第2話 思わぬ来客と渡し忘れた書状
リザードマンの一件がどうなったか知らない。
あれから一ヵ月。シェーシャは、部屋の中でアイスティーを傾けながら人形を眺めていた。
「ふぅん。人間のものにしちゃ、よく出来てるのね」
それは、隼人が組み立てた〈茶運み人形〉だった。
おかっぱ髪に丸い顔。裃を着た台形の胴体、足の代わりに車輪がついている。
手にした盆の上に茶を置けば、ゆっくりと茶を運んでくれる。しかもそれを取れば、空になった盆を持ったまま自らの意志で帰るというもの。
簡素な見た目に反して、とても興味深い動きをするのだ。
「あら、この数字は何かしら?」
胴体の背の部分に【八】と書かれている。東の国の数字表記だ。
勝手にいじくることに躊躇したものの、興味が勝った。裏に丸いツマミがあり、カチカチとそれを回すと背中の数字が変わる。それ以外に変化はない。
個体番号かしら、と思いながら人形を机に戻した。
「そろそろ、模擬戦復帰について考えなきゃね」
背もたれに体重をあずけ宙を見つめる。
シェーシャはあれから、クランのマスターに頭を下げ回った。
笑って許してくれたもの、よそよそしい態度で受けたもの……反応はそれぞれ。そして半年と言いながら一年のロスは、いくつか手遅れにさせてしまっていた。
同盟・アルカナは五つのクランが集まり。その内の二つが、脱退を申し出てきたのだ。
(去る者は追わずだけど、来る者がいないと厳しいわね)
自分に止める道理はない。
ファファが制作してくれたリストを取り出せば、戦力の低下が一目で分かる。
総数90名。仇敵・アナンタ率いるハルジオンには遠く及ばず、中堅に居座るのがやっとの状態だ。
(ま、いいか)
どうとでもなる。
謝ったおかげで気分はスッキリした。
シェーシャは大きく伸びをして、よっと立ち上がったその時――また部屋に、堅いノックの音がした。
「……」
父だろうか。
いや、エルフ気配ではない。まるで感じたことのないものだ。
シェーシャは黒杖を握り、警戒を露わに扉を開いた。
「――突然の来訪、失礼する」
そこに立っていたのは、二本足で立つ白犬。
目を瞠ったままのエルフの返事を待たず、犬は一方的に話す。
「我ら犬飼の者。無月の十蔵殿に用があって参った」
「……ジュウザって、あの忍者のこと?」
犬は、なに、と目を鋭くした。
「この地では躾けを教えぬのか。奉公人の分際で、主人を呼び捨てにするなど」
「誰が奉公人よ」
シェーシャはムッと口を曲げ、目の前の犬を睨む。
犬は東の国の服装・かすれ縞の整った羽織袴。腰に刀を携えた姿から、忍者と同様、この大陸では珍しい〈侍〉のクラスであると推察するに容易い。
顔はやはり犬そのもので、白い毛に覆われ、左眉の位置から縦に傷が走っている。
「ここは私の家。アンタが探してるのはいない。だから失せなさい」
「口の利き方も知らぬとはな。嘆かわしい、かのような地に――」
『止めよ。白牙』
声がして初めて、犬の後ろに人がいることに気付く。
顔だけ返した犬の肩越しに見れば、えんじ色の着物をまとう女が立っていた。
後ろに束ねた垂髪に花柄の簪。しとやかに見せているが、その然とした佇まいは、並の女ではないと窺わせた。
「郷に入っては郷に従え、と申すであろう。それがこの地の習わしならば、こちらが受け入れねばならぬ」
「むぅ。嬢がそう言うのならば……」
犬は向き直ると、命拾いしたな、となお高圧的に投げかける。
「して、十蔵殿はどこだ」
「知らないわよ。てか、何でどいつもウチにくるのよ」
なに、と犬が怪訝に眉を寄せた。
まさにその時、二人の傍らに黒い影がふっと降りた。
「――神楽殿に白牙殿ではござらぬか!」
黒装束に覆面の男・隼人であった。
「む。貴様は確か、十蔵殿の」
「こ、これは、隼人殿……!」
犬は上半身を前に傾け、神楽と呼ばれた女は両手を腿に添え、深々と頭を下げる。
「やあやあ、久しぶりでござるなあ! まさかこのようなところで、同郷の者と合間見えようとは。拙者、懐かしくて涙が出そうでござるよ!」
「貴様から呼びつけておいて何を言うか」
「むむ? 呼びつけた?」
隼人はしばらく考え、やがて「あ」と声をあげた。
そしてすぐ、ばつが悪そうに頭を掻き、唸る。
これに、ちょっと、とシェーシャが隼人の肩を掴んだ。
「ござる。いったい何なのよこいつら」
仲間なら早く連れて行け、と流し目で異国の者を配る。
「いや、十蔵殿に用があって参ったでござるが……拙者もまいったでござる」
「何なのよ。あのクソ忍者に用があるのはいいけど、なんでここに来るのよ」
「送った書状に、ここの住所書いたでござる」
「アホかァァァーーッ!」
シェーシャの叫びが響いた。
「あんたら勝手に、ネズミの如く入り込んでるだけでしょうが!?」
「軒を借りて母屋を取るでござる」
「より悪いし、貸した覚えすらない!」
しかし困った、と腕組みのまま身体を傾ける隼人。
その横ではいらだたしげに、白牙と呼ばれた犬が唸る。
シェーシャはふと、あれ、と頓狂な声をあげて犬を見つめた。
「……なんだ?」
「あ、あなたってもしかして〈狼族〉……?」
「今ごろか」
それははるか昔、忽然と大陸から姿を消した種族。
