stage 05:speed option(その3)
stage_05
speed option(その3)
八月末。
ブラインドで遮られてもまだ肌を貫き肉にまで届くような日差しはいつの間にか差し込まなくなっていて、気がつけば夜の九時。塾の夏期講習ももうすぐ終わりだ。
講義はもう終わっていて、秋に向けての心構えなどを講師が話している。それをぼんやりと聞きながら、夏休み最後の数日をどう過ごそうかと眼鏡をかけた少年は思った。
宿題はもう全部終わらせたし、同級生はほとんどが、逆に今宿題に追われている。なにをしようか。
いけだいくんは、どこかいきたいところある?わたしは……おもいつかなくって。
自分も思いつかなくて、近くで安く暇を潰せてうるさくないところ……図書館。そう言った覚えがある。ショッピングモールの方が、気が紛れてよかったのだろうか。
周囲でガタガタと音がする。講習は終わり。席を立つ音。ざわざわと、話し声。少年もノートや筆記用具をかばんにしまう。
「池台……池台ケンゴくんはいるかな?」出入り口から出て行く生徒たちと入れ替わりに、別の講師が入ってきた。
「はい?」
「ちょっと来てもらえないかな……君に会いたいという人が来ているのだけど、その……どうしたものか、ちょっとわからないんだ」
?
「池台くん……小学校時代の知り合いっている?」
ケンゴは少しだけ考えて、首を横に振った。
「小学校時代にあまりいい思い出はなくて……この目も、僕をいじめていた相手にエアガンで撃たれたもので」眼鏡の上から左目を押さえる。
講師はそれを聞いて少し考え込んだが、またすぐケンゴに聞いた。「女の子の知り合いは?」
左目を押さえていると、おぼろげに思い出す。ガーゼの圧迫感。狭くなった視界の中で、ただごめんなさいごめんなさいと繰り返す。
「長い黒髪で」
病室のベッドの傍ら、申し訳なさそうに座って。考えがまとまっていないのか、何か言い出そうとしては口ごもって、口に出した言葉も、やはりまだ整理できていない。
「わりと姿勢のいい子で」
図書館でふと目を上げると、借りてきた本を食い入るように読んでいた。たしか何か射撃の本。不思議に思いつつ結構長い時間見ていた気がするが、気づいていなかった。
席についてすぐのころは、こっちが気になるほどチラチラと自分の方を見ていたのに。集中している姿は、姿勢がいいと言えば、いい。
入院して、引っ越すまでの短い期間。あの事件が一学期の終わり頃で、夏休みのちょっとの間。ぼんやりと思い出す……あの子。たしか、
「独りにすると変な踊りを踊る」
「」短い沈黙。
「ないです。それは、ないです」
「私立魚森女子高等学校」エレベーターは混み合っているので階段を降りながら講師が続ける。
「大学への進学率は低いし、はっきり言ってランクの低い学校だ。しかしガラの悪いという話も聞かない……地元の子がここで学んで、卒業後は就職なり専門学校へ行くなり、どちらにせよ地に足をつけて働くって感じの所らしい」
東京都馬魚区。神奈川県ではないが、近くではある。地元……?
ケンゴの知っているあの子だとしたら、引っ越したという話は聞かない。
「姉妹校の馬潟女子に至っては、保育園が併設されて保母さんの実習をできるコースまであるとか……そういった学校を運営している、梅屋敷育英会。そこの理事長のお孫さんとのことだ……電話でご家族に連絡して本人であるとの確認は取った」
話だけ聞くと、それなりのお嬢様という感じだ。小学校の頃の連中がお礼参りや悪ふざけで動かせる人ではなさそうだが。
「……なんだけど、まあ、うちの受講生でない、……不審者が玄関近くで日傘をバサバサ振り回して変な踊りを踊っていると」
不審者。そこがわからない。
「警備員に来てもらって、身元を確認して、話を聞くと君に聞きたいことがあると。彼女の友達で、君の同級生だった、大森……?さんのことで、とか」
大森さん。そうだ。懐かしい名前。
そのお嬢様には個室で待ってもらっているとのこと。入り口近くに警備員が立っている……ケンゴがドアに手をかけると、中から歌声が聞こえていた。
聞いたこともない歌。パラプリュイ、パラプリューイ。
フランス語で傘って意味だね。講師が言う。
パラプリューイ、パラプリューイ。
「すいませんやっぱり帰っていいですか?」
「まあいいっちゃいいんだけど……そうしたら今度は、君の家に直接来そうじゃない」
ケンゴは左目に手を当てる。ビシッという衝撃が目玉から頭の奥に伝わった、世界が半分になったあの瞬間。その瞬間よりも思い出したくない、過去。
右目も閉じる。浮かび上がってくるのは、大森さんの顔。
謝りたくて、わかってもらいたくて、でもそれは、言い訳がましくてと。そう何度も。まとまりのない言葉を。
不器用で口下手で、しかしその瞳は、まっすぐで。
