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第1話 忍びの影あり

 穏やかな日差しに、冷たい空気が緩やかに暖まってゆく。

 土は明るく、小さくほころぶ野花の蕾は、見る者の胸を弾ませてくれる。


「どうして春になると、彩りあるものが美味しく感じるのかしらねぇ」


 シェーシャはボウルいっぱいのサラダに、しみじみと春を感じ入っていた。

 ベビーリーフに、バジルやルッコラなどのハーブをたっぷりと。そこに刻んだレモングラスやクミンをぱらぱら散らす。食感のアクセントにもみ殻つきの大麦を一握り。エルフの郷土料理・特製ハーブサラダである。

 しかし、この味を誰も理解しようとせず、心腹の友・ファファに限っては、


『ニワトリのエサ』


 と、酷評した。

 エルフの味覚はおかしいと眉を寄せるのだが、シェーシャからすれば、これを理解できない方がおかしい。

 あまりに文句言うので、エルフのとっておきの食べ方――サラダにミルクを注ぎ、粉チーズとシナモンパウダーをかけてやるも、


『寝ゲロで目覚めた朝の味』


 と、更に文句を言った――。

 そのサラダを平らげ、シェーシャは満足に息を吐く。ボウルは舐めたように綺麗になっていた。


「今日は休みにして、花を愛でにゆこうかしら」


 春の幸福感に浸っていると、ふいにノックの音がした。

 まだ早い時間だ。魔法で扉の向こうの気配を探ってみれば、穏やかではない連中が並んでいるのが分かった。

 六人か。シェーシャは黒杖を握り、いつでも魔法を唱えられるよう構えながら、扉を開く。


「同盟・アルカナのマスター。シェーシャ・ドラウ・ナージャだな」


 扉の前に立っていた、偉ぶった人間のナイトが訊ねる。

 居丈高に顎を持ち上げ、かつ、目線はいやらしくシェーシャを舐める。


「ええ。間違いないわ」

「そちらに属している者について、聞きたいことがある。王宮へのご足労願おう」

「ハァ? そいつに直接行けばいいでしょ。私は忙しいの」

「これは君命(くんめい)である。拒絶することは、王への異心ありとみなされる」

「まるで出頭ね」

「エルフに隔意あり、と思われたくなければ黙ってついてくることだ」


 やれやれ、とシェーシャは息を吐く。

 従う意志を見せると、控えていたナイトらが周りを囲み、北の王宮に向かって歩み始めた。


 ◇


 王宮は首都・ポルトラの北に、高い丘の上にある。

 城壁が伸びる街はずれ。平野を割る石畳を歩くことしばらく、勾配が急な坂道に差し掛かる。しかも蛇行するように昇るため、実際は、外から眺めるよりも倍近い距離を歩かねばならない。

 冒険者であるシェーシャには何てことない道なのだが、周りを固めるナイトの半数が息が上がっていた。


(チェインメイルに槍、と重装備なのは分かるけど、王宮勤めの兵士がそれでいいのかしら)


 情けない。メイジ姿のシェーシャは軽侮した。

 街中ではまるで重犯罪者のような扱いで歩かされ、後ろにつく兵士はじっと尻を見て歩く。

 エルフの立場が弱まった現在では仕方ないが、かつての威厳を揮った時代であれば、これだけで王自らに謝罪せねばならないほどの愚昧さだ。


 一団は坂道を登り切り、大きな城門に差し掛かる。

 そこから西の方角を見下ろせば、四つの支城のようなも建造物が。そこが模擬戦で使用される城で、東側にも形状が違う四つの城がある。

 城門をくぐり、春の色豊かな前庭を抜ければ本城だ。


(それにしても、王宮が一介のエルフに何の用なのかしら? 同盟の奴がやらかしたって言っても、先に呼ばれるのはクランのマスターだし)


 専らの出来事を思い出してみる。

 まず浮かぶのは、淫らなバナナ販売に規制が入ったとか、本屋が遊びでやった『娼婦が選ぶアップルパイの美味しい店』とのランク付け企画が話題となったこと。今や専門の本まで出ている。

 次は、古城の地下監獄に〈微睡みの茨姫〉が出たとのこと。……なのたが、時おりムードのある音楽が聞こえ、とても魔界でも恐れられる女看守がいるような雰囲気ではないようだ。


(どれも私どころか、同盟やその個人が関わることではないわね)


 他には……と思い出すと、


(フォーレスの近くで物取りが頻出するようになった、てことかしら)


