stage 01:triple threat
stage 01
triple threat
魚森町駅から続く商店街を抜けて交差する少し大きい道路に沿って歩くと、数年前に新校舎が完成したばかりの私立魚森女子高等学校がある。
敷地はそう広くはないが、本校舎を七階建てに建て替えたおかげでグラウンドや中庭も拡張され、中庭には桜の木も新たに植えられていた。
新学期が始まり桜の花もかなり散って、風が吹くたび散って積もった花びらが、木の周辺だけだが中庭に桜色の波を立てていた。
「さっき食堂を見てきたよ。ちょっと高いね……でも雰囲気はいい感じ。パンにしたって、パン屋というよりベーカリーショップって感じだよねー」
どうやらそこで買ってきたらしいミニクロワッサンの袋を開けながらウイカが言った。
「お兄ちゃんをここで働かせて、放課後はサバゲ部の顧問として、とかちょっと考えたけど、そういう雰囲気じゃなかったね。うちみたいに、お店より駐車場のほうが儲かってるようなところの出る幕じゃないな」
焼きたてでまだかすかに暖かいミニクロワッサンはバターの風味が効いて表面はカリッとしていた。
内側はしっとりとした歯ごたえだが、コンビニのパンのようにべたついた感じはなかった。クリームが入っているのかほのかに甘く、中の空気までおいしく感じる。
「ウイカちゃん本気でサバゲー部やる気なの?」
ミニクロワッサンを一個食べ終わり、口の中の幸福感が溶けて消え去ってからノリコが言った。
「おうよ!情報収集も抜かりないよー。顧問やってくれそうな先生がいるって話も聞いたし、部室にちょうどよさそうな部屋も見つかったよ。西館一階に使ってない実習室があるんだって」
ミニクロワッサンは五個。ノリコが二つ目に手をかけ、ウイカは二つ目を食べてる途中。ノリコに取られないよう、最後の一個を確保。
「場所を押さえたら、サバゲは安全かつ平和なスポーツだってことをデモンストレーションするって寸法よ……その辺はノリコよろしく。マッハ酒井くらい曲のレパートリーがあれば」
「ムチャ言わないでよウイカちゃん。まだ三曲くらいしかできないし、すごくゆっくりだよ?」
言いながらノリコは二つ目のミニクロワッサンを一口。しあわせ。
うちの料理食べてる時よりうまそうな顔しやがって。思いながらウイカは最後のミニクロワッサンを口の中に放り込み、紙袋をくしゃくしゃに丸めた。
「食べ終わったらちょっと下見に行くよ。ホラさっさと」
校門からは正反対のところにあるためか西校舎はまだ休み時間にもかかわらず人気が少なく、開放感あふれる校舎が売りのはずなのに、薄暗かった。
ノリコはちょっと不安になり窓から中庭を見ると、まだ他の生徒たちが歩き回っているのが見えた。
「ほんと人が少ないね西校舎。こりゃ秘密基地にぴったりだよ」人が少ないどころか、ノリコたちの歩いている一階は人影が見当たらない。
敷地の一番奥の西校舎の、さらに一番奥。心なしか薄暗さがいっそう増しているようにも思える。
なんかこわいね、とノリコ。
「なにせいわく付きの開かずの間だって話だからね。噂だけど、昔旧校舎のこのあたりで殺人事件があったんだって……校舎を建て替えた際も、わざとここだけを使わない部屋に割り当てているんじゃないかって言われてるよ」
「えーそんな怖いところやだよ。そんなお化けとか出てきそうな。顎とか取られちゃったりするんだよ?」
小学生のころに見たホラー映画のビデオ。よほどのトラウマになっているらしく、ノリコをこわい所に連れて行くとしょっちゅう口に出す。そのわりに、
「あっあんなところに受怨の那耶子が!」
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛。どこからともなく聞こえてくるようなうめき声。怖いくらい似ている。ノリコには言っていないが、まねをしている時の顔も、正直怖い。
「……だから、軽く下見だよ。どうせ鍵もかかっているし」入り口のドアは開かない。ドアの窓から中を覗き込む……
ただでさえ薄暗い西校舎奥であったが、実習室の中はさらに暗かった。窓に沿って目の細かいネットが張られているせいだ……最初に行ったサバイバルゲームの、屋外フィールドの端をノリコは思い出した。
机や椅子などは片付けられていて結構広い室内はがらんとしているが、文化祭の大道具か何かだろうか、ついたてや支柱、ダンボールなどが雑然と隅に寄せられていた。
「へえ……あのついたてとか使ったら、ちょっとしたインドアフィールドみたいにできそうじゃない?あのネットも都合がいいよ。おあつらえむきじゃない……気に入った。どうよノリコ?」
こわい。
翌日、放課後。
「とりあえず部活申請用紙は記入してきたから、これこれこういう事だって鍵をもらってくる。顧問やってくれそうな先生っていうのが、英語の雑色先生っていうんだって……ついでに捕まえられればいいんだけど、今日まだ会ってないんだよねー」
西校舎奥は相変わらず放課後でも静かだ。やはりみんな気味悪がってどこも部室に使おうとはしないらしい。
実習室の前に着くと、ウイカは背負っていたガンケースを下ろした。サバイバルゲームに使う装備一式も、ここに入っているという。
ガンケースを開けると、ウイカの銃。見るたびに何か色々と新しいパーツがつけられているようにノリコには見えた。今度はスコープのようなものだ。
「これダットサイトっていうんだよ。スコープみたいに倍率はついてないんだけど、近距離で素早く狙うんだったら、こういうのの方がいいんだって……どうせ10歳以上用のパワーじゃ、スコープなんて意味ないしね」
ウイカが銃をノリコに渡す。おもい。せっかく軽いのに重くしすぎだよ……思いながら銃を構える。
「へえ……」
前に馬潟のガンショップでウイカに買わされそうになったBoys用のスコープは視界が狭くて見づらかった。これは広くていい……のぞき穴から棒の先を見なくても、ただ赤い光点を的に重ねればいい。
近距離で素早く狙うなら。すっ、すっ。銃を素早く動かして狙いを変える時、スコープだと中だけが拡大されてちょっと戸惑ったのだけど、拡大されないので気にならない。
「気に入った?今度お兄ちゃんがまたなんかサイト買ったら、おさがりがまずマドカさん、次にあたしときたから、たぶん結構早く回ってくると思うよ……女の子には一途なくせに、銃やサバゲの装備に関しては、浮気者だからにぃ」
ウイカが銃をガンケースにしまう。「サバゲ部の立ち上げまで、もうすぐだよ。……じゃあここで待ってて。鍵もらってくる。荷物よろしくー」
走り去るウイカ。廊下は走っちゃいけないって。あっという間に見えなくなる。
静寂。
窓の外には他の生徒たちが見える。グラウンドでは運動部の生徒たちが並んで、新入生に何か話をしているようだ。
ぶかつ……他の部員。先輩とか後輩とか。ドラマやアニメで見るけれど、あまりピンとこない。
サバゲ部。戦争映画みたいに一列に並んで、鬼軍曹に怒鳴られたり……ウイカちゃんが鬼軍曹、しっくりこない。
”今日はこのスカールLで、さくらさくらを演奏しようと思います”マッハ酒井と一緒に楽器を演奏するマッハ酒井部……ないよね。
ウイカちゃんの考えている部活のワクワクって、どんななんだろう。窓の外のぶかつを見てみても、まったく見当がつかない。
校舎の防音性がいいせいで、何も聞こえてこない。この西校舎奥一階だけ、周りの世界と切り離されているかのようだ。
……まずいこれは那耶子がどこかから現れて襲われるやつだ。あんまりこの辺にはいたくない……そうだちょっとトイレに行きたい。
ガンケース。ウイカのやつはすごく重い。二人のかばんも。目立たないところに隠して。
別にそんなにおしっこがしたいわけでもないのにトイレに行って、戻ってきて。やっぱりここにはいたくない。ウイカもまだ戻ってきていない。どうしよう。
ガンケースとかばんを持って実習室の前に戻る。
かたん。からん。何かを置く音……部屋の中から。
「ウイカちゃ……」ウイカのガンケースは今ノリコが持っている。ごそごそ。がちゃがちゃ。かちゃん、からん。
空耳じゃない。中に誰かいる。鍵がかかっているのに……鍵はウイカが取りに行っている。でもウイカじゃない。
お化けや那耶子じゃなくても、きっと知らない人。誰も近寄らないところじゃなかったの?
