第9話 忍―しのび―
激しい剣戟の音が続く。
しかし相対する者の姿はなく。死闘の火花だけが咲く。
地の上に、塁壁に、宙に――音は大小様々、とびきり大きな激音を最後に、四つの人影が現れた。
まず一人は、黒装束に覆面姿の忍者・隼人。
黒装束はあちこち裂け、肩で息をしながら白鞘の刀を逆手に構える。
次に、その前に降り立った女。股に深く食い込む下衣に、吾妻道着のような袖のない紺色の羽織を腰帯で留める。こちらも荒く息を吐き、顔に焦りの色が浮かんでいる。
遅れて、残る二人が塁壁に。対峙する女と同じ格好だ。
「私たち三姉妹と知りつつ、無月の雑魚一人――捨て駒かと思ったら、少しは腕を上げたようね」
女は余裕を装いながら言う。
髪は短く、脇に単槍を構える。右肩に血の筋を作るが、拭おうともしない。
肘から落ちる赤い雫が、ぽたりと黄土色の隘路に落ちた。
「そなたとタイマンなら、既に勝てているでござるよ」
「ッ、下っ端ごときが」
気色ばむこの彼女こそが、かつて苦渋を舐めさせられた〈青の蝶〉であった。
東の国でも名高い〈心矢衆〉の三姉妹。塁壁に立つは、髪の長い長女〈赤の蝶〉、その横にしゃがみ込むショートヘアな三女〈緑の蝶〉――姉妹揃って行動することが多いのだが、隼人には、どうても不可解なことがあった。
「拙者、どうして赤の蝶に恨まれてるでござるか……?」
三女はついでと言った様子なのだが、長女は明らかに積怨を剥き出しにしているのだ。
「忘れもしないぞ」
「拙者の記憶にないでござる」
長女はクナイの切っ先を向け、構わず続けた。
「あれは確か 「さっそく忘れてるでござる」 紋永五年のこと。蓋山城に潜入した私は、城主の片桐三十郎を 「今は四十路でござるな」 屠るべく寝屋に忍び込んだ。……しかし、それは三十郎に扮した無月の十蔵 「拙者いつ出てくるでござるか……?」 だった。せめてこいつでも、しかし私は任務を忘れて情事に耽り、マジイキを 「十蔵殿は拙者によく『長身の女に節操がない』と言うでござるが、十蔵殿の方が相当な女殺しでござる」 そう、終わったときは夢心地――って、うるさいなッ、さっきから!」
「拙者、その話の中のどこで、そなたの恨みを買ったでござるか……?」
「同族なら同罪よ!」
理不尽でござる、と肩を落とす隼人。
その遠くでは味方が防衛を破ったのか、鬨の声が聞こえてくる。
顔を向け、うむ、と一つ頷く。
「そろそろ次の段階に移行するでござる」
「私たち姉妹を倒す気でいるの?」
「拙者は過去を塗り替えられたらいいでござる。そなただけなら楽勝でござるよ」
「ッ、ほざいたなッ!」
蹴り上げた砂利を残し、忍びとくのいちは再び姿を消した。
烈火の花が二度、三度。
そして、一瞬の間を置いて、鈍い音が道に響いた。
「ぐっ……」
姿が現れた時――短槍が、隼人の胸を貫いていた。
塁壁の上で、さすが桔梗お姉様、と緑の蝶が喜色満面の笑みを浮かべる。
「――やっぱりお前は雑魚よ」
隼人の黒装束が更に、じわりと黒染まってゆく。
短槍の柄を握り締めるその左手は、小刻みに震えている。
見下ろす姉妹も勝利を確信し、冷笑を浮かべ、手にした得物を下ろしていた。
「や、やはり痛いものは痛い、でござるな……」
「ふん。ちょっとはやると思ったけど、十蔵に比べたら足下に及ばないわね」
「そうでござろう、な。たかだか遊びなのに、こんな方法で、十蔵殿にあとを頼むのでござるから……」
「弱い手下を持つと苦労するわね」
「ふふ、確かに。しかし、そなたは勘違いしてるでござる……」
隼人は柄を握る腕を膨らませた。
「我々には奥の手があるでござる」
なに、と驚くくのいちに、上から「桔梗ッ!」と不測の声をあがった。
女が気づいた時には遅く。
逆手に握る白鞘の刀が、振り上がっていたのである。
「ッ、あ……」
「――兄を信じているからこそ、拙者はあとを任せられるでござる」
くのいちが反応するよりも早く。
隼人の刃は、女の喉を掻き切っていた。
「やはり、レオナ殿の刀は素晴らしい切れ味でござるな」
