第1話 ゲコゲコ
通り雨が過ぎ、首都・ポルトラの空は青く澄み渡っていた。
屋内に避難していた者たちは、手庇で空を見上げ、穏やかに活気を戻してゆく。
一方。北に構える王宮の中は、庶民たちとは対照的に。厳しい顔のまま臣下たちが慌ただしく走り回っていた。
――妖精族は絶滅していなかった
王族の蛮行を知らぬ者はいない。
荷を奪っていたのが妖精族と判明すれば、ことさら王宮内に緊張が走る。
まず、エルフ族の王・クシャカが同席のもと、女王からの謝罪を受けたのは一週間前。そこでは元凶となった宝冠の返還については一切触れられず、講和締結には至らなかった。
この仔細を知るものは青ざめ、王に限っては、目は落ちくぼみ、肌は蒼白に……政務を休むこともあったようだ。
無い袖は振れないのだから、色を失うのは無理からぬ話だ。
『優秀な若者が郷に籠っているのはいかぬ』
エルフの王もまた“友好”を強調しつつ、襲撃によって欠けた人員をエルフで補てんする提案をすれば、王はその場しのぎ的に応じた。
これでは相手の存在感を知らしめただけ。
襲われた荷どころか、護衛を殺害したことまでも有耶無耶にしたまま片付けたため、内外から不満の声が上がっているようだ。
「万事解決したのはいいけれど……」
シェーシャは部屋の中で、大きな息を吐いた。
テーブルの上には、たくさんの書類とポートレートの塔。そこに描かれているのは、シェーシャ好みのイケメンばかり――よくもまあ、ここまで調べ上げたものだと感心するほどに。
――妖精族の仲立ちを務めた
地位と肩書きに生きるエルフは、これだけで注目する。
加えて、エルフの王みずからの謝辞を受け、妖精族とのパイプ役・親善大使に任じられたのだ。独身となれば、これを見逃さぬはずがない。
彼女の父・カシュヤパが、ここぞとばかりに見合いを迫ってきたのだった。
「この公爵の長男なんて、以前なら二つ返事で飛びついて、五十年くらいアナンタに自慢し倒したでしょうけどね」
手にしたポートレートの端を摘み、つまらなさそうに振り揺らす。
結婚に興味が湧かない。……と言うより、憎き女・アナンタには、地位による優位性よりも、直接この手でぶちのめさないと気が済まない。
「私ってこんな、カッカッするタイプだったかしら」
苦笑し、ポートレートを机に戻す。
この暑さもあるかしらね、とアイスティーで口を涼に満たし、そっと汗を拭う。
椅子の背もたれに体重を預けたその時、コンコン、と硬いノック音が部屋に響いた。
「……このタイミングでくるのは」
嫌な予感がした。
そして、扉を開けばそれが的中してしまう。
「やはり――じゃなくて、お父様っ!」
「王宮な用があったのだが、早く着きすぎてしまった」
詭弁だとすぐに分かる。
王とのつなぎ役は父が務めているのだが、その際、何かと理由をつけては訪ねてくるのだ。――誰かしら男をつれて。
なので、結婚に興味はなくとも、然とした振る舞いを求められ続けた。
(今日はどこの坊ちゃんかしら)
父の後ろに目をやってみるも、そこにいたのは、
「……お父様、激務で呆けられましたか?」
「……父をそのような目で見るでない」
そこにいたのは、明らかにエルフとはほど遠い姿であった――。
◇
「と言うわけで、ここに任せるわ」
「任せる、と言われても分かりませぇん……」
砂漠街・エスタンに、ルナのマスターの情けない声があがる。
傍には十蔵と隼人がおり、シェーシャの後ろに控えるものに視線を向けていた。
「ゲコ」
なんだ、と言いたげにそれは鳴く。
一般男性より一回り大きな身体に、しっかりと大地を踏みしめる太い脚。身につけるのは、木の板を繋ぎ合わせた粗雑な鎧、腰にはオークが使うハンドアックスを据えている。
横に伸びた口、左右の目はギョロリとした爬虫類の顔――それは、見まごうことなき魔物〈リザードマン〉だった。
「エルフはトカゲを飼うでござるか。拙者はガマガエルが飼いたいでござるよ」
「違うわよ。父が言うに、何か頼んでるらしくて扱いに困ってるの」
多彩に渡り言語を習得しているエルフであるが、魔物の、ひいてはトカゲの言葉までは学んでいない。