入り口の窓から中を見る。明かりがついている……部屋の中央に、何本か支柱が立っている。胸の高さくらいの短い支柱に、それぞれ一枚ずつ、丸い鉄板。
視界の中に、急に人が入ってきた。魚森女子の制服。長い黒髪……やっぱりお化け?でもお化けが机を抱えて運んでいるのはおかしいよね?
黒髪の子は、床から何かを拾い上げた。何かのコードだ。
コードの片方の端は、5枚の鉄板のうちひとつにつながっている。もう片方の端を、かばんから取り出した何かの装置につなぐ。携帯用ゲーム機くらいの大きさ。
5枚の鉄板をまっすぐに見据えながら、黒髪の子は制服のブレザーを脱いだ。ブラウスの色は何種類から選べることになっていて、ノリコはピンクにしたのだけど、黒髪の子は、淡いブルー。
スカートにはベルト。ベルト……?ノリコが自分の制服を見てみても、スカートにベルト通しのループはついていない。
黒髪の子はまたかばんから何かを取り出す。今度は大工さんの作業用ベルトみたいな、何か道具のようなものがついたベルト……それをベルトの上に巻きつける。
マジックテープかな。ベルトの位置を直す。べりべり。やっぱり。
またかばんから何かを。……よく見ると学校指定のかばんじゃない。ホームセンターで見かける大工さんの道具入れのようだが、もうちょっとできのよさそうなもの。
かばんから取り出したのはケース。開けると……銃だ。ピストル。
「ノリコ?……ノリコ?」
軽く肩を叩かれる。ウイカだ。「鍵は雑色先生が持っていったって。こっちに来てない?」
軽く首を横に振るノリコ。窓の向こうに集中する……ウイカも窓を覗き込む。
「先生……じゃないよね?なんでここにいるんだろう?」
シューティングゴーグル。BB弾のボトル。銃の弾倉。弾倉からは細いホースが伸びていて、小さなボンベにつながっている。
「聞いたことがある……グリーンガス。ガスガンのガスの代わりにあれをつなぐって。外部パワーソース」
ガスガンはサバイバルゲームのシューティングレンジやセーフティーエリアでノリコも見た。缶のガスを注入すると、まるで本物の銃みたいにスライドが動いて弾が出る。
いちいち注入しなくて済むのなら、便利そう。でもウイカは少し警戒している。
「電動ガンが登場するまでのサバゲでは、ああいうのをよく使っていたって。ホップアップもない時代だからパワーを上げて飛距離を出す……血が出たりするのが当たり前だったって、聞いた。今はパワー規制があるし、サバゲのフィールドでは禁止にしているところは多いよ」
黒髪の子は弾倉にBB弾を流し込むと、ベルトにつけたポーチにしまった。大工さんの作業ベルトみたいに、それだけを専用につけるポーチのようなところに。銃も。
よく見ると、マッハ酒井の銃みたいな感じ。袋状のホルスターに収めるのでなく、体の前に装着した部品……ホルスターには見えない……に、乗せて、はめ込む。
左利きなんだあの子。ウイカがつぶやく。
銃を抜いて、構える。一枚一枚の鉄板を狙う。はやい。すごく真剣だ。しかし撃っていない。そういえばまだ弾倉をつけていない。
収める。抜く。構える。狙う。収める。何度かやって、ようやく弾倉を銃に装着する……映画に出てくるプロみたいな、手馴れた手つき。
銃を収める。体の向きや手の角度に神経質に気を使っている……机の上の装置を少しいじって、また机に戻すと、両手を上げる。的を見つめる目つきは、まるで……
がしゃっ。
足元で急に音がした。
見ると、ノリコがガンケースを落としていた。ノリコとウイカのかばんとガンケースを両方持ったままで、重さで手が緩んだのに気付かなかったらしい。
「!……誰?」
逃げるのもみっともない話だ。せっかくここまで来たのに。ウイカはガンケースを拾い上げると、実習室の引き戸を勢いよく開けた。
「どーもー、こんにちはー。これってなんかの部活?」
黒髪の子はノリコたちの方に向き直らない。背を向けたまま怪訝そうな目で見つめた後、銃の弾倉を外し、スライドを何度か引いて、空撃ちを一度して銃を収めた。
向き直ろうとしたところでまた背を向けて、銃を抜くと机の上のケースにしまった。
「まだ部活ってわけじゃないけど……そっちは何?」
警戒している。ここは明るく、正々堂々と。
「……私立魚森女子高等学校1年B組、出席番号2番、穴守ウイカ。こっちは同じく1年B組出席番号8番、北糀谷ノリコ。去年お兄ちゃんに誘われて行ったサバイバルゲームが面白くて、サバゲー部を作ろうと部室を探していたところ」
「そうなんだ。悪いけど他を当たってもらえる?ここはもう、使う許可をもらってる……サバゲーをやる気はないから」
「えー?そんな事言わないでさぁ、サバゲやろーよー。こんなかっこいい銃持ってて、サバゲやらずに何をするのよぉ」
ウイカが距離を詰めようとすると、黒髪の子は後ずさる。フレンドリーに行こうと思ったのだけど、ちょっとウザかったか。警戒を強めるばかりだ。
「私がやるのはサバゲじゃない。サバゲだけが銃の楽しみ方じゃない……あんたたちにはわからないよ」
うわなんかめんどくさいこと言ってるよこの子。ウイカもちょっと引いた。
関わり合いにならない方がいいんじゃないか……だったら、あーわかんないで結構ですよさようなら、でもいいのだけど。
的に向き直った時の真剣な眼差し。それはまるで、ノリコによく似ていたような気がして。
「あたしらがわかるかわかんないかは、あなたが決めることじゃないでしょ。いいから言ってみてよ。どんなことやってるのか……笑わないからさ」
疑念の目がちょっと薄れる。少し手がかりをつかんだかな。ほっと一息ついて息を吸うと、すうっと……した、ほのかに甘い香り。これは、まさか。
視線を足元に向けると、ウイカのガンケースがびっしょりと濡れている。
「ちょっとなにこの匂い……まさかあんた!」
ガンケースを開けると、中から液体がざっとこぼれる。匂いはよりはっきりとして、瓶の破片がガチャガチャと鳴る。
ノリコがガンケースを落とした時。あの時だ。
「……なによこれ。お酒でしょ!あんたなにやってるのよ!学校にお酒持ち込んで!」
いやこれは、ここは縁起の悪いところだっていうからお清めの……
「信じられない!人気のないところにお酒とエアガン持ち込んでなにやらかすつもりなのよ!どうせろくなことじゃないんでしょ!だいたいまだ高校の、1年だっていうのにサバゲーとか!」
