**:彼女の話「魔窟迷路の出会い」
2017.12/1・・・タイトルなど、色々と修正を行いました。
他のタイトルも順次修正を行っていきます。
真っ暗な洞窟の中、獲物を探す小動物の瞳だけが爛々と不気味に輝いていた。
――ド、ド、ドドドドッ……
静かな暗闇に奴等の足音が聞こえてくる。
奴等は這い擦る影のように岩壁を覆い尽くし、獲物の姿を追っていた。
その音の一つひとつは耳を澄まさなければ聞き取れない程に小さく、微かな音であるはずなのだが、荒れ狂う雪崩のように押し寄せてくる怒涛の軍団の足音は幾重にも岩壁に反響して大きく、とても大きく低く響き渡っている。
……もっとも、奴等の足音が静かだったとしてもこの暗闇に静寂はなかっただろう。
『ギュアッ!『ギュイア『ギュウイ『ギュイェア『ギュイ!『ギギュ『ギュッ!『ギュ『ギュイ!『ギギュ『ギギギ『ギュアッ!『ギ『ギッ!『ギ『ギギ『ギ『――……』
お互いの金切り声のような鳴き声が幾重にも重なり、喧しい程に洞窟に響き渡っていた。
雪崩のように押し寄せる奴等は擦れ違いざまの魔物を一瞬で飲み込み、断末魔の叫びの一つすらあげさせなかった。……そして、通り過ぎたその場所には哀れな魔物の骨の一片どころか、僅かな体毛の一本すら残されてはいなかった。
彼らは止まることを知らない。
目的を遂げるまでは疲れも知らず、全てを飲み込んでいく。
奴等の目的は唯一つ、――『邪魔者を消し去る』ことだった。
◆ ◆
崩落した魔窟迷路の一角。
揺れは既に収まっていたが、その爪痕は深く刻み込まれていた。
地揺れによって開いた大穴はいくつかの階層を突き抜け、遥か下の方にまでポッカリと大きな口を開けていた。そして、地揺れの余韻を残すように周囲にはまだ薄っすらと土埃が舞い、岩壁から崩れた大小様々な石塊が辺り一面に乱雑に散らばっている。
「痛た、たたた……。もう、なんなのですか」
石塊の山の一つから憮然とした小さな声がした。
すると、積み上がっていた山がガラガラと大きな音を立てて崩れ、その中から砂埃塗れの小柄な少女が這々の体で出てきた。ひょっこりと出てきた土や砂で汚れた小さな頭には、活発そうに短く切り揃えられた髪と――獣人の証である獣の耳が見えている。
少女は真っ暗な暗闇の中で腰に繋いでぶら下げていた携帯用の灯火を手探りで点け、よろよろと立ち上がった。若干よろけてはいたが、足取りは随分としっかりしている。
「ふぃ……、何とか助かったのです」
パッパッと服に付いた汚れを叩き落とし、彼女はポッカリと開いた大穴を見上げた。
「あぁ、……あそこから落っこちてきたのですかね? 大怪我とかしなくて良かったですけど、なんだか随分と下の方まで落ちてしまったみたいですね。……うわぁ、この穴まだ下まで続いているみたいですよ。もう、本当によく助かったものですよ」
淵まで歩いて下を覗いてみるけれど、深い闇が続くだけで底は見通せそうになかった。
彼女が身にまとう衣服やマント、背負っていた荷物などはここまで落ちてくるうちに随分とボロボロになってしまったようだが、幸い怪我らしい怪我といえば膝や顔についた幾つかの擦り傷くらいで大きな怪我をしている様子はなかった。
……しかし、不幸中の幸いと言ったところだろう。
現状は紛れもなく不幸の最中であり、決して良い状況であるとは言えなかった。
「けっこう下の階層まで落ちたっていうことはまあ、わかるんですけど。……ここは一体、どの辺りなんでしょうかね? せっかくの魔窟迷路の地図も今の場所がわからないんじゃ、あんまり役に立てられないですよ」
落っこちる間もギュッと強く手に握り締めていた地図を広げる。
そして、頼りない灯火の明かりで手元を照らしながら、じっと目を凝らして縦に横にとくるくる回してみる。……しかし、『ああでもない、こうでもない』と唸りながら地図を穴が開くくらい睨んだところで、目印もないこの場所では自分がこの複雑に入り組んだ魔窟迷路のどの辺にいるのかなどそう簡単にわかるはずもなかった。
しばらく地図とにらめっこをしていたが、一つ大きく溜め息を吐くと顔を上げた。
「そりゃこの地揺れですし、……道だって無事じゃあすまないのでしょうけどね」
ざっとこの辺を見回しただけだが、先程の揺れによって崩れてしまった場所は少なくないようだった。この様子では地図に書かれている通路も、崩れた瓦礫によって何ヶ所か塞がってしまっているものと考えておく方がいいだろう。
「……やっぱり絶体絶命真っ最中なのです」
――カランッ……
