**:**の物語「抗えぬ誘惑」
『
「……や、やってしまいましたです」
「…………」
またしても妙なことになってしまったようです。
さっきまでポッホさんが糸巻きをピョンピョンと跳ねながら楽しそうに追いかけていたと思っていましたら、どういうわけなのかディズちゃんが大穴に飛び込んでしまいました。……わたしには危ないから近づかないようにって言っていましたのに、自分は飛び込んで行ってしまうだなんて本当にどういうことなんでしょう?
穴の下に何か面白い物でもあるのでしょうか?
「……どうするです、どうするです。どうすればいいのです」
ポッホさんもだいぶ慌てている様子です。……もしかしてあれは飛び込んだのではなく、不注意で落ちてしまったということでしょうか? 凄腕の冒険者だというディズちゃんがまさかそんな失敗をするはずがないと思うのですが、……そのまさかでしょうか?
ディズちゃんにもおちゃめなところがあるのですね。
「…………追いかけましょうか?」
「えっと? ……ああ、そうですね! ディズちゃんを早く助けに行かないとです」
わたしの言葉にハッと気が付いたのか、ポッホさんが慌てた顔をキッと引き締めました。……そうして大人ぶって頑張ろうとする姿はいじらしく、とても可愛らしくて素敵です。でも、ポッホさんは年上なのですから、こうして私が可愛らしく思うのはもしかして失礼なのでしょうか? ……ですが可愛いものを可愛いと思う自分の心は否定できないですし、これからもこの気持ちを胸の内に秘めてそっと大事に愛でることにしましょう。
神殿でも皆さまがそうしていましたし、それが淑女の嗜みなのでしょう。
「もう何をしてるですか、ピケちゃん。早く行くのですよ」
ああ、そうして頬を膨らましてプンプンと怒っている姿もまた。……おっと、そうではありませんでした。呼ばれているのですから、見蕩れているより先に早く動きませんと。ディズちゃんが言うには、魔窟迷路の中で迷ってしまうと大変なことになってしまうそうですから、気を付けてはぐれないようにしませんと。
「……わかりました。今行きます」
一人で落ちていったディズちゃんがまた迷子になっていないといいですが、大丈夫なのでしょうか。怪我の心配は、……なんだかいらないような気がします。なんとなくですが、どんな苦境に立たされてもディズちゃんならけろっとした顔でいるような気がします。
不思議と、何があっても大丈夫という安心感があるのです。
「この先は危ないですから、ウチが負ぶって行くです。……さあ、背中に乗るのですよ」
ポッホさんはそう言ってしゃがむと、それまで背負っていた大きな荷物を下に降ろしてこちらに背中を向けてきました。……何をしているのでしょうか?
「………………?」
「ほら、早くするのですよ」
そう言いながら彼女は、こちらに背中を向けたまま早くするようにと急かしてきます。……ひょっとして、ポッホさんはわたしを『おんぶ』しようとしているのでしょうか?
