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第3話 思い出のかけら

 翌日。シェーシャは新鮮な気持ちで朝を迎えていた。

 メイジの白いマントを羽織るのは何年ぶりだろうか。汚れのないそれを肩にかけた時、初めてクラスを与えられた頃を思い出す。

 今は因縁めいたアナンタも、当時は心許す友人。もう一人を含め、みなでこれを着て冒険に出ることを目指していた。


「……さて。早速始めるとするかしらね」


 思い出したくもないと頭を振り、使い慣れた杖を手に街の南東側へと向かう。

 首都・ポルトラはかなり広い。壁が隔てる東西南北の区は、それぞれ一つの街として独立しているかのよう。

 部屋を借りている西側とは違って、そこは冒険者が集う下町。まだ朝が早いにも拘わらず、酒場にはたくさんの冒険者が押し寄せていた。


「プリーストいませんかー、ゴブリン討伐に行きますーっ」

「ナイトいませんかーっ! あと一人で出発ですーっ!」


 中では、クラスを呼ぶ声が飛び交う。

 座れる席はもちろんなく、多くが床に座り込んで話し合っている。可愛らしい制服を着た女店員は、そんな足の踏み場もないようなフロアを器用に歩き、注文を受けている。……中には手にした水などを頭にかぶる者もいるが、そこは愛嬌、仕方ないとみなで笑うのだった。


(懐かしいわね、この光景)


 入り口近くの壁にもたれると、プラチナブロンドの髪をかき上げながら一望する。

 懐かしさはこれだけではない。

 尖り耳のエルフは珍しくないが、人間に比べれば少ない種族のため、


「ねぇねぇ、俺たち火猪を狩りに行くんだけど」

「メイジになりたてなら丁度いい場所だよ」


 目ざとい男たちが、鼻を伸ばしながら近づいてくるのだ。

 シェーシャは相手にせず。男たちに冷ややかな目を向けるだけで、


「興味ないわ」


 と、手をひらひらと振って軽くあしらう。

 取りつく島がなくなれば、男たちはすごすごと引き退るしかない。食い下がる者もいたが、無視すれば悪態をついて離れてゆく。


(ホント、メイジとなれば男たちが鼻を伸ばすんだから)


 ここは狩りのメンバーを募る酒場だった。

 メイジの服ら股に食い込むレオタードスーツ。女の曲線を歪ませることないそれは、男たちの情欲を特に刺激する。

 元々からこうではなかったのだが、魔法の研究に没頭するあまり女を捨てたような者が多くいたのがきっかけである。選定者の趣味も加わり、今の格好になったと聞いている。

 慣れれば問題ないが、クラスを修得したてのメイジは外套で身体をくるむか、防具で隠す。なので堂々としている女メイジは、“その気あり”と思われやすい。

 また、パーティーへ誘う男は必ずと言っていいほど、胸の谷間に目を向ける。

 注目を浴びるのは嫌いではないので、シェーシャはしたいままにさせていたのだが――


「……はッ!?」


 不穏な気配を尻に感じ、勢いよく振り返った。


「ひッ!?」


 しかし、そこにいたのは別人――少し丸みのある顔をした可愛らしい少女・修道服姿のプリーストは、声をかけようと手を浮かせた格好のまま、身体を大きく震わせた。


「ご、ごめんなさいっ、私ごときが声かけようとしてごめんなさいっ!?」

「あ、ああ、勘違いだったわ。何か用かしら?」

「その、〈マタンゴ〉か〈マッドドール〉の討伐に行きたいんですが、メイジがいなくて……」


 ああ、とシェーシャは納得声をあげた。


「〈マッドドール〉にしましょう。私がいるから余裕よ」

「本当ですかっ、あっちに他のメンバーもいますから!」


 その日限りのメンバー集めのため、希望通りのクラスが揃わないこともままある。

 プリーストは顔に花を咲かせ、嬉々と左手の壁に手を向ける。そこには戦士(ファイター)の男、レンジャーの女。プリーストも含め、みなクラスを得てから日の浅そうな面々が座っていた。


