13. 逢瀬の様な最終決戦
うん、駄目だ。
「――」
そいつは。
初めて見た時と同じ、一目見ただけで心すらも奪われてしまうような真紅の髪に深紅の瞳。その存在全てが穢れに染まり切った血の色でありながらも穢れなき純真を夢想させる、真赤の幼女。
ただ少しだけ、以前と違うのはあの一時に見せていた外見相応の笑顔だった彼女の表情が今は、まるで今にも泣き出しそうな程に弱弱しく、思わず手を伸ばしかけてしまうほどに儚く、――
「――久しぶり、ですね。異界の堕とし子よ」
今まで目にした何よりも神々しく、微笑んでいた。
「――」
「あれから……あなたと初めて話してからもう随分と長い時間がたったようでいて、未だに季節一つ巡ってはいないのですね?」
「――」
「ふふっ、あなたに会えない一日一秒が私にはどれだけ長く感じられていたことか。分かります? 分かってくれると、凄く、凄く嬉しいんですけどね。流石に、そこまでの我儘を言う気はありませんが」
「――」
「……それとも、やっぱりもう、私とは口を利く事も――嫌ですか?」
「――愚問だな、神」
「……やはり私の事を呼んではくれないんですね、――……ゥ、と」
そいつの表情が曇る。
けれど笑顔のまま、哀しそうに、寂しそうに。少しだけ、仕方がないねとそいつは今にも消えそうな微笑みをし続ける。
不思議な気分だった。
あれほど憎いと思っていたのに――否、今でさえ憎いと思い続けているはずなのに。目の前にいる“こいつ”を見ていると不思議と、そう不思議と感慨が何一つ浮かんでこない。殺そうとも、殺すまいとも、苦しめようとも、一瞬で消し去ろうとも、何一つ思い浮かびはしない。
だから、俺はこう言う。
「覚悟はいいな、神」
覚悟を決めるために。何よりこいつに贖罪を与えるために。
するとそいつはまた少しだけ寂しそうに、そしてどこか俺に願い乞う様な、そんな眼差しを投げかけてきた。
「覚悟ならば、あの時に全て。でも少しだけ、……待ってはくれませんか?」
「他の二柱でも喚ぶ気か? それなら探す手間が省けて、俺は願ったり叶ったりだが――」
「いいえ」
「……今更、命乞いの一つでもしようと?」
「いいえ」
「なら、一体どういうつもりだ?」
「私がいなくなる前に。私があなたに殺してもらうまで、ただの少しの間、私と話をしてはくれませんか?」
「……何を企んでいる?」
「これは……企みと言えば、企みになるのでしょうかね?」
――好きな人の為に何かをしたいって、ダメですか?
一瞬、あの愚かな使徒の事が脳裏に思い浮かんだ。
「でも、何も。私は何も企んでなんていませんよ、異界の堕とし子よ」
「信用できないな」
「そうでしょうね。私があなたに害の及ぶ事は決してしないと誓っても、あなたは信じてはくれないのでしょうね」
「――あぁ」
今更、こいつの何を信じると、信じろと言うのか。
ルナを殺しておいて、殺しておいて、殺しておいてっ!!!
「仕方のない事ですが……――これはやはり、とても悲しい、ですね」
こいつを、殺す。
目の前にいる神を、ルナの仇を、殺す。その準備をする。こいつから貰った、力――で。
「≪Godless――奴を、殺――」
こいつが与えた力で、こいつを殺す……?
『女神様の御力が御自身を傷つける事は絶対にありません』
何処かの末期のバカの言葉が脳裏に思い浮かぶ。こいつの力じゃ、こいつを殺せない? ――どころか、傷つけることすら叶わない?
「どうかしましたか、異界の堕とし子よ? わたしを狙うならば、此処です。ここを狙えば、あなたならばきっと……」
あいつが、胸の中心――俺達で言うならば心臓の辺りに手を添えて、泣きそうに笑う。
だから、か?
こいつは、目の前の神は、自分の力だから決して自分が殺される事はないと知っているから、だからこんなにも余裕で――笑っていられるのか?