「ちょっとそういうあんただって何よ。それ知ってるよ。外部パワーソースでしょ!そんなの使ってパワー上げて、一人で何シコシコ遊んでるのよ!あたしらはちゃんと10歳以上用のまともな奴使ってるんだからね!」
「私の銃もちゃんと10歳以上用のパワーにデチューンしてあるわよ!レギュレーターも封印してる!当たり前でしょ!当たり前のことでなにいきがってるのよ!サバゲしかしないとか言ってるくせにそういうことばっかり知ってるのは、そういう危ない銃で遊びたいからなんでしょ!できないってだけで!サバゲ厨にはロクなのがいないんだから!」
声のトーンがさらに上がっている。何が悪かったのか本気で怒らせてしまった。
でも売り言葉に買い言葉。もう引き下がれない。こっちも、……ウイカが言い返そうとした時、誰かが実習室のドアを勢いよく開けた。
「話は聞かせてもらったわ!人類は滅亡する!」
「」
「」
気まずい沈黙。
油田火災の消火にダイナマイトを使うという話は聞いたことがあるが、まるでガソリンスタンドの火事に核爆弾を投下したような、なんとリアクションしていいかわからない焼け野原。そんなイメージが、ウイカの頭に浮かんだ。
「あの……せん……せ、い?」
「な、あ……に?」ドアを開けた女性……おそらく先生……も、盛大に勢いをつけたネタが滑ったせいか、どこか反応がぎこちない。
「この部屋使う部活って、その……オカルト研究会、とかですか?」
酒瓶の破片と床にこぼれて雑巾でふき取った酒はまとめてバケツに入れて、とりあえず廊下に出しておくこととなった。空気を入れ替えるため、ドアと窓を開け放つ。
窓のそばに張られたネットが風にそよぎ、そのせいか部屋に射し込む日差しが、少し明るいものになったように思えた。
「……お酒を学校に持ち込むのはちょっとどうかと思うけど、まあこういうのまで用意されたら、これ以上はなんとも言えないわね」
神社のお札と、その領収書。お酒をお清めした旨の一筆。
「入学したばかりでこれだけ準備がいいのには、感心するわ。そういうの、嫌いじゃないわよ?」
お酒の始末が終わったところで、椅子を車座に並べて三人の生徒と一人の教師が座る。
まだ残る気まずい雰囲気。先生のギャグが滑る前の。
「じゃあ改めて自己紹介。わたしは英語教師の雑色リイサ」穴守ウイカ。北糀谷ノリコ。
「……1年A組の、……大森、ミチエ」
ウイカの書いた部活申請用紙に目を通しながら、リイサが口を開いた。
「そうね……まずこっちのことから話しとこうかしら。わたしはここにシューティングスポーツ同好会を立ち上げようと思っているの。エアソフトガンでの、射撃競技を行う部活よ」
部屋の中央に置かれている5本の支柱、そこにぶら下がっている5枚の鉄板。
「ああいう鉄板を撃つ速さを競う競技があってね、年に二、三回大会があるのよ……マッハ酒井の動画は知ってる?」
トイガンのレビューをしているおじさん。銃で楽器を撃って鳴らしている人。
「あの人が、日本でトップクラスのシューター。そしてアメリカで、実銃の競技で世界チャンピオンになった人なのよ?……なんかあなたたちリアクション薄いわね」
リイサは立ち上がると、ミチエに鉄板の位置をずらすよう指示した。
「窓側に寄せちゃって。間隔は……50センチくらいずつ詰めといて。適当でいいから。そうすればなんとか二面できるでしょ。穴守さんはわたしの方を手伝ってくれる?北糀谷さんは、この辺に机を一個持ってきてちょうだい」
ミチエが動かした支柱から、ノリコのもってきた机の反対側に、リイサとウイカが支柱を一列に並べて鉄板をぶら下げる。
ただの鉄板ではなく、裏に何かの装置がついていて、鉄板を軽く叩くと中央のランプが光るようになっていた。
「ミチエちゃんが言ってたけど、言ってもわかってもらえないってのは私もよく経験したわ。なら、百聞は一見にしかず。……そこでものはついでなのだけど、大森さんと勝負というのはどうかしら?お互い部員が足りないことだし」
リイサは中央に置かれた机の上に、先端の丸い二枚の板が立てられた台を置いた。
爪で軽く叩くとぱたんと倒れる。右。左。ぱたん。先に叩かれた板の方が、下になる。
「五枚の鉄板を撃ってから、最後にこれを撃って倒してもらう。これならどっちが速いかわかるでしょ?穴守さんと北糀谷さん、それぞれ五回ずつ挑戦して、大森さんが勝ったらあなたたちはシューティング同好会に入部してもらうわ。一回でも勝ったら……サバゲ部の顧問に私がなったげる。大森さんもそこに入る。どう?」
緊張するミチエ。面白そうと目が輝いているウイカ。対照的だ。
ノリコは……心配そうな表情はうかがえるが、ぼーっとしていていまひとつ感じがわからない。
「いいねえ、そういうの。……乗った!」ウイカは立ち上がり、干してあるガンケースのところに向かう。
ミチエは不安そうにリイサを見上げたまま。「先生……そんなこと言って、」
「トイガン好きの女子高生なんて、そうそういないから確保しておかなくちゃ……まあ入部試験だと思って、軽くひねってきなさい。ちょっとはプレッシャーがかかった方が、いい練習になるんじゃない?それに、」
あなたが負けるわけがないじゃない。その一言を聞くと、ミチエも立ち上がった。
「勝負開始の前に、まずは弾速チェックね」リイサはプラスチックの箱を取り出す。中は紙製のカードでいくつかに仕切られている。
「ASGA正式の簡易弾速計よ。普通の弾速計は蛍光灯の下では誤動作することがあるしね……まぁ弾速計は荷物の中にあるはずなんだけど、出すのめんどくさいのよ」
ぱこん。ミチエが箱の片方の端に一発撃ち込む。箱を開けると、一枚目の紙を貫通して、一枚目と二枚目の間にBB弾が転がっていた。
「よし。じゃあ次は穴守さんのライトプロM4ね。動作チェックも兼ねてここに撃ちこみなさい」
ぱこん。一枚目と二枚目の間。
「北糀谷さんのBoysスカール。穴のところに撃ち込まないようにね」ぱこん。BB弾が三つ並んだ。
「まあ、もうやってあるし、形式上だけど」リイサがビニールテープを取り出し、ミチエの銃につながっているグリーンガスのレギュレーターに巻きつける。すでにミチエがビニールテープを巻きつけている、その上から。
