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第2話 B級の矜持

「赤字覚悟はあるけど、黒字覚悟ってないよね」

「それはただの通常営業でござる」


 隼人の足は飲屋通りへと向かっていた。

 ポーションとバナナはまだ半分近く残っている。

 “バナナを食べさせてもらう商売”によって空腹は解消されたものの、それによって生じた虚しさを満たすため、レオナは黙々と売れ残りを食べながら歩く。


「ここでござる」


 手をかざしたのは、首都・ポルトラの南西にある酒場であった。

 西側は富裕層が多いためか、店構えにもやや高級感が漂う。街でも珍しく菓子を提供する店で、酒場にしては女性客が多い。店内もそれに合わせたのか、木の色が明るい床に丸テーブルが印象的だった。

 慣れた様子の隼人に対し、レオナは気後れに。カウンターに立つ店主の目線におっかなびっくり、そろそろと足を踏み入れる。


「お前か。今日は何だ」


 開店したばかりか店内には客はいなかった。

 じろりと睨むような店主に、隼人はレオナの背に手を回す。


「彼女の持つリンゴを使って、一つ菓子を作ってほしいでござる。持ち帰るので箱に入れてほしいでござる」


 酒場では食材を持ち込み、調理してもらうことも多い。

 驚き顔をしたレオナは、渋々と言った様子で袋からリンゴを五つ取り出した。


「ほう」


 店主は赤く艶を放つリンゴに眉を上げ、一言そう言ったきり。口数少なそうな見た目通り、無言で調理を初めてゆく。

 その腕は確かと思わせる、厨房から聞こえるリンゴを切る音。ほどなくして甘い蜜香が店内を漂い始め、レオナは小鼻を膨らませた。

 しかし、そこからが長かった。

 店主は後からやってきた客の相手をしながら何度も釜を確認し、日が傾き、冬鳥が鳴き始めた頃になって、やっと箱を一つ運んでくる。


「え……」


 それを見て、レオナは問いただすような目で店主を見上げた。


「なにか文句でもあるのか?」


 凄む口調に、うっと言葉を呑み込んでしまう。

 このいかつい顔でお菓子、それも“アップルパイ”を作ること。

 いや、それよりも――と、言いたげに。


「その顔にちょっと驚いただけでござる。これは代金ござるよ」


 隼人が言うと、店主は机に置かれた中ぶりの銅貨をポケットに仕舞い、カウンターへと戻っていった。

 ほっと息を吐いたレオナであったが、それもすぐ、酒場をあとにパイが入った箱を持つ隼人を睨みつけた。


「ちょっと、リンゴ五個も渡してこれだけっ?」


 箱は二十センチほど。その中には、十センチ角ほどの小さなパイが二つ入っているだけ。

 五個も渡せば、よほど贅沢に使わない限り六つは作れるに違いなかった。


「酒場で食材を誤魔化されるのはしょうがないこと、と割り切るでござる」


 やはり、とレオナは怒りをはらんだ声で言い、酒場を振り返る。

 だが隼人は意にも介さず、


「リンゴの種ができたので、今度はそれを植えにゆくでござるよ」


 と、軽い足取りで街の北側へ、ずんずん進むのだった。


 ◇


 街の北部は宿屋街となっている。

 しかし、その一画はあまり健全な者がやってくる宿屋ではなく、


「ちょ、ちょっと、ここって花区じゃ……っ」

「そうでござる」


 男と女。そして、金のために身体を売る女たちが蔓延る場所。

 ガラス張りの窓は珍しく、妖しい橙色の明かりが冬の夜空を染める。何よりここの宿はしっかりとした構えをしていて、


【首都にて快適な宿を求めるなら、安い娼婦を買って花区の宿に入れ】


 と、専ら話題になるほど。レオナは小走りで隼人を追いながら、確かに、と納得した様子で宿屋並びを眺めていた。

 やっと足を止めたのは、花区のど真ん中に位置する大きな建物の前。扉に【フレッティの女郎屋】と書かれたプレートが打ちつけられている所であった。


「たのもー、でござる」


 ロビーと思われる場所に女が一人。

 隼人を見るなり喜色ばんだ。


「あらーっ、ハヤトちゃーん。ご無沙汰ぁ」

