第5話 猫の眼差し
「――ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
一週間が過ぎ。シェーシャは十蔵に連れられ、町を訪れていた。
最初に訪れた港町も活気に溢れていたが、〈沢之戸〉と呼ばれる城下町は、それと比べものにならない。
十蔵は蘇芳染めの着物に袴姿。隣に立つシェーシャも、この日はハイ・ウィザードのレオタードスーツではなく、神楽から借りた紅紫の薄単衣に着替えている。
「何だ」
「ここに〈転移〉用のピンとかないの?」
店がひしめき合う大通りを眺めながら、はぐれぬよう十蔵の横にしっかりつく。絶えず注目を浴びるのは苦でないが、とにかく人が多すぎた。
「歩くばかりも嫌なんだけど」
「ないな。この国はとにかく四角の車輪を好むし、何より転移の魔法を唱えられるのがいない」
「大陸への扉を開いているんだから、もっと有用な文化や技能を取り入れなさいよ。四角の車輪どころか、それを担いでるような次元よ」
エルフが言えることじゃないけど、と言い添えるシェーシャ。
「それをするには、伝統だの、俺はこう教わっただの、慣習を絶対視する連中をどうにかせねばならん」
「主に年寄りとかでしょそれ。足が時代に追いつけなくなったら、子供に負ぶってもらうんじゃなく、財産置いて身を退けってのよ。うちの長老連中とか」
十蔵の案内は小間物屋から始まり、呉服、陶器を扱う店など。天秤棒を担ぐ行商・棒手振りや、展開式の屋台なども見て歩く。
シェーシャは、商品とその品質から文化レベルを窺うかのように、時おり頤に手をやっては、ふうん、と考える仕草をした。
「大陸と比べると、暮らしぶりは倹しいのね」
色あせた着物は当たり前に。
衣類がそうであれば住宅も同じく、屋根つながりの低い木造住宅は、お世辞にも住み心地はよいと思えない。
その一方で、信神深さが品位や道徳観を高めているらしく、貧困による卑しさを恥とし、それらの意識が秩序・平和に繋がっているように観られる。
「食べ物の種類が豊富そうだけど――そのせいで人口が増え、貧困が広がってんじゃないの?」
「確かに、戦時に比べれば飢えることはなくなったな。泰平の世になり、金がものを言うようになったが」
「分権から集権へ。魔物が消えれば人間が覇権を争い、最後は資本に支配される――王様なんて、その時代の都合のいいまとめ役にすぎないってことね」
シェーシャは顔を上げ、果てにあるものを眺めた。
霞みがかったようにぼんやりと、黒く大きな建物。
「あれが城か。平箱を積み上げたような形って聞いていたけど……確かに妙ちくりんだわ」
「〈白松城〉だ。上様こと〈尾張永重〉様が住まわれる」
「ふうん。ロクな奴じゃないわね」
シェーシャは興味を道端で寝転がる猫に移した。鰯を売る棒手振りから、どう掠め取ってやろうかと考えているようだ。
「どうして言いきれる」
「アンタの親玉だからよ」
人が忙しく行き交うが、中には異国の美女に目を奪われ、立ち止まる者も少なくない。
その一人が魚を売る棒手振とぶつかり、文句を言われたことで口論が始まってしまう。
揺れる桶から鰯が何匹か溢れ、猫がしめしめとそれを咥えて路地裏に消えた。
シェーシャもどこ吹く風。チラリと隣の十蔵を窺っただけで、また歩き始める。
「不便を楽しむ国だってことは分かったわ。だけど、そのせいで喉が渇いちゃった。静かで休めるところに案内して」
「ならば、通りから離れた場所にいい店がある」
十蔵はそう言い、一歩先に進みだした。
◇
商業の通りから離れた途端、様相が一変するのは大陸と同じ。
落ち着いた雰囲気の茶屋に入るなり、案内の娘は初めての異人に困惑を露わにしたのだが、十蔵は慣れた様子で奥の座敷を告げた。
そこに座るとすぐ。先ほどの娘が茶を持ち、緊張した手つきで机に並べ、恭しくその場を離れる。シェーシャはそれと同時に茶に手を伸ばした。
「――で、アンタの目的は、私のお尻に首ったけな坊やと関係あるわけ?」
茶を飲みながらシェーシャは言う。
その左斜め後ろの席にいる、赤い着物姿の若者。白髪の熟年男を前に、大きく身体を傾けながら、こちらを覗き込んでいるのを一瞥して。
「何のことだ」
十蔵が目を閉じ、同じく茶を啜った。
「アンタへの警戒心は、私に色々養ってくれたわ。ゆく先々でチラチラ見るだけなら、あの坊やはファンの一人だったけど――」
言いかけ、そこに茶屋の娘が団子を運んできた。
素焼きの皿の上に三本。四つ連なった丸玉に、芳ばしく香る焦げ目がついている。シェーシャはそれを手に取ると、てっぺんの一つを頬張り、うんと納得の声をあげた。
「さっきの喧嘩で、その坊やが仲裁に出ようとしたわね。それに対してアンタは一瞬、警戒態勢を取った」
「……」
「だんまりってワケ? 無口な男もいいけど、それ、デートじゃツマンナイ奴よ」
尖った串が覗く団子を見つめたまま、くるくると渦巻き状に回す。
「私ね、杖がなくとも魔法を唱えられるの。どこかで爆発でも起これば、私の推理は正解かどうか分かると思うんだけど」
これに十蔵は、観念したように小さく息を吐いた。
「……遠巻きで見るだけ、と念押ししたのだがな」
「あそ。エルフはひと目だけでは済まない、ってことが抜け落ちていたわね。ま、頑張ってセッティングしてくれたようだし? 握手ぐらいは特別にしてやってもいいわよ」
「やれやれ、仕方あるまい」
十蔵が指先で机をトントンと叩く。
何かを思案し、または退屈な時間を伝える仕草であるが、忍びのそれは違う。
若者の前に座っていた白髪の男が先に立ち上がると、若者が驚き顔を浮かべ、やや間を置いて立ち上がった。
若者は白髪の男に伴われながら、十蔵たちのいる座敷へ。シェーシャはチラリ、目を向けた。
「あらま、なかなか可愛い坊やじゃない」
微笑みかけると、若者は赤い着物に負けぬほど頬を染めた。
「あ、あ、あの……」
「シェーシャ・ドラウ・ナージャよ。坊やのお名前は?」
それは子供扱いであったが、当人は気にする余裕もないらしい。
「わ、私はおわ――」
「九郎だ」
隣にいた白髪の男が代わりに答えた。
撫でつけ髪で、温厚そうな顔。熟年の経歴が皺に刻まれ、眺めていると十蔵と同じ側と知らしめられる。
不満そうな目を向けるも、優しく笑むだけで動じていない。
「今日のところはそれだけに」
「そう。別に構わないけど、そちら側の思惑には乗らないからね」
九郎はじっとシェーシャに魅入っている。
団子を頬張れば、彼は口をぽかんと開けたまま、よろけるように一歩前に。正気に戻れとばかりに白髪の老人に肩を引かれ、やっと自分を取り戻すほど。
その様に、シェーシャはくすくすと笑みを浮かべた。