「外部パワーソースを使う時は、レギュレーターをいじってパワーを上げないように、こうやって封印するのよ。そういうルールも定められているの。銃を使うスポーツをするシューターたるもの、安全面に配慮してルールを守るのはうまいヘタ以前の大前提ってこと」
リイサがウイカの方をチラッと見る。さっきのミチエとの口論で外部パワーソースに噛み付いたのは見当違いの話だったわけか……ウイカは納得した。
そしてそれが、ミチエがキレるトリガーであったことも。
「あ、その……大森さん、さっきはごめん。そういうルールがちゃんとあるなんて、知らなかった」
ちょっと距離は離れているが、ミチエの瞳を覗き込む。まだくすぶっている警戒心や怒りの炎が、ちょっと収まったようにウイカには見えた。
酒瓶が割れる前くらいには、戻ったのかな。
「オーケーじゃあまずは部長のあたしからいってみるよ。魚森女子高等学校サバゲ部伝説の第一歩、見とけよ見とけよ〜」
的は10……12枚。5枚の鉄板が一対と、真ん中の板。
ウイカたちの側は一列に並んでいるが、ミチエの側は、さっき練習しようとしていたものの間隔を詰めただけで、近いものもあったが、だいたいが少し遠いところにあった。
「……そうだ先生。フルオートで撃っても大丈夫ですか?」ウイカが聞く。ミチエが心配そうにリイサを見る。
「いいわよ。やってみなさい」
ウイカがターゲットに向き直る。その直後、リイサが悪い笑顔を浮かべていたようにノリコには見えた。
「メイク・レディ!」リイサの一言で、ミチエは銃に弾倉を装着し、スライドを引いて弾を装填する。
ウイカも弾倉を装着する。「電動ガンは最初の一発が出ないこともあるから、一,二発撃って確認しときなさい」
ぱんっ、ぱんっ。よし。その間にミチエは銃をホルスターに収めて、両手を上げる。
「安全装置をかけて……ロングガンだとグリップを腰に当てて、グリップを持つ側の手をああやって上げる形式だけど……やってみる?普通にローレディでもいいけど」じゃあそれで。グリップを腰。手を上げる。
リイサは机の上に置いてあった装置からコードを外し、少し設定をいじるとウイカとミチエの間に掲げる。「ブザーが鳴ったら開始よ。……ファーストラン!アー・ユー・レディ?」
オッケーと答えるウイカ。小さくうなづくミチエ。
「……スタンバイ!」
ぴーっ。ウイカが手を銃にかけ、安全装置を解除する。銃を上げて、一枚目の鉄板にねら……ばん。ぱちん。
……まさかもう一発目?速い!だけど、フルオートで一気になぎ払えば!
「おりゃー!」たたたたたたた、ぱたん。……ばん、ぱたん。ウイカの側が先。「おっしゃあ!やった!」
リイサが苦笑しながら鉄板を指差す。「やったじゃないわよ。最初と最後しか当たってないじゃない」
ミチエの鉄板は全部ランプがついている。ウイカの方は、一枚だけ。壊れていたとか?ウイカが冗談めかして言うと、リイサは一枚ずつ撃たせた。ぱちん。点灯。
「フルオートって意外に当たらないものなのよ。撃つタイミングを自分で決められないからね……セカンドラン!」
勢いよく振り回すからだめだったんだ。もうちょっとゆっくりでもいい。引き金を引きっぱなしで、線を引くように。
「アー・ユー・レディ?……スタンバイ!」
ぴーっ。たたたたたたたた。ぱちん、ぱちん、ぱちん。当たってる!
ぱたん。
ミチエは弾倉を外して銃をホルスターに収め、弾倉にBB弾を補充する。さっきまでの緊張感が抜けて、余裕の笑みを浮かべている。
一瞬ウイカの方を見て、顔を背ける。その顔は。
ぷふっ。
「あっ今噴いたでしょ?なんか笑ったでしょ?……あーなんかムカつくー!」言いながら弾倉のぜんまいを巻く顔が怒ってなく、むしろ楽しんでいるようにリイサには見えた。
大げさなリアクション。勝負を、会話を、楽しんでいる。楽しいものにしようとしている。
「ウイカちゃん!フルオートはだめだよ!一つの的に三つも四つも撃っていたら間に合わないんだよ!」
ちゃんと見ているねノリコ。ウイカは思った……サードラン。
とは言っても、一発一発狙って、速く当てるなんて芸当、そんな簡単には……百聞は一見にしかず。まさに。
ぴーっ。ぱちん。ぱちん。
ぱたん。
フォースラン。……やっぱりセミオートではだめだ。慣れないことをするから、自信がなくて萎縮して、動きが硬くなる。
あたしはあたしのやり方でやるしかない。フルオートで、弾道を見て、当てていく。それを精一杯。
ぴーっ。たたたたたたたた。ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちっ、
ぱたん。
「あーっ、惜しい!結構やるじゃない!……これはウカウカしてるとやられちゃうわよミチエちゃん?」はい。吐き出すように短く言う。
弾倉を交換するウイカを改めて見つめる……今までのふざけた感じがだいぶ薄れている。
「穴守さん。さっきは笑ってごめんなさい。穴守さんが、ふざけてなくて、本気なのが、わかった。……私はそういうのがいい。そういうのが、よかった」
「まだ終わってないよ?もう一本あるから、今度は勝っちゃうかもよ?」ウイカは不敵に笑っている。いい笑顔。だけど、わかる。
「穴守さんは勝てない。私が勝つ」ラストラン。
……虚勢だ。あれが穴守さんのせいいっぱい。あれ以上速く撃てない。あれ以上真剣になれない……真剣な穴守さんが見たかった。でも、穴守さんはああいう人で、
ぴーっ。ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちっ、
……ぱたん。
でも。たぶん、そういう人だから、そういうのが、ちょっと、……いいんだ。
「イフ・ユー・アー・フィニッシュド、アンロード&ショウクリア。銃から弾倉を外して、電動ガンは空撃ちして。銃に弾が残ってることがよくあるからね」
ミチエは滑らかな動きで弾倉を外し、何回かスライドを引く。中に入っていたBB弾がポロリと落ち、銃が空であることをリイサに見せる。
ウイカも弾倉を外し、空撃ちする。ぱんっ。ばすっ。銃の中に一発残っていた。一応もう一回。ばすっ。
「イフ・クリアー、ハンマーダウン。ホルスター……引き金を引いても弾が出ない状態であることを、先生に見せて、穴守さんは安全装置をかけて……ハイ終わったら握手」
銃をホルスターに収めるミチエ。笑っても怒ってもいないその顔は、勝ち誇っても見下してもいない。ただ自信にあふれている。
