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第10話 鬼

 ドワーフの防衛を破ったことで、シェーシャ率いるアルカナは勢いづいた。

 倒れたカテリーナを踏みつけ、城内への大扉までノンストップに。いよいよハルジオン本隊・第一のナイトの壁でも勢いは止められず、シェーシャの大魔法・アイスストームを連続で受けたことで壊滅状態に陥る。

 どうしてこんなに呆気ないのか。

 元々から勢いで撃破してきたのだが、また違う呆気なさだ。

 その理由に気づいたのは、考えてすぐのこと。ナイトの壁・ハルジオンの防衛の要だった〈剛剣のガデム〉がいないことであった。


「――確か王宮の騎士隊に。なるほど、屋台骨を抜いたってわけね」

「有用な人材は遊ばせず、どんどん登用すべきだ」


 忍者・十蔵が言う。


「騎士隊長候補と、厚遇を提示されたようだ」

「それで二つ返事で、か。王宮勤めをすると模擬戦には参加できないのに」

「元より頭がよくない奴だ」


 ハルジオンのナイトたちは『ガデムのみが強かった』と言うこと。それを自身の“強さ”と勘違いしたまま、戦いに挑み、その大敗を招く。

 まるで誰かのようね、とシェーシャは苦笑しながら頬を掻いた。


「次はいよいよ城内、この勢いで崩したいけど――」

「……」


 十蔵は腕を組み、じっと正面の扉を見つめていた。

 どうしたの、とシェーシャは不思議に覗き込む。

 そこにあるのは、木製のぶ厚い扉。3、4メートルほどの大きな扉だけ。

 なのに、剣呑な雰囲気を纏う忍びの姿に、シェーシャの顔が強張った。


「ねえってば」


 腕を引こうとした、その直後のことだった。


『な、何だこいつはッ!?』

『化けも――!』


 悲鳴と絶叫、何かを叩きつける音。

 模擬戦ではない、凄惨さを伝える音と衝撃が、響く。


「な、なに……」


 シェーシャのみならず全員がすくみ、身を固くした。

 動いたのは侍・神楽のみ。鎧を鳴らし、十蔵の傍へ駆け寄った。


「十蔵様、この邪気はまさか」

「うむ。隼人だ」

「――ッ、十蔵様、私も加勢致します!」


 刀を構える神楽の表情は真剣そのもの。

 しかし十蔵は、いらぬ、と短く告げて、刀持つ神楽の手首を、軽く押し下げた。


「し、しかしッ」

「お前たちは白牙と共に、シェーシャを守れ。止められるのは他にいない」


 食い下がろうと十蔵の顔を見つめる神楽であったが、真っ直ぐな眼差しを受け、分かりましたと小さく返事をする。くるりと翻し、聞いての通りだ、と侍たちに指示を出した。


 ◇


 扉の向こうは、しんと静まりかえって。

 次なる獲物を求めるかのように、今度はこちらに狙いを定めたらしい。(かんぬき)を外せばいいにも拘わらず、ダンッ、ダンッ、と木扉を叩き始めたのである。その衝撃は、足下の土からビリビリと伝わってくる。