「ロイヤルクイーンに差し入れを持って来たでござる。バフリィのパイでござるよー」

「ホントぉ! わああっ、嬉しいー!」

「今回はちょっと他の人たちと味を見て、評価を聞きたいでござる」


 クイーンと呼ばれた女は、あからさまに落胆する素振りを見せる。

 しかし、すぐに奥から人を呼ぶと、返事とともに女たちが現れ始めた。

 みな隼人をよく知るのか、両手を広げて歓迎を露わにした。


「パイの感想ね。どれ、まず私が一口……」


 近くにいた黒髪の女が、がぶり、と一口。

 そして咀嚼をした直後、女は、かっと目を瞠った。「なにこれぇ!」


「今日のパイすっごいイイ!」


 これに次の女が奪うようにパイを取ると、


「――ホントッ! なにこれ!」

「中のリンゴ、ちょー美味いよっ!」


 口々に、絶賛の言葉を発してゆく。

 男か女か分からない大柄な娼婦に関しては、口を大きく開くほどだ。これに女たちは「残るようにしてよ!?」と慌てて釘を刺す。


 アップルパイは、やはり中のリンゴが味を決める。

 家族が作ったリンゴは、A級と呼ばれるブランドと比べられ、普通そこそこな評価ばかり。見向きもされないと嘆いたこともあった。

 しかしパイに姿を変え、美味しいとあっと言う間に食べ尽くされる。

 それを見て、レオナはたまらず目頭を拭った。


「――ところで、このいきなり泣きベソ始めた女、うちに放り込みにきたの?」

「違うでござる。彼女はブラックスミス、そしてこのリンゴを仕入れたでござる」


 へぇ、と声をあげたクイーンは、レオナに目を向けて、


「いくらか置いていってよ。バフリィほどじゃないけど、うちにも菓子作りが得意なのいるしコンポートにして食べたいからさ」

「え……、あ、は、はいっ!」


 割高でもまるで気にせず、袋にあったリンゴ十個を渡す。

 材料あったっけ、馴染みの客に砂糖屋いたよね、などと娼館が一気に賑わぎ始めた中、


「ああそうだ。ブラックスミスなら、ちょっと頼みたいんだけど――」


 一人の娼婦が思い出したようにレオナに声をかけた。


 ◇


 それから三日後のこと。

 隼人とレオナは再び、食材を誤魔化された酒場・バフリィの店を訪ねていた。

 今度は何も注文せず、隼人がカウンターにやってくると、


「カートのリンゴ、ちょっとギリギリでござる」


 そう言うや、店主は厳つい顔をニヤリと歪めた。


「では、あるだけ買ってやろう」

「まいどありっ、でござるー」


 初めて会った時の印象はうって変わり、この人ならリンゴを生まれ変わらせてくれる、とレオナは喜んで袋を持ち上げる。


「娼婦たちのおねだり、応えるといいことあるでござるよ」

「もうあったさ」


 店主はニッと唇の端を持ち上げると、身体を横に傾け、


「おい、ねーちゃん。このリンゴはどこで仕入れてるんだ」


 と、レオナに訊ねた。

 突然のことに虚を突かれたものの、実家からです、と彼女が答えると、店主は、してやったりと笑みを浮かべた。


「よっしゃ、うちが仕入れてやらあ! 荷運びのキャラバン連中の手配もしてやるから、いくらでも持ってきな」

「ほ、本当ですか!?」

「当然だ。甘みがない分、素直な味わいだ。煮ても食感がしっかり残る――よく誰も目をつけなかったと思うくらい、こいつはいいリンゴだ。この冬はこいつに暖めてもらうぜ」


 レオナは思わず口に手をやり、目に大きな水粒が浮かばせた。

 堪えようとしても叶わず、両手で覆ってしゃがみ込んでしまった。


「そうそう、仕入れてくれたお礼にこれをプレゼントするでござる」


 隼人が言って取りだしたのは、布に包まれたテーブルナイフだった。

 反った刃は店内の燭台明かりを受け、煌々と光っている。店主はそれに、ほう、感嘆の息を吐いて、何度も刃を確かめる。


「こいつはいいナイフだ」

「このお嬢ちゃんが造ったでござる。パイ用のもあるので、店に出すときに使って欲しいでござる」

「断る。こんなの出したら、すぐに盗まれらあ」