心の中でそれは否、と何かが断定する。
こいつが浮かべている笑みはそんなちゃちなモノじゃない、何かはそう叫び、訴える。
そうかもしれない、だがそうじゃないかもしれない。
こいつを信用は――そんなモノ、出来るはずがなかった。殺せると信用する事も、殺せないと信用する事も、そのどちらも出来はしない。
ここまで来ておいて、ここまで辿り着いたと言うのに情けなかった。けれど、俺の心はそれを口にせずにはいられなかった。
「どういう、つもりだ……?」
「どういうつもり、とは?」
「……何を考えている?」
「それはもちろん、異界の……私の愛し子、ただあなたの事だけを」
――それはなんて、澄んだ想いだっただろうか。
濁りの一切ないまっすぐな瞳、迷いのない実直な言葉、願い乞うような真摯な心。それを信じる事が出来ないと言うのなら――そいつは間違いなく、クズだ。
「あなたの悲しみを。あなたの寂しさを。あなたの苦しみを。あなたの憎しみを」
だから。
「あなたの安らぎを。あなたの歓びを。あなたの慈しみを。あなたの優しさを」
ああ、だから――
「あなたを初めて見たあの時からずっと、私はただあなたの全てを考えているだけです」
「……そうか」
「はい」
俺は、間違いなく最低のクズなんだろう。
だが、だからどうしたと言う?
最低のクズ? あぁ、甘んじよう、認めよう。それでこいつを、神を殺せると言うのならば俺は全てを受け入れよう。
例え世界に排他されようとも、この世のすべてを敵に回そうとも、笑ってその全てを喰らい尽くしてやろう、殺し尽くしてやろう。
「なら、俺の事を考えていると言うのなら、俺の事を愛し子とほざくってんなら――今すぐ、殺されろ、神が」
「――はい。私を殺しなさい、私の愛しい子よ。あなたのその心が、それで癒されてくれるのならば、何度でも――私を殺しなさい」
その瞬間、理解した。
迷いなんて初めからなく、躊躇いなんて初めからなく、微笑みながら頷く目の前の神を見て、こいつが俺に力を与えた時とは全く別の意味で理解した。
こいつは、間違いなく神様なんだろう。
力とか地位とか、誰が認めたとか世界がそうしたとか、そういうことに一切関係はなく。
「ああ、殺してやるさ、神がっ!!」
だから全ての覚悟がついた。そう、思う。
俺は神を殺す。ルナを殺した神どもを殺す。それが俺の願望なのだから。
こいつが神である、慈悲や他の神らしさを向けてきているからこそ、なお俺は神を殺す事を選ぼう。
――あぁ、臨もうともっ!!
目を閉じて、死を甘受しようとする神。
もう何ら迷う必要もない。今の手段で殺せぬと言うのであれば、その時に別の手段を取ると言うだけの事。それで何の問題がある?
初めから、そうしていればよかったのだ。
――と。両目を閉じた神が、女神が、ほざいた。
「私は、あなたに会えて、こうして話す事が出来て、幸せでした」
その瞬間、俺の中で怒りが再爆した。
このまま、殺す? 幸せでしたとほざいて、笑顔のまま逝こうとしている神を?
――冗談じゃ、ない。
「ふざけるな。お前の所為で、お前がルナを殺した! そんな奴が幸せでした!? ふざけるのも大概にしろ」
「ですが、まぎれもない事実です。あなたとこうして会えた事、ただそれだけで私はこんなにも満たされている。これを幸せと言わず何を幸せと言うのか、少なくとも私はそれを表す言葉を知りません」
「はっ、俺に会えて幸せ? テメェを今から殺す俺に会えて? 自分を殺す相手に会えた事がそれほど幸せだと? ――生き飽きたとでもほざくつもりか、神風情がっ!!」
「生き飽きた……と言うのならばそうかもしれません。少なくとも私はあなたを見るまでは――あなたに逢うまでは自分の想いすら分かっていなかったのですから」
「想い? 神に想い? そんなモノは――」
「要らない、と。少なくともチートクライ辺りならば言うでしょうね。クゥワトロビェは……あの子ならばどうでしょう? でも私にとってはかけがえのない、私が私であるというただ一つのものなんです、この想いは」
「……なら、その思いを壊してやる。壊して、壊して、壊してっ、絶望させながら殺してやるっ!!」
