高校生の娘を持っている私が、乙女ゲームの中に転生した話。
優しい夫や可愛い娘は必死になって隠していたけれど、自分がもう長くはないということは分かっていました。なので、私は病院ではなく自宅で過ごしたいとはっきりと言いました。
夫とたわいもない話をしたり、娘とこの年になって初めてゲームをしてしまいました。
少し前に流行ったというそれは、主人公が意地悪な令嬢に絡まれながらも、かっこいい男の子たちと仲良くなるというものでした。
母親に娘が渡すチョイスとしてはいかがかなものかと思いましたが、女はいくつになっても女だったようで、中々楽しめました。娘とどのキャラクターが好きか言い合ったのがつい昨日のことのようです。
最後に穏やかな家族の時間を過ごした後、秋の空がきれいな日に私はひっそりと逝きました。
ふと、目を覚ますと私はまるで貴族が使うような贅沢な作りの寝台にいました。
コンコンと、ノックの音が聞こえるので反射的に
「はい。どうぞお入りください。」
と返事をしました。
「シンシア、殿下と歓談の最中に急に倒れたんだ。覚えているかい?」
と、カエル顔の見知らぬ紳士が私の手を握り、心底心配したというように語りかけてきました。
シンシア?
誰のことを言っているんでしょう?
私の名前は松子です。人違いでしょうか。
そう思った途端、どっと記憶が流れ込んできました。
そう、私は娘とプレイした乙女ゲーム「イケメン☆ゲットしよ♪ 学園編」の意地悪な公爵家令嬢のシンシア・フォアードに生まれ変わっていたのです。
彼女は美貌で家柄も良かったのですが、わがままで高慢ちきな性格でした。
なので、使用人や学友にも本当に慕って下さった人はいないという人物でした。
更に言えば、メインキャラクターであるこの国の王子の許嫁であります。
ヒロインが王子を攻略対象に選んだ場合、婚約破棄をされ、親よりも年上の男性に嫁がされますし、
そうでなかった場合、王子と愛のない結婚生活を送るようになります。
まだ私は10歳の子供なのに、自分の送るであろう人生が分かるなんてと、
前世の記憶を取り戻したことを後悔しました。
「シンシア?」
カエル、もといお父様が首を傾げてこちらをご覧になりました。
はっ、存在を忘れていました。
「もう大丈夫よ、お父様。」
私はできるだけ、可愛らしいほほ笑みを浮かべるよう努力しました。
「良かった、王子も心配なさってたぞ。こちらにお通ししても?」
「ええ、勿論。」
内心、舌打ちをしました。
この王子というキャラクターは冷たいエゴイスティックな人物であまり好感を持てなかったのです。
暫くすると、まだ小さな男の子がおずおずと入ってきました。
「シンシア殿。ご体調はいかがでしょうか?」
て、天使!とても可愛らしいです。とても成長をして、あの傲