この直感は、信じてもいい。そうケンゴは思った。
ノックをして、ドアを開ける。パーテーションの向こうにある机にその少女は座っていた……やはり見覚えのない顔。
ケンゴを見ると、少女は持っていた湯飲みを机に置き開いてあった何かの洋書を脇にどかした。
さっきまでお茶を飲みながら洋書を読んでました歌のことなど知りませんと言わんばかりに。
音もなく静かに席を立つと、少女は優雅な仕草でケンゴに挨拶をした。
「はじめまして。わたくし、梅屋敷ミチルと申します。大森ミチエさんとは同じ部活で、直接お聞きした訳ではないのですが……池台さんの事件のことを知りまして、話をお聞きしたくて、こうして参りました次第です」
白いワンピースのサマードレスに艶やかな黒髪がよく似合う。華やかで気品のある雰囲気が漂っていて、お嬢様というのは本当なのだろうとケンゴは直感した。
不審者、とかランクの低い学校、というのが信じられない。
「あっ、は……はじめまして。池台ケンゴです。あの……先ほどの歌は」
言いながら、我ながら間抜けなことを聞くと思いつつ。
「聞かれておりましたか……お恥ずかしい」照れくさそうにミチルが言う。
「少々物思いに耽っておりまして……。大森さんがお盆休みに色々あったとのことで、お聞きした中に池台さんのお話もあったのですが、他のお話によいものがございまして」
こちらの目を見て丁寧に話す。もう明るいか暗いかしかわからない左目にもこちらをまっすぐ見据えるミチルの視線を感じるようだ。
「その話を思い出す度に、わたくしの内なる邪悪なエリンギが鎌首をもたげ、傘を広げるのを感じまして……そうなるとつい、体が」
こちらの目を見て丁寧に話す。
「」
すぐ後ろ、入り口の向こうには講師と警備員がいる。しかしミチルの視線に射すくめられて振り向けないようにケンゴは感じた。
何か悪意があるわけではない。一番近いのは宗教や自己開発セミナーの勧誘。それにしたって、もうちょっと、なんかこう。
だれかたすけてくださいこのひとやっぱりなんかアレです。
そういえば部活って……どのような?
はい。池台さんの事件についてはお話も伺いましたし自分でも調べまして……少々申し上げにくいのですが、その上で、
シューティングスポーツ同好会。エアソフトガンによる射撃競技を行う部活です。高校の部活動としては、おそらく全国初になります。
……大森ミチエさんは、そのために魚森女子にいらしたと。そうお聞きしております。
JSC会場。
Hスクワッドは二ステージ目のゴーゴーファイブを撃ち終えたが、次のステージは前のスクワッドが撃ち終わっておらず少し時間ができた。
「あんがと。いやあ最後に、熱いお茶が怖いなんつって……ミチルさん饅頭はないの饅頭は?」
ミチルの淹れたお茶に口をつけながらウイカが言う。
「おやつにはまだ早いですわ。後で何か……芋羊羹でも買って参りましょうか」とミチルが返す。
お茶をもう一口飲んでから、ウイカはテーブルに弾倉を並べてBB弾とガスを補充し始めた。テーブルのはす向かいでは、ケイが同じ作業を行っていた。
ミチルとミチエの銃は外部パワーソースだからガスを補充する必要はないが、競技中にこまめに弾を補充する。
予備弾倉を用意するとなると一本ごとにガスや機材を用意しチェックを受ける必要があり現実的ではないのだ。
ノリコの銃のバッテリーは全ステージを一周するだけなら交換する必要はなく、弾倉への弾の補充はダイキの役割だ。
「向こうはスタッフシュートが始まったよ。そろそろ準備、いいかな?」マッハ酒井がウイカのところに来た。
もうちょっと。最後の一本にBB弾を入れながらウイカが言う。入れ終わると、フォロワーのロックを解除し忘れていないか一本一本確認する。
マッハ酒井とともにセビオやニシオらも集まっていた。ニシオはウイカが腰から下げている銃が気になるようだ。
「同じケロック使いとして気になるのかな。ちょっと見てみる?」銃を抜きスライドを引いてスライドストップをかけると、ウイカは銃をニシオに手渡した。
「K19……海外メーカーのですか?」
「SKCだよ。K18U18のエンジンを移植して、インナーバレルやホップとかを調整してもらった……ちゃんと狙えば、オプションプレートは外さないはずだって」
グリップに荒い滑り止め加工。フレーム先端下部にはライトが装着されている。ホルスターも、ライトを装着したまま収納できるものだ。
銃身の先端には、消音器装着用のネジを保護するスレッドプロテクターが取り付けられている。ネジはプラスチックで複製したダミーで、消音器をつける強度はない。そうウイカは説明した。
前後の照準も消音器に隠れない背の高いもの。刻印などは再現されていないが、軍の特殊部隊が使っている仕様に似せたものになっていた。
