**:彼等の物語「彼の行方」
『
「ああ、そう言えば。北方の端にまた新しい未踏迷路が見つかったみたいだぞ」
「雪に埋もれていた氷の洞窟らしいな。……寒いのは得意じゃないから俺はパスだな」
中央ギルドのカウンターで淹れたてのコーヒーを飲みながら、そんな世間話をする。
怒って淹れてくれないかと思ったが、ちゃんとキラは美味しいコーヒーを淹れてくれた。
「寒いって言っても、精々吐いた息が凍るくらいのものだろ? お前さん達なら氷漬けにでもされない限り問題ないだろ。……これも修行だと思って、探索に行ってくれねえか」
「いや、嫌だよ。吐いた息が凍るなんて相当寒いだろ。……生憎だけど、俺達はこれでも普通の人なんでね。親父殿みたいに分厚い毛皮は持ち合わせていないんだよ」
「俺だって本物の熊じゃあるまいし、毛皮なんて持ってねえぞ」
「……面の皮は随分と厚いみたいだけどな」
灰色熊のようなでかい図体をしたトラッポラの手でその小さなコーヒーカップを持つと、人形遊びの玩具か何かのように見えてしまう。そんな小さなサイズでしっかりと味わえているのだろうかとデューズはいつも思うのだが、ちびちびとコーヒーを口にする彼のその満足げな顔を見る限り問題はないようだ。
「それなら、火山島にある未踏迷路はどうだ? 暖かくていいんじゃないか」
「暖かいじゃなくて焼け死ぬわッ! 伝説級の火蜥蜴の衣を着て入っても、一刻もしないうちに耐久値がなくなって消し炭になるって話だぞ。そんなもん、やってられるか」
「文句の多い奴だな。となると、あとは終焉の――」
「――二人とも、業務の邪魔になります。さっさと退いてください」
ダンッとカウンターの上に山積みにされた書類の束が置かれ、男二人の和気あいあいとした会話は中断させられた。……そして、ギシギシと油の切れた機械のように振り向くと、書類の山の向こうからキラが冷え冷えとした視線をこちらに向けていた。
「あっと、すまん。……すぐに退くよ」
「おう、そうだな。仕事の邪魔をしちゃいけなかったな」
大の大人が笑顔を引きつらせ、不器用な苦笑いをしていた。
「世間話なら奥の机でやってください。そこで話をされていると邪魔です」
キラに冷たい視線で見送られ、二人はそそくさと奥にある大机へ避難する。
コーヒーのカップを手に背中を丸めて歩くその様は、叱られてしょんぼりとしているただの子どものようであり、とてもじゃないが高レベルの冒険者の姿には見えなかった。……加えるなら、いい歳した大人の姿でもなかった。
「…………ふぅ、まったく」
キラはそんな二人を見送ると、待たせていた相手へと笑顔で向き直った。
『……――お待たせしました、こちらへどうぞ。では、要件を伺いましょう』
『ははは、相変わらずお二人に厳しいのですね。……そうそう、要件は――』
『……話をするのですから、その手元の本は一度閉じてもらえませんか?』
『おっと、申し訳ない。……まあ、気にせず話を続けて下さいな』
「………………」
カウンターの方を覗き見てみれば、キラは本を片手に話を続けようとする変わった女性の対応をしていた。そのにこやかな営業スマイルの笑顔を見るに普段とあまり変わらないような気もするが、どことなく苛々しているような雰囲気も伝わってくる。
「……なあ、やっぱり。まだカウンターのこと怒ってるよな?」
「そりゃ怒るでしょう。……斧なんて投げる必要、全くなかったじゃないか」
「いや、お前さんに久しぶりに会ったから、その……つい?」
「つい、じゃないだろ。……こりゃ、許してもらえるまで謝るしかないだろうな」
それから二人はキラの仕事が一段落するまで、どうやって機嫌を戻してもらうか彼女の宥め方をこそこそと話し合っていた。……彼女の仕事を手伝わずにのんびり休憩していることが原因の一つであるような気がするが、二人がそれに気付くことはなかった。
◆ ◆
「――それで、デューズの野郎は見つかったのか?」
中央ギルド会館の分厚い扉をくぐり、トラッポラは声をかけた。
受付のカウンターの奥、普段ならばギルドに勤める職員がせっせと事務仕事をしている大机には六名の老若男女が集まっていた。その中の一人が彼の声に静かに返事をした。
「いいえ、あの晩私達と別れてからぱったりと足取りが消えてしまっているわ。……大地に残っていた魔力の痕跡も探ってみたけど、これといった成果は上がらなかったわね」
そう答えるのは魔術師のプリミエラだ。
