第3話 妹からの要請
吹く風は初秋を告げ、木々が落とす葉が舞う。
大陸の西側にあるフォーレスの街は、深い山林を伐り拓いた地にある。中央にレンジャーギルドを構えているため、山道を弓を持った者が多く行き交う。
暇に飽かして話に興じる者が多いのだが、このごろ、季節の移り変わりに合わせるかのように、彼らの話題も大きく変化していた。
「なあ、あの話聞いたか?」
「ああ。アルカナだろ? ひでーもんだな」
それらを耳に入れながら、十蔵は山の奥に繋がる道に入る。
(話題に事欠かぬ、賑やかな連中だ)
クランを離れてから二ヶ月。十蔵はあてのない旅を続けていた。
いや、目的はあった。しかしすぐに済ませてしまったので、今は次なる目的を探している最中だった。
――王者・アルカナの凋落
その噂を聞かない日はなかった。
アルカナは雪辱を果たそうとするも、完全に水をあけられる結果に。手痛い敗北が続いていることで、シェーシャとメンバーに軋轢まで生じているらしい。
酒場では賭けが催されているのだが、アルカナへのオッズがすべてを語っている。
(隼人はさぞ、考えあぐねていることだろう)
人気のない場所に入った十蔵は、突然ぴたりと足を止め、身体ごと振り返った。
「――琴。私に用か?」
映るは両端に鬱蒼とした木々を置く、黄土色のあぜ道が延びる情景のみ。
しかし声をかけた途端、そこがゆらりと歪んだ。
「流石は兄上」
姿を現したのは、黒の修道服姿の女・プリースト。
女は流れるような所作で膝を折ると、砂利に手を揃え、恭しく頭を下げた。
「お久しゅうございます」
「うむ。息災そうで何よりだ」
頭を上げると、琴は兄の顔をじっと見つめた。
艶のある黒髪。顔立ちは整い、凛としたアーモンド状の眼は、勝ち気さをたたえている。
最後に会ったのは昨年の春か。
その時よりも美しさに磨きがかかっている、と十蔵は感じていた。
「して、何用か」
「追い出された件について。私の耳にも届いております」
「む、うぅむ……そのことか」
「流浪の身となった兄上に、助力を願いたく参りました」
助力、と眉を持ち上げると、琴はそっと目を伏せた。
「此度、私が属するクランが模擬戦を行うことになり――しかし彼らは、人と戦うことはおろか、魔物や獣と渡り合うのも苦労するほど。これでは結果が目に見えております」
「理由は分かった。……しかし、本当にそれだけか?」
言うと、琴は驚き顔を向けた。
「何かを隠す時、お前は眉尻を下げる」
「あらまあ」
眉尻をいじる妹に、ふっと笑みを浮かべる十蔵。
それを合図に、再び、今度はより畏まった仕草で、少し深めに頭を下げた。
「添いたい方がおります」
やはりか、と十蔵は思う。
忍びの家に産まれた女が、この地に渡り信仰心に目覚めたわけでもない。
クラスの変更は可能と言えど、ずっと聖職者に留まり続けるには理由がある。支援を得意とするそれに拘るとなれば、おのずと答えは導き出せるものだ。
「まだ、おしめを外せたばかりと思っておったがな」
「いつのことを申されます。今や当て布をしておると言うのに」
琴はぷくっと頬を膨らませる。
「はっはっは! まぁ、そのために模擬戦に参加するのであろう」
「くのいちを娶らば敵将の首一つ――。忍びの家に産まれた身、いくら海を渡り故郷を捨てる決心を固めようと、掟を忘れたことはございませぬ。……兄上、どうか我らに力をお貸しください」
深く頭を下げる妹を前に、十蔵は否とは答えられなかった。
◇
堤防に波が打ち寄せ、空にカモメ鳴き立つ港町・ワジ。
商人ギルドを有するこの町は、白を基調とした建物に、美しく敷きつめられた広い石畳が特徴なのだが、何よりも有名にしているものが〈大商業通り〉こと――貝殻が彩るアーチ門をくぐった途端、熱気と喧騒が出迎える〈商人の戦場〉である。