「――無理ですよ、それは」
「――」
――あぁ、こいつは、
「たとえ愛し子、あなたであろうとも――いえ、あなたであるからこそ、私のこの想いをどうこうする事は出来ません。だって、あなたのする事なら私はきっと、今までの私が創り上げてきた世界全てを殺されたとしても許してしまえるんですから」
「……俺は、お前を殺す、そのためだけにここに来た」
「はい、知っています、私の愛し子」
「……お前を殺す、ルナを殺したお前が憎い、ルナに与えた苦しみを、お前にも受けさせてやる、そして俺は、お前を殺すためなら他の何もかもなど要りはしない」
「ええ、それも。知っています」
「だが、お前は俺に殺されることが幸せだと――そう、ほざきやがった」
「……ええ。あなたの気持ち、全てを理解しているつもりでいてなお、それは私にとっては偽ることのできない本当の事ですから」
「俺はお前を殺したい。でも殺されるお前は幸せですと言う。俺は……………………」
「……」
幸せ。
不幸せ。
幸福。
不幸。
歓び。
哀しみ。
希望。
絶望。
思考が纏まらない。
こんなにも目の前を殺したいと望むのに。ここまで着ておいて同時に“殺したくない”なんて想いが生まれてしまったのに気づいた。
喉元まで出かけている言葉があると言うのに、その言葉を吐いてしまえば俺の想い、ルナの悲しみその全てが気泡のように消えてしまいそうで恐ろしい。
言葉がせり上がってきては、それを本能がせき止め飲み込む。
「……」
目の前で、ただ静かな微笑みを向ける“そいつ”はまるで全てを理解しているかのように一言だけ――息を吐いた。
「俺は?」
その言葉を聞いた瞬間、何かが壊れる。ヤツの言葉が俺の中の何かを侵して穢す。
せり上がってきた言葉を止めるモノは、今度はなかった。
「俺は――どうすればいい?」
弱音が漏れる。
決して、絶対に言ってはならない相手だと理解しているのに、その相手に対しての切望がもう止められない。
そして返ってきたのは、神の神たるモノのソレだった。
「――私を殺しなさい」
それはまさに神の言葉。
凛とした、まだ幼さの残ろう表情には何一つ迷いはなく。
「ぁ……あ、あぁあああああ、ああぁああぁあぁああぁぁああぁぁあああぁぁぁぁあ――!!!!!!!」
俺の中で何かが――音を立てて砕け散った。
≪Press――潰せ! 潰せ!! 潰せッッ!!!!≫
龍種すら楽に圧し殺せる加圧にヤツが膝をつく。指一つ、瞬き一つ困難なはずの状況の中、なおヤツは顔を上げて俺を見た。そこにあるのは
≪Fang――砕け! 砕け!! 砕けぇぇ!!!!≫
幾千の牙がヤツの肌を食い破り貪りつくし、それでもなお殺到する。奴は微笑みを湛えたまま
≪Srash――狩れ! 枯れ!! 刈り尽くせッッ!!!!≫
牙に、重力に蹂躙され続けるヤツの全てを切り刻むべく無色の刃が乱舞する。それでもヤツの微笑みは崩れない。むしろ
≪hallelujah――疾く射殺せ!!≫
一条の光がヤツの身体を貫き犯す。ただ俺を見つめる瞳に映るのは愛しさだけ。他には何もなく
≪Godless――全てを殲滅せよ!!≫
神の御技による、神殺しの為だけの、神を殺す刃がヤツの五肢を引き裂きバラす。一点の曇りない瞳で、そっと、その口で何かを紡いだ。
「――」
それは『愛しています』だったかもしれないし、『あなたを許します』だったかもしれない。もしくは『私を許して下さい』だったかもしれないし、『これでいいのです』と言ったのかも知れなかった。
何を発したのかは分からなかった。
ただ、俺に向ける微笑みだけは絶対に、欠片も崩す事のないまま。
≪Vanish――瞬け≫
≪Loveless――無愛の幸を≫
赤い宝石――もしくはまるで鏡に映った虚像の姿だったかのように、音もなく。
女神シャトゥルヌーメは砕け散った。
さらさらと、さらさらと。赤い煌めきが無風の中、風に乗って舞い上がる。
……もう凄く遅くなってしまいました。何と言うか、結末は決まってるけど途中どうしようか迷って迷って迷って、散々迷ってと言う感じです。ちなみに今も迷い続けてたりします。