ニシオが自分の銃を抜いてウイカに手渡す。少しうれしそう。
「レーシーでかっこいいじゃん。これはマブイのK26?」
スライド前部に軽量化の穴が大きく開けられ、そこから覗く、チタンコート風に金色の塗装がされた銃身。リアサイトの代わりに載せられたマイクロダットサイト。
「銀ダンでもK26使ってたから……それにRキャップのホップを移植してデチューンしたものです。その方が調整が楽だって。穴守さんの銃もその方がよくないですか?あれは基本的にマブイのコピーだって」
「まあね。だけど海外メーカーのコピー品っていうと、うちのメカニックがいい顔しないから」
ウイカはニシオに銃を返すと補充の終わった予備弾倉をマガジンポーチにしまい自分の銃をホルスターにしまった。
「そう言えばタニョじいさんは、海外メーカーのコピー品には苦々しい思いをさせられてるわね」リイサが言う。
小さくうなずいてミチルが席を立つ。ウイカもお茶を飲み干すと席を立ちマッハ酒井と大会本部へ向かった。
「国産というと、梅屋敷さんのホルスターはジャパリランドでなく、国産のふぁるこんですね。たしかダットサイトも、タシコのものを」
ミチルがガンケースを持つのを待ちながらセビオが言う。
「……はい。レースガンを組む予算を申請した際、祖父からの条件が、なるべく国産の部品を使うようにと。地元を疎かにすると足元をすくわれると、ニュースを見るたび祖父が申しておりますわ」
「梅屋敷会長らしい。……ポテトマッシャーは僕も持っていますが、そういう所に梅屋敷さんらしさのようなものが、現れていますね」
ふっと銃に対する愛おしさが増したような気がして、ガンケースの取っ手を握りながら指を伸ばしてケースを撫でる。
「お上手ですわね」照れくさそうな、しかし誇らしげな微笑み。
ミチルがセビオとステージに向かおうとした時、ミチルのスマートフォンから着信音が鳴った。
「ご家族からですか?」セビオが聞くとミチルは首を横に振った。
「いえ。少々……知り合いの方を。先に行ってくださいませ。用が済みましたらすぐに参りますわ」
ばん、ばん、ばん。
聞き慣れた訳ではない、おそらく一生忘れない音。衝撃。痛み。そして闇。
上の階で行われている物産展の客がいるのでとっさにエレベーターを降りたが、この音を聞くだけで反射的に身がすくんだ。
すぐ振り向いたつもりだが、エレベーターの扉はもう閉まっていた。
やっぱり梅屋敷さんが言っていたように、一階で待っていればよかった……ケンゴは少し後悔した。
八月末、学習塾。
「……まあ、事件については、梅屋敷さんが調べた通りのことです。こういうことになって……警察沙汰になったおかげで、事が明るみになって、裁判では賠償金をかなりもらえたみたいで。言い方は悪いですが……いい気味だ、と思いましたよ」
いい気味だ。そう言い放つことにためらいを感じていたが、つい口に出てしまった。
ミチルの手元にあるファイルには、事件を扱った新聞の記事だけでなく事件の経緯を記したメモや、どうやらケンゴやいじめた相手の事を調査した書類らしきものが綴じられていた。人を雇って調査したのだという……
「転校してからは、腫れ物に触るような扱いでしたが……周りがそっとしてくれるのは、ありがたいです。転校先でも、中学でも、それなりに、やっていけたと思っています」
もうこれといって事件について話すことはない。そうケンゴが感じたころ、少し長めの間を置いて、ミチルが口を開いた。
「ありがとうございます。それで……わたくしが聞きたかったのはここなのですが……大森ミチエさんについて、どのように思っていらっしゃるのでしょうか?」
少しためらいがちな、邪悪なエリンギの話をしている時より弱々しく、自信なさげな。しかしそれを揺るぎない決意が支えている、凛としたまなざし。
「……真面目で、不器用な子なんだろうなあと、思っています。病院には毎日、見舞いに来てくれて、許してほしい気持ちと、許してほしくない気持ちがあるようで……」
今思い返してみれば、
「今思えば、その……自分のことよりも、お父さんの銃と、射撃の競技の事を許してもらいたくて、それをこう、一緒にしてほしくないと、そう思っていたんじゃないかと……」
そうなんだ。ケンゴは思った。こう口に出してみて、ようやくわかった気がする。
「……今でも時々、あの子は何がしたかったんだろうと思うことがあります。僕は大森さんのことを悪いなんて思っていない、ただあの事件に巻き込まれただけの子だって。そう何度も彼女に直接言いました。ですが……」
ゆるしてほしいのは、わたしのことじゃなくて、
「……なんとなく、わかった気がします。ただ、その……お父さんの銃だから、というだけではないんですよね。なんであんなに、必死になって。……梅屋敷さんは、わかりますか?」