「盗まれてもいいでござる。と言うか、ナイフを気に入ったら持ち帰ってもいいとするでござるよ。一日七本ほど、新しいのを持ってくるでござるから」


 ほう、と顎を揉む店主。


 ――ナイフあったら売ってくれない? うちの古くて切りにくくてさ


 娼館を出る時にかけられた言葉。

 家族が丹精込めて作ったリンゴを、自分が作ったナイフで料理してもらう。

 カートから取りだしたナイフと差し出す時、レオナの手は何かの糸口を掴んでいた。


 ――パイ用のナイフを十本ほど作るでござる

 ――娼婦らはおしゃべりなので、客や同業の女たちに自慢するでござる

 ――だけど絶品のアップルパイはもうない

 ――客は娼婦への土産に、娼婦は羨みから、酒場に作れと迫るでござる


 人の噂は何にも勝る広告となる。

 酒場と娼館には情報が集まり、発信される場所。モノもそれを扱うヒトも確かとなれば、商機と言うほかない。

 鋳物だけで価値を決めるのではく、何かと合せて初めて価値が生まれる。


 ――このリンゴやパイには、自分のナイフが相応しい


 家族への感謝と鍛冶師としての矜持が、ひたすら鉄を叩かせ続けた。


「ひ、必要ならば改良も加えます!」


 レオナはカウンターに身を乗り出し、酒場の店主に腕を売り込む。


(これから忙しくなるでござる。腕を磨いて精進するでござるよ)


 隼人は音もなく、その場からそっと消え去るのだった。


 ◇


 一か月後。

 首都は雪に覆われ、寒さを極めていた。

 そんな中、とある部屋の中に賑やかな声が響く。


「シェーシャッ! やっとバフリィのパイ、手に入れたわよッ!」

「ホントッ! ファファやるぅッ!」


 修道服姿のファファ、白い外套とレオタードスーツのシェーシャ。

 パイを机に置くと、二人は嬉々として紅茶や皿を用意し始めた。


「一日七食限定よ。同業者が真似してアップルパイブームが起こってるけど、火付け役のバフリィには叶わないわね。甘さとバランスと、何よりリンゴが絶品。噛めば口の中でじゅわっと、リンゴーって広まるもん」

「私は別に流行り廃りは興味ないけど、絶品の果実なんて言われたら、エルフとして聞き逃せないわ」

「またまたー、素直じゃないんだから」


 ナイフ借りるわね、とキッチンに立ったファファは突然、あれ、と声をあげる。

 どうしたの、とシェーシャが振り返った。


「こ、このナイフって……」

「ああ、それ? ござるが持って来たのよ。『ボロボロで使いにくいから変えたでござる』って」

「え、そんな関係なの……?」

「違うわッ! いくら鍵かけても、魔法で結界張っても、『我らには通用しないでござる。にんにん』とか言って進入してくるの!」


 ファファは、人知れずほっと安堵の息を吐く。

 そしてナイフを持ち上げ、羨ましげに眺めた。


「やっぱり〈レオナ・シャープ〉のナイフじゃん! どこで手に入れたんだろ」

「知らないけど、有名なの?」

「えぇッ!? レオナ・シャープって言ったら、新進気鋭のブラックスミスって噂じゃない! 彼女の作るナイフは、肉でもスパッと綺麗に、味覚に“切れ味”が追加されるってぐらい、美味しくなるって言われてんだから」

「……そうなの?」

「いらないならちょーだい」

「嫌よ」

「えー? あんた、料理ほとんどしないじゃない」


 う、と言葉に詰まるシェーシャ。

 うっとりとナイフを見つめるファファの横で、流行りと言えば、と思い出す。


「最近、女商人が変なのやってない……?」

「ああ……バナナ食べさせチャレンジって言う、あの頭の悪さ全開なやつでしょ」


 男がバナナを買うと、女たちが艶めかしく口にすると言うもの。

 中には胸の谷間に挟みながら舐め、食べ、また男に食べさせるなど、過激なことをするのまでいると言う。


「誰が流行らせたんだろ」

「私が知るわけないじゃない」


 だけど、とシェーシャは言うと、


「何者かが、面白がって公序良俗を乱したのは事実ね」


 嘆かわしいわ、と大きなため息を吐いた。

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