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第4話 旧来的な者と方法

 翌朝。シェーシャは、顔を照らす旭光で目が覚めた。

 畳の上に布団。慣れぬ寝具のせいか気だるく、しばらく横になったまま、ぐずる子供のように唸りをあげて転がり続ける。

 与えられた部屋は、床の間に花と掛け軸が飾られた簡素なものだ。外界との仕切りは縁側を向いた障子戸のみ。ぼんやり白く明るいそこから、ニワトリのコケーッと鳴く声と、それを追う子供の声が聞こえてくる。うっかり逃がしたようだ。

 ようやく起き上がったのは、外でニワトリを追う子供の声が、次第に深刻めいたものに変わる頃であった。


「――今日は鶏肉かしらね」


 ボサボサ髪で障子を開き、縁側を走っていたニワトリを睨む。

 ニワトリはぴたりと足を止めた。

 追っていた子供も、初めて見る異人の女――帯だけでかろうじて浴衣の形を留める女エルフに、目を奪われていた。


「人間とエルフの恋物語は人気だけど、それが叶うのは森から出たばかりの、目に病気を患った箱入り娘だけよ」


 私を女の最低水準にしないことね、と子供に告げ、廊下に出る。

 立ちすくむ子供とニワトリを背後に置いて、シェーシャは廊下を歩き始めたのだが、


(この屋敷って割と広いのね。廊下は軋みまくり、全体的にオンボロだけど)


 床板を踏むたび、キュッキュッと鳥の鳴き声のような音が鳴る。

 長い廊下だ。夜では分からなかった屋敷の中を観察しながら歩く横で、紺色の着物を着た下女らが、前から後ろから、忙しくシェーシャを追い越してゆく。


(使用人も忙しそうにしてるわね。朝の支度で忙しいのは分かるけど、その都度にらまなくてもいいんじゃないかしら。一応は客よ)


 しかもそれが同じ女と気づくのは、三度目のこと。

 次きたら睨み返してやろう、と思ったその時、


「――やい、エルフ」


 頭上から声がし、シェーシャは顔を上げた。


「パック!」


 蜘蛛のごとく、板張りの天井に張り付く小さな存在。

 己と同じ〈森に棲まう者〉、妖精族のパックが見下ろしていたのである。


「床を鳴らして歩くんじゃない。そのたびに見回りがやって来なきゃいけないんだからよ」

「床をって……仕方ないでしょ、ここオンボロなんだから」


 これにパックは、チッチッチッと立てた人差し指を左右に振った。


「これだから『エルフは脳みそが石、ドワーフは頭蓋骨が石』って言われんだ。ここは忍者の屋敷だぞ? 寝ている部屋は問題なかったのに、どうして床だけ鳴るか考えないのか」


