第3話 忍者屋敷
とある屋敷の中。
「――このアホッ、バカッ、クソ男ッ!」
シェーシャは、目の前にいる装束姿の男に罵声を浴びせ続けていた。
「忍びの庭に踏み入るなぞ無謀そのもの。あの一帯は飛び竹槍の罠がある」
「それなら口で言いなさいよッ! 馬鹿たれッ!」
それは、忍者・十蔵であった。
日頃の警戒むなしく。その尻にまた指を突き刺され、悶絶しているあいだに竹林を抜けた集落に。十蔵の邸宅である忍者屋敷に連れてこられたのである。
三枚重ねにした座布団の上に座るシェーシャは、腕を組んだまま、むすっと頬を膨らませ続ける。
「して、何用があってこんな辺境地に」
「別に」
顔をツンと背けたまま続ける。
「誰かさんのせいで、大陸の居心地が悪くなったから、気晴らしのため観光にきたの」
「そうか。しかしここには何もないため、賑やかな町の方を案内しよう――隼人」
意味深長な物言いに眉をピクりと動かすも、十蔵の呼びつけに応じた覆面装束の男が降り立ったことで、考えるのを中断させられてしまった。
「シェーシャ殿、久しぶりでござる! いやあ一年ちょっとでござるのに、かほど懐かしく――」
「隼人。挨拶はあとにして、部屋に案内しろ」
「了解したでござる!」
部屋を出る隼人の目配せを受け、シェーシャは訝る目を残しながら立ち上がる。
どこか奇妙だ。十蔵の言動が妙に引っかかるのだが、それよりも歩く廊下の柄が気になって仕方がない。
「――こんな変な廊下を歩いているから、頭おかしくなるのよ」
「おや、気づかれたでござるか?」
「床がボコボコなのに、歩く感覚が同じなら誰だって気づくわ」
ニスが塗られた光沢ある板張りの廊下。焦げ筋がついた木板を、ただ適当に並べている……のではなく、一定の間隔で線が食い違うようになっている。
そのニスにも塗りムラがあり、頼りない灯りの中で、床がひどく歪んで見えるのだ。
「拙者が考案したでござる。あちこちに仕掛けてがあるので、歩く時は気をつけるでござるよ」
「ここ忍者の本拠点でしょ? 攻め入られる時点でもうチェックメイト、火を放たれたらお終いなのに意味あんの?」
「うーむ……敵に対しては、あまり意味ないでござるなぁ。戦乱に狂う頃は、多少なりとも成果はあったでござるが」
「ふぅん」
シェーシャが鼻を鳴らすと、隼人に鋭い目を向けた。
「でも、あのクソ忍者に抱えられた時、血の臭いが――」
「シェーシャ殿」
言葉遮る隼人のそれは、諫める色をたたえていた。
「ここはどこに目があり、耳があり、刃があるか分からぬ忍びの巣。迂闊なことを口にせぬ方が、身のためでござる」
シェーシャは口を噤むと、目でそろりと周囲を窺う。
そうだった。
ここは勝手知ったる大陸ではない。ましてや諜報活動を主とする忍者の、その本拠点なのだ。自身の軽率さを省み、シェーシャは質問を変えることにした。
「ここは魔物を駆逐、そして内乱を経てからの統一を果たしたみたいだけど、戦乱の火は完全に消えていないってこと?」
「ふむ。そうでござるな」
隼人は顎に手をやり、考える仕草を見せる。
これには答えられるらしい。
「十蔵殿は、現在を小康状態と見ているでござる。風が吹けば、燻る瓦礫から再び火があがるだろう、と。その風も案外すぐかもしれぬでござる」
◇
シェーシャが部屋をあとにしてから。
十蔵は彼女が座っていた座布団に移り、右手の壁に目を向けた。
「――鼠、いるか」
呼びかけに応じるように、壁の一部が横にスライドした。
隠し通路であるらしい。人が這いつくばって通れるほどの狭小な戸口に、闇を背にした小男が一人、うずくまる格好で控えていた。