 メンバーが実行犯ならあり得る。……が、これもクラン単位でやっていない限り、同盟のマスターに累が及ぶことはない。

 しかしこれ以上、思いつかない。

 いよいよ分からぬまま、待合室での短い待ち時間を経て、王が待つ謁見の間へと通された。


 ◇


「エルフの者よ。顔を上げたまえ」


 低い威厳に富んだ声を受け、傅いていたシェーシャは顔をあげた。

 青の色明るい豪奢な毛皮の外套を羽織り、その肩にダークブラウンの波打った髪がかかる。口元には豊かな同色の髭が、たっぷり蓄えられている。

 齢は五十五だったか。血色はいいが、どこか疲労の色が感じられた。


「ラディス国王陛下。お目にかかれて光栄です」

「うむ。急な喚び出しをして申し訳ない」


 王は一拍おいて、


「貴殿の同盟に、〈東の国〉の者がおろう」

「東の……」


 目を伏せ、ああ、と思い出して視線を戻す。


「一名、おります」

「一名? 二名と聞いておったが」

「片方は、非人道的な行為により除名となりました」


 そうか……と王は難しく、短く唸った。

 いったいどうして、と怪訝に思ったシェーシャに答えるかのように、実は、と口を開く。


「彼らと接触を図りたいのだ」

「え……?」

「ルナ、と言うクランにいるのは存じている。しかしマスターに訊ねても、このところ姿を見せないとのこと。貴殿と関わり深く、居場所を知るのではないか、と話したそうだ」


 シェーシャは思わず眉を寄せる。

 確かに、あの忍者に一番接触しているのは自分だ。


「あれらは神出鬼没。(わたくし)も、方法あって接触しているわけでは」


 王は、今度は長く唸る。

 おかしい、何かを案じていると分かる、重い唸りだった。


「次、接触しましたら――」


 王宮へ出向くよう伝える。

 そう言おうとした、その時だった。


『――不要』


 突然、目の前に降り立った黒い影。

 赤い絨毯の上に片膝をつく、黒装束に身を包む黒髪の男。

 それは、今まさに話していた忍者・十蔵であった。


「あ、アンタ!?」「な、何者ッ!?」


 シェーシャと王の言葉が被る。

 そして同時に、現れたのが忍者と分かるや、四方から武装した兵士――槍や剣を構えたナイトが五名、弓を持つレンジャーが二名。ウィザードが三名、取り囲むように並ぶ。


(あの総白髪のナイト、まさか〈剣聖のポール・ギュネス〉じゃないでしょうね……)


 厳かな空気は一変して剣呑なものに。

 シェーシャにも敵意が向けられ、反射的に黒杖を構える。

 これに十蔵だけ動じておらず、静かな声で王に告げた。


「東の国・忍頭(しのびがしら)の十蔵。大陸を統べる王が、影に何の用向きでございましょう」


 えっ、とシェーシャは肩越しに目を向けた。


「そ、そなたが、忍者とやらの頭か?」

「左様」

「そ、そうか……うむ、みなの者、控えよ」


 王が命じると、武器を構えた者たちはゆっくりと腕を下げた。

 しかし剣は納めておらず、警戒は一切解いていない。


(みな、追随を許さないような猛者ばかりね……)


 近衛の者たちだろうか、とシェーシャは不安げに十蔵に目を向けた。


「この大陸に、城の積み荷を狙う賊がおる。警護の者を皆殺しにする残虐な連中だ」

「存じております」

「我々はシーフをはじめとした悪党らの仕業かと見ていた。しかし命からがら逃れた者がおり、それが言うには『何も見えなかった。探知の魔法も通用しなかった』そうだ」

「……」

「大陸のクラスに、探知の魔法を受けずして姿を隠せる者はおらぬ」


 十蔵は押し黙ったまま。

 王は言葉を強めながら続ける。


「影の中に潜む者、闇夜に溶ける者。……海の向こう、誰一人とてこの大陸の者が会得できなかった、忍者のクラス以外にな」

「なるほど。やはり我ら忍びを疑いか」


 王は何も答えない。

 その反応で答えが出ていた。

 空気がいっそう重く。周りの配下はそれぞれ武器を構え、命令を……いや、隙あらば斬りかからんとしている。

 シェーシャはハラハラと、目を忙しく動かし続けている。


「大陸を支配する王。その御権威、どのようなものと思っておりましたが」


 十蔵は首を小さく傾け、横目で周囲の連中を見やる。


「一城の主にそぐわぬ。短絡極まりない愚か者よ」

「なッ……」


 まさかの侮辱に、王は喫驚した。

 これに総白髪のナイトは激昂し、貴様ッ、と剣を構えて絨毯を蹴った。


「隼人」

「――もう終えているでござるよ」


 十蔵の後ろに、さっと降り立ったのは隼人であった。

 総白髪のナイトはそのまま十蔵に向かって。しかし、他の者たちはずっと同じ体勢のまま立ち尽くす。

 それに気付いたナイトは足を止め、仲間を確かめた。


「お前たち、何を――」


 言いかけ、言葉を失ってしまう。

 全員、ゆらりと揺れたかと思うと、直立不動のまま倒れたからだ。

 首裏に、鈍色のナイフを深く突き立てられて。


「御首頂戴」


 その間に、十蔵は一瞬にして総白髪のナイトの後ろへ。

 なっ、と驚くのも僅か。真っ白な後ろ髪を握り、どん、と背中に前蹴りをする。


「――ッ!?」


 王は半狂乱に叫び、顔を歪めた。

 総白髪のナイトの胴体だけが、赤い絨毯の上に倒れたのである。

 首だけになったそれの目が動き、何があったのか王に問うような目を向ける。

 そして血を一滴。絨毯が吸った直後――首は喘ぐような息を洩らし、息絶えた。


「ぽ、ポール……ポール……ッ!?」

「我が配下の中に、積み荷を襲うようなチンケな行動に出る者はなぞ、誰一人としておらぬ」


 手にした首を放り投げる。

 音を立てて転がった首は、苦悶の表情を王に向けている。


「覚えておけ。影が敵意を抱けば、その瞬間に貴殿はこうなると」

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