 ◇


 エルフは美男美女が多く、シェーシャもまたそれに違わぬ美貌を備えている。


「僕が守りますから任せてださい!」


 プリーストの転移魔法(テレポート)で目的のモンスターが生息する地域に飛んだ。

 その移動中、ファイターの男はずっとこんな調子なので、プリーストとレンジャーの女たちは堪らず、くすくすと微笑み合う。

 その日限りのパーティーのため、名ではなくクラス名で呼び合うのが常。

 ファイターの男はしきりに「メイジさん、メイジさん」と、気をかけ続ける。しかし――そのメイジことシェーシャは、素っ気なく恬然(てんぜん)としていた。


 ――おお、銀花の君よ。君は僕を困らせる。

 ――その美しき輝き、甘い香に惹かれ近づく蝶まで切らねばならないのだから。


 頭に浮かんだ、長い金髪をしたエルフ男。

 その男の声と言葉が再生され、ぶんぶんと頭を振った。


(クソッタレがッ)


 アナンタと共に郷を出て、共に魔法学院に入学した男。

 メイジを目指していたが、彼は急にナイトに方針転換した。

 魔法職が三つでは戦力が過剰すぎるし、偏って逆に旅の幅が狭くなる。それに魔物を近づけさせぬための壁が必要となる――男はそう言いながら、胴をかかえ寄せた。


『僕は君だけのナイトになろう』


 男の胸に顔をうずめ、ああ、と幸なる声が洩れた。

 すべてを委ねてしまいたい、とはこのような気持ちか。男に恥じない女になるため、そして一日でも早く卒業するため必死で勉強に、魔法の訓練に励んだ。

 その様は将来(みらい)を夢見た、恋する乙女そのものであった。


 そして、それから一年。

 そろそろ卒業のメドが立つかとした頃、忘れもしない忌々しい事件が起きてしまう。


『――シェーシャ。申し訳ないけど、私、先に卒業するわ』


 友・アナンタの言葉に驚き、そして「おめでとう」と言おうとした矢先。

 彼女は弾むような声で言葉を遮った。


『ローウェンったらね、私のために青薔薇を用意してくれるんだって。嫌よねえ、夢見る乙女って年でもないのに』

『え……』


 シェーシャは、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 目の前の友人が口にした“ローウェン”とは、私が想いを寄せていた男の名――そして、どうして彼女の口からそのような言葉が出たのか、と。


『実は私たち、付き合ってるのよ』


 アナンタは短く告げ、じゃあね、と手を掲げて身を翻した。

 肩越しに向けた顔、その口元に浮かぶ勝者の微笑み――シェーシャは、ここでやっと理解した。

 友は好意を寄せているのを知っていたのに、それを横から奪った。男もまた、守ってやる、壁になってやると言いながら、友情と恋心に壁を作った。

 信じていた者たちの裏切りに、シェーシャは呆然と突っ立つしかできなかった。


 ――無様ねぇシェーシャ。あんたはそうやって、惨めな姿を見せるのがお似合いだわ


 敗北を喫した際の、かつての友の言葉が蘇る。

 思い出しただけで、胃の奥からムカムカしたのがせり上がってきた。


(私を守るなんて、必要ないことなのよ)


 経験は武器であり、実績は盾。信じられるのは己が培ってきた能力(ちから)のみ。

 ぐっと愛用の黒杖を握り締めた。郷からずっと一緒なのは、もはやこれだけだ。


 ◇


 目的地は、西のフォーレスから更に三日ほどの場所にある。

 転移魔法のおかげで一瞬であるが、到着地点が安全とは限らない。全員がそこに降り立つやいなや、いきなり〈土人形〉が襲ってきた。


「や、やあッ!」


 ファイターが腰の剣を抜き、まず近くのを斬った。

 袈裟斬りに斜めに両断されたそれは、ぐちゃり、と音を立てて崩れる。

 土人形は、最近までゾンビの一種と考えられてきたくらい鈍重な動きで、わらわらと押し寄せてくる。

 大した攻撃はせず脆いため、駆け出しの冒険者に最適なモンスターの一つだった。


「――みんな、俺の後ろに!」


 戦士はそれなりに経験があるのか、前に出て軽快に斬り伏せてゆく。

 だが後衛は違っていた。

 プリーストは両手にメイスを抱えハラハラと、またレンジャーに限っては、


「え、えっと、矢を弦につがえて……」


 よくクラスを与えられたものだ、と逆に感心してしまう。

 シェーシャはメイジのレオタードスーツだけでなく、レザーのスロップドパンツを。ファイターは鈍色のリングアーマー。プリーストは茶色のレザーメイル、レンジャーは青色チュニックシャツに胸当てを装備している。

 全体的に軽装だが、土人形が相手では十分な装備だ。


「メイジさん後ろに――」

「うるさい」


 自分のことに集中なさい、とつっけんどんに言う。


【火よ――】


 邪魔くさいとシェーシャは飛び出し、ファイアボールを放った。

 飛び向かう丸い火球が当たると、土人形は跡形もなく飛散する。続けて三つ、四つ……そのたび仲間から、おお、と感嘆の声があがる。

 元ハイ・ウィザードにとって、こんなのは朝飯前、ましてや土人形を相手なら造作もないことだ。

 どんどん現れ、迫りくる土人形をひたすら撃破し続けた。


「メイジさんっ、飛び出しすぎですっ! 僕の後ろに――!」


 自分でどうにかできるから構うな。

 そう言おうと振り返った、まさにその時だった。


「きゃあああっ!? 後ろから、い、いっぱい来てるぅーっ!?」

「て、敵が全然倒れてくれないぃぃっ」


 後衛二人、土人形に囲まれていたのである。

 レンジャーは至近距離でも外すほどパニックを起こし、当たっても胴や脚など致命傷になりにくい場所に。そうなると地面を這うため、よりターゲットを絞りにくくなってしまう。


「なにやってんのよ、もうッ」


 シェーシャが毒づき、身体ごと仲間の方角に向けた。

 その間にも土人形はわらわらと迫り寄り、泥の腕を振り上げる。攻撃の威力はさほどと言えど、数が多いと厄介だ。生き埋めにするかのように、連中は覆い被さろうとしてくる。


「く……ッ」


 後ろ左右に。シェーシャは飛び退っている内に、仲間と分断されてしまっていた。

 土人形の肩越し、頭越しにチラチラと見える程度。ファイターも自分の対応に手一杯のようだ。


 ――大魔法で一掃するしかない。


 先に吹き飛ばす程度のメテオファイアを、次に火力を高めた同じものを。

 輪唱詠唱(トロルキャスト)と呼ばれる二重詠唱法を駆使すれば切り抜けられる。

 そう決断して杖を掲げた時だった。


『強がりで己の弱さを隠すな』


 どこからか低い声がしたかと思うと、


「え――」


 景色が一瞬で切り替わった。

 勘違いではない。

 囲まれていた土人形の後ろ・1メートルほどの距離であるが、確かに移動している。

 その証拠に、土人形は突然消えたことに気付いておらず、折り重なるように山を作っている。


【炎の精よ。我が呼びかけに応え、太古の炎をここに降らせ】


 時が止まったかのような、ほんの僅かな無音の境地。

 即座に詠唱を完成させれば、杖先から光がほとばしると同時に、爆炎が辺り一面に降り注ぐ。

 落ちた炎塊は膨張して熱球体となり、ゴォン、ゴォン、と爆風と共に大地をえぐる轟きをあげた。

 土人形は断末魔をあげる間もなく。粉砕され、一帯にぱらぱらと土の雨を降らす。


(やっぱり、魔法が安定しないわね)


 メテオファイア――ハイ・ウィザードならば火塊は八つ落ちてもいい、火の大魔法だ。今のは三つしか落ちていない。

 もっと落ち着いて詠唱しないと、と反省しているシェーシャの傍では、駆け出し冒険者たちは口を開いたまま、唖然と立ち尽くしている。

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