12. 覆水を盆に還すには何が必要か
◇◆◇
夢を、みた。
夢を見ていた。懐かしい――でもそれほど昔の事じゃない、でも未来永劫、決して忘れる事の出来ない昔の夢を。
◇◆◇
『――あぁ、そっか』
それが、俺を見た“あいつ”の第一声だった。心の奥底に刻み込まれた、酷く印象に残る、ぞっとするほど落ち着いた、温かみの欠片もない声。
無駄だと分かっていつつも、ルナに駆け寄って、その身体を抱き起こして何度も呼びかけた。声が枯れるまで呼びつづけた。
当然、返ってくる返事なんてあるはずもなく。
――あぁ、そっか
耳に届いたその声に、初めてルナ以外に誰かがいた事を知った。
顔を上げて、声のした方へと視線を向ける。
「シャ、トゥ……?」
自称神様、シャトゥルヌーメが血塗れの姿でそこに立っていた。
誰が何をどうしたかなんて。
こいつが、シャトゥが、
ルナをコロシタ。
『異界の堕し子よ、私の愛しき子よ』
「なん、で……?」
それはまるで女神みたいな、慈愛に満ちた表情だった。
血に塗れてもなお美しいと思わせるような姿だった。
「お前が、ルナ……を?」
『不出来な失敗作を、壊しました。ただ――愛しい子、あなたが私を見てくれるように、と。たったそれだけの事です』
穏やかに、本当に穏やかな表情でシャトゥはそう言った。
瞬間、湧き上がってくるこの衝動をどうして止められようか。
ああ、違う。止める必要などどこにもないのだから。
『私が憎いですか、私の愛しい異界の堕し子?』
「あぁ、憎い」
『なら、どうしますか?』
「……お前を――殺してやる」
何があっても。
どんな事をしてでも。
『今のあなたの力ではそれは無理でしょう。神殺しはヒトには過ぎた業です』
「それでも、俺は絶対にお前を殺す」
――お前がルナにしたように。
もう言葉は必要なかった。
すぐ傍に落ちていた、恐らくルナが抵抗に使ったであろう抜き身の剣を手に、走る。
技なんて関係ない。日頃ルナが教えてくれてた事なんて、全部忘れた。頭の中なんて真っ白なまま、何も考えたくもない。
『――』
「っ!!」
けど、
全身への衝撃。
「なん、で…」
シャトゥは、ただ何もせずにその場にたたずんでいた、それだけ。
そして刃は、まるでシャトゥに刺さるのを拒むように半ばから粉々に砕け散った。
『愛しい異界の堕し子、それがあなたの願いなら、求めなら、私がそれを叶えましょう。その力を私が与えましょう』
「……」
忌々しい腕で抱きしめられるが振り払う気力もない。
何をしてもこいつを殺せないんだと、ルナの仇を取れないと、たったあれだけの事で解ってしまったから。
けど次の瞬間。
「っ!?」
血の味が、した。
見開いた視界には大きなあいつの顔。
「っ、っ!!!」
振り払おうとした瞬間、触れ合った唇から熱い何かが身体の中に侵入してくるのを感じた。
力が、そして知識が……!
「――!!」
同時に、目の前のこの女が本物の女神なのだと悟る。
熱い。
胸の奥が焼けるように熱い。頭も熱で浮かされて、ぼっとする。
その中でも、鮮明に届いてくる一つの声。
『異界の堕し子、愛しき子よ、あなたの願いを叶える力を、私の存在の半分を与えます。その力を、その力でどうするもあなたの自由。私を殺しに来るのも良いでしょう。力に負けて自滅するのも、また仕方のない事。全てはあなた次第』
「……かみ、がっ」
混濁する意識で“そいつ”を見る。
こちらに伸ばされ掛けてていた手が、躊躇いを含んで引き戻される。
汚れた手で触れられるなんて、ぞっとする。
憎い。
「神がっ!!」
『はい』
こいつが憎い。
「神がっ!!!!」
『……はい』
神が、憎い。
「神がっ!!!!!!」
『……はい、私はこの世界の三神が一柱、女神シャトゥルヌーメ。ですが願わくば、あなたにはどうかまた――――シャトゥ、と』
「神がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
意識がもう保てない。
今すぐ目の前のこいつを殺したいのに、身体が言う事を聞かない。
殺す、殺す、殺す!!
思考が空回りして。意識を失う寸前。
最後に、声が届いた。
『……最後にこれは私の我侭だけど――どんな形であれ、それが私を憎んで殺す為だけだったとしても、私に会いに来てくれると……嬉しい、です』
そいつの――
そう言ったシャトゥ表情は今にも泣き出しそうな、けれど本当にただ穏やかなものだった。
そう、何よりも脳裏に焼き付いているのは――慈しみに満ちたシャトゥの微笑み。
◇◆◇
……随分と下らない夢を見た。
それもこれも、全部コレの所為か。
周りを見渡す――何一つない、純白の世界。
あの時、【燎原】が本当に言葉通りに器と能力を文字通り一滴も残さずに俺に譲渡して消滅した後――気づいたらこの世界に居た。
此処がどこかは“知らない”。だが“識って”いる。
此処は世界の狭間であり、世界のどこでもありどこでもない場所。俺が望んだ――“あいつ”の居る所。
最後の力を振り絞って【燎原】が俺を此処に運んだんだろう。本当にどんな打算があってこんな真似をしたのかは定かじゃない――いや。
「……好きな人の為に、な」
最後の時に、奴がほざいていたセリフだったな。そのこと自体が悪いこととは思わない。だが――それも言う存在に依る。
女神の“愛”とやらがどんなものかと知っている俺から言わせてみれば、そんなモノはクソッタレだ。
神ごときの狗がそんな事を口にしたのも苛立てば――俺に殺される間もなく勝手に逝きやがったあの動く死体も最後まで生意気だ。
俺が、最高に苦しめて滅ぼしてやると、態々そう宣言してやっていたと言うのに、あんな――“あの時のあいつ”と同じような表情を浮かべて消えていきやがって。
テメェは、一体何様のつもりだと、
「……まあ、いい」
これ以上は考えても意味がない。この“苛立ち”だって、“あいつ”への憎悪に比べればどうと言う事はない、本当なら気に留めてやる必要もないことだ。
それに。
例えどんな理由だろと、今は随分と調子がいい。身体の調子だけで言うなら完全復調と言ってもおつりがくるくらいだ。指先一つ動かすのに何の支障もなくなっているし……何より、この空間に在る“あいつ”の気配をはっきりと感じる事が出来る。
「待っていやがれ。今すぐ――テメェをルナと同じ目にあわせてやる」
済みません!
あと一回とか、全然終わりませんでしたぁ!! ……う~んと、あと残り、三回くらい、かね?
と、言ふ訳で、今回は何となく短いのです。