**:××の物語「楽園の蛇」
生存報告がてら、新作投稿です。
……忙しくて全く執筆できてないけど、まだ生きてます。
「……成程、よくわかった。つまり二人は、俺の後を追ってこの大穴へと潜っていったというわけだな? しかし、慎重に降りていたポッホはその途中でピケの思わぬ襲撃に遭い、手を滑らせて真っ逆さまに落っこちてしまったと」
真っ暗な大穴の底。
周囲の景色はすべて漆黒に染まり、距離も深さも何もわからなくなってしまっている。そんな上も下もろくにわからないような暗闇の中で三人は向かい合っていた。――いや、向かい合っているのではなく、その幼い顔に不釣り合いな青筋を額に浮かべたデューズが、地べたに小さくなって座る二人の前で腕を組んで立っていた。
「……つまり、そういうことなのです」
「…………わたしは悪くありません」
「いや、お前が悪い」
目の前には申し訳なさそうに耳を伏せるポッホと、我関せずというようにそっぽを向くピケが座っていた。二人とも幸いなことに怪我はないようだが、長いこと黒くて深い穴を落下し続けていたことによる疲労がしっかりとその顔に現れている。
そのことを思うと、怒る気も失せてしまう。
「――けど、二人とも助けに来ようとしてくれたんだな。ありがとう」
溜息を一つ吐き、デューズは乾いた笑みを浮かべた。
「無事で、よかったです」
「…………」
灯り一つない足元も見えない暗闇で、三人はお互いの無事を確かめた。
『「――話は終わったのか?」』
周り一帯から不思議な響きの声が響いて聞こえた。
「え、何? なんなのです?」
「…………ふしぎな声」
ビリビリと全身に響きわたるのは、どこか幼いようで年老いた、男のようで女のようでもある不思議な響きの声。……それはどこか一か所から聞こえてくるのではなく、三人の周囲を取り囲んでいる暗闇全体から聞こえてくるようだった。
二人が不安そうに周囲を見回す中、デューズは努めて落ち着いた声で応えた。
「すみません、お待たせしました。……ええ、まだ話したいことはいくつもありますが、ひと先ずの話はこれで終わりました。――それで、あなたはいったい誰なのですか?」
『「…………成程、それが改めての質問か。そして俺が誰か、か」』
その問い掛けに、周囲の闇がぞわりと動いた。
「…………ッ!」
暗闇を割いて現れたのは、縦に裂けた巨大な一対の黄金の瞳だった。
爛々と輝く黄金の瞳でこちらを見定めるようにぎょろりと一瞥すると、まるで黒い包帯が解かれるように暗闇が裂け、その後ろに隠れていた燐光によって淡く光る冷たい岩肌が顔を見せた。そしてするりと解けた長く真っ黒い闇は地面を這って行き、渦を巻くように瞳の周りに集まった。
『「といっても、その質問に対してどう答えたものかと悩む。我は何者でもないからね。何者でもないわけなのだから、別に我のことをどう呼んでもらっても構わないんだけど、……それだと僕の呼び方に困るっていうのなら、昔あったことを振り返って戒めの代わりに『採るな』とだけ君達には言っておくことにするよ。――やあ、こんにちは。何の縁か、こんな奈落の底まで迷い込んできた『生贄』と『器』と『禁忌』さん」』
◆ ◆
「チャパノ……あなたは、この魔窟迷路の魔窟迷宮の主……なのか?」
大穴の底に落ちた時点でこの存在に敵意がないことはわかっている。
そうでなければ突然落ちてきた俺を受け止めることもしないし、こうしてのんびりと対話を望むこともないはずだ。……けれど、そう頭ではちゃんとわかってはいても、この目の前にいる圧倒的な存在感を前にして、俺の『先読み』と『危機回避』の恩恵はすぐに逃げるよう警鐘をガンガンと鳴らしている。
……無事に逃げ出せるものならすぐに逃げ出したいさ。
二人の前に立つ身として表面上はなんとか平静を保ってはいるが、内心は冷や汗と震えを止めるので精いっぱいだった。様々な困難な冒険を乗り越えてきたデューズであっても、ここまでの圧迫感はまだ体験したことはなかった。こんなの、伝説級や神話級じゃない。……まさしく神話そのものの存在みたいじゃないか。
『「…………何だい、それは?」』
しかし、その問い掛けに漆黒の壁に浮かぶ黄金の瞳は困惑したような表情を見せた。
目は口程に物を言うという言葉が世間にはあるそうだが、目の前の黄金の瞳はまさしく言葉以上に訝し気な感情を明確に伝えてくれた。……それはどういうことだ?
