第1話 忍者と商人
首都・ポルトラの商い通りは、常に熱気に満ち満ちている。
道脇にずらりと並ぶ商人たち。鮮やかな敷物の上に並べる商品は、武器類から始まり傷薬、保存食や果物など多種多彩。素人商売であっても、その熱は正規の商い筋にもまさった。
値切る声、呼び込む声、隣の者と歓笑する声……数多の声や雑踏で賑わう通りを、ナイトの恰好・フルフェイスの鉄兜、鈍色の鎧に身を包む一人の男が、商品を一つ一つを確かめるように歩いていた。
(今は、防寒に関するものが売れ筋でござるな)
それは、隼人であった。
秋から冬へ。曇天の空に、ひゅうひゅうと侘しい乾風が鳴く。
季節ものである鎧の裏に貼り付ける毛皮や、コートに入れる綿などには目もくれず。兜のスリットから覗く目は、じっと武器類に向けながら、歩き続ける。
露店販売は、商人ギルドから許可を受けて行う。
そこには鍛治師らも属しているのだが、然るべき機関と通さない自由商売ゆえ、鍛冶品の当たり外れが大きい。
(やはり、港町・ワジに向かうべきでござるかな)
三日ほど続けているのだが、やはり望むものは見当たらない。
空模様が更に悪く、さらに冷え込んできた。
ワジにて琴殿を頼ろう。
諦め、踵を返したその時、
「おや?」
厚手のパンツに長袖のクロースアーマー。その上に革の前掛けをした女ブラックスミスが、ちょうど腰を下ろし、敷物の上に武器類を並べ始めたのを捉えた。
ごくごく普通の商人の動きだが、何か引き付けるものを感じる。
長剣や斧、短刀や槍の穂先。並べるものは他と同じ……いや、それ以下のようだ。だが隼人は目ざとく、敷物に並べられたものではなく、彼女が引いていたカートの中のものを見つけていた。
「申し。武器を見せてもらいたいでござる」
「は、はい、どうぞ! ナイトさんならこちらの――」
久々の客なのだろう。
白い息を忙しなく吐きながら、ロングソードの柄を持ち上げるのだが、
「そんなものには興味ありません」
言われ、女ブラックスミスは眉を下げ、明らかに落胆の表情をしてみせた。
「カートにある、そこの短刀を見たいでござる」
「え?」
指差すと、女も振り返る。
ああ、と声をあげ身をよじって取りだし、両手でそっと渡す。その顔には、どうしてと不思議そうな色を浮かべていた。
隼人は短刀を手に、じっくり検める。
柄に巻かれた革の締め方がイマイチであるが、肝心な部分は問題ない。先端を奥に、柄の部分から切っ先までを覗いても、歪みなく真っ直ぐな刃が伸びている。
次は視線を動かし、並べられた武器へ。
一通り見たのち、隼人は「なるほど」と頷いた。
「そなた、貧者の声を聞いたでござるな」
「へ? ひ、貧者?」
「左様でござる。恐らく武器を見た者から、『量産して値を安く』などのような注文されたでござろう」
女は目を瞠った。
まさにそうだ、と言わんばかりに。
「その者の身なりは、あまり品のあるものではなかったはず」
「え、ええ。あまりお客さんのことを貶したくはないですが」
言葉に詰まりながら頷くと、隼人は、やはりと視線を短刀に戻した。
「薄利は、確かな地盤があってこそ成り立つ。それは客であり、己の腕であり。誰のために作るのか、売るのか、それを見誤ってはならぬでござる。拙者が見る限り、そなたはそれとは対極にある」
隼人は敷物の上に置かれた剣を手にする。
柄を握り、手首だけで二度、三度振ればすぐに分かった。
「並べている打ち物は、すべて折るべきでござるな」
「そ、そんな……」
苦労したのに、と女は肩を落とす。
「苦労の方向を間違えているでござる。質を落とし、己まで落としては本末転倒。『この程度でいっか』って気持ちが伝わるでござる」
「う゛……!?」
図星だったのだろう。あうう、と崩れる女・ブラックスミス。
寒空の下。がちゃがちゃと店じまいを始めるのだが、その後ろ姿・肩から上がずんと重く、暗い。
◇
それから三日後――。
昨日から降り始めた雪は、石畳に薄らと白化粧を施した。
あちこちで積雪対策の道具を売り出し始めたらしく、靴に取り付けるチェーンスパイクを手にした者たちの姿が、多く見受けられる。
商人たちのフットワークの軽さに感心しながら、隼人はこの日も商い通りを歩く。