――商人はワジで商売を覚え、ワジに終える
大陸屈指の商業通りには駆け出しからベテランまで。
モノが集まる場所にはヒトが集まる。
ヒトが集まればカネが集まる。
酒場もまたそれに合わせるかのように、あちこち朝から大賑わいであった。
「ねぇねぇっ、これ使えると思う?」
「〈ストーンシールド〉じゃない。どうしたの?」
「えへへっ、今度の模擬戦で使えるかなって思って、買っちゃった」
「えー、いいなー! 私も模擬戦用の装備買おうかしら」
海に面した大店もまた、ナイトやレンジャー、モンク……多彩なクラスの者たちが談笑を交わしていたのだが、それが突然、会話が途切れた。
酒場に突然現れた、見慣れぬ男・十蔵を訝しんだためだ。
『あの人誰なのかな?』
『……さあ?』
『うちの新入りか?』
『ジェラルドから聞いてないが……』
ひそひそと窺う声を受けつつ、十蔵はひと組の若い男女が座すカウンターへ。
女はハッと気付くや、慌てて石床に膝をついた。
「お待ちしていました。兄上」
深々と頭を下げる妹・琴。
その所作に酒場中がどよめき、横にいた男は「兄……」と呟くや、弾かれたように立ち上がって、拳を胸にあてた。
正座をし、背筋を真っ直ぐ伸ばす琴。
その眼差しに、酒場にいた者たちは『ついに』と期待に腰を浮かせていた。
「お、おお、お初にお目にかかります! わ、私はここのクラン・〈ディストリクト〉を束ねる、じぇ、ジェラルドと申し……っ!」
琴より聞き及んでいるのだろう。
ジェラルドと名乗った男は、ガチガチに緊張していた。
(このお転婆を扱えるとは思えんな)
赤みのある猫っ毛の茶髪。
育ちのよさを感じさせる顔立ちに、すらりと高い背はスッキリとした輪郭を描いている。
「剣が似合わぬ好青年だ」
頷く十蔵に、気恥ずかしそうに頭を掻ジェラルドであるが、その後ろでは琴がムッと睨む。
好意的に受け取ればそうであるが、実際は線が細く『頼りない』印象だった。妹は目を鋭く『余計な口出しをするな』と訴えている。
妹が決めた相手ならば、兄が反対する道理はない。
薄く笑み、顎を小さく引いて答えてやれば、琴は安堵の表情で立ち上がり、おもむろに顛末を見届けようとする者たちの前で、両腕を広げてみせた。
「みなさん。この方は我が兄・十蔵でございます。兄はかつて白戦錬磨の王者・アルカナに属しておられ、我々のためと援軍に馳せ参じて下さりました」
訝しむ目は一変、おお、と声と共に祝福と期待のものへ変わる。
(白戦とは)
99勝。百には一つ足りぬ。
妹の言葉に感心しながら、浮かれる者たちを見渡した。
『いかにもお祭りだが』
忍びの技。
口を動かさず、互いにしか通じぬ会話術で妹に訊ねた。
『ええ。お祭りでございます』
『模擬戦は魔法の応酬。それに耐えうる武具を、揃えているように見えぬが』
『ええ。お祭りでございますれば』
魔物相手では頑強な防具、もしくは経験で致命傷を避けられる。
しかし、模擬戦の相手は人間。メイジの魔法が雨あられのように降るため、防具は硬さを重視したものよりも、耐魔法のコーティングが施されたものが主だ。
また素早い動きが必要とされるのだが――十蔵が見る限り、クランの者たちはみな、対魔物の重装備だった。
『……すべては面倒見れんぞ』
『ええ。お祭りでございますので』
あくまでクランのイベントとして。
当人を縛る掟のことは伝えられていない。萎縮させないための配慮だろう。
『相手次第であるが』
『ハルジオンでございます』
なに、と十蔵は眉を上げ、思わず聞き返した。
それは以前、所属していたアルカナと刃を交わし続けた同盟なのだ。
確かに、首を提げるには相応であるが。
『……仕込んだな?』
『お祭りでございますれば』
琴は同じ返事を繰り返すだけだった。