勢い付かせてしまったか、と思う一方、くやしいけれど惚れ惚れする。そうウイカは思った。
「いやーやられちゃったよー。強いわあの子。こうもコテンパンにやられると、むしろ気分がいいわー」
ノリコの脇を素通りして銃をしまいに行くウイカ。「……ウイカちゃん」
いつもボーっとしていて、手を引くとよたよたとだがついてきてくれるノリコ。だが今のその声は、ウイカをつかんで引き止める。
「ウイカちゃん。……ダットサイト、貸して。貸してくれたら、……勝てるかもしれない」振り向かない。顔は見ない。目は覗き込まない。見なくてもわかること。それに、見たら、見られたら。
……まけたよ。コテンパンだよ。ちょっといいとこいったけど、最後は全力で叩きのめされたよ。だけど、大森さんのこと、わかって、わかってもらって、気分がいいよ。だけど……くやしいよ。
くやしいけど、負けたことを後悔もしていなくて。
「ウイカちゃんのサバゲー部、ウイカちゃんのワクワク、ここでやめちゃうのは、……やだよ」
あたしは何がしたいのか、どうすればいいか、もうわからなくなっちゃったよ。だから……ダットサイトを銃上面のレールに取り付けているノブをゆるめる。
「ノリコ……勝てる?」振り返る。顔を近づけ、ノリコの瞳を覗き込む。「わからない。でも、勝てるかもしれない」
ノリコの瞳には弱々しい自信がかすかにゆらめいている。しかしそれは、根拠のないものでは、たぶん、ない。
一瞬下に視線を落とし、ノリコの手を取る。「……重いよ」ダットサイトを、ノリコに手渡す。
「うん」ノリコは受け取ったダットサイトをスカールの上面に乗せる。ノブを締める。
「……あれ?」
ぐらぐらする。軽くゆすると、外れる。
「……あ。ノリコのスカール、Boysだから……レールが小さくて合わないんだ」
えーちょっとなにそれきいてないよ。あんたがきいてないだけでしょなんどかいったじゃんレールがあわなくてオプションつかないからライトプロにしようって。なんどもはいってないよ。きいてんじゃん!だからせめてBoysようのスコープとかさ、あれはちょっとみにくいからやだもんダットサイトがいい……
リイサが机を軽く叩いて口を開く。「話は聞かせてもらったわ!人類は」もういいです。ウイカが先に突っ込む。
なによぅ、いけず……落胆をあらわにしながらも、リイサはダンボールを積んである中の一つに歩み寄る。
「さっきの対戦はちゃんと見てたのよね?そのうえで、勝てるかもしれないと言うのね北糀谷さん?……面白そうじゃない」
ダンボールからリイサが取り出したのは、BoysのM4……ダイキが買ったの同じもの。しかしその上面には、
「清く正しくBoysを使ってるかわいい新入部員には、先生からのステキなプレゼントがあるわよ。穴守さんのじゃないけれど、どうしてもダットサイトがいるというなら……これは爪の長さがちょっと長いから、つけられるわよ」
スコープみたいな筒じゃない。平べったい本体から、レンズが一枚だけ上に飛び出している……ミチエや、そうだマッハ酒井のピストルに乗っかっているような奴だ。かるそう。
ノリコはリイサのダットサイトを見て、手の中にあるウイカのダットサイトに視線を落とし、そしてウイカを見る。
「あれがいいなら、あれにしなよ。ノリコの好きなようにすればいい……あたしの夢も、背負わなくてもいい。でも、背負ってくれるって言うのなら……ノリコに託すよ。ノリコががんばった結果なら、文句はないよ」
「うん」ぼーっとしてるとよく言われるわたしの手をいつも引いて、ワクワクするところへ連れてってくれるウイカちゃん。ウイカちゃんでは行けないところに、わたしが行けるかもしれない。
……いけるなら、わたしが手を引っ張るんだ。託されたんだ。
ウイカちゃんを、つれていくんだ。
工具を出すのがめんどくさいということでミチエから工具を借り、リイサのM4からノリコのスカールへのダットサイトの交換は終わった。
軽く試射して鉄板に当たることを確認する……「これでだいたいよし。北糀谷さん、自分で撃って確認するといいわ」
構えてみる。……元からついていた照準が折りたたまれている。銃の上に何もなく、ただ赤い点が浮いているようにも見える。
この赤い点をただ合わせれば、……ぱちん。あそこに当てたいと思ったところへ、あたる。
「気に入ったみたいね」ぱちん、ぱちん、……ばちん。ばちん。音が変わった。
「北糀谷さんちゃんとサイト合ってる?ずれてるのを無理に合わせてない?こういうのは、ちゃんとやっといたほうがいいわよ」
「うん。……ちょっと左と上」微調整。もうちょい左。これでいい。
そのわりに、ばちん、ばちん。鉄板に当たってる音じゃない。鉄板をぶら下げている、支柱に当たっている音。
支柱に、当たって……いや、まさか、当てて……いる。
横からノリコの顔を見る。その顔は最初見た時の、ぼーっとしている印象とは違うものだった。いやそれよりも、
「サイト見る時両目開けてるのね。片目をつぶらないの?」素人なら普通そうするものだ。
「うん。わたし、集中すると周りが見えなくなるって……だから周りを見ろって、ウイカちゃんが」
きちんと狙って当ててくる子。集中力はかなり高そう。それで、”周りを見ろ”か。いいアドバイスね。
「……驚いたわねこの子両目照準ができてるわよ。これはひょっとすると、ひょっとするかもね。……ミチエちゃん。ファーストランは様子見とか思ってると、痛い目見るかもしれないわよ。一本でも落とせば、」
わかっています。ノリコとリイサがサイト調整をしている間も、ミチエは銃を抜いてのサイトチェックやフォームのチェックに余念がない。
「それじゃあ北糀谷さんと大森さんの勝負ね。……メイク・レディ!」弾倉。装填、試射。安全装置。ホルスター、グリップを腰に。手を上げる。
「よくできました北糀谷さん。……ファーストラン!」
”ぱんぱんぱんぱんぱん、ぱたん。”ミチエがウイカを破った最後の射撃。あれが目標。あれより速く撃てないと、勝てない。
アー・ユー・レディ?スタンバイ!ぴーっ。
銃を構える。……最初の的。もう赤い点が乗っている!もう撃っちゃっていいの?ぎゅっ。ぱん。ぱちん。
次!もう撃てる!ぎゅっ。ぱん。ぱちん。
次!ぎゅっ。モーターが回るのを、ぱん。弾が発射されるのを、ぱちん。弾が的まで飛んでいくのを、待っていたくない!もっと次を撃ちたい!あたる!あたれ!