なぜ銃が好きなのか、どれほどに銃が好きなのか、わたくしのそれとミチエさんのそれはおそらく違いますし、ミチエさんの気持ちをわたくしが代弁できるなどとは。
ですが、
JSC会場。
「あれっ、君は、もしかして……池台くん?」
ケンゴが振り返ると、見慣れない男性が立っていた。トイレから出てきたところらしい……男性はケンゴの左目を見ると、確信を持って池台ケンゴくんと呼んだ。
「覚えていないか……仕方ないか。会ったのは一度か二度くらいだからね。私は大森イノ。ミチエの父親です」
そういえばミチエに付き添っていた父親が、こんな感じだった。背筋が伸びていて服装もちゃんとしたものをきちんと着こなしていた。
今の服装はカジュアルな感じだが、その印象は変わらなかった。
そうだ。この人が持ってきた菓子折りのプリンがとてもおいしかった。ミチエと一緒に食べて、その時のミチエの笑顔が、強くケンゴの印象に残っていた。
いったいどうして、こんなところに。イノが言おうとしたところで、会場からミチルが出てきた。イノがなんとなく事情を察するのと、ミチルがイノを見て状況を察したのはほぼ同時だった。
「あの……わたくしが、お招き致しましたの。ミチエさんと池台さんの件をお聞きして、池台さんの事を調べまして、会ってお話を致しまして……」
ミチルは一旦言葉を切って息を整えると、まっすぐにイノの目を見て話を続けた。
ああ、あの目だ。ケンゴは思った。揺るぎない自信や決意に支えられた、見えない左目にまで視線を感じるほどの眼力。
「差し出がましいことをしたと思われたなら謝ります。ですがわたくしは、信じておりますの。ミチエさんが言葉で伝えられなかった事を、今ならミチエさんの撃つ姿が、その背中が、きっと伝えてくれるものだと」
イノが小さくうなずく。ミチルが口を開こうとした時、ダイキが会場から出てきた。
「ミチルさん早く戻ってきてよ。もうノリコ姉ちゃん撃ち始めたよ……まだなんか用があるなら言っとくけど」
「行こうか。ミチエには私から話しておくよ」イノはゴーグルをかけるとケンゴの肩をそっと叩いて歩くよう促した。
ピット・アンド・ペンデュラム。
ステージ中央にストップターゲット。残り4枚は、6メートル先に等間隔に配置されている。両端のターゲットは少し大きいが、少し高い位置になっている。右から左へまっすぐに、とはいかない。
右側を片付けたら左は左端からたたみかけて行くのは……左利きのミチエは左右逆だが……右から左へまっすぐ撃とうとするノリコ以外はみんな同じだ。
ドロウした直後の初弾を、少し大きい端にするか内側を確実にしとめるか……ウイカとケイは、初弾を確実に当てるよう右端を狙う。
ドロウと射撃に自信のあるミチエは、左内側から撃って両端を一気に撃ち、右内側からストップターゲットへとたたみかける。
ミチルも同じ撃ち順だが、ミチルはドロウにも射撃にも逆に自信がなく、撃ちにくいものを確実にしとめていこうという考えからであった。
「天空橋さんもその事をご存知でしたら話は早いですわね。そういう事です……ダイキさん、わたくし撃ち終わった後も少々お話をしなくてはなりませんので、ノリコちゃんのお世話、頼みますわよ」
アンロードアンドショウクリア。ノリコが弾倉を引き抜く。ぽこっ、ぽこっ。
ミチルはガンケースを手に立ち上がり、イノに説明を受けつつもまだ困惑した表情のミチエの前に向かった。
「ミチエさん……本当でしたら、ミチエさんの撃つところを見て頂いて、それからお会いするようにと思っておりましたの。わたくしとしたことがタイミングを誤ってしまって……もしミチエさんを動揺させてしまって、それが成績に悪影響を及ぼしたとしたら、その責はわたくしにあります」
ネクストシューター、梅屋敷さん。インザホール、大森イノさん。
「調べた当初は興味本位でしたが、これがミチエさんの心に残ったトゲを取り除くために必要なのだと、わたくしなりに一生懸命考えたのです」
ミチエが月に一度くらい昼過ぎに登校してくることは同じクラスのミチルは知っていた。夏休みにも、来るのがいつもより極端に遅い時が何度かあった。
ミチルは何も聞かなかったし同好会のみんなに遅刻した事も話さなかった。ミチエが過去の事を話した後でも、それは変わらなかった。
心に残ったトゲ、そうミチルは例えた。そっとしておいてほしかったそれを、今ミチルががっちりとつかんだようにミチエは感じた。
虫歯を引き抜く歯医者のように。なにをするの。いたい。こわい。
「ミチエさんが本当に許してほしかったものがここにあると、わたくしは信じております。もしわたくしが間違っていてミチエさんを傷つけたならば、その償いは何でも致します。ですが……どうか、どうか信じてくださいませ」
梅屋敷さん……僕からもひとつ、聞きたいのですが。どうしてこうまで、大森さんの事を?