「……おんぶ、ですか?」
「そうですよ? ……えっと、したことなかったですか?」
「………………」
なんだか気まずそうにポッホさんは言っていますが、またしても非常識なことを言ってしまったわたしも気まずいです。……このもやもやとしたよくわからない感情が気まずいということなのですよね? また違っていたらそれこそ気まずいので尋ねませんけれど。
「……この宝箱はどうすればいいですか?」
「そのまま背負っていればいいのですよ。……あ、少し待つのです」
ポッホさんはそう言って後ろに回り込むと、わたしの背負っていた宝箱の蓋を開けて、地面に降ろしていた大きな荷物を中へと仕舞いました。
「おお、すっぽり入ったです。うーん、宝箱ってなかなか便利なのですね」
……あんなにたくさん詰まっていたのに、本当に重さが変わらないのですね。
「それじゃあ改めて、早く背中に乗って欲しいのです」
「……わかりました。ありがとうございます」
小柄なポッホさんの背中に乗るのは何とも心苦しいですが、自分がどれだけ非力な存在なのかは十分わかっています。ここは下手に抵抗などせずに大人しく負ぶわれているのが正しい選択でしょう。……それでも、何にもできない自分が恨めしく思えます。
そう気落ちしながらも、その小さな背中に身を寄せます。
「………………」
ああ、なんということでしょう。
ポッホさんの、もふもふの耳が! ピコピコと動く、もふもふの耳がすぐそばに! 小さくて丸くてふわっとした柔らかそうな耳が、ほんの少し伸ばせば手が届く場所に! 手に触れたくて仕方がなかったあのもふもふの耳がこんなにもすぐそばにあるだなんて。……素晴らしい、ひょっとするとここが楽園なのでしょうか。人々は楽園から追放され、もう彼の地へと行きつくことはできないのだと教えられてきました。ですが、楽園は姿を変えてこうして再び人々のもとにその姿を現してくれました。……慈しみ深き聖なる神よ、あなたはまだ我々を見捨ててはいなかったのですね。
――では、さっそく失礼して。
「ちょっと、危ないからあまり動き回らないようにするのですよ」
「……はい、もうしわけありません」
……突然のもふもふ耳に、ついつい浮かれてしまいました。
けれど、そんなことではディズちゃんに叱られてしまいます。……今は周りに魔物達はいないようですけど、ここは危険な魔窟迷路なのですからこうやって簡単に気を緩めてしまってはいけません。そう思いながら、ポッホさんの細い腰をギュッと抱きしめます。
……なんだかこの抱き心地も素晴らしいです。
「そうそう、そうやってしっかり掴まっていてほしいです」
ポッホさんはそう言うと、背負う位置を調整するように何度かその場で軽く跳ねて確認していました。……どうやら背中にいるわたしのことは、ちょっとした荷物程度の重しにしか感じていないようです。なんだかこれは安心したような、少しショックな気分です。
「……それでは行きましょう」
こうして私たち二人はディズちゃんを追って、暗い穴の先へと進むことになりました。
◆ ◆
大穴の壁面にぴったりと張り付きながら、下へと降りていく。
……どこまで降りて行っても底の見えない暗い穴の先を覗くと、まるで底なんてないんじゃないだろうかと少し不安に考えてしまいます。一応降りて行く前に、松明を何本か穴の中へ落としてみたですけど、反響音なんて微かにも聞き取れなかったですからね。
冗談でなく、地の底まで続いているってことはないですよね?
「…………重たくはありませんか?」
「………………」
背中でそんな風にウチを気遣うピケちゃんの声が聞こえる。
重たいも何も、……ウチよりも小さいその身体は見た目以上に軽く感じるのです。
ウチも小さい方ですけど、ピケちゃんよりも少しだけ大きいのですよ。差はほんの少しだけですけど、ウチの方がちゃんと大きいのです。……まあ、自称二歳児のピケちゃんに勝ってもなんだかもやもやとするですけど、ウチの方が大きいのですからね!