ぱたん。もう……おしまい。二人が銃を降ろしノリコが安全装置をかけミチエがホルスターに収めたのを確認すると、リイサがターゲットに駆け寄る。
中央の板をそっと持ち上げる……右側が下。ミチエの勝ち。
ドロウは圧倒的に、ミチエが速かった。ノリコが初弾を一枚目に当てた時には、ミチエは二枚目を撃っていた。
それが。ほんのちょっとでも油断していたら。
「穴守さん。なによ、これは……ずるいじゃない……」
ミチエとノリコの間にリイサが戻り、タイマーを手に取る。その手は、その声は、震えていた。震えながら、笑っていた。
「この子……ちょっと、ヤバい」
セカンドラン。アー・ユー・レディ。スタンバイ。ぴーっ。ぱん。ぱん。たたたっ。
「……!!」ぱん。ぱん。ぱたん。
ノリコは撃たなかった。「……びっくりしちゃって」安全装置を解除した時、勢い余ってセレクターがフルオートに入ってしまったらしい。
「普通なら警告だけど、今回はフルオートありってルールなんだからそのまま撃ち続けてもよかったのに。でも何かあったら即撃つのをやめたのはいい判断ね。リシュートにする?……撃ち直す?」
「撃っちゃったからこれでいいです。大森さんは、ちゃんと撃ったんだし」
ウイカがノリコを呼ぶ。銃を持ってきてと。そのまま行こうとするノリコをリイサは止める。
装填された銃を持ったままこっちを向かない。アンロード&ショウクリア。よし。
「今思いついてさ。応急処置だけど、これで」ウイカはビニールテープを一センチ角くらいに切っていた。
スカールのセレクターをセミオートに合わせ、その先にビニールテープを貼り重ねる。これで、セレクターがここから先へ行かない。
メイク・レディ。弾倉。装填。一発。セレクターを思い切り操作しても大丈夫。安全装置。グリップを腰に。手を上げる。
「あ、そうだ……大森さん、待たせちゃってごめんなさい」
気にしてないよ。BB弾の補充を終えた弾倉を装填しながらミチエが言った。
サードラン。アー・ユー・レディ。スタンバイ。ぴーっ。速く構えられる。速く狙って、速く撃てる!
”ぱんぱんぱんぱんぱん、ぱたん”あれより速く!
ぱたん。……ぱん、ぱたん。
「……惜しいわねぇ。速いけど、飛ばしすぎね。二枚外してる。あなた当たったかどうか確認しないで次行ってたでしょ。さすがにそれはバクチじゃない?」
着弾を確認しないで撃っていたのはファーストランの最後二、三発もそうだった。それが今回は、うまくいっていない。
集中力はおそろしく高いけれど、長く持たないのかもしれない。
フォースラン。アー・ユー・レディ、スタンバイ。ぴーっ。ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちん、……ぱたん。中央の板。右。
ノリコが安全装置をかけ忘れている。指摘すると直すが、動きはさっきまでの速さが嘘のようにゆっくりしている。目つきも鋭さが感じられない。
集中力が切れかけているのか……しかしペース自体は、慎重に撃つようにはしたものの、ミチエのペースをわずかに上回っている。ドロウ速度の差で、ミチエは救われている。
ミチエの息が乱れている。呼吸が浅い。手の汗をぬぐい、さっきしたばかりなのに弾倉にBB弾を補充する。しかし、何かしてやるわけにもいかない。
「ノリコ、大丈夫?まだ撃てる?」ウイカが言う。
「……うん。まだ撃てる。……大丈夫。大森さん、慎重になってペースが落ちてる。だからもうちょっとだけ速く撃てば、勝てるよ」
ミチエの顔から血の気が引くのが、傍から見てもわかった。
ペースが落ちていることを見抜かれた。ノリコは勝利を、確信しつつある。その一言が、ミチエを貫いたのだ……
冷たい手で心臓をわし掴みにされたような、衝撃。いや本当に心臓を掴まれているんじゃないかと思えるくらい、息が止まって、あえいでいる。
「……北糀谷さん。穴守さん」リイサの口調が少し厳しくなる。
「試合中は静かに。対戦相手にプレッシャーをかけるような発言はマナー違反よ」
「あっ……はい。……大森さん。大森さん?」聞こえていない。
リイサが呼びかけてようやく我に返る。ほんの数秒の間に、ミチエは驚くほど汗をかいていた。「あの……ごめんなさい」
「それにしてもあなた速いわねぇ。何かやってたの?」リイサがノリコに話しかける。試合中は静かにと言った舌の根も乾かぬうちに。
時間稼ぎ。審判として公正さに欠ける行為よね。
見るからに調子を崩したミチエを止めて、穴守さんたちの勝ちとするべきなのか。このまま撃たせるべきか。回復を待つべきか。
……せめてもうちょっと、判断するために、時間を。
「サバゲーをやったのは、三回。秋にウイカちゃんに誘われて、そのあと高校受験があったからずっとやらないでいて、受験が終わったあとと、春休みに。二回目にサバゲー行ったときにね、新宿で、そこのシューティングレンジが人がいないからって、使わせてもらって、その時にウイカちゃんが、マッハ酒井さんの動画を見つけてね、見せてくれたの。楽器を撃って音を鳴らすの」
新宿MMRさん。たしかあそこもシューティングの練習会やイベントをよくやっている。
「……それでね、これだーって思って、帰りに鉄琴を買ってね、楽譜も買ってね。練習してるの。三曲くらい、できるようになったの。チューリップと、きらきら星と、さくらさくら。春休みはずーっとやってた」
「……距離は?」ノリコは鉄板を指差した。「これよりもっと近い。近すぎると弾が跳ね返ってきて痛いけど、遠いとBoysじゃ、音が小さくて聞こえないから」
速く撃つには、ただ速く銃を振り回せばいいわけじゃない。速く動かしたあと、きちんと銃をコントロールして、狙うべきところでピタッと銃を静止させないと弾は外れる。
ウイカはうまくフルオートで補ったが、基本的にはできていない。
ノリコは、できていた。それはそういう理由だったのか。
「マッハ酒井の動画を見て上達か。酒井さん聞いたら喜ぶわよ……それを言うならうちのミチエちゃん……大森さんも、マッハ酒井ジュニアシューティングアカデミーの生徒なのよ。お父さんもシューターで、英才教育を受けたエリートってところね」
百聞は一見にしかず。今なら言っていることが、わかるわよね。
「あそこの生徒以外にはまず負けることはないと思っていたけど、……思わぬ伏兵がいたわね。しかもいうなれば、マッハ酒井の教え子が」
マッハ酒井の、教え子。ぱっと明るくなったノリコの顔を見るに、おそらくその意味をまだ正確に理解していない。
まだ銃で楽器を鳴らす人、の認識のままなのではないか。……でもだいたいは、わかったはず。
「いっしょなんだ。じゃぁ大森さんは、先輩ってことかぁ……えへへ。大森せんぱい」
ノリコが笑いかける。ついさっきまで真っ青だったミチエの顔が、軽く赤らんだ。