恥ずかしながら、始めは興味本位でした。夏休みの自由研究、探偵ごっこ……わたくしにどのような事ができるのかの小手調べ。そんな軽い気持ちでした。
一礼をしてボックスに入る。ガンケースから銃を取り出し、ホルスターに収める。
慎重に、手を添えるなら手が銃口を横切らないように。
ですがそう、わかるのです。ミチエさんの心に残った何かが、今もなおミチエさんを責め苛んでいるのだと。
わかってしまうのです。気丈に振る舞っていても、メンタルの弱い方ですから。
サイトチェック。撃ち順に変更はない。心なしかターゲットが小さく見える……
ダットサイトの枠に気持ちを集中させる。そこから見えるターゲットの大きさに変わりはない。
次のターゲットに照準を合わせる。まっすぐに線を引くように動いているはずが、無駄に力が入っているのか妙にぎこちなく、不安定だ。
緊張して自信を失っているだけですわ。今までの練習と銃のメンテナンスはきっと裏切らない。そう自分に言い聞かせる。
こうしてその元凶たる事件のことを知ったからには、いてもたってもいられなくなりまして……少しでも、何かの役に立てればと。
なぜそこまでしたくなるのか、わたくしもあれこれ考えてはみたのですが、正直はっきりした答えは見つかっておりません。
ガンベルトの位置を確かめる。
ミチエのようにスカートのウエストにガンベルトを装着する方法だとホルスターの位置が高すぎる。
ミチエはドロウしやすくするためにスカートを腰に近い所まで下げて履いている。
ミチルはその方法に抵抗があったが、ウイカが腰に直接巻く装備品ベルトにホルスターをつけていたのを見て同じ物を用意してもらった。
ただ一つだけ、はっきりと申せますのは、
ロードアンドメイクレディ。弾倉のフォロワーのロックが解かれているのを確認する。
ミチエさんは、
弾倉から外部パワーソースに伸びるチューブの途中に設けた、気化していない生ガスが流れ込むのを防ぐバルブを開く。
わたくしの
装填。弾倉がスムーズに入れられるよう設けられたマグウェル。
JSCではさほど必要ではないが、セビオがやっているWPSCや、ウイカがやりたがっているアクション系ならあった方がいいもの。
たいせつな
リアサイトの代わりに装着されたスライドラッカーを引く。
実銃の機構を模したショートリコイル機能をオミットし各部の調整やすり合わせが行われたスライドは軽く滑らかに後退した。
おともだちなのですから。
「ミチエさんの信じる、スポーツとしてのエアガン射撃。それをまずわたくしが示さねばなりません。無様なまねはできません!……参りますわよ、SDIポテトマッシャー!」
アーユーレディ?スタンバイ!