門歯が前に突き出した顔は、猫背に丸まった姿はまさに“鼠”を思わせる。
前に突き出した頭を上下に動かし、主君である十蔵の言葉をじっと待つ。
「蜘蛛に言づてを頼む。『駒が揃った』と」
壁板が元に戻されるのを見届けたのち、十蔵は小さく息を吐いて、静かに宙を見つめ続けた。
◇
シェーシャが部屋に案内されてからすぐのこと。
「シェーシャ殿。遠路はるばる、ようこそおいでいただきました」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔して申し訳ないわ」
十蔵の妻となった神楽が訪ね、恭しく畳に両手をついて挨拶を交わす。
世間話や大陸での思い出、煎れてくれた薄茶を飲みながら話に興じていると、彼女は誰かに話したくて堪らなかったのか、やれ夫の気を引く方法は、やれ浮気を許すべきか――などの、惚気と言う名の相談話に変わってゆき、
「情はいただけるのですが、私からももっと妻でありたくて」
「あのね……私は恋をさせた経験はあっても、人のモノになったことはないの。出来るアドバイスなんて、独身の女に有効なものだけよ」
「よもや! 聞くところでは、エルフは千年は生きる種族。シェーシャ殿は四十路、こちらでは大年増の行き遅れの年齢であるが、エルフ的にはまだうら若き乙女。なのに、これまで結婚は一度もないと! その見た目で!」
「私が客でなかったら、グーでぶん殴ってるわよアンタ」
とは言え、神楽は格段に女ぶりが上がったようにも見える。
シェーシャはどこか羨ましさを覚えていると、
「本当に十蔵様は、その、シェーシャ殿のお尻を?」
忍びの妻は畳に片手をつき、前のめりに。
これに間髪入れず、そうよ、と憮然として答えた。「さっきもされたんだから」
「……本当はそのような仲ではありませぬか? いえ、私は他に囲う女子がいても構わぬので、どうか正直に打ち明けて下され」
「なんでそうなるのよ。私はエルフよ、怒りはあってもアイツに愛なんてないの」
「お尻愛とか……?」
「そのユーモアが実に腹立たしいわ」
夫婦揃って馬鹿なのか。
しかし、このままだと上から目線の恋愛教示が始まりかねない。
シェーシャは話を変えるついでに、大陸を渡ってからずっと、気になっていたことを訊いてみることにした。
「この国の魔物って、本当に駆逐されてるの?」
「魔物? ……ああ、妖どもですな。結論から申すと、ほぼおりませぬ」
「ほぼ、いない?」
「この地の妖は、隼人殿――いえ、〈怨鬼〉と共に現れた眷属。その総大将が討たれてから、抵抗する残党はすべて殲滅したと報告を受けております」
誇らしく語る神楽だったが、シェーシャは眉を寄せていた。
地上の至るところに、魔物の通用口となる〈門〉が存在する。
付近一帯の魔物を排除するには、どこかに存在しているゲートを閉じねばならず、そのために冒険者たちがクラスを得て、スキルを学び、〈魔結晶〉を用いた鍛錬を重ねているのだ。
シェーシャが特に疑問に感じているのは、ゲート封印のこと。
これは魔法に長けた熟練者ですら、そうとう骨が折れる作業なのだが――ここ旧時代的な土地の者たちに、果たして可能なのであろうか、と。
(まぁ、ござるに魔王クラスを封じたり、成長限界を突破する〈輪廻〉を独自で編み出すのだから、この土地ならではの術があるのかもしれないわね)
今度、書庫などで調べてみようか。
続けられた神楽の説明によれば、東の国に送られた〈妖精族〉の助力も大きく、無差別に襲い来る魔物は駆逐されたとみなしていい、とのこと。森に属する仲間が活躍していることを知り、シェーシャは嬉しそうに頷くのだった。