「えっと、だからチャパノはこの魔窟迷路の――」
『「どうにも君達からは色々と妙な誤解を受けているみたいだけれど、まず気になったのはそれのことだよ。何、その『魔窟迷路』って? ……儂のいるここは、『ダンジョン』でしょ。そうやって妙なネーミングをしないでくれないかな?」』
こんどはデューズが困惑する番だった。
「? だから、魔窟迷路じゃないのか」
言い方を変えようと、魔窟迷路は\魔窟迷路だ。
……まさか、モンスターの間では意味するものが違うということなのだろうか。
『「モンスターのことは魔物って表現しないんだね。……いや、私が言っているのはそういうことじゃなくて。魔窟迷路なのか魔窟迷宮なのか、表現が時々ぶれてしまっているみたいだけど、……それってどれも意味は同じダンジョンのことでいいんだよね」』
「ああ、魔窟迷路はその名の通り、モンスターの詰まった複雑な迷路のことだ」
『「……なんだ、魔窟と迷路の意味はちゃんとわかっているんだね」』
「……それは、馬鹿にしているのか?」
……『魔窟』は魔物の巣窟。『迷路』は迷う路というそのままの意味じゃないか。
そりゃ確かに碌な学舎は出ていないけれど、それでも脳味噌の代わりに筋肉が詰まっているような無知というわけでもない。このくらいの知識なら最低限持ち合わせている。
『「じゃあ、――なんでそんな面倒くさい言い回しをしているのさ?」』
「…………え?」
『「それに、恩恵? 先読み? 危機回避? ……ごちゃごちゃしていて何のことなのか、さっぱりだね。あたしだったら、『スキル』に『先読み』、『危機回避』ってところかな? いちいち変な脚色なんかしないで普通に言うよ。――それとも何か、君達なりのこだわりがあってそんな回りくどい言い回しにしているのかい?」』
「いや。だって、それは……」
「それは、……カッコいいからですよ!」
デューズが言いよどんでいると、その様子を見ていたポッホが立ち上がった。
『「……ほう、そうか。恰好がいいから、面倒くさい言い回しにしているのか」』
「ええ、きっとそうなのです。『雷槍』とか『未踏迷路』とか。『恩恵の巻物』とか『聖杯の交換』とか。冒険者って本当にいつもこうやって面倒な言い回しばっかりするのです。……これでカッコつけているわけじゃないとか、絶対にありえないのです!」
「…………」
いや、本当にそうなのか?
何か恰好をつける為に、俺はわざわざそんな言い回しをしていたのか?
『「うん、確かに、確かに。吾輩もよくそう思っているよ。……冒険者ってやつはいつもそうやって、非合理的なことに妙に恰好をつけたがっているからね。不思議でならないよ。――では、君達は誰に対して恰好をつけているのかな?」』
「…………誰に、だって?」
冒険者は誰に向かって恰好をつけているんだ?
意識したこともなかった。こうして言葉を飾って恰好をつけているのは、背中を預けて共に戦う仲間に対してか? いや、守るべき相手に対して? ……それとも、戦っているモンスターに対してだとでもいうのだろうか?
だが、チャパノは黄金の瞳を輝かせ、当たり前のことのように否定した。
『「そんなことを考える奴がいないとも言えないけど、それは違うだろうね。……だってほら、君達は声に出していない時でもそうやって、頭の中で面倒くさい言い回しを使っているじゃないか。そうやって君達の頭の中に並ぶ言葉はまるで物語のように、――誰かに読んでもらう為に整えられているようじゃないかな?」』
◆ ◆
「…………物語だって?」
『「吟遊詩人の愉快な語る詩や寝物語の穏やかなお話ってことじゃあないよ。君の物語だ。君の人生の主人公は君自身である、とはよく言ったものだけれど、ふとした瞬間にまるで自分を主人公とした物語があるような気がしてならない時があるんじゃないかな? ……特に、人類初のレベル100となったデューズ=ワイルド君。あなたの人生の物語はね? ――そいつはさぞかし読み応えのある物語になるだろう」』
「…………」
レベル100になった時、俺は神話の世界に踏み込んだ。
例えでもなんでもなく、それは俺という主人公の物語だ。この神話が後世に伝わる物語であるのなら、それこそデューズ=ワイルドという人物は、物語の中の人物であるわけだ。……しかし、それは誰の為でもなく、俺の為の物語であるはずだ。
「ふざけるなッ! 俺の人生は俺のものだ。……誰かの読み物なんかじゃない!」
怒気を込めてそう言い放つと、黄金の瞳は悲しそうに目を伏せた。
