第3話 花と襲撃と風に舞う者
そこから幾日ののち、西のフォーレスに向けて王宮の荷車が出る。
馬が引くのは一台だけ。荷の多くは小麦などの穀物で、王宮から選出された十五名の兵士が、前後左右を固めている。加えて、荷車の後ろには部外者が二名――ジェラルドとシェーシャの姿がそこにあった。
先頭に立つのはジェラルド。新たに新調したであろうチェインメイルにプレートをあて、更に水面を跳ねるレザーのサーコートをかけている。片やシェーシャはほぼいつも通りの軽装で、スロップドパンツの他にレザーの胴鎧を装備する程度である。
「お前ら。本当に近衛をやった奴らが同行しているんだろうな」
荷の横に立つ二人に向かって、後ろから一人の兵士が訊ねる。
不安なのだろう。落ち着きなく、訊きながらも視線を動かしている。
「問題ありません」
シェーシャは短く答え、ござる、と宙に向かって呼ぶと、
「ちゃんといるでござる」
荷の上に、腕を組んだ隼人が現れる。
おお、と兵士たちは仰天するも、一同の顔に安堵の色が浮かんでいた。
(不安を抱くのも無理ないわね)
兵士はジェラルドの父・ドナハが選出したものの、息子との関わりが一切ない。シェーシャもまた、関係者と呼べるのは十蔵と隼人の二人のみ。意志の疎通・連携もとれない寄せ集めの隊で、正体すら分からぬ連中に挑むなぞ無謀以外ないのだ。
唯一呑気なのは、荷を引く馬とその上に立つ忍者だけである。
「出てきたついでに訊くでござるが、なにゆえ転移の魔法で運ばぬでござるか?」
「運べないのよ。転移させられるのは、原則として生きているものだけ。長く研究を重ねてやっと、武器や鎧、小さなリュックを運べるようになった程度なの」
生物の持つ熱か、魔結晶は通るのでそれが関係しているのか。
つい数十年前まで『転移は最終手段、かつ人前で全裸を晒す覚悟が必要』と語られていたほど、転移の魔法は多く解明されていない。
届け先は、西部・フォーレスを超えて五日の距離。
フォーレスまで三日とはいえ、重い荷車を引いた状態では、この倍は見ておかねばならないだろう。
「アンタたち、ちゃんと守りなさいよ」
「合点承知。安心するでござる」
「それと、そこの優男も」
水を向けられ、驚くジェラルド。
そして、どこか困惑した表情でシェーシャを見た。
「何よ。文句あるっての?」
「その、妻……より、シェーシャ様は守るな、と……」
「ハァ?」
眉を寄せると、ああ、と隼人が声をあげた。
「琴殿は怒ると、本気で怖いでござる……」
「先日、部屋を訪ねさせてもらったあと、『メス猫のにおいがする』と立腹されまして……」
顔だけの男はアテにならん、とシェーシャはつくづく思うばかりである。
◇
フォーレスの街に立ち寄り、超えてから二日。後三日出終わる。
この頃になると人間たちの緊張感が薄れ、疲労とたるみが感じられるように。荷運びのリーダーとして先導するジェラルドもまた、あくびをする回数が多くなっていた。
一方で、シェーシャはほどよい緊張感を保ったまま。忍者が傍にいるせいか、唯一の女であっても間違いは起こらない――が、その忍者が与える尻への悪しき気配のせいであった。
食事もまた小麦ふすまを固めたクッキーや干し肉などに飽きれば、タンポポやオオバコなどをサラダ代わりに。深い山道のため、あちこちに春の花も多く咲いており、長い移動による士気の低下はない。
(あれ? そう言えば襲撃が受けた地点って……)
シェーシャはふと思い出し、じっと頭に浮かんだものと地図を照らし合わせる。
襲撃を受けた地点はバラバラ。しかしこの場所、どこかで記憶がある。
「シェーシャ様、どうされましたか」
「いえ……」
周辺を見渡すが、これまでと変わらぬ山道。
踏み固められた茶色の土が、青々とした草木を割って伸びている。吹き抜ける柔らかな風が、遠くの花の香を届けてくれる。
(この香りはもしてかして〈ハルタナの花〉かしら)
シェーシャは鼻を少し宙に向けた。
それは、非常に珍しい花だ。
春は桃色、夏は赤色、秋は橙色に。冬には枯れるが、ごくまれに青色の花を咲かせるものがあり、その押し花を持って告白すればエルフの女はたちまち落ちてしまう、とまで言われている。