「さあ、もういいかしら。まだ一本残ってるわよ……ラストラン!」ミチエは落ち着いた。撃てる。……ノリコの目つきも、休んだおかげか鋭さを取り戻した。
どちらにも休みが必要だった。結果オーライ。そういうことにして、いいわよね。
「アー・ユー・レディ?」うん。はい。「……スタンバイ!」
ぴーっ。
ミチエの手が銃に伸び、ホルスターから銃を外すと同時に安全装置を解除する。胸元に引き上げつつ右手を添え、銃を突き出しトリガーガードに指を入れ、まっすぐに見据えた最初の的に、ダットサイトの光点を乗せる。いや、もう乗っている。
そうなるようにフォームやスタンスを調整してある……銃の撃ち方を正しく教わり、練習を積み重ねたミチエだからできる。独学のノリコには出せない速さ。
スピードはノリコが上回っている。飛ばしすぎてミスをしたのは一回だけ。基本ミスはしない子だ。ぱん。ぱちん。
勝つためには、このアドバンテージを、守るしかない。ミスは許されない。ペースを落としてもいけない。
グリップに手がかかる。安全装置。ぐにゃっとした感覚。ビニールテープに当たったんだ。銃床を肩に。頬をつけ、銃全体を引き付ける。
銃は体の一部、体が銃の一部になる。ダットサイトの重なったものに、当たれと思えば、あたる。
ぎゅっ。モーターが回る。まだだ。ぱんっ。弾が発射されたら、次に行っても大丈夫。バクチかもしれないけど、早く次を撃たないと、大森さんに勝てない。勝つんだ。
ミチエが二枚目を撃つ直前に、ノリコが一枚目を撃ち始めた。そしてもう、二枚目を狙いに行っている。
ファーストランで見せたあの集中力。着弾を確認しないで撃ちにきた。ミチエが三枚目を狙う。ノリコが二枚目を撃って三枚目を狙う。
三枚目は、ほぼ同時。ノリコが追いついた。四枚目に向かうのはノリコが速い。四枚目を撃つ弾を放つ。そして五枚目へ。ミチエが四枚目を撃つ。ノリコが五枚目をとらえた……
ばすっ、ばすっ。
あれ?
……ミチエの五枚目。そして最後の板。ぱたん。ノリコの板は倒れていない。五枚目のランプも点灯していない。ばすっ、ばすっ。「……弾切れ」
「イフ・ユー・アー・フィニッシュド、アンロード&ショウクリア!」そうだ、途中ぜんまいを巻いていなかった……
ノリコが弾倉を引き抜くと、弾倉から上がってこなかった、銃に送られ撃たれることのなかった、ミチエより先に的へあたるはずだった弾が、弾倉の縁からこぼれ落ちた。ばすっ、ばすっ。銃にも残っていない。
「イフ・クリアー、ハンマーダウン、ホルスター」ミチエが銃をホルスターに収める。手が銃から離れない。傍目からもわかるくらい大きく震えている。
その震えが足にも伝わり、地震で倒壊する建物のように、ミチエはその場に座り込んだ。その隣で、ノリコが空気の抜けた風船人形のように座り込んだ。
「……ごめんウイカちゃん。負けちゃった」ウイカがノリコのそばに座ると、ノリコはウイカにもたれかかった。
ウイカはノリコの銃を取り上げ、そばに置く。「負けちゃったね。でもすごかったよノリコ……大森さんをあそこまで追い詰めるなんて」
ミチエは座り込んだまま、まだ体じゅうの震えが止まらないようであった。ウイカより少し遅れて、リイサがミチエのそばに座る。
倒れそうなミチエを介抱し、ペットボトルの水を飲ませる。そしてミチエのホルスターから銃を外し、ガンケースにしまった。
「……よくがんばったわね。プレッシャーに弱いあなたを鍛えようと思って、……あと北糀谷さんが面白くてつい肩入れしちゃったのもあるけど、プレッシャーをかけすぎたわね。よくそれに耐えて、最後まで撃ちきったわ。ペースも一定以上を保てた。ミスもなかった」
「せん……せい……」ミチエはもう泣き出す気力もないかのようであった。声を震わせ、その目から涙があふれる。
「負けたら……どうする気だったんですか。このために、私は……このために来たのに。このために、魚森女子に……シューティング部は先生の夢だって。先生の夢で、私の、……」
「ばかねえ……サバゲー小僧をだまくらかしてシューティングをやらせる方法の一つや二つ、考えてないわけがないでしょ」
なにげにひどいこと言ってませんか先生、聞きながらウイカは思った。
「ミチエちゃんの言うとおり、シューティング部はわたしの夢よ……そう簡単にわたしの夢をだいなしにされて、たまるものですか」
まだ立てないノリコをウイカが引きずって、リイサたちのところへ寄ってきた。リイサのペットボトルを借りて、ノリコに水を飲ませる。赤ちゃんみたい。
ノリコがウイカの胸に頭を預ける。「えへへ、ウイカちゃんのおっぱい……」軽くデコピン。
「先生ところで、大森さんがこのために来たって……」
「……まずはわたしの話をさせてもらうわね。わたしもね……シューティングやってたのよ」
リイサは力なく泣くミチエを軽く揺すってやり、ハンカチで涙を拭く。ぐずる子供をあやすように。こっちも、大きい赤ちゃん。
「当時の彼氏にサバゲーに誘われて、銃を買って、撃ちたいけど撃つところがなかったからシューティングレンジを探して、……鰻ヶ原にあったのよ。射撃場というよりも、会員制のシューティングクラブだったわ。見学に行ったらそこで競技をやっていて、それで……」
”当時の彼氏”について聞きたい気がすごくあるが、たぶん聞かないほうがいいのだろう。
「……それで何年かやっていたのだけど、魚森女子の教師に就任してからこっち、忙しくて競技に参加どころか練習もできなくなってね……そんなこんなのうちに、鰻ヶ原のレンジが閉店すると聞いてね、そこで、決心したの。シューティング部を作ろうって」
ところで当時の彼氏について聞かないの?とリイサ。ツッコミ待ちだったんですか、とウイカ。なんか地雷っぽいし。勘がいいじゃない。聞かれたいのか聞かれたくないのか、どっちなんですか。
一息ついて、リイサは胸の中にいるミチエに視線を移す。話を続けましょうか。ミチエちゃんには、前に話したことだけど。
リイサはミチエのガンケースから銃を取り出した。体の向きを直す。的の方向へ、片手で構える。
「おもちゃの鉄砲のごっこ遊び。だけど真剣にやれば、本物になって、世界へ飛び出すこともできる……誰もができることじゃないし、誰もが望んでいるわけでもない。だけど、そういう道があることは、示された」
トリガーガードに指を入れる。弾倉も入っていないし撃鉄も倒れているが、引き金に指をかける。ぐっ。力をこめる。
「しょせんは夢かもしれないけどね。おもちゃを握って見てる夢……だけど選ばれた一握りのアスリートだけでない多くの誰かが、夢を見ているだけの人が、夢を託して、夢を追う人を支えている。そうやって夢は、形になっていくのだと思うの」
ゆっくりと腕が下りていく。太陽が地平線の向こうに消えるように、ダットサイトの光点が的の縁に沈み、離れていく。