「な、何ですか今の音。……え、モンスター? ついにモンスターとの遭遇戦ですか!」
聞こえてきた小さな物音に対し、警戒心を高める彼女。
……しかし、それも獣人の本能のなせるものなのか。そんな怯えきった彼女の言葉とは裏腹に、瞬時に腰を低く落として拳を構えたその姿は『襲われる側』などでは決してなく、隠れている獲物を探す『襲う側』の獣のようであった。
しかし、その警戒もどうやら今回は空振りに終わったようだ。
「…………え、あれってもしかして宝箱じゃないですか?」
宝箱に気付くと、張り詰めていた警戒の糸をサッと解いた。
目を凝らして音がした先を見てみると、そこには古びた木箱が崩れた石塊に埋もれるようにして少し見えていた。彼女は背負っていた大きな荷物をその場に下ろすと、宝箱に誘われるようによろよろとその近くへと足を進めていった。
「あ、そうです。魔窟迷路にある宝箱は人食い箱の可能性もあるんですよね。中央ギルドにいた親切なお姉さんが、危ないから注意するようにって教えてくれたのです。……ここは気を引き締めて慎重にいかないといけないのです」
彼女は若干緩んでいた顔を引き締めると、宝箱を掘り出していった。
けれど、箱の上に乗っている石を不用意に取り除くことでまた崩落が起きてしまっても困るので、一つひとつ取り除く石を選びながら慎重に作業を進めていった。ここで下手に焦って適当に石を崩したことで再び生き埋めになんてなってしまっては元も子もない。
「……焦っては駄目なのです」
宝箱の掘り出し作業は慎重に進められていった。
「思ったよりも大きいですね。……なんだか期待できそうです」
石塊の山から掘り出し始めてからしばらくすると、それは小さい子であれば一人くらいすっぽりと中に収められそうな程の大きさの宝箱だということがわかった。宝箱の大きさにも様々な種類があるが、その中でも割と大きい部類になるだろう。
「さてさて、ここに目当ての恩恵の巻物は入っているのですかね。……そりゃ、いきなり本命が当たるとは限らないですけど、その昔誰かが見つけたという『回復薬の詰合せ』が当たると個人的にはちょっと嬉しいですよね。ふふふ、何が出るのか楽しみです!」
頭の中でそんな楽しげな皮算用をしながら掘り出した宝箱を少し開けた場所まで運ぶと、テキパキと箱に何か危険な罠や変な仕掛けがされていないか、注意深く獣人の持つ鋭敏な嗅覚や聴覚も使って念入りに確認をしていった。
「ふふふ、簡単な人食い箱の見分け方と罠や仕掛けの確認の仕方なんかは、あのお姉さんがしっかりと教えてくれたので大丈夫ですよ。中央ギルドの方は初心者にも親切に教えてくれるので嬉しいです。……今度会ったら、しっかりお礼をしないといけないですね」
一通りの確認を終わらせるとようやく肩の力を抜き、大きくひと息ついた。
「ふう、モンスターの気配はなさそうです。……けど、どうして箱に背負紐みたいなのが括り付けられているんですかね? なんだか罠っていうわけじゃなさそうですけど……」
宝箱にはどういうわけか背負紐のようなものが後から付けられていた。
しばらく首をひねってどういうことかと考えていましたが適当な答えは出なかったのか、最終的には『罠じゃないなら問題はない』という結論に落ち着いたようだった。
「ちょっと気にはなるのですけど、面倒なのであんまり深く考えないことにするのです。…………それでは早速、――中身の確認なのです!」
先程までの慎重さはどこへ行ったのか、宝箱を勢い良く開けました。
箱に鍵はかかっていなかったようで、蓋は軋んだ蝶番の音をさせながら簡単に開いた。
すると――、
――ギィ……
「ちょっと、あなたは何を考えているんですか」
箱の中から現れた小さな女の子に、なぜかお叱りを受けてしまいました。
◆ ◆
「ひえっ! ……ご、ごめんなさいです!」
「…………あら、あなたはどちら様でしょうか?」
……これはどういうことでしょうか?
ディズちゃんに無理やり宝箱に押し込められたと思ったら、今度は目の前に知らない子がいらっしゃいます。いきなり現れたこの、……頭に丸くて可愛らしい耳を生やしたこの可愛らしい彼女はどこのどなたなのでしょうか?
「え? あ、ウチのことですか? ええっと、ウチの名前はポッホ。ポッホ=シュピールっていうです。……う、ウチはこう見えてもただの弱っちい一般人ですから! なので、襲ってきても経験値なんてこれっぽっちも手に入らないですよ!」
……彼女は何をおっしゃっているんでしょう?