今回探しているのは武器ではない。
(お、いたでござる)
食料品が多く並ぶ区画にて、先日の女・ブラックスミスを発見した。
区画は特に定られてないのだが、自然とそうなっている。遠巻きで彼女を窺うと、今回は武器類ではなく傷薬や小麦粉、果物などを売っているらしい。
「今日は雑貨屋でござるか」
声をかけると、寒さそうに膝を抱えて座る彼女が顔をあげた。
「あっ、この前の! ――ええ。武器はちょっと、どうしていいか見えなかったので……」
「で、売れ残ったでござるな?」
「……はい」
市場価格よりも安く。
ポーションは小銅貨三枚、バナナは小銅貨一枚で売っている。……のに対し、カートの積まれた袋・わずかに開いた口から覗くリンゴだけ、小銅貨四枚と割高だった。
「どうしてリンゴだけ、高いでござるか?」
「これはその、私の実家が作ってて」
苦労を知っているから安売りしたくない、と申し訳なさそうに言う。
一つ、と取り出してもらえば、すぐに分かった。
手のひら大のそれはずしりと重く、灰色の空の下でも輪郭をハッキリ描き、赤々とした艶を放つ。降りかかるチラつく雪が、その鮮やかさを引き立たせる。
どこからか忍びの短刀・クナイを取りだし、薄く切った一切れを口に放り込めば、しゃりっと水気を含んだ小気味よい音がした。
「甘みは少なく、口に残らないでござるな。甲乙丙で言えば乙でござる」
「おつ……? い、いえ……まぁ普通のリンゴです」
「だけど、身はしっかりと味もいい、口に“リンゴ”が残るでござるよ」
途端、女はパッと顔を明るくした。
苦労が感じられる味だ。B級と呼ばれる格のない品種のリンゴであるが、それを誇るような、精進を重ねて己を高めようとしたのが伝わる。
女は、自分自身が褒められた気がしたのだろう。目を薄く滲ませ、指でそっと撫でた。
しかしすぐに、だけど……、と表情暗くする。
「A級品のものばかりが求められて、なかなか売れ行きも芳しくなくて……」
「ふむ」
隼人は鉄かぶと越しに顎を揉んだ。
何度か、切ったリンゴを口にし、咀嚼を繰り返す。
そうしながら、目は売れずに寂しく佇む商品に向いていた。
瓶筒に入ったポーション、やや痛み始めたバナナ――仕入れに資金を多く投入したのか、腰に下げた金貨袋は弱々しく萎れている。加えて忍びの耳は、彼女の腹が空腹を訴えているのを聞き逃さない。
「これも何かの縁。拙者も影働きをするでござる」
「ふぇ? か、かげ?」
「細かいことはいいでござる。まずは……そこの、日持ちしないバナナを売るでござるよ」
どうやって、と女は言うと、隼人はそっと耳打ちを始めた。
◇
女の名前はレオナと言った。
背はやや高く、青みかかった長い髪を後ろで束ねる。
北部の山あいにある田舎村の出で、上に姉一人、下に弟妹が四人もいるらしく、家計のためにと冒険者になり、製造と販売の両方ができるブラックスミスになった。……のだが、稼ぎは自分の生活に消え、実家への仕送りがまるでできていない、と申し訳なさそう話した。
しかし――今日はそれが可能になりそうだ。
「い、一本いいかな?」
「はぁい、どうぞぉ♡」
レオナはバナナの房から一本、露店の前に立つ男に渡す。男は急いで皮を剥くと、それを前に、
「いただきまーひゅっ♡」
口を小さく楕円形に開き、迎え舌でバナナの先端を頬張った。
むっとした小さな白い息が洩れ、口の周りを漂わせる。上目遣いに、そして歯を立てず唇の力だけで潰し切る。……その光景に見下ろす男は、おぉぉ、と震える声をあげた。
近くにはポーションの空瓶。追加料金で、女の口に直接注ぎ込むことも。
首都にやってきてから二年。未だ垢抜けない顔立ちであるが、整っていて見られる顔である。市場価格の三倍近いにも拘わらず、レオナの露店の前には長蛇の列を作った。
金を受け取ってはバナナを食む。
ちょうど十人目を終えた頃。浮いたような表情をしていたレオナは、ちょっと、と客に断り、離れたところで見守る隼人の下へやってきた。
「――やっといて何だけど、これは人としてどうかと思う」
「今なら賢者への転職試験も受かるでござるよ」
レオナは真顔で戻り、並ぶ男たちに店じまいを告げた。




