第6話 魅了と影働きの苦労
――近々、然るべき場所にて会うことになるだろう
十蔵よりそう聞かされた、数日後のこと。
忍びの郷・十蔵の屋敷にやってきた駕籠に、シェーシャは『揺れが気持ち悪くなる』との拒否も虚しく、半ば強引に放り込まれた。
それから何時かが過ぎ。
窓を開くことすら許されないまま到着するは、白い砂利石が敷き詰められたどこかの庭。白松城から遠くない場所の屋敷だと判ったのも僅か、正面の建物の中に――待ち構えていた者たちに、半ば連行されるような形で上がるやいなや、ぴしゃりと背後の障子を閉められ、外界から隔絶されてしまう。
団子屋で会った若者――九郎と名乗った青年が部屋に現れたのは、それから半時(約1時間)ほどしてからのことだった。
「――先日はその、失礼を致した」
「別に失礼なんて思っていないわ。さぞ身分のおありの方のようだけど、正体が分からない内はこの態度でいさせてもらうわ」
「は、はいっ――じゃなく、う、うむ……!」
緊張したその様子が微笑ましい。
シェーシャはこの日、ハイ・ウィザードのレオタードスーツ姿。初心なのか、視線のやり場に困りつつも、チラチラと露わになった胸元や太ももに目を向ける。
(どうしてこの恰好をしろと言ったのか、あの男の思惑が段々分かってきたわ)
シェーシャはさり気なく髪をかき上げ、エルフの特徴とも言える尖り耳を出してみれば、
「あ……! ほ、本当に絵の通りの……」
九郎が食い入るように耳を凝視し始めたことで、シェーシャは胸の中で『やはりか』と首を振った。
絵とは恐らく、父が用意した見合い用の肖像画のことだ。
(やってくれたわね、あの忍者ども)
引き合わせ、縁を結ばせるつもりなのだろう。
王宮の組織にエルフを組み入れたのはこのため。相手が小国と言えど、エルフの妻を持てば相応の態度を要求される。ましてや、実父が組織に食い込んでおり、かつ妖精族との問題の仲立ちをおこなったとなればなおさら。東の国の人間を送り込むためのパイプ役、交易および関係強化を図ることだって可能となる。
もし王宮側が『過去は過去だ』と開き直ったとしても、その頃にはもう枢機など掌握されたあとだ。政略結婚や、それによって産まれた次世代・ハーフエルフたちによって。
「――私は誇りに思うけど、耳をじろじろ見られるのを嫌がるエルフは多いわよ」
「あっ……こ、これは失礼を……!」
咳払いをして、今いちど居住まいを正す九郎。
しかし、胡座をかいた膝に両手を置いた姿勢が維持出来ず、尻をモジモジさせる仕草は、餌を待ちきれない子犬を思わせる。
「私に用があるのなら、まず貴方の正体を明らかにしてもらおうかしら」
毅然とした言葉に、九郎は顔を引き締めた。
「私の名は〈尾張 九郎〉。この国を統べる将軍・永重が子でございます」
言わば王の嫡子。
シェーシャは胸の中で『よしきた!』と両手親指を立てるのだった。
◇
シェーシャは忍びの屋敷に戻ってもご機嫌で、声を弾ませながら十蔵を褒め称えるほどであった。
「たまには、アンタもいい仕事するわね」
「若が会いたいと述べられただけだ」
「ここにその習慣があるか知らないけど、若い男女が互いに名を知ると言うことは、その先の交わりを意味する――ていうか、私をあの人と結婚させるつもりで動いていたんでしょ」
「うむ。几帳面な殿には、お前ぐらいの雑な女が丁度いい」
「それは褒め言葉として受け取っておくわ」
今はね、と微笑むシェーシャに、十蔵は「しかし」と怪訝な表情を浮かべた。
「もっと難儀させられるかと思ったが」
「あれが可愛くなかったら、そうなってたかもしれないわね」
この〈忍びの郷〉は更地になっているわ、と畳に向けた指を回す。
「そう言えば、エルフは人間とのロマンスを望むのだったな」
十蔵は納得したように頷いた。
「それは若いエルフだけよ。人間界で歳月を重ねたエルフは、顔より権威・権力のある男を求め、その腕の中を独占しようとするの」
「エルフの女はみな面食いで、ゆえに独身が多いと思っていたが」
「顔なんて時間に食い潰されるだけ」
シェーシャはキッパリと。
「女が身の程を知れば、独身なんて言葉はないの。高い理想と志を持ち、それを欲しいままに出来るのが一流、妥協するのが二流、胸に抱きながら枯れ果てるのが三流――私の美と知には一流の資格があるわけ」
小国の王子はちょっと難点であるが、条件としては悪くない。
それに〈エルフの郷〉では階級を三段階落とさねばならず、大陸では殊更に惨めな思いをするだけ。――九郎との出会いは、まさに千載一遇のチャンスなのである。
◇
十蔵にはもう一つ、仕事が残されていた。
裃に着替えて白松城に登城し、その天守へ。広く、奥に長いその正面の先に、恰幅のいい大きな男が座っていた。
尾張永重――下膨れした厳しい顔つきで、不機嫌さを感じさせる眉間の深い皺が、特に威圧感を与える。
いや、実際に不機嫌であった。
「――十蔵よ。これはいかなる了見か」
胡座をかいたひざに肘を預け、平伏したままの十蔵を睨みつける。
「……と、申されますと?」
「わしの目は節穴と思うてか! 九郎が熱をあげている異人の女のこと、あれはお主の手引きと聞いておるぞ!」
はっ、と十蔵は返事をして頭を下げた。
「大納言の娘を与える手はずだったこと、よもや忘れたわけであるまいな」
「忘れてはおりませぬ。しかし、エルフは長い歴史を持ち、大陸を支配するには彼らを抑える必要が。彼らは知己に長け、誇り高い種族ゆえに人を蔑み、接触が難しい――あの娘は人間にも理解を持ち、その足がかりにうってつけなのです」
永重は手にした扇子を少し開き、そして閉じるのを繰り返しながら聞いている。
「かの娘の父を、城に入り込ませております。大陸には九郎殿との縁から入り――」
「もうよいッ!」
永重は腰に差した扇子を抜くや、十蔵の額に投げつけた。
扇子は小さく音を立て、十蔵の前にぽとりと落ちる。
「大陸を攻めると言ってから、いったいどれだけ時間が過ぎておるッ! 邪魔だてする者はすべて排除し、黙らせればよいのだッ!」
「なりませぬ。大陸はとてつもなく広く、この国の兵では街一つが精一杯でございます。何卒、今しばらくのご辛抱を」
「やかましいッ! 大陸だッ、さっさと大陸を攻めよッ! それが出来ぬなら、他の者に任せるッ!」
十蔵は黙したまま平伏を続け。
言い捨て、永重が足を踏み鳴らしながら天守の袖に消えたのを確かめてから、ゆるりと立ち上がった。
(上様は大陸の土すら知らぬのに、何ゆえ侵略に拘るのだ)
それに他の者とは誰のことか。
大陸の支配に拘っているが、実のところ、既に報されている藩主らからも反応はよくない。
永重に仕えて十数年。愚かしいほど短絡的で無謀なところはあったものの、状況を見る目は持っていた。――なのに今は足下すら見ず、遠くばかり見ている主君が、十蔵には解せなかった。