「桔梗姉さまッ!?」
三女が悲痛な声をあげる。
桔梗と呼ばれた次女は、喉から噴き出す血を両手で抑えるも、這い寄る死から逃れられないことを悟ったらしい。喘ぐ表情で両膝をつき、仰向けに倒れた。
「姉さまァァァァッ!」
三女の涙声も空しく。虚空を見つめる次女は、すうっと光と共に消えた。
塁壁から手を伸ばしていた三女は、ギッと隼人を睨みつける。
「き、貴様ァァァァァァアッ!!」
「菖蒲、血気に逸っては――ッ!」
長女の声も聞かず、菖蒲と呼ばれた三女・緑の蝶は塁壁を蹴り、隼人に向かった。
両手にはクナイを。青い蝶の桔梗が消えたことで、槍が消え、胸を押さえる隼人の背に突き立てる。
「よくもッ、よくもッ、よくもォォォォ――ッ」
駄々っ子のように、クナイで何度も隼人の背中を突き刺す。
背中から血しぶきが。隼人は片膝をつき、手に握る刀を地の上に置いた。
「ぐ……どうやら、そなたらは死を知らぬ、よう……」
「知るもんかッ、死んだらこの世に立っていないんだッ! 死ねッ、死んじまえッ!」
そう、と隼人は呻きに近い声で相づちを打つ。
「死んだら、消える……それが万物の掟……」
「そうだッ、だからお前も消えろォッ」
菖蒲がトドメと言わんばかりに、クナイを強く、深く突き入れた。
「ぐ、ゥ……そう、したいのはやまやま……」
あとは任せたでござる。
隼人はそう言うと、両指を絡めた手を胸前に。
そして、
――怨
そう唱えた。
途端、隼人の黒装束が濃く染まり始める――。
◇
真っ先に、その“異変”に気付いたのは、緑の蝶こと菖蒲だった。
クナイ握る手は、死にゆく者の筋肉を伝えていない。むしろ蘇ろうとしている。
惨たらしい背中の傷口から覗く、肌の色……いや、血の色がどんどん黒く。
内から溢れる何かが、敵の身を覆ってゆく――そうと気付いた瞬間、塁壁の上から慄く女の声がした。
「ま、まさか……まさか……嘘、嘘…っ」
初めて見る長女の動揺なのだろう。
菖蒲は、菊姉さま、とクナイを握ったまま不安げに姉を見上げた。
「この男、が〈怨の一族〉の……!」
城の内部から『城内戦に備えろ』と焦りを含む怒号が漏れ聞こえる。
近くに、城内中央に繋がる扉があるのだ。
一方で。隼人の身体が、完全に真っ黒に染まってゆく。
それを見た長女は、金切り声をあげた。
「菖蒲ッ、そいつから離れなさい! そいつは、そいつは――!」
その時だった。
隼人の身体が、突然、ムクリと持ち上がり――
「イェアアアアアアアアーーッ!!」
獣のような雄叫びを上げたのである。
それは隼人ではない。全身が真っ黒で、体躯は二回り、三回りも大きく膨らんでいる。
真っ黒なそれは、ぐるり、と振り返った。
「な、なにこれ……」
菖蒲は愕然としていた。
目の部分はまん丸で赤光り。口の部分はギザギザの白い線が走る。
幼さの残る顔が歪み、魔物、と口走った瞬間、目に見えない速さで菖蒲の首を掴んでいた。
「あ、が……ッ」
「お前かァ、オレ様の背中を突いてくれたのは」
菖蒲ッ、と塁壁から長女が叫ぶ。
「最高だった。ツボ押しのおかげで、身体が随分と軽いぜェ」
だからよォ、と黒いそれは続ける。
「次は、オレ様の腹を、膨らませてくれよォォォォッ」
「ヒッ、ィ……」
口の部分がガパッと開かれる。
恐怖で顔を引きつらせる菖蒲は、悲鳴を発する間もなく、
「菖蒲……ッ、あやめーーッ……!?」
三女は助けを求めるかのように、手を伸ばしたまま――。
僅かに残った後頭部。噛み砕くように、バリバリと頬を膨らませながら咀嚼する黒い塊であったが、急に「あり?」と首を傾げた。
そして掴んでいた身体が、ふっと消滅したのを見て、気づいたらしい。
「死んだら消えちまうのォ?」
ツマンナァ〜イ……と、真っ黒な舌を出し、うなだれる。
「お、怨鬼、き、きき、貴様……!」
「忍者ってヤツぁうざったらしい。エサにならねェなら、せめてオレ様のオモチャになってくれよォォ」
言うと同時に、真っ黒な身体から無数の触手が。
そして肩からは二本、鋭い爪を持った腕が伸びた。