ぴーっ。
手を降ろし、銃に手をかける。手を落とすような自然体のノリコや、ほぼ一直線に銃をつかもうとするミチエとも違う感じで。滑らかに。正確に。
銃を上げ、見据える標的との間に赤い光点を滑り込ませる。ホリゾンタルマウントでダットサイトを横倒しにすることで光点はより低く、銃身に近く、正確に的を指し示す。
安全装置を解除し、引き金を引く。よく調整された1911系の引き金を引く感触は、細いガラスの棒を折るようだ、と形容される。
ガラスの棒がかすかにたわむ。ダットサイトの光点が合わせて揺れる。
だが、ほんのわずかだ。砕く。
ばんっ。スライドが動く反動で光点が揺れ、的から離れる。
しかし的がダットサイトのレンズの枠から出ることはない。
ポテトマッシャーの名の由来でもある、銃先端に装着された肉叩きのようなストライクフェイスの重量が樹脂ブリーチとガスカットで低減された反動や跳ね上がりを相殺している。
光点がまだ揺れるその向こうで、発射されたBB弾が的に当たってぱちんと弾かれたのが見えた。
当たった。次の的へ。
いつもの練習だと体と銃を動かして、狭くなった視界に的が入ってくるのが、不思議なことにもう的を視界にとらえている。
的の中央まで光点を合わせる。撃つ。ガラスの棒を、砕く。
ばんっ。意識はもう、次の的をとらえている。
まだですわ。ミチエさんのようにリカバリーの練習をしていない以上、動くのは当たったのを確認してから。そう自分に言い聞かせる。
光点の揺れが収まるよりは早く、ぱちん。指を戻し、ディスコネクターが解除され引き金がリセットされる感覚までわかるようだ。
そこからほんのわずかに、指を浮かせて次のターゲットを目指す。
感覚が研ぎ澄まされていても、体の動きは、五人の中で一番遅いまま。過信せず、己を律して、正確に。
的の中央。ガラスの棒に触れる。砕く。
ばんっ。ここから速度を上げてたたみかけていく。より速く、反動を抑えて、力みすぎないように。
意識はすでにターゲットをとらえている。銃の、体の、準備を整える。整うまで、待つ。
砕く。ばんっ。リセット。ぱちん。ストップターゲット中央に意識が集中する。
そこへ体を、銃を、光点を合わせる。砕く。ばんっ。
残心。合気道の稽古を受けて聞いた時は漫然と耳に入っていただけの言葉を、ようやく体が理解したように感じる。
銃の揺れが収まる。リセット。ガラスの棒に、触れる。次があるかもしれない。油断せずに。
ぱちん。
指を離す。安全装置。胸元に銃を引きつけ、周囲に意識と視線を巡らす。
ニシカワがタイマーの表示に視線を落とす。撃ち終えた。
銃を降ろしながら、意識と視線はホルスターに。銃を載せ、はめ込む。
ナイスラン。掛け声が聞こえる。ニシカワが見せるタイマーの数値は……2.89秒。
三秒を切るなんて練習でも一度もなかった。勢いに乗っている。
いや、調子に乗ってはいけません。残弾を確認しながら自分に言い聞かせる。
わたくしが見てきたミチエさんの射撃に恥じないような、
及ばずながら、ミチエさんに憧れ、追ってきた射撃のお手本を示さなくてはなりません。
ミチエさんは自身のこと以上に、ミチエさんの信じるものを許してもらいたいのです。
それは、ミチエさんの歩んできた道。そしてそれをたどる、わたくしの足取りに現れているのです。
ミチエさんは既に許されているのです。だから自分の信じるものの、許しを乞えない。
そして信じるものが許されないのならば、自分が許される訳にはいかないと。
ならばそれを行うのがわたくしの役目。
それがミチエさんの救いになると信じた、わたくしの責任なのです。
「アンロードアンドショウクリア!ハンマーダウン、ホルスター……レンジ・イズ・セイフ!」
ガンケースに銃や装備をしまい、ニシカワや観客、ステージに一礼。射座のボックスから足を出してようやく、ミチルの張り詰めた雰囲気が和らいでいくのをウイカは感じた。
ネクストシューター、大森イノさん。インザホール、萩中バンさん。
「気合い入ってるじゃん。全部三秒切ってるよ……どんだけ練習で手を抜いてんのよって話だよ」
スコアシートにサインするミチルの顔はまだ緊張が抜けきっていなかったが、ウイカに返す微笑みは力強かった。
「ニシオくんの成績が結構いいから、このまま行けばミチルさんなら食えるとか言っちゃったんだよ。どうしてくれんのさ」
イノがボックスに入りガンケースから銃を取り出す。その少しの間イノから視線を離してニシカワが口を開いた。
「食えるかどうかはともかく、ミチルさんの射撃は参考にするといいよ。確かにそんなに速くはないけど、ノリコちゃんやケイちゃんのような危なっかしさがないし、このスクワッドの中で一番、フオームが綺麗だ」
このスクワッドで一番。ミチエやセビオ、スタッフとしてだがマッハ酒井もいるのに。
「一つ一つの動作の意味を理解して、それをバランスよくつないでいる。ペースを上げてもどこかを省略しないで丁寧に基本をなぞっている……動画に撮って、そのままお手本にしたいくらいだよ」
お手本。確認するようにミチルがニシカワを見る。ニシカワが小さくうなずく。
その向こうで準備を終えて話を聞いていたイノも、ミチルの視線に気付くと視線を返しうなずいた。
為すべきと信じた事は、為し遂げました。たとえそれが空回りであったとしても……胸の奥でそっとつぶやく。
「お疲れミチルさん。ちょうど池台さんに、競技の内容を説明したところだよ。ミチルさんの射撃が丁寧だったから、必要な事は説明できたと思う……私が撃って見せるのより、ずっとよかったんじゃないかな」
言葉を返そうとして息が詰まる。目を閉じて、胸に手を当て、撃ったときに思った事を反芻する。
「最初は池台さんに、ミチエさんが撃つところを見ていただければすべてうまく行くと思っておりました。ですがそれは……間違いだったようです」
ミチルはケンゴの目を見つめる。ケンゴと話して、わかったこと。そして考えた末に、自分で撃って、示したこと。
「ミチエさん自身のことでない、ミチエさんが許してほしいものを、ミチエさんが見せてしまっては……それが許されたのかどうか、わかりませんものね」
白く濁って光を失ったケンゴの左目が、かすかにうなずいた。
「ミチエさんが愛するものからわたくしが学んだ事を、すべて出し切ったつもりです。至らぬところは多々あるかもしれませんが、今のわたくしにできる、全身全霊をかけて」
そうミチエの目を見てミチルが話す……ミチエの表情は少し強ばったが、すぐに意を決してケンゴに向き直った。
サードラン。アーユーレディ?スタンバイ!