 神楽はシェーシャの横に。

 狼族はナイトたちよりも前へ。

 勇猛果敢な狼族の顔にも、わずかな恐怖がにじんでいるのを見て、妖精や人間たち全員が首筋に冷たいものを感じている。

 何が起こっているのか。

 隼人が何か。

 シェーシャは忙しく目を動かし、十蔵の指示を待った。


「シェーシャ。お前の魔法で援護してもらいたい」

「い、いいけど、まず何が起こっているのか説明して」


 十蔵はつかの間、沈黙し、


「隼人だ」


 と、短く伝えた。


「あいつが封印を解いた」

「封印……?」


 怪訝な声をあげたシェーシャに、進み出た神楽が補う。


「隼人様は〈怨の一族〉……代々、その身に鬼を封じ続けてきた血族なのです」


 その言葉に、シェーシャの眉が上がった。


「今は事情を省きますが、奴は国を滅ぼしかねない邪鬼であります。その封印が解けた時、奴を仕留め再封印するのが〈無月衆〉の忍び――十蔵殿の役目のです」


 正面の扉が激しく叩かれるのを見て、十蔵はクナイを両手に構えた。

 シェーシャと神楽もこれに続き、その時をじっと待つ。


「私が合図をしたら、粉塵をあげ火球をありったけ叩き込め。それ以外では何もせず、奴の攻撃に即応できるようにしておけ」

「わ、分かったわ」


 そして次は、神楽に。


「神楽、お前が頼りだ」

「お、お任せください! この神楽、必ずや十――いえ、おまえさまのの……!」


 シェーシャは大丈夫かと不安を抱く。


 正面の扉が隆起し、裂け目が走った。

 いよいよ扉が破られる。

 向こうにいる者――破裂音と共に、真っ黒な、鋭い爪の先端が突き破ったかと思うと、


「イエアァァァァァァーーッ!!」


 蝶番ごと(はが)した扉を、後ろへぶん投げ。

 開口部に浮かぶ真っ黒なそれが、真っ赤な口を広げ狂喜の雄叫びをあげたのである。


「な、なに、こ……」


 シェーシャは目を剥いて、二歩、三歩、後ずさりした。

 へたり込みそうになるのを神楽に支えてもらって、やっとその姿を直視できる。

 扉は3メートルほど。目の前の存在が、先の空間を埋め尽くす。

 肩から延びる四本の腕。背中からムチのようにしなる、おびただしい数の触手。

 それは、まごうとなき“魔物”だった。


「しっかりめされよ! 奴の名は〈怨鬼〉、姿だけで怖じけづかれては護りきれませんぞ!」


 神楽の檄に、シェーシャは、分かったわ、と何度も頷く。

 胸の鼓動が耳の奥で響き続けている。


「扉の向こうにゃサムライ、ニンジャ、メイジ……経験値しょっぺェし、入り直してェなァ」

「こちらからすれば恰好の獲物だ」

「無月の十蔵ァッ! 貴様だけはブチ殺してやらァッ!」


 威嚇するように吠え、後ろに控える何人かが尻もちをついた。


「食っても殺してもスカばかり。オレ様、何も満たされねェッ!」

「そういう場所だからな」

「貴様を殺せば少しは満足――これまでの恨み、晴らさせてもらおうかァッ」


 背からの触手が伸びる。

 猛烈な勢いで向かうそれは、十蔵のいた場所・一箇所に突き刺さった。既に十蔵は飛んで躱している。

 宙に浮かぶ十蔵に向かって更に何本か群がるが、これを難なく切り落とす。

 怨鬼は何ともないかのように、いや、それが作戦通りと言わんばかりに、顔に笑みを浮かべた。


「女どもがガラ空きだよォォォンッ」


 触手が神楽とシェーシャに向かう。


「舐めるなッ」


 三本。神楽の刀がこれを斬り払う。

 シェーシャはハッと背後の気配に気付き、死角から迫ってきた一本を、風の魔法で切断した。

 武人ではないので動きを捉えるのは至難の業。

 本体を叩かねばキリがない、と怨鬼に目を向ければ、それが口を大きく開いていた。


 ――ブレス


 触手は囮だと気付いた瞬間、シェーシャは杖を構えていた。


【水よ。我らに魔を雲散する霧をまとわせ給え】


 反魔法霧(アンチマジックミスト)

 怨鬼の口から丸い球体が浮かび、光線のように放たれる直前だった。


「――――」


 世界が暗黒に染まった。

 いや、染まりかけている。周辺を包む薄白い霧がが何とか食い止めている。

 じわりじわりと削られ、シェーシャは高速詠唱を駆使ししきりにアンチマジックミストを唱え続けた。

 霧はどんどん雲散し、唱えるたびに小さくなる。

 あと数秒しかもたない。頭に諦めがよぎりそうになったその時、ブレスが終わったのか、視界の端に黒い光が通り過ぎてゆくのが見えた。


「ッ、はァ……ッ!」


 まだ生きている。膝をついたその痛みが、教えてくれた。

 前に立ち構える神楽は無事であるようだ。驚いたように振り向き、シェーシャを覗き込んだ。

 だが……自信の背後には、凄惨な光景が広がっていた。


「みん、な……」


 後ろに控えていた仲間たち全員。

 自身が唱えたアンチマジックミストの範囲外にいた者が、半円状にえぐられた地面と共に消滅していたのである。


「ハッハッハァーッ! お前のお仲間、死んじゃったァーン!」

「やはりお前を野放しにできんな」

「檻の中に鬼がいるものかッ! 鬼を支配するなぞ浅はかッ、不可能ッ! ここでお前を仕留め、この世に絶望を教えてやろうッ!」


 シャァッ、とありったけの触手を飛ばす。


「シェーシャ、魔法をッ!」


 ハッと顔を上げたシェーシャは、黒杖を突きつける。

 指示通り、火球を放つ。アンチマジックミストを八連発、それによって己に残された魔力はもう、ほとんどない。しかし出し惜しみせず、ここですべての魔力を振り絞る。


【火よ。我が命に応じ、つぶてとなって焼き尽くせ】

【土よ。風と共に湧き起これ】


 道が爆ぜ、周囲一帯に砂と土塊を飛散させる。

 そして、黒杖からごうと音を立てる真っ赤な火球は、十を越え怨鬼に向かった。

 合わせて十蔵が飛び、火球を追いつつ指で印を結ぶ。


「分身――」


 無数の十蔵の分身が。

 シェーシャの火球と、一挙に怨鬼に襲いかかる。


「一つ覚えかァ! てめェのそれは全部で五十が限界、成長したオレ様の攻撃は、それを上回る五十五回になってるぜェェッ!」


 無数の触手が次々と十蔵を貫く。

 粉塵によっていくらか狙いが定まっていないようだが、そのたびに分身は消え、数を減らす。

 シェーシャが放った火球も僅かに怯ませただけ。両目を閉じさせただけだ。

 だが、その一瞬が必要だったのだろう。


「封じられている間、己を鍛えたようだが」


 その瞬間、十蔵の分身が消えた。


「――残念。その間に、私の影も六十まで増えている」

「そうかよ……」


 怨鬼は呻く。

 十蔵の分身が五つ。手にしたクナイが、黒く染まる身体を貫いていた。

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