リイサは引き金から指を離し、トリガーガードの外に出す。
「同じ夢を見て、同じ夢に向かって走って、できれば自分がだけど、……自分には行けないとしても、誰かがたどり着く。そんな場所が欲しいと思ったのよ……若いシューターを育てる場所が。撃ってみたいという若い子が、集まれる場所が。……わたしが撃ちたいからって言うのが一番の本音だけどね。夢から遠ざかってしまって、そう思ったのよ」
リイサは周囲を見回す。窓を伝い、後ろの壁を伝い、実習室の半分以上を囲っているネット。並べられた鉄板と支柱。脇に寄せられたプレート台やバリケード。積み重ねられた段ボール箱。
「この実習室が使われていないと知ってね……調べたわよ。殺人事件なんてなかった。傷害事件はあったようなんだけど、尾ひれがついたのね。……ついでに言うと、校舎を建て替えた時にお祓いも済んでるわよ」
ノリコが周囲の匂いを嗅ぐ。お酒の匂いはもうしなくなっていた。
「ここを使わせてもらう算段をして、鰻ヶ原のレンジから機材を運び込んで、学校サイドを説得して……」
リイサの胸の中で、ミチエはすっかり落ち着いた。そっと髪をなでてやる。
「それで、顔見知りのシューターの娘さんが、高校に進学するって聞いてね。ミチエちゃんのお父さんに頼んで、魚森女子を受けさせて来てもらうことにしたのよ」
聞いたこともないスポーツの活動を周囲にアピールするのには、やる気と実績のある子が必要だからね。そう口に出し、次を言うか一瞬迷ってから、リイサは口を開いた。
「女の子でトイガン好きで、しかもやってるのが、サバゲーでなくシューティング。あなたたちも最初はわからなかったじゃない……せめてわたしがそばにいようって。ミチエちゃんを一人にはしないって」
会った時過剰に警戒していたのも。ウイカたちを不良か何かだと思ったとたんに急に怒り出したのも。今まで学校では、ひとりだったからなのか。そうウイカは思った。
それにマッハ酒井アカデミーも安くないからね。無料の練習会もやってるけど、ここならいつでもショバ代はタダって寸法よ。リイサは笑った。ちょっと悪い笑顔。
「……すごい色々考えて、準備してたんですね。なんかあたしがやってたのって、ノリと勢いだけみたいで、なんか恥ずかしくなってきた」
胸に頭を押し付けるノリコに軽くヘッドロックをかけながらウイカが言った。
「まあでもかなりがんばった方じゃない。やる気があって、準備もなかなかよく揃っていたし。そういうガッツと行動力があって気配りもできる子、先生好きよ?」
にっこり笑ってノリコを放すと、ウイカは改めてミチエに向き直った。
「大森さん……あたしにこんなこと言える権利はないかもしれないけど、あたしたちが負けて……ノリコが大森さんに勝てなくて、よかったって気がしてる。運命だったんじゃないかって」
「運……ね」ミチエはだいぶ回復したようだ。リイサの胸に抱かれてウイカに見つめられているのが、だいぶ恥ずかしくなったようであった。
からかい気味に胸の中のミチエを揺さぶりながら、リイサは言った。
「運がよかっただけ、慢心するな、って……ミチエちゃんには言わなくてもいいわね」代わりにノリコへ視線を向ける。
「ノリコちゃん……集中してたからかもしれないけど、一回も多弾マガジンのぜんまい巻いてなかったでしょ。ウイカちゃんはフルオート使ってたからってのもあるけど、毎回ぜんまい巻いてたしマガジンも交換してたわよ?」
ノリコはまだ手に持っていた弾倉を軽く振った。じゃらじゃら。中のBB弾が音を立てる。弾はまだいっぱいあったんだ。
「ミチエちゃんはちゃんと時々補充していた。あきらめず最後まで撃ち続けた。だから運命の女神は、ノリコちゃんでなく、ミチエちゃんに微笑んだのかもね」
リイサが手を離すと、ミチエは起き上がった。所在なさげに誰とも目を合わせないミチエを、ノリコとウイカの方に向き直らせる。
「誇りなさいミチエちゃん。あなたが掴んだ勝利よ……あなたが勝ち取った、新入部員よ」
ウイカもノリコを引き起こし、二人でミチエに向き直る。
「えー、ふつつか者ですが、よろしくお願いします……あたしはともかく、ノリコはこっちの方が向いてそうなんで」うん。即答だなオイ。
「大森さん……ミチエちゃんと、いっしょに撃つの楽しかった。速く撃つのって、面白いんだって。これから……ミチエちゃんと、ウイカちゃんと、いっしょに撃てるるんだなって。えへへ……よろしくお願いします。大森せんぱい」
「やっ……やめてよ同級生なのに」真っ赤になって照れるミチエ。
「えへへ……。……ウイカちゃんがサバゲー部やるって言ったときもね、クラスのみんなを見てもね、部活ってどんなところで、何をするのかって、……野球部なら野球をするとかはわかってるよ……でもなんかピンとこなくって。漫画とかで見るだけで、知らない世界みたいで、サバゲ部も、いつもみたいにウイカちゃんと二人で、なのかなって」
いつもノリコの手を引いて。ウイカはノリコの手を取る。でも、これからは。
「でも、これからは、ミチエちゃんや雑色先生も、いっしょなんだなって。ぶかつをやるんだなって。知らない世界だったけど、来たんだなって。ウイカちゃんが、連れてきてくれたんだって。……うれしいんだ」
ノリコがミチエの手を握る。ミチエも握り返す。そこにウイカが、そっと手を添える。
「……はじめようね。シューティング部」
「まあ、同好会からのスタートなんだけどね。……さてところで、早速だけど新入部員さんには仕事をしてもらうわ」
リイサは立ち上がると、ミチエ、ウイカ、ノリコと次々に立たせた。
「部室の片付けをしてもらおうかしら。下校時間までもうそんなにないけど、明日にはまた荷物が運ばれてくるらしいのよ」
「らしいって……まだ何か用意があるんですか?」ミチエが支柱から鉄板を外しながら言う。
「さあ。プランはあるって話だから、それは後で見させてもらうわ……シューティングスポーツ同好会立ち上げにあたって、わたしもあちこちに声をかけて、今のところ二人からいい返事をもらっているんだけど……そのうちの一人のプランよ。そろそろ来てもおかしくない頃、なんだけど」
「ふうん……実はもう、来てたりして?」ウイカが言う。
「変なこと言わないでちょうだいウイカちゃん。殺人事件はなかったし、お祓いも済ませたって言ったでしょ」
「もう来てるけどここにはいない……ハッまさか、受怨の那耶子!?」
それはもっとないわね。……幽霊部員だけに!ノリコあんた他の部員の子が来たら謝っておきなさいよ。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛。あら似てるわね。……怖いよ北糀谷さん。
[stage 01 finished]