「あれは……大森さんのお父さんの、……あの銃の」
ホリゾンタルマウントでダットサイトが横倒しになって、ベースの銃もあの銃とは違っているが、見た目はあの銃とほとんど変わっていない。
赤いアクセントの効いた黒い銃。シブヤアームズの、今はパラオディフェンス・FBIレスキュー。
「あの銃はああして使うものだったんだね」
イノが銃を抜き、ミチルよりはるかに速いペースで鉄板に撃ち込んでいく。
その一挙手一投足を審判のニシカワが見守り、撃ち終わるとタイマーで時間を確かめサブジャッジのウイカとマッハ酒井が記入する。
「やっぱり……おもちゃでも、恐いよ。銃は、恐いよ」
左目を押さえながらケンゴが言う。
「だけどこうやって銃を使う人たちがいて、大森さんはそのことを、わかってほしかったんだなって……ようやくわかったよ」
長らく胸の奥に刺さったままだった、もはや自分の一部になりつつあったトゲ。それが一気に引き抜かれたような。
痛みと、喪失感。傷口に新鮮な風が当たったような、開放感。そこで塞がれていたなにかが、
あふれて、
大粒の涙が次々にこぼれる。ゴーグルの上からでは拭えない、拭っても拭いきれないほどの。
泣き崩れそうになるミチエの体を、誰かが支えた。リイサだ。
「もうちょっと落ち着いたところに行きましょう……ミチルちゃん手伝って」
リイサとミチルに連れられて、ミチエは会場の一番奥、搬入口の方に向かって行った。
「池台……さん、あなたも行ってあげた方が、いい」
ミチエを見送っていたケンゴに、背の高い若い男が話しかけてきた。話す時だけケンゴの目を見て、それ以外は搬入口の方を見つめていた。
「以前大森から話は聞いた。よくはわからないが、大森が……許されたというのなら、……そばにいてやってほしい」
ケンゴが男を見つめる。男はにらむようにケンゴを見つめていたが、視線が合うと恥ずかしげに目をそらした。
ケンゴが搬入口へ向かう。それをしばらく見ていた男にイノが話しかけた。
「天空橋くんも行ってやったらよかったんじゃないか?」
セビオは首を横に振った。「大も……ミチエさん、は、俺に泣くところなんか見られたくないでしょう」
話したいと思うまでは、話さなくていいんです。そうつぶやく。おれにも、いつか。そうもっと小さく。
午後一時。
昼休みもそろそろ終わる時間になり、外へ食事に出ていたシューターたちも会場に戻ってきて、昼下がりの穏やかな雰囲気が競技に向けて活気づいてきた。
その一方で食事に出かけたケイの両親がまだ戻ってきておらず、ケイとリイサは通路に出て携帯電話で連絡を取っていた。
ウイカは会場で何かを買ったとかで、その使い方をニシカワに教わっていた。アツシとダイキがそれを見ている。
テーブルのそばでは、デッキチェアに横たわりノリコが毛布をかぶって眠っている。
そんなノリコの毛布を直しながら、マドカはミチエたちの話に耳を傾けていた。
「えーそれやっぱり青山行った方がよくなかった?青山行っても酒井さんの指導を受けられるわけだし、お金だってお父さんが出してくれるんでしょ?」
塾の話から進路の話になり、ミチエが魚森女子に行くために青山の高校を蹴った話を聞くと思わずマドカが反応した。
「はい。だけど先生が部室を用意してくれてるので、授業が終わったらすぐ練習できるし、昼休みにも撃てるんで本当に来てよかったなって……」
関心したような呆れたような。反応の大小に違いはあるが、ケンゴもマドカと同じような顔をしていた。
その様子を眺めながら、ミチルは小さく切った芋羊羹を口に運んではハンカチで口を拭ってお茶を飲んでいた。
「今は先生がいて、ノリコやミチルさん、ウイカにケイさんもいて……一人で青山に行ってたら、どんなだったろうって……わかんない。もう想像も、つかないよ」
またお茶を飲んでいるミチルにミチエは目を向け、ハンカチで口を拭い終えるのを待ってから話を続けた。
「こうやって、池台さんと話をする機会を作ってもらって……胸につかえていたものが、ようやく取れたような感じで……ミチルさん、本当ありがとうね」