『「……す、すまなかった、どうか許して欲しい。ウチは別に君に余計なことを吹き込むつもりじゃなかったんだ。ついつい口が滑ってしまっただけなんだ。久しぶりに言葉の通じる相手に出会えたから、どうやら浮かれてしまっていたんだ。だから、小生が口走った戯言のことはどうか忘れてしまってくれないだろうか。……ああ、どうして拙者はいつもこうして調子に乗って余計なことばかり口にしてしまうんだろうか。楽園を追放された時だってそうだったじゃないか。あれでしっかり懲りたはずじゃないか……」』
そう呟きながらチャパノは、長い影を引きずって小さくとぐろを巻いてしまった。
その小さくなった姿は先程までの得体のしれない恐ろしい存在というよりも、怒られて落ち込んでいる小さな子どもの姿のようであった。
「……言い過ぎたかな」
「……多分、強く言いすぎたです」
デューズはなんだか申し訳ない気持ちになり、小さな声でひそひそと隣にいるポッホに相談したけれど、ポッホにもこんな時にどうすればいいのかなどわかるはずもなかった。小さな子どもを相手に慰めた経験なら彼女にも何度かあるけれど、チャパノのような相手の時になんて声を掛けたらいいのかなど見当もつかない。
二人があれこれ相談を始めた頃、ピケはチャパノの傍へと近づいて行っていた。
「……チャパノ様、あなたはとても物知りなのですね」
『「うん? ああ、おいらは楽園でも一番頭が良いと言われていた。……余にわからないことなど何もない程だったんだ。父上程じゃなかったが全てを理解し、全ての答えを知ることができた。だからあんな樹の実なんて、わっちには必要なかったのに」』
そう答えるチャパノの声はどこか拗ねているようだった。
『「……なのに、誰もわたしの言葉を信じてくれなかった。僕はただ、『あの実を食べても死ぬことはない』って教えてあげただけだったのに。あいつらに『食べろ』なんて、儂は一言も言っていなかったのに、……父さんに信じてもらえなかった」』
「チャパノ様、……あなたは楽園を知っているのですね」
『「そりゃ勿論、楽園のことだったら何でも知っているとも。我は楽園の蛇。……かつて父君に創られた始まりの人間達と一緒に楽園を追放された、地を這う獣だよ。と言っても……まあ、どうせこの話だって誰も信じてくれないんだろうけどさ」』
チャパノは目を細めて大きな溜め息を吐いた。
「すごいのですね、チャパノ様は。……とても、すごいです」
『「……ありがとう、ピケ=デック」』
暗闇に浮かぶ大きな瞳が細められ、少し微笑んだような気がした。
『「君が心から本当のことを言っていることは、拙者にはわかっている。でも、君だって吾輩よりもよっぽどみんなに求められているすごい存在なんだ。だって君は、枯れてしまった――いや、また余計なことを言うところだった」』
「…………?」
また口を噤んでしまったが、その顔は先程よりも元気になっているように見えた。
「元気になったですか?」
「ああ、たぶん。……とは言っても、黄金の瞳以外は真っ黒な影しか見えないし、なんとなくそう感じたってだけだけどな。……でも、まさかチャパノが楽園の蛇だとは思わなかったな。未踏迷路、……じゃなくてインビジブル。それとも未踏迷路の方がいいのか? まあ、いいか。このダンジョンの最奥にいるにしてもこいつは規格外だろ」
「でも、蛇というにはちょっと何か違和感があるような気がするのですけど……?」
どうやら自分達の出る幕はないと感じたデューズとポッホは、子ども同士のやり取りを見守る保護者のように少し離れたところから二人(?)の様子をそっと伺っていた。
「……それよりも今、ピケのことをピケ=デックって言ってなかったか?」
「はい、そう聞こえたです。……ピケちゃんって、本当にピケちゃんだったのですね」
「チャパノに聞けば、他にもいろいろと教えてもらえるかも――」
デューズがそんなことを考えていると、
「……何でも知っているチャパノ様。あなたはディズちゃんが小さくなってしまっている理由を知っていますか? 誰がディズちゃんを小さくしてしまったのですか?」
『「そりゃ、中央ギルドの副ギルド長、兼秘書、キラ=ウィンカーと豊穣の神殿の巫女、ルージュ=エノアールの二人の仕業だろう。二人で協力して彼の首に連動装備をつけて、君と一緒にこのラストダンジョンに放り込んだんだ。それぞれの思惑は何かあったみたいだけど、不運なことに上手く噛み合ってこんなことになってしまったみたいだな。まあ、そうは言っても実行犯は二人だが、本当の黒幕は――いや、それは言い過ぎだろうか? まあ、聞かなかったことにしてくれ」』
……ピケがすでにとんでもないことを聞いてしまっていた。
更新は牛歩ならぬ蝸牛の歩みで頑張っていきますので、気長にお待ちくだされば幸いです。