 エルフはドワーフと比べられるのをとにかく嫌う。

 ムッと口を曲げるも、パックの言葉は正しい。


「あえて音を鳴らすのは、侵入者に対してだけではないわね。縁側で見た子供――あの子ら、忍者の修行の場にもなってるわけか」

「お、それにも気づいちゃった?」

「アンタがここにいるからね」

「むーッ、バカにするなよ! ボクはこの〈鳴り床〉は一発クリアだったんだからな!」


 浮いてるからじゃない、と言うと、パックは「まあなー」と苦笑を浮かべながら頭を掻いた。


「修行はまだまだのようね」

「順調って言え。今は蜘蛛のじっちゃんの所で修行してんだから」

「蜘蛛の……?」

「蜘蛛のじっちゃんは、十蔵を指導したベテラン忍者だぞ! つまりボクは、期待の妖精ってことだー!」


 腕を組み、得意げに笑うパックに、シェーシャは呆れたようにため息を吐く。

 妖精族は長く失われた存在となっていたが、大陸で王宮からの積荷が奪われる事件が頻発、十蔵と調査にあたった際に発見された。

 人形に虹色の薄羽が生えたような存在で、小粒の黒水晶のような目は、なんとも言えない可愛らしさがある。

 そんな妖精・パックは、シェーシャの周りをひらひら、くるくる飛び回り続ける。


「ところで、朝食をお願いしたいんだけど」

「ああ、じゃあ台所に行け。朝飯は各自、時間を見つけて摂るから。冷や飯くらいなら残ってるはずだ」


 あっちの廊下を左だ、と小さな指を向ける。

 突き当たりの廊下は左右に分かれ、シェーシャがそちらに目を向けた。

 その隙に――パックは背後に周り、だらしなく着崩れた浴衣でもハッキリと分かる、大きく丸い尻に目を向け、ニヤリと笑みを浮かべる。

 妖精族は何よりイタズラ好きだ。


「――隙ありッ!」


 パックは両腕を伸ばし、シェーシャの尻を目がけて突っ込んだ。

 武器防具に魔法を付与する、彼女らが編み出した技能(スキル)魔法剣(エンチャント)〉――靴に風の魔法をかけて高速移動する〈韋駄天〉を使って。

 それは常人では捉えられない速度……のはずなのだが、


「なにを、しようとしているのかしら?」


 シェーシャの腕は、まさに蚊を捕らえるトカゲの舌のごとく。


「――ば、馬鹿なッ!? ボクの韋駄天が、エルフごときに……!?」


 瞬時に振り向くと同時、妖精の胴体を容易く捕らえたのである。


「なにをしようとしたの? ねぇ?」


 握る手に力を込める。


「うぎゅぅぅ!? じ、十蔵が……」

「あのクソ忍者が?」

「い、いつもお前をアヘらせてるから、いいかと――うぎゅおぉぉ!?」

「言葉はちゃんと選びなさい。それに、私は好きでやられているわけじゃないの」


 穏やかで、しかし冷たい声音。

 パックの白状によれば『いつも十蔵にやられているのを見て、やってみたくなった』とのことだ。


 ◇


 屋敷の中央にある部屋・その襖を、小走りでやってきた鼠と呼ばれる小男が開いた。

 畳の上には十蔵ともう一人。白髪の撫でつけ髪をした熟年の男が座しており、二人揃って鼠に顔を向けた。


「――かの客人、恐ろしく冷たい目でパックを踏みつけながら、『この試験も落第ね』と、申しておりますが」


 パックはぎゅうぎゅう鳴いている。

 一部始終を、熟年の男は目を丸くして聞いていた。


「十蔵。あの小娘に忍びの技を仕込んだのか?」

「ううむ……?」


 水を向けられた十蔵は首を捻った。


「パックはまだまだ未熟とは言え、あの敏捷(はしこ)い童を片手で捕らえるとは。どうだ十蔵、小娘をこの蜘蛛に預け、くのいちに仕立ててみんか? 房中術など、実に仕込みがいがあると思うぞ」

「それは自分が見たいだけであろう」

「うわっはっはっ、バレたか! しかし、あの美しさと身体は勿体ない。ゆえに――」


 蜘蛛と名乗った熟年の男は、顔を真剣なものに。


「ゆえに、わしはこの計画を危惧しておる。完全にこちら側に引き入れ、確証を持ってから挑むべきではないか」

「安心しろ蜘蛛。あの娘は服従せぬよ、敵にも味方にもな」


 十蔵は笑みを浮かべ、そして「手はず通りに」と告げると、蜘蛛はやや迷い気味に頷き、立ち上がった。


 ◇


 十蔵の屋敷は、山間部に位置する郷・村落を一望できる小高い丘の上にあった。

 土地の多くを田園で占め、気持ちいいほどの夏の青空の下には、しっかりと根を張った若い苗が揺れる。

 シェーシャもまた自然と共に暮らすエルフであり、トンボや蝶が舞うあぜ道に腰を下ろし、遠くに広がる穏やかな田舎の景色を眺めながら、主食である米――それを握り固めた“おにぎり”を食べるのを気に入っていた。

 ……が、別の言い方をすれば、それしかない。

 持ってきた本はすべて読み終え、いよいよ暇に飽かした彼女は、何か読み物をと、隼人から聞いていた書庫に入っていた。


「――へえ。流石に諜報を生業とするだけあって、蔵書はなかなかのものね」


 紙とホコリとカビの臭い――そこは、大部屋を四列の本棚で埋め尽くされた光景が広がる。

 冷たい床を素足で歩き、適当な本を手に取ってみれば、そこには大陸での作物のことについて記されていた。


【――特に、大陸より持ち込まれた芋は、この国でも栽培が充分可能と判明。痩せた土地でもよく育つので、飢饉の時に多いに役立つに違いない】


 別の一冊を開けば、この国のクラス・侍について記されていた。

 シェーシャはくすんだ床に腰を下ろし、ページをめくる。


【拙者。頭首である十蔵殿の乳兄弟・隼人でござる。

 だけど実は元々から忍びではなく、武家の子でござる。しかもこの地に魔物を送り、人々を震わせた〈怨鬼〉を宿す、〈怨の一族〉でござるよ!

 どうして武家の子が、忍びの頭首である十蔵殿と乳兄弟かなのでござるが……実は拙者もよく分からないでござる。十蔵殿が忍びの訓練を受けていて、気づいたら拙者も追いかけていたでござる。

 なので侍のことは正直よく分からず――】


 無言で本を閉じ、隣の本を手に取った。


【記録

 一柳  十蔵に討たれ、死す。享年 二十一歳

 二郎丸 一柳に胸を刺され、死す。享年 十四歳

 三苦  一柳に毒針を受け、死す。享年 十四歳

 四郎  一柳の奇襲を受け、死す。享年 十一歳

 五松  一柳の矢を受けて死す。享年 九歳

 睦月  一柳に斬られて死す。享年 七歳

 七   一柳に毒を盛られて死す。享年 四歳

 八助  一柳に刺されて死す。享年 二歳

 九介  母ごと一柳に刺されて死す。享年 半年】


 シェーシャは口に手をやったまま、言葉を失っていた。


(まさかこれって後継者争い……? 乳幼児まで手にかけるなんて……)


 ページをめくる。


【三十四代目 無月衆頭首 十蔵

 一柳の首を持って現れる。六歳】


 それ以外には何も書かれておらず。

 ずっと白紙のページが続いている。


(どうしてらこのページの紙だけ、真新しいのかしら)


 広い空白に筆を走らせた痕跡に気づくや、シェーシャはニヤリと笑んだ。


(これは恐らく――)


 氷の魔法で紙の表面を冷却する。

 使用されているのはエルフのインクだ。身分違いの恋をする男女が使用していたもので、炎で炙れば文字が消え、氷で冷やせば浮かび上がってくる。

 恐らく十蔵のことについて書かれている。

 知識欲に旺盛なエルフに読まれることを見越し、あえて普遍的かつ古典的な方法をとることで、気づかれないようにしたのだろう。


「バカにしてるわね。私を何だと――」


 冷えた紙面に、黒い文字がくっきりと浮かんだ。


STPY(バカ)


 それはエルフの文字で。

 シェーシャは本を床に叩きつけていた。

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