「わたくしもそう言って頂けるとありがたいですわ……度を過ぎた好奇心やおせっかいだったのではと、今でも少し思ってしまいますもの」
ハンカチ。またお茶を一口。
「優雅な仕草だねぇ。これが、ニシカワさんも納得の姿勢のよさにつながってるんだよ……ダイキわかる?カップや茶器を汚さないように口を拭うのは茶道にも通じるマナーだよ」
ウイカがテーブルに戻ると、会場で買った物をかばんにしまって芋羊羹を一切れ口に運んだ。
「うん……ところでミチルさん、そのハンカチ洗った?」
ダイキが言うとカップを置こうとしたミチルの手が一瞬止まる。
「それさっき、ノリコ姉ちゃんのよだれ拭いた奴じゃん」
「」
カップを静かに、しかし素早く置いて席を立とうとするミチルの肩を叩くように強く掴んでそのまま椅子に座らせる手。
なにをしているいいえそのこれからちょっといもようかんをかいにもうかってきたじゃないかけいにきのおやごさんがまだもどってきてないのにおまえまででていってどうするきだ
手から肩に伝わってくる殺気にも似た感情。猫がネズミや小鳥を嬲り殺しにする時のような。
「梅屋敷」
ウイカの口調はにこやかだが、ミチルが振り返れないほどのプレッシャーを放っているのはケンゴたちにもわかった。
「なにか、やましいことをした覚えはないか?」
のっ、ののっ、のののノーですわわわわわたくし
がしっ。
ウイカがミチルの頭を掴んで振り向かせる。眼鏡を外し、ミチルの瞳を覗き込む。
あのウイカさんいくら休憩時間だからといって会場内でアイプロテクションを外すのはいかがなものかと
ミチルの目から視線を外さないまま眼鏡をかける。
「梅屋敷、もう一度聞こう……やましいことをした覚えはないか?」
のののっ、ののののノーののの
「ところで、そのハンカチは洗ったのか?」
のののののののののののののののののののののののののののののののののののののののののの
「さてそろそろ次のステージが始まるわよ。ノリコちゃんを起こして……ケイちゃんのご両親はもうすぐ戻るって言ってたけど、一応ニシカワさんや運営に話をしておくわ」
ウイカたちと入れ替わりにリイサが戻ってきた。ダイキがノリコを起こし、戻ってきたケイやミチエも何事もなかったかのように準備を始める。
ああっそれだけはかんにんなさってそれはわたくしのせいしゅんのあついおもいがうるせえしみついてるのはのりこのよだれときたないよくぼうじゃないかおまえのようなはじしらずはこうだ
「あの……」自分の周りと会場入口付近を交互に見ながらケンゴが言う。開いた口が塞がらない状態からそのまま声が漏れるように。
「梅屋敷さんって……やっぱり、……変な人、ですよね?」
ミチエも引きつった苦笑いを浮かべるばかり。
「その……いつもは、すごくちゃんとしてるんだけど、時々……こう、思い入れが……強すぎるのかな」
「中学までは田園張飛のお嬢様学校に通ってたって話だけど、その反動かしらね。魚森女子では羽根を伸ばすんだって……慣れてないからやりすぎるのね」
自分の銃を用意しながらリイサが言った。
ノリコがダイキから弾倉を受け取ってマガジンポーチに収める。ケイが銃をホルスターに収め、弾倉を確認する。
そんな光景を不思議そうに見ながら、ケンゴが思い出したように言葉を続ける。
「いやその……僕もわかってます。確認したかっただけで。変な人、だけど……」
いい人。そうだけど、ちょっと違う。またケンゴの言葉が止まる。
「あれ、みちゅは?」ノリコが言うとケイが答えた。
「ノリコちゃんのよだれを拭いたハンカチをまだ洗ってなかったから、ウイカさんと洗いに行ったって」
ずいぶんざっくりした答えだなとケンゴは思ったが、ノリコはその答えに納得したようでそのまま準備を続けていた。
まだ理解が追いついていない。ただ、ここにあるのは、大森ミチエという女の子が、愛してやまない、
「……いい、友達。なんですね」
準備をしていたミチエの手が止まる。少しの間湧き出る感情を噛み締めるように、そして微笑んだ。
「うん」
嬉しそうに。誇らしげに。
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