父・カシュヤパ曰く、突然ぬっと家に現れ、敵意を見せず何かを伝えようとしていたので、排除せず娘を頼ったとのこと。
言い換えれば丸投げだ。
「隼人。話せるか?」
「やってみるでござる」
エルフですら分からないのに、と失笑するシェーシャの脇を抜け、隼人はリザードマンの前に立った。
「お前はリザードマンでござるか?」
「ゲココ?」
トカゲは首を傾げる。
「群れで動いてるでござるか?」
「ゲゲッ?」
トカゲは再び首を傾げる。
「酒に弱いやつを何と言うでござる?」
「ゲコ」
トカゲは真っ正面を向いて答えた。
「言葉は分かっているでござるよ」
「忍者ってアホでなきゃなれないの?」
呆れながら、なんでうちに現れたのかしら、と頭を抑えるシェーシャ。
これに隼人は、ああ、と人差し指を立てる。
「エルフの郷に行ったとき、シェーシャ殿の部屋に裏口を作ったでござる」
シェーシャは奇声のような叫びをあげた。
「なに作ってんのよ馬鹿たれェッ!?」
「安心するでござる。我々専用でござる」
「そっから、このトカゲが迷い込んできたんでしょうがッ!?」
「いや、迷い込んだわけでないでござるよ」
隼人はリザードマンに目を向けると、シェーシャは怪訝そうに眉を寄せる。
「何か用事があったでござろう?」
「ゲコ。ゲゲ、ゲコゲッゲココ」
「『魔法を教わりたい』とのことでござる」
「ま、魔法?」
頓狂な声をあげるのに合わせ、全員がリザードマンに視線を向けた。
魔物がすべて、人間を襲うわけではない。
彼・リザードマンも同様に、テリトリーを踏み荒らしたりしない限り、むやみやたらに襲ってくる存在ではない。
人間の暮らしを真似たがるものの、魔法を覚えたいと言うのは奇妙なことだった。
◇
フォーレスの街から西に四日の場所。
深い森の奥に、妖精の花こと〈ハルタナの花〉が咲き誇る一帯があった。
「――と言うわけで、お願いするでござる」
「いきなりやってきて何ですか……」
ここは、新たに拓かれた妖精の郷。
前に棲んでいた森は隠れ家でもあり、人間の王より拝領した。
忍者とリザードマンの目の前に座すのは、彼女らを束ねる女王・ティターニア。
細工美しい絢爛な玉座に深く腰掛け、後ろで興味深そうに首を動かすリザードマンを、じろりと眺めた。
「このリザードマンに、我らの〈魔法剣〉を教えろ、と?」
「棲み家の近くにオークどもが現れ、追っ払いたいようでござる」
隼人の横に立つ十蔵が、それに、と言葉を継いだ。
「どちらかと言えば戦士型だ。魔術師のようなのよりも、クラス・魔法剣士の方が、これが求めるものに合っている」
「我々が苦労の末に編み出したものを、そう易々と教えますか」
「当然だ。タダとは言わん」
妖精はその身体の大きさゆえ、剣は非力・魔法の威力も人間には及ばない。
そこで編み出されたのが、自身の身体的特徴や能力を活かす術――武器や防具に魔法を付与し、能力を高めるようにしたのである。
タダとは言わない。
その言葉に女王を逡巡し、決定の順位を決める構えを取らせた。
「妖精を何名か、東の国に送らせよう」
「……なに?」
「非力、脆弱さは魔法で補えている。音も立てずに隙間に入り込め、また素早くて器用と、種族の利が大きい。忍びは我が代で終わらせることも考えていたが、この大陸で進化すると思えば、それも面白い」
忍びの目に、凛とした女王の眼が光るのを捉えていた。
――妖精族は忍びに向いている
それは対峙して実感したことだろう。
女王は手摺りの片側に身体を傾けながら口に手を、指でとんとんと叩いて宙を見つめ続ける。
「――クラスを会得できぬ可能性は?」
「影に潜る術で四肢がちぎれ飛び、大陸の者は誰一人とて会得できなかった。しかし魔法を我が身にまとう術を心得ているならば、極意も習得できよう」
ふむ、と鼻を鳴らす。
「必要となるものは?」
「主君への忠義。そこには非情さも求められる」
「……なるほど」
あとボーナス43でござる、と口を挟む隼人を無視し、女王は再び黙り込んだ。
意志は応じる方向で固まっていることは、表情から感じ取れる。
それから長い時間をかけたあと、
「分かりました」
と、側近の妖精を呼びつけ、長い指示を出した。