ポッホ、さんですか。……どうして彼女はそんなにも警戒した顔で私のことを見つめるのでしょうか。ああ、ピクピクと丸い耳が動いていてとても気になります。……宝箱から飛び出して驚かせてしまったことは少しだけ申し訳ないと思いますけど、そんなに彼女を警戒させてしまうようなことだったのでしょうか。
「一般人のポッホさん、ですか。……私は、――ピケ。そう、ただのピケです。……あの、大丈夫です。心配しなくても、あなたを襲ったりはしませんよ?」
……まあ、こうしていつまでも宝箱から上半身だけ出しているというのも変でしょうし、外に出ることにしましょうか。……そしてどういうわけか私が宝箱から完全に出てくると、ポッホさんと私の距離は更に少し広がっていました。……なぜなのでしょうか?
「……ほ、本当ですか? 油断させて後で襲うのとか絶対になしですからね」
「ええ、決してあなたを騙すようなことはしません。……天上の神に誓います」
警戒を少しは解いてくれたみたいですけど、まだ私を疑うような顔をしているようです。まさか、彼女の丸い耳を触りたいという私の心の声が漏れてしまっているのでしょうか。……不思議ですね、どうして彼女は私の言葉を疑うというのでしょうか。人は心だけでは通じ合えない以上、伝え合う互いの言葉を信じるしかないというのに。
「……じゃあ、ピケちゃんは新種の人食い箱じゃないんですか?」
「いいえ、違いますよ。……人食い箱とはなんでしょうか?」
お互いにキョトンとした顔で向き合ってしまいました。
……ああ、ポッホさんはそのキョトンとした顔がとても似合いますね。なんだか無性に抱きしめてしまいたくなります。いきなり抱きしめたら怒られてしまいますかね?
「えっと、人食い箱っていうのは確か魔窟迷路の中でよく出てくる宝箱の振りをして人を襲うモンスターのことらしいですけど…………って、ああもう。そうじゃなくてですよ。それなら、どうしてピケちゃんはこの宝箱の中になんて入っていたんです?」
ポッホさんは人食い箱の説明をすると、途中からそんな質問をしてきました。
あら、人食い箱と言うのは魔物なのですね。宝箱の振りをするなんて、変わった魔物もいるのですね。……ああ、そう言えば私の可愛いディズちゃんはどこに行ってしまったのでしょうか? 先程からあの可愛らしい小さな姿が見えないようですけど。
「……ねえ、ポッホさん。ディズちゃんを見かけませんでしたか? 淡い栗毛の長い髪に濃くて赤い瞳をした小さな女の子なのですが、はぐれてしまったみたいなのです」
「ああ、そうですか。そんなような気はしてましたけど、ウチの質問には答えてくれないみたいですね。……それなら今まさに、ウチの目の前に丁度そんな姿をしたあまり人の話を聞いてくれない子がいますですよ」
そう言われてあたりを見回してみますが、どこにもディズちゃんは見当たりません。
「? ……どこにもいないようですけど」
「えーっと、『鏡』。……ほら、これでどうです?」
ポッホさんが手をかざすと、目の前にディズちゃんが現れました。
「あら、ディ――……デューズさん。私を宝箱に押し込んでどこへ行ってしまったのかと思ったら、そんなところに隠れていたんですか。…………どうしてさっきから私の真似をしているのですか? 今は遊んでいる時じゃありませんよ」
ディズちゃんが私の真似をしてきます。
私が右手を上げると同じように左手を、また左腕を上げると今度は右腕をディズちゃんは上げました。……その仕草はとても可愛らしくていいのですが、どうしてそんなことをするのでしょうか。私と一緒に遊びたいということなのでしょうか?
「いやいや、遊んでいるのはピケちゃん一人だけですよ。……そりゃあ『鏡』の魔法なんですから、ピケちゃんが動けばおんなじ動きをするに決まっているじゃないですか」
「これが鏡? 鏡というのは水の中にゆらゆらした姿を映すものでしょう。……こんなに大きくてはっきりと姿が見えるようなものじゃありませんよ」
鏡なら私も神殿でたまにお盆に水を張って使うことがありましたが、このように正面で全身をはっきりと映せるようなものではありませんでしたよ。お盆を覗き込んでも見えてくるのは、もっと暗くてゆらゆらとした歪んだ顔くらいでしたもの。
「ああ、それは水鏡ですかね。水鏡と違って、鏡の魔法を使えばこんな感じにくっきりと見えるのですよ。……いえ、そんなことよりもですよ。なんだかさっきの会話にちょっと聴き逃しちゃいけない不穏な言葉があったような気がするんですけど?」
「……魔法とは凄いのですね。少し驚きました」
恩恵の話を聞いた時もそうでしたが、超常の力とは凄いものなのですね。
これまではずっと神殿こそが世界の全てであると教えられてきましたから、こうして外の世界のことを目の当たりにすると本当に驚くことばかりです。……確かにこれでは、ディズちゃんが私の知らなさを見て驚くわけですね。
キャラ崩壊待ったなしです。