エルフとの親交は薄かったが、妖精族と共に〈森の種族〉と数えられた。
シェーシャは、目の前にいる侍の恰好をした犬から視線を外すと、周囲からぞろぞろと人の目を集めていることに気付く。
……しかしそれを気にする余裕は、もはや残されていなかった。
◇
ルナのたまり場となっている砂漠街・エスタンの広場。
件のリザードマンと一体の妖精、そして十蔵は鼎談するように集まっていた。
「――よし、炎!」
「ゲコッ!」
妖精が命じると、リザードマンが手をかざした斧に炎が纏われる。
そして、背骨に沿って生える背びれも燃えた。
「次、氷!」
「ゲコッ!」
剣が凍りに、背びれに鋭い氷柱が。
続けて雷、土、と命じれば、剣と背びれに、応じた属性の魔法が宿される。
なるほど、と結果に満足した十蔵であったが、
「……どうして、背びれまで効果が出るのだ?」
「……分かんない」
どうしてか出るのだ、と妖精は続ける。
しかし、当のリザードマンはそれがいいのか、嬉しそうに目を細めて小さく跳ね回る。
「まぁ、本人が満足してるならいいだろう」
「へへーん。ボクの指導のおかげだね」
得意げに、鼻を人差し指の下で擦る妖精。
名をパックと言い、髪は短くて緑色。顔立ちは少年のようで、自分のことを“ボク”と言うが、性別は女である。……とは言え、妖精は雌雄同体なので、明確な性別はない。
エルフよりも細く尖った耳を持つ彼女は、どーだどーだ、と十蔵の周りを飛び交うも、完全に無視されている。
むー、と下唇を突き出すも、しめしめ、パックは口端を持ち上げながら背後に。そしてブーツに風魔法を――〈韋駄天〉と呼ばれる付与を、そっと唱え、
「――隙ありっ!」
突然、背後から十蔵に襲いかかる。
距離はわずか1メートル。手を前に突き出し、その黒装束に触れようとした瞬間、
「甘い」
まさに一瞬のこと。十蔵の姿が消えた。
え、と驚く間もなく、パックが通過すると同時に、その背後に現れ、
「――はきゅんっ!?」
ペンの先が、妖精の尻に刺さっていた。
「そ、それ止めろよぉぉ、おぉぉぉ……」
「ならば己をもっと磨け。気配が丸わかりだ」
ブリッジしながら空中で悶絶するパック。横で、トカゲがゲコゲコ笑う。
忍びとなるべく六名の妖精が派遣された。
十蔵の妹・琴を通じて東の国へと向かったのだが、その内の一人・パックだけは残って、十蔵の下で修行をしている。
(このお転婆は、妖精隊のリーダーにはいいのだが)
色々とトラブルを起こしそうだ、と腕を組んで息を吐く。
すると、そんな十蔵のすぐ近くで、転移魔法の光の輪が浮かんだ。
何気ないものであるが、そこから飛び出した者に、十蔵はさっと身構えた。
「十蔵殿ーっ! すまぬでござるぅー……っ」
「隼人、そんなに慌ててどうした」
弟分のあまりの慌てぶりに、十蔵は目を瞠る。
客人が、と光に手をやれば、そこから大股に歩き出てくる袴姿の白犬の姿。
「犬飼家? 珍しい客人をつれてきたものだ」
「それには、それには事情があるでござるぅ……っ」
追うようにして女二人――驚き顔のシェーシャについて、しずしずと現れる着物姿の女。
裾に瑞雲が描かれた彼女とエルフの組み合わせに、どういうことだ、と眉を持ち上げた。
「あれは、神楽か?」
「十蔵殿、すまないでござるぅ……拙者、拙者、大事なこと忘れていたでござるぅ……」
「さっきからいったい何だ。物忘れが多いのはいつものことだろう」
隼人は、これを、と一通の書状を差し出しながら、
「犬飼家からご息女・神楽殿が輿入れ――積み荷襲撃の直後、琴殿より預かっていた大事な書状と、その打ち合わせのため白牙殿を呼んでいたのを、拙者、すっかり忘れていたでござるぅ……っ!」
シェーシャが驚き、また十蔵の眉が上がる。
「と、突然の訪問、申し訳ありませぬ……!」
神楽と呼ばれた女は、十蔵の前に平服すると同時に、
「こ、此度、十蔵様に嫁ぐと聞き、わ、私は、いてもたってもいられず、せめてご挨拶にと……!」
深々と頭を下げる。
十蔵はこれに、うむ、と一つ頷いて応じ、神楽の前で片膝をついた。
「神楽、そなたと縁を結べること嬉しく思う」
「ふ、ふふつかものですが、な、なにとぞ――」
「そなたは構わぬのか」
え、と顔を上げた。
「武家の内儀とは事情が違う。忍びの道は人知れぬ暗中にあり、そなたにも累が――」
「十蔵殿。それ以上は申されますな」
女から武士の顔に。
神楽は両手をついたまま、しかしキッパリと告げる。
「私にも武士の血が流れていれば、鬼となる腹も決まっております。ただ一言、ついてこい、とだけ申しつけください」
「……いいのだな?」
「貴方様の帰る地、必ずや守り通してみせまする」
深々と、砂の上に額を擦りつける神楽の背中は、今にも舞い上がりそうなほど喜色が漂う。
そしてその横では、白犬の白牙が、ふん、と鼻を鳴らした。
「お嬢をくれてやるのは惜しいが、この粗駒を扱えるのは他におらん。泣かせるようなことをすれば、この白牙、貴様の首に牙を突き立てるぞ」
「ふっ、心得ておこう」
セーフ、と両手を横に広げる隼人の横で、シェーシャは口を半開きにしたまま棒立ちに。
一方で、妖精のパックは、トカゲの頭であぐらをかき、大きなあくびをしていた。