彼女は精密な術式と膨大な魔力により、大規模魔法から極小魔法まで巧みに魔法を扱う生粋の天才魔術師だ。当然のように探知系の魔法も得意としているのだが、そんな彼女であってもはっきりとした痕跡を見つけることは叶わなかったようだ。
「……すぐに調べればまだわかることも多少あったかもしれないけど、彼が突然ふらっといなくなることなんてそう珍しいことじゃなかったから油断してしまっていたわ」
そう言う彼女の顔は悔しそうであった。
彼の最後の足取りがわかるのは街の中心にある大通りの前であったが、朝も夜ともなく毎日何千何万というモノや人々が行きかうその混沌とした場では、わずかに残留していた魔力も雑多な魔力に混ざり合ってしまいすっかり霧散してしまっていた。
「この辺りにいる動物達にデューズのことを訊いてみたけど、みんな首を振ってたよ」
「この辺りにいる死霊に何か知らないか私も訊いてみたけど、みんな知らないってさ」
魔物使いと死霊使いであるスパイトとマリスの双子も、残念そうに首を振る。
いつもは静かにさせようとしても中々黙ることのない双子だったが、二人とも寂しそうに俯いてじっと机を見ているばかりであった。二人の前に置かれた暖かかった飲み物も、口を付けられることもなくすっかり冷たくなってしまっている。
「俺も昔の伝手を使いながら色々と探ってみてはいるが、まだそれらしい情報は集まってこないな。……ったくあの馬鹿は、ようやくレベル100になったっていうのにまだ周りに心配かけるのかよ。今度会った時は、絶対にぶん殴ってやるからな」
そう言って巨漢の祈祷師であるドゥラークは、寂しそうに拳を打ち付けた。
あの晩、パーティーの中で最後までデューズと一緒に飲んでいたのは彼だった。
プリミエラと双子の三人は結構な夜遅くまで一緒に店を回っていたのだが、それでも群青色の空が朝焼けに白み出す前には宿に戻ってもらっていたのだ。……それから先は、野郎二人だけで明け方までゆっくりと積もる話をしながら飲み明かしていた。
そして、夜が明けて気付いた時には隣にデューズの姿はなかったのだという。
「……そうか。まだ進展はねえのか」
トラッポラは大机の前まで向かい、険しい顔を突き合わせている彼等のその報告を静かに聞いた。……似たような報告を聞くのはもう何度目だろうか。あの晩デューズの行方がわからなくなってから、結構な時が過ぎている。
「あやつが姿をくらましてから、もうかれこれ半月になるか。酔っぱらって迷子になった、というには少し長すぎるだろうな。…………あやつの捜索依頼はギルドの方でも引き続き出しちゃあいるんだが、そいつもあんまり期待はできないだろう。――……あやつが自分からどこかへ身を隠したっていうのなら、なお更な」
「……おい、そいつはどういうことだ?」
ドゥラークはトラッポラのその言葉に反応し、その巨体を乗り出した。
見上げる程の巨漢である二人がこうして面と向き合って立ち並ぶと、その様子をただ見ているだけでも結構な威圧感がある。……加えて彼はトラッポラに向け、闘気と共に『威圧』の特技を使っていた。――ただし、
「まあ、話は座って聞け。……威圧なんてしたところで、儂には何の意味もないぞ?」
「………………ああ」
そう言われてドゥラークは大人しく椅子に腰を下ろした。
彼等のこれまでに積み上げてきた場数と色々な経験の差もあるのだろうが、トラッポラはそよ風でも受け流すようにその彼の『威圧』を躱して見せた。
「……ギルド長、お茶を淹れました」
トラッポラが腰を下ろしたのを見計らったように副ギルド長、兼秘書であるキラが淹れたてのお茶をそっと彼の前に出してくれた。……そしてそのまま席に着くキラも、彼等と同じように何かを堪えるように表情を暗くしていた。
「ああ。すまんな、キラ。…………それで、さっきの話なんだがな。儂はあやつがこうも見つからないのは、自分から姿を隠したからなんじゃないかと考えているんだ」
「まあ、ありそうな話ではあるが。……そうじゃないかと考えた理由はなんだ?」
すっかり冷めたお茶を口にし、ドゥラークは怪訝そうな視線を向ける。
「理由、なんていうもんじゃないが。……単純な話、そもそも今のあやつに対して何かをできるような存在はそうおらん。だとすれば、自分から動いたと考えるのが自然だろう? こうやってしょぼくれた顔を突き合わせちゃいるが、端からあやつが誰かや何かに殺されたり、誘拐されたりしたんじゃないかという心配は皆もしてはいないんだろう?」
「………………」
そう言って、「違ったか?」と周囲を見回す。
大机を囲む皆の顔を伺ってみれば、「それもそうか」とでも言うようにキョトンとした顔をした後、一様に強張っていた肩を軽く竦めてみせていた。……舞い落ちる枯葉が身体に当たったとして怪我の心配などすることがないように、レベル100となったデューズの身の心配など考えるだけ徒労となるだろう。
「ああ、そうだな。……あいつがこうやって俺らに心配かけるのは、いつものことだっていうのによ。レベル100になったあいつがそう簡単にくたばっちまうはずがねぇよな」
「ええ、そうですわね。彼が急にいなくなったりするのなんて、いつものことですもの。……いつまでも不安になってあれこれ妙な心配していても仕方ないですわ」
肩を竦めて微笑みながら、大人な二人は顔を見合わせた。
その顔にはもう先程までの悲しげな色は伺えず、あいつは今頃どこで何をやってくれているのかと、手間のかかる弟分のことを思うように優し気な表情を浮かべていた。
「……そもそも、私らは心配なんてしてないし。荷物持ちがいなくて不便なだけだし」
「……そうそう、私らは心配なんてしてないし。遊び道具がいなくて退屈なだけだし」
そして素直じゃない子どもな二人は、その安心した顔を見られないように顔を逸らせてそっぽを向いていた。……けれど、二人の耳が気恥ずかしさで赤く染まってしまっているのは顔を背けていてもしっかりとこちらから見えていた。
「いや、待てよ。……普段はしっかり者の風を装っているが、あいつは頭ん中がいつまでたってもお子様だからな。ころっと騙されてどこかに封印されてたり、誘拐されちまっていたりするかもしんねぇな。やばいな、あいつなら十分ありそうだぞ」
彼にしてみればぽつりと思いついたことを小さく言葉にしたというだけだったのだが、……じわりじわりと染み出してきたこの不安な気持ちを広げさせるには十分であった。
「デューズは間抜けだから、すぐに騙されていそう。恩恵に頼って油断してる」
「デューズはおバカだから、すぐにやり込められる。隙がないのに隙だらけだ」
ハッとしたように、双子も思い浮かんだ不安を口にした。
「……ええ、その心配はあるわね。もしかしたら何かの事件に巻き込まれてしまっていて、どこかで余計に問題や面倒な騒ぎを起こしているかもしれないわ」
そう言ってプリミエラも、どうしたものかと不安そうな思案顔になった。
何があろうと生きてはいるだろうという安心感はあるけれど、それとこれは別の話だ。
倒さないまでも、封印や誘い出しはよく使われる手法だ。たとえレベル100が相手であろうと、作戦の立てようによってどうとでもそのようにやり込めることができてしまう。……そのことは、これまでに幾度となくレベル100の奴らと渡り歩いてきた歴戦の彼等だからこそ、十分に理解できてしまっている。
だからこそ、再び不安になってくる。
「身体ばかりでかくなった生意気な小僧だからな。少し強くなったからと調子に乗って、色々とやらかしそうではあるな。ああ……それから、これも儂の当てずっぽうなんだが。――あやつの行く先に心当たりがないわけじゃない」
トラッポラのその言葉に皆の視線が集まった。
「……そんな心当たりがあるんならよ。とっくに見つかっているはずじゃねぇのか」
「心当たりとはいっても、あやつの行きそうな場所というだけだ。……儂はあやつと最後に話をした時、『油断をするな』と話をしてやった。レベル100になったからと慢心せず、力を使いこなせるようにならなきゃいかんからな」
彼はカップに注がれていたお茶を一気に飲み干し、その続きを口にした。
「――終焉迷路。……レベル100の腕試しをするなら、いかにもな場所じゃないか?」
』
ああ、なんだか随分と見当違いなことを言ってますけど、……このままだといずれ彼の元へ辿り着いてしまうかもしれませんね。……もう、嫌ですね。頭は悪い癖にこうやって勘ばかりが鋭くなってしまっている野蛮人という奴は。野生の勘ばかり余計に鋭くなって、知恵の実を少し齧ったくらいじゃ知識なんてろくに扱えていないじゃないですか。
……余計なちょっかいが入る前に、さっさと話を進めてしまいましょう。
さあさあ、今度はどんな話をしているのでしょうね。
残りの修正も早めに進めていきます。
牛歩よりも遅い進歩ですが、どうぞお付き合いください。