「……どうかしましたか、ポッホさん?」
そんなウチの小さな葛藤が伝わってしまったのか、ピケちゃんが訝しげに尋ねてきます。
……今はそんなことを考えている場合じゃなかったですね。
「楽勝なのです。全く問題ないのですよ」
「…………そうですか。それならいいのですが」
無表情ながらもどこか申し訳なさそうに見える表情を浮かべるピケちゃん。
……まあ、背中に負ぶっているわけなんでそんな彼女の顔色なんてウチに窺えるわけがないんですけどね。それでも、なんとなく声の調子はしょんぼりと落ち込んでしまっているように感じるのです。逆に表情を見ようとするよりも、声だけの方がその無表情さに左右されない分だけ感情が読みやすいようですね。
「ピケちゃんは小さい女の子なのですから、大人にもっと頼ってもいいんですよ」
「………………はい、お願いします」
うーん、声の様子だとまだなんだか納得していない感じですね。
「これから一気に下に向かうですからね、しっかりと掴まっているのですよ」
「…………わかりました」
彼女は返事と一緒にギュッと強くしがみ付いた。
おんぶの仕方がよくわかっていないのか、どうにもくっ付き方は不安定なのですよね。……うーん、ピケちゃんを宝箱の中に入ちゃうのはやっぱりやりすぎだと思うですけど、せめて落ちないようにしっかりと紐で縛り付けておいた方がよかったのですかね? 少しバランスに気を付けてないと、ふとした拍子に真っ逆さまなのですよ。
それからしばらく真っ暗な穴を降りていくだけの時間が過ぎていきました。
照らす明かりにはウチの持っていた携帯用の灯火を使っているのですけど、こんな小さな明かりじゃ暗い大穴全体を照らすことなんてできないみたいです。はっきり言って、獣人の眼でも手元の壁面くらいしかろくに見えていないのですよ。
「…………う、うう」
ピケちゃんもこの暗さが怖いのか、ギュッとしがみ付いてくるのです。
……こうやってしっかりしがみ付いてもらっている方が安定するのですけど、こうして同じくらいの背格好の女の子とくっつくのは改めて思うとなんだか少し気恥しいですね。彼女も少し息が乱れているようですし、恥ずかしがっているのかもしれないのですよ。
「大丈夫です? 少し疲れたですか?」
……そうでなくてもこうやって長い時間しがみ付いているのは体力を使いますですし、どこかで一度休憩を摂った方がよさそうなのです。良さげなくぼみでも見つけるか、――いざとなったら適当に壁面でも壊して作るですかね。
まあ、いい場所があればいいのですが。……そう、思っていたら――
「…………もう、無理です」
しまった、思ったよりも限界が来ていたみたいなのです。
「す、少し待つのです。今、壁を壊して――」
「――……ごめんなさい、ポッホさん」
ギュッとしがみ付いていたピケちゃんの腕が、フッと緩んだ。
「そんな、待つので――……ひゃうッ!」
……かと思ったら、何を思ったのかウチの耳を弄んでいた。
予想外の不意打ちに身体の力が抜け、しっかりと壁面を掴んでいた指が外れてしまう。あ、と思うような間もなく嫌な浮遊感がやってきて、それから一緒に耳を弄んでいた彼女の手の感覚がなくなり、……背中がふいに軽くなった。
「…………これで、満足です」
「……何、よくわからないことに満足しているのですかッ!」
そうやって達成感溢れた感じで落ちていく彼女に満足に突っ込みを入れることもできず、バランスを崩したまま真っ暗闇の穴の底へ二人して仲良く落ちていったのです。……ああ、なんだかちょっと前にもこんな感じに落ちていったことがありましたですね。
ウチの冒険はまたしても終了なのです。これまで応援ありがとうございましたです。
◆ ◆
「……また真っ暗スタートかよ」
気付けばまた真っ暗闇の中にいた。
……まさか助けに行ったつもりが、ポッホにあそこで避けられてしまうとは。
自分で突っ込んでいった分、なんとか落ちていく体勢をどうにかすることはできた。まあ、とっさにできたことはそれくらいだったわけなんだが、こうして無事でいるのならそれで良いだろう。変な体勢で落ちていたら無事じゃいられなかっただろう。
「いや、良くもないか?」
これまでの経験上、楽観視していてはだめだ。
これまでの身体なら世界樹の枝から飛び降りようが、巨竜の身体に押し潰されようが平然としていただろう。けれど今はピケと同じ身体なのだ。……一般の探索者でも崖から落ちれば怪我をするのだから、貧弱なこの身体で無事でいる方が不自然だ。
「…………誰だ」
……視線を感じる。
そういえば、あまりに長い浮遊感に上下の感覚もなくなってきた頃、――岩にしてはやけに弾力のある何かにぶつかった。……人工物や自然物とは違う何か、だ。
『「…………――」』
』
「…………誰だ?」
更新は牛歩ならぬ蝸牛の歩みで頑張っていきますので、気長にお待ちくだされば幸いです。