猫の遍歴
思えば私は幼少の砌から猫と共に居た。
私が初めて猫を見た所は、今は無き祖父母の家であった。黒色を基調に白色が散見為れる猫であり、何時も台所の椅子の上で丸まって居た。私は彼女に顔を引っ掻かれた事が有るそうだ。古い木造の階段を這って上った私へ一閃、僅かに逸れれば眼球を傷付けられて居たと聞く。
彼女はゴマと呼ばれて居た。内外を自由に出入り為、辺りの猫を追い払って居る姿を頻りに見掛けた。ゴマは老い、軈て白色の毛が増えた。唾液を垂らし乍らも、強かに生き続けた。彼女の死は誰も看取る事が出来ず、其の亡骸も何処に在るか分からない。
私は自宅でモミジ、カエデと呼んだ二匹の猫を飼って居た。私は此の二匹に付いて記憶が薄く、唯一の記憶も他の猫と誤って終って居るやも知れない。毛色や性別すら思い出せない。長屋の一室で飼った二匹は何処へ行ったのであろうか。
前述のゴマが存命であった頃、後輩と為てコスモスと云う猫を連れて行った。何処で巡り合ったかは分からないが、直ぐにコスモスは何処かへ去って終った。謂う所の鯖虎であり、雄であった。祖母は秋桜を思ったそうであるが、当時の私はウルトラマンが好きであった。其のコスモスの積りであった事は、説明為ても分からないと踏んで言わなかった。
暫く空白が出来たが、軈て猫が恋しく為った。私は再び鯖虎の猫を飼った。名前はイチゴと決まった。雌であった。イチゴは忽ち肥え太った。高所から飛び降りれば脂肪に圧迫為れてか、鳴き声が漏れた。改善を試みたが、彼女の体形は一向に好転為なかった。
イチゴが落ち着き払った時期で、母親が更に一匹を増やした。育っても小柄であった雉虎の彼女は、イチゴに肖ってバナナと呼ばれ始めた。気性は激しい乍らもイチゴと二匹で円満に過ごして居た。二階の出窓から外界を眺めて居る事が好きな猫であった。
イチゴとバナナは転居に際して祖父母の家の付近で放して終った。二匹は住み着く事も無く、何処へ行って終ったか分からない。未だに、祖父母の家の付近で鯖虎や雉虎を見掛けると、彼女達の後胤ではないかと思い返される。
私も大きく為った。幾度も変わった自宅が落ち着き、其処で懲りずに猫を招き入れた。一見為ると三毛猫であったが、黒色と茶色の部分が濃淡の縞模様を描いて居た。我が家で五毛猫と呼ばれた彼女はサツキと云った。サツキは飛び上がって扉の把手を掴むと、引き下ろして壁を蹴り、扉を開けられる猫であった。サツキは四匹の子猫を生んだ。私の父母が見守ったが、死産であった。
私の人生に於いてサツキ程に後輩を持った猫は居ない。私の弟妹が小さな茶虎を貰い受けて来た。其の茶虎はカンナと呼ばれ、次第にサツキと行動を共に為始めた。カンナは活発で、サツキの対極に思える性格であった。
二匹は転居を強いられる。落ち着いたと思って居た私は建て替えた祖父母の家へ移り住む事と為る。二匹も同様であった。既にゴマは居ない。其処でカンナが身籠った、余りに早熟な出来事であった。
カンナは五匹を産み落とした。里親が見付からなかった五匹は其処で健やかに育ち、其々が名前を与えられた。其の頃、私は既に実家を出て居た。未だに私は、其の五匹の名前を憶えられて居ない。
サツキは増え続けた六匹と適当に関わり乍ら、鼠や雀を捕って過ごした。何時からか彼女は帰らなく為った。其れ迄も帰らない事は屡々であったが、帰らない帰らないと思う内に、遂に帰らなかった。最も深く携わった彼女であるが故に、私は悲しくはなかった。
五匹の内、一匹が轢死為たと聞かされた。跳ね飛ばされた直後に駆け寄ったが、既に死んで居たと。其の猫は裏庭に埋葬為れた。
欠けた一匹を埋める為に、今度は幼い黒猫を飼い入れたと聞く。私は其の名前も覚えられず、顔も見た事が無い。
然う為て、帰りを待ち続けられて居るサツキも、近く亡くなったと為て他の猫を招くらしい。母親は、猫に七席を設け、此れを減らさぬと言って居た。
私も然う遠くない将来、余裕を持つだろう。果たして其処に猫は居るであろうか。
妻は猫アレルギーなのである。




