第11話 生きおとり
妖精の森に向かったのは、それから四日後のことだった。
ドワーフたちは〈北の果て〉と呼ばれる地域に生息し、洞窟を掘って暮らしている。砂漠街・エスタンにて、シェーシャと悶着を起こしたその日の夜、彼らの施設が謎の爆発事故を起こし全壊。
その報せを聞いたシェーシャは、『お祝いよ!』と、三日三晩、酒を飲み明かしたのが理由である。
「んっふー♪ あの小賢しいガキンチョ、どんな顔してるんだろ」
未だに上機嫌に肩を揺らしながら、深い山道を歩き続ける。
装備する革のスロップドパンツやブーツは、草木から移った朝露に濡れ濡れと光る。シェーシャは獣道でも厭わないどころか、エルフが〈森の住人〉たる所以を見せつけるかのような剛脚ぶりを披露した。
白い外套には緑の筋がたくさん走り、濡れ落ち葉も張り付いている。
「――そろそろでござる」
隼人が言って足を止めると、十蔵も「そうだな」と周囲を見渡す。
これを受けたシェーシャは、腰のポーチに入れていた地図とコンパスで確認した。
計算を間違えていなければ、荷運び中に襲われた場所から三日進んだ位置――父・カシュヤパより賜ったエルフの地図に〈パリー〉と記された場所にいる。
首を伸ばし周囲を確かめてみれば、少し離れた先の一面が、赤色の花で埋め尽くされているのが見えた。
「わ、ああ……っ」
胸を打つ光景に、シェーシャは思わず感嘆の声を洩らした。
エルフはこの〈ハルタナの花〉にめっぽう弱い。
希少なのが主な理由だけど、花の香りもまたいい。帰りに一本、手折っていこうかしら……などと思いながら、うっとりと眺めていると、
「ほれ――」
「え……」
十蔵が、摘み取ったハルタナの花を差し出したのである。
シェーシャは思わず身を固くした。
「え、えっと、その……」
頬が熱い。この花を受け取るのがエルフの女の憧れでもある。
どうしていいのか分からず、目をパチパチさせるしかできなかった。
「? 何をしている。さっさと匂いを身体につけろ」
「あ、そう……」
考えて損した、と胸で悪態をつきながら、くさくさと花を擦りつけてゆく。
そこでやっと、出発前に聞いていた『忍者の潜入方法』というのを思い出した。
その場所の“におい”と言うものがあるので、山なら土を、森なら草木の香を、服や身体中に染みこませると言う。
「これに近いのは、レンジャーの獣狩りね。あれも臭い消しとか、お風呂入らないとかあるし」
「そうだな。国や地域が違っても、経験によって導き出された手段は同じなのだろう」
十蔵は言いながら雑草などを手で揉み、それを自身とシェーシャの顔に。
隼人は横で、馬の砂浴びのようにずりずりと。黒装束に雑草の切れ葉をくっつけながら、今度は水気を含んだ土を掬いあげる。
「そ、そこまでするの……?」
「必要とあれば、糞溜めの糞尿を塗ることもある」
「忍者には、絶対になりたくないわね」
「お陰で後継者不足だ」
ほろ苦く笑う十蔵もまた顔や首、手足……黒装束に泥を塗りつける。
後継者との言葉に、そう言えばギルドマスターでもあったわね、と思い出した。
「……王宮は相応のポストを与えてくれるらしいけど、アンタたちは受けるの?」
「受けぬ。三つですら手一杯なのに、四つも仕えられん」
そう、と素っ気なく言うと、シェーシャは見えないところで安堵した。
王宮務めになればクランから脱退せねばならず、そうなると模擬戦には参加できないのだ。
(頼りにしたくないけど、頼りにするしかないのよね……)
ここからは隼人が先行する。
木々をぴょんぴょんを飛び渡り、その後を十蔵とシェーシャが、草木を駆け分けながら慎重に歩を進める。
緊張の息苦しさに耐えていると、隼人が握り拳を掲げた。『止まれ』の合図である。そして幹に張り付いたまま、人差し指を立て、くいくいと右に振る。
妖精を気取った、とシェーシャも理解した。
『身を屈めて待機しておけ』
声を低く命じる十蔵に、シェーシャは頷いて応える。
緑濃く繁る枝の下、忍者は薄暗い木陰の中を二メートルほど先に進む。
泥に汚れた黒装束はそれだけで見えづらく、視線を外すと見失ってしまいそうになってしまう。
「あ……」
その視線の先・少し上に、すうーっと滑る姿を捉えた。
緑のチュニックに同色のフード。茶色の革の籠手、ブーツ。そして、背中には透き通る虹色の羽――。
子供のころ絵本で見て、憧れていた存在が目の前に。感動で嗚咽が漏れそうになり、手で口元を覆った。
(本物、なのよね)
侵入者に気づいたのか。
妖精は目の前をいったりきたり。顔をキョロキョロと動かし、しきりにシェーシャのいる方向を気にする仕草を見せる。しかし、そのほぼ真下に十蔵がいると、気づいていないようだ。
シェーシャは息を詰めて窺う。
すると妖精は少し高く浮かんだかと思うと、生い茂る草木のすれすれを滑空し始めた。
目の前にやってくるかと思い、身体を強張らせたその時――
『――ギッ!?』
瞬間。十蔵が右手を伸ばし、妖精を捕まえたのである。
その様は、カメレオンが長い舌で補食するのを彷彿とさせた。
「ァ゛……ァ゛ァ゛……」
小さく細い首を、人差し指と中指の間に。
叫びをあげさせないよう、ギリギリと締めつけているようだ。
弱々しい苦しい喘ぎに、シェーシャは耳を覆いたくなった。
十蔵はすっと顔を上げ、隼人に何かを確かめる。
そして今度はシェーシャに向き直り、
「始めるぞ」
そう告げた。
シェーシャが頷くを見ると、十蔵は右手に太い針を握る。
「ピッ、ア゛……!?」
妖精が青ざめたのが分かる。
掴む左手は、親指で背を大きく仰け反らせ。
小さく震えるその肩に、針先が当てられれば――
「ビ……ッアアアアアアアアアアアーーーッ!?」
けたたましい、妖精の悲鳴が森中に響き渡った。
非道なそれを止めたくあるが、忍者は意味のないことをしないはず。これが策なのだろうと言い聞かせ、ぐっと堪えた。
悲鳴を絞り出すように。刺した針をえぐれば、更に悲痛な叫びが起こる。
妖精は痛みに頭を振り乱し、逃れようと必死に手足をばたつかせ、身悶えする。
「ビィィィッ!? ビィィィィーーッ!?」
耳を覆いたくなるそれに、もうやめて、と叫ぼうとしたその時だった。
――イィィィィッ!
遠くから、尾をひく笛の音と共に、ヴヴヴと低い羽音が。
ミツバチが新たな住み処に移る大移動・分封を、もしくはスズメバチの巣を思いきり蹴り飛ばした時を思わせるような、真っ黒な塊が、猛烈な勢いで向かってきたのである。




