えた。


「大陸への門を開いたと言うのに、慣習に囚われた人が追い返してしまう」


 それどころか、


「私の父は、武力で大陸を支配しようしている」

「支配って……」


 シェーシャは顎に指をかけ、逡巡した。

 まさか昨日、十蔵が言っていたことと関係が。


「私が見たところ、魔法で一気に蒸発しそうだけれど……大陸と渡り合える戦力が、ほかにあると言うの?」

「いえ……シェーシャ様の見立て通りです。それどころか、戦える者たちも度重なった(いくさ)に疲弊し、厭戦気分まで漂っている」


 九郎は扇子を開いては閉じ、手の中で弄び続ける。


「これは放埒する父・永重も承知しております。ゆえに忍び――十蔵を大陸に送ったのです」


 あっ、とシェーシャは口に手をやった。

 まず頭に浮かんだのは妖精族のこと。彼女らは忍者・十蔵の助力を経て、諍いの原因かつ優位性を得る〈女王の宝冠〉を取り返している。

 しかし問題は完全に解決したわけではなく。停戦状態にあり、それは王宮にエルフが入り込んだことで、人間と対立をする妖精族を抑えている状態なのである。

 もし彼女らが、忍者の属する東の国の決起に応じれば――


「エルフは妖精族に味方するしか……人間と対立する結果に……」


 それだけではない。大陸の商業都市〈ワジ〉は、十蔵の妹・琴が領主の嫡男と結ばれ、実質支配下に置いている。

 また騎士団を束ねるのは、かつての恋敵が率いたギルドの騎士・ガデム。――これは体格と剣の才能に恵まれただけの男で、努力を嫌う怠惰な好色漢ともなれば指導者にはそぐわず、兵たちの質が落ちる一方と聞く。

 城の財政、軍隊の弱体化、内応工作……つまるところ、シロアリが大黒柱を食い潰すが如く、王宮は力を大きく削がれている。


「万が一……いえ、王を討てる可能性は十分にある。だけど、それを実行したら大陸は終わりよ」

「仰る通り。大陸の(あやかし)たちがまだ討伐されていない中で、人間の組織が崩れればどうなるか――人間が、連中の手助けをしてしまうことになる。ゆえに私は、嫡男として、逆心の将となってでも父を食い止めねばならない」


 九郎はため息をつき、しかし、と首を振った。


「すべては十蔵が頼りだ」

「気になってたんだけど……アイツってそんなに重要な存在なの?」

「私の手どころか足袋まで汚れていないのは、血だまりに浮かぶ影の上に立っているため。中でも〈無月の十蔵〉は、忍びの中でも類を見ない存在と言える」


 そう言って立ち上がると、すり足で畳を鳴らしながらシェーシャの下へ。

 そして片膝立ちに、その手を取った。


「私は非力だ。刀を持って(あやかし)を討ったことがあっても、それは家臣たちによって与えられたものばかり。――シェーシャ様。どうか私と共に、父と戦って頂けませぬか」


 それは、いわゆるプロポーズか。

 その真剣な眼差しに、シェーシャも顔が熱くなるのを覚えたものの、


「……少し、お時間を頂けないでしょうか」


 と言って。余裕を滲ませた微笑みを向けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