第3話 ストレンジ・ワールド
「……あんたの部屋、いつからペットハウスになったの」
「あのクソ忍者のせいよ。人の部屋を何だと思ってるのかしら」
友の部屋を訪ねたファファは、中にいた妖精とリザードマンに目を剥いた。
王族と妖精族のいざこざは解決しないままのため、妖精を毛嫌いする者は少なからずいる。リザードマンは論外。……となればと、十蔵はここに置くよう頼んだのである。
シェーシャは立て肘に顎を乗せ、複雑な表情で同居人を見やった。
リザードマンが部屋にいるときは、蚊やハエ、蛾などを捕食してくれる。たまにパックまで捕らえられ、そのたび騒々しくなる。
忍者もくるし、このところ部屋が何かと賑やかだ。
「共同生活って、こういうものなのかしらね」
「あらまあ」
ファファはにしし、と笑った。
「忍者に先越されて、焦ってる?」
「あり得ないっ……と言いたいけど、まさか相手がいたとはね……」
「隼人さんに聞いたら、家同士が決めたってことだけど、候補に挙がったときから娘さんがその気だったそうね。行き遅れで焦ってたから余計にらしいし、アンタにも希望が出たじゃない」
「誰が行き遅れよ。私はしないだけ」
十蔵の嫁こと神楽は、本当に挨拶だけで五日の滞在ののち帰国した。
聞けば、夫の仕事の邪魔をしてはとのこと。首都を軽く観光し、茶をたてるだけでも幸せ絶頂にあった。
ふん、と鼻を鳴らすシェーシャであるが、妖精を見てあることに気付く。
「……ねえ、パック。妖精族って雌雄同体らしいけど、女王はあのサイズでどうやって世継ぎ産んでるの?」
一般的な妖精のサイズが20cm前後。
対する女王・ティターニアは120cmほど。
六倍近い体格差での生殖は、あまり想像に難い光景だ。
水を向けられた妖精・パックは、頭の後ろで手を組みながら「んー」と、小さな胸を反らせた。
「子を残す時期になったら、ボクたちが人間の男を攫ってくるんだよ。先代は童顔で、華奢で性知識に疎いのを好んで、十人くらい囲ったってさ」
「なにそれっ、最高じゃないっ!」
身を乗り出す女エルフ。
「攫われたって部分に反応しなさいよ……」
五十年前、子供誘拐で大騒ぎになった事件じゃないの、と呆れるファファ。
これにシェーシャは、あーあ、と背もたれに体重を預け、
「負け組はやだけどなぁ……」
天井を見上げていると、「あれ?」と勢いのない声をあげた。
――結婚できない女は負け組
それは、男でも言えることなのだが、
「ねぇ、もしかして負け組って……」
「主は平等だわ。若さが長く、美女と名高いエルフでも、ちゃんと組入れしてくれるんだから」
シェーシャはしばらく逡巡した。
「――ファファ。私たち、一生の友達よね?」
「道連れにしようとしないでよ!? 私はほら、隼人さんと狩りに行くし?」
「ハァ? ござるのどこがいいわけ。それにアイツ、ちょこちょこ古城に向かってるぽいけど、まるで誘われてないじゃない。相手されてないわよ、そもそもアンタ猫かぶりだし」
「私はシェーシャみたいに、エルフの皮を被ったドワーフじゃないもーん」
「あーっ、今の聞き捨てなんない!」
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がった。
ドワーフと名前が出ただけで虫唾が走るエルフは、それを同じにされると烈火の如く怒る。
「だいたい、シェーシャは前の男に未練たらたらなのよ。さっさと諦めて、次よ、次」
「とっくに諦めてるわよ! だけど新たな恋をしたら、あのクズへの怒りまで忘れてしまいそうなの!」
◇
その日の夜――。
十蔵は王宮に忍び込み、ネズミの如く天井からその様子を窺っていた。
「――あなた、このところの醜態は何です」
王の部屋。紫紺のドレス姿の女が、金切り声を発した。
香水の強い匂いを振りまき、肩身狭くベッドの脇に腰を落とす国王に向かって、キンキンとまくし立てる。
「まったく、あのエルフの王にいいように。しかも、この城への挑戦と言わんばかりの蛮行を繰り返したにも拘らず、あのチビの妖精を許すなぞ。講和条約もろくに話し合わず、言われるまま領地や賠償金を払っただけ。いったい何を考えているのです」
「エルフから賜った宝刀など紛失していて、手が……」
「なれば、無くした連中を処断なさいな! ああもう、王が役に立たねば家臣も使えぬ。毅然と職務にあたれぬ者が出れば、即刻追い出しなさい!」
王の威厳なぞまるでなく。
己の意見を言うにも、妻である女王を上目でそろそろと見るばかり。
気性が荒く、このところ特に虫の居所が悪い。
「近衛から、多くの人材を一度に失ったばかりなので……」
「なら、なおのこと。この際、役立たずはみな排除しなさい。――まったく、新たな世界を見せてやる、衝撃を与えてやると言っておきながら、現実は情けない・古くさい世界ばかり」
言うだけ言っても怒りが収まらぬのか、ふん、と肩を怒らせながら女王は部屋をあとにした。
(神楽がああでなくてよかった、とつくづく思うな)
ああだと嫁はただの阻害者だ、と王を憐れみながら女王を追う。
年は四十八歳。戯れにメイジのクラスを得てからすぐ、今の王に見初められた。メイジのレオタードスーツ姿に心奪われたのでは、と影で噂されている。
だが――それから三十年の歳月は、乙女を鬼へと変えたらしい。
今では王のみならず、家臣もそのヒステリックな声に怯える日々を送る。
女王は大股に靴を鳴らし、長い廊下を渡った先・〈女王の間〉と呼ばれる、王すら入れぬ男子禁制の区へと入った。
そこで十蔵は女王の影の中に。
一方、女王は自室に戻るなり、深く気鬱な息を吐いた。
「ああもう情けない……」
室内は頼りない燭台の橙火のみ。
シルクの白い寝着に変え、手伝っていたメイドが部屋を出たのを確認すると、女王はこの城で送った年月を確認するかのように、そっと鏡を覗き込んだ。
髪を弄り、頬を交互に向け、そして目尻を確認……どれも納得しない結果なのか、鬱々とした息を再三吐く。いくら貴金属で飾り立てても、己の価値は下がってゆく。
「まったく……。新たな世界の扉なんて馬鹿馬鹿しい」
失意に沈む女王は、気付いていなかった。
ベッドに入ろうとしたその背後・足下が浮かぶ、影の存在に――。
(天井を飾れ。安息の中で死ぬならば)
ずずっと隆起する影。
真っ黒な人の型を、二つ重ね立てた人差し指を天に向ける。
(主がため、覚悟)
影は飛んだ。
「オ゛……ッ!?」
室内に、ずぐっ、と音が鳴る。
女王は身体を大きく仰け反らせ、声にならない声をあげた。
――これが新世界
そう思ったか、定かではない。
小刻みに震えながら両膝をついた女王は、やがて、ベッドに上半身を預ける形で気を失うのだった。