そして、それは別名――
「え……?」
「ど、どうされました!?」
地図を今一度、確認する。
記憶にあったのは、幼い頃のものだ。
そう、確かこの近くである。何度も見た絵本の舞台は。
「ま、まさかここって……っ」
忍者を呼んでそれを探させよう、顔を上げたまさにその瞬間、
「が――ッ!?」
飛来してきた矢が、荷車の後ろにいた兵士の眉間を射貫いた。
「で、出たぞッ! みな構えろッ!」
馬が嘶き、高く掲げた前両脚をもがかせた。
その後ろ・荷の周囲では兵士が剣を抜き、盾を構えながら様子を窺う。
敵は姿が見えぬもの。その言葉の通りであった。
「うがッ!?」「ぐああッ!?」
「カッ……はッ……」「……ッ!」
防御態勢を嘲笑うかのように、首や胸、鎧の隙間を貫き、次々と兵士を仕留めてゆくのだ。
中には半狂乱に剣を振り回すも、脚を射られ、片膝をついた瞬間にあちこちを切り刻まれた者もいる。
なす術のない兵士の数はどんどん減り、いよいよ残り五名となった頃、
「ジェラルド殿、拙者の後ろから絶対に動かぬことでござる!」
荷車の先頭で盾を構えるジェラルドの正面に、隼人が降り立った。
同時に、チン、と音が鳴り、細身の小さな矢が地面に落ちる。隼人がクナイで弾いた、と遅れて気付く。
「シェーシャ殿は十蔵殿が守るでござる! そこから動いたらダメでござるよ!」
「く、し、仕方ないわね!」
癪であったが仕方が無い。
風の魔法で矢を逸らしているものの、徐々に精度が上がり、そう長く持ちそうになかったからだ。
敵は見えないのではない。捉えられないのである。
(飛び交っているそれが、考えているものだとしたら……!)
厄介、いや大問題に発展する。
そう思った時、
『――おっと危ない』
「んぴッ!?」
シェーシャの尻に、どむっ、と衝撃が走った。
蹴られ、そのつま先が尻の間・ど真ん中に――。
膝から崩れたシェーシャの頭上、仰け反った背の後ろを、矢と剣筋が通過してゆく。
「ふッ――!」
十蔵は間髪入れず、矢が飛んできた方向に向かって腕を振り上げる。
ターン、と高い音が――その向こうにあった木の幹に、黒いクナイが刺さった。
その瞬間、攻撃が止んだ。
ピリリリッ、ピリリリッと、どこからか笛の音が鳴り響く。
風は吹いていないのに、ガサガサと周囲の枝葉が揺れ、葉を落した。
抜き差しならない事態が去ったらしく、隼人が息を吐きながらクナイを戻す。
「連中は去ったようでござるな」
「そ、そうなのですか?」
ジェラルドは警戒しながら盾ごしに周囲を見渡す。
立っているのは三名のみ。ほか随伴していた兵士は全滅。
また、シェーシャも地面の上で、
「はォォォォ……ッ……」
と、尻を押さえて悶絶している――。
「忍者がいて正解でござったな。凡人ではあの矢は避けられないでござるよ」
そう言う隼人の後頭部には、矢が三本、突き刺さっていた。
「して、十蔵殿。何か仕留めたでござるか?」
「あれが荷を襲っていた下手人のようだ」
十蔵が指差した木の幹。
クナイに腹部を貫かれた、人形の如く小さな女――背から生える虹色の薄羽が、四肢と共にだらりと垂れている。
◇
「――このクソ忍者ッ! 馬鹿たれッ、アホたれッ!」
シェーシャは復活して早々、口汚く十蔵を罵る。
忍者の足を見れば、つま先が尖った靴を履いている。それが尻穴にダイレクトアタックを与えたせいで、回復するまで時間を要した。
「これが襲ってきた奴のようだ」
「私の話を聞けッ!」
十蔵はシェーシャを無視して、仕留めた者の頭を摘まみ、宙に浮かせた。
裸に剥かれた小さな女。全長は二十センチほどで、目を薄らと開き、口の右端には赤い血の筋が一つ。四肢をだらんと垂らす。鳩尾から膀胱にかけ、痛々しい傷が真っ直ぐに刻まれている。
そして特筆すべきは、その背に生えた薄く透き通った羽――
「やはり、妖精の……」
シェーシャの顔が曇り、言葉を詰まらせる。
「フェアリー? 聞いたことはあるが、見るのは初めてだ」
「当然よ。遠い昔、人間に森ごと集落を焼かれ、絶滅したって言われてるもの……」
彼女らが生きていて、その元凶・王宮の者を狙ったとなれば。
とんでもない事態になるわ、とエルフの顔に焦燥が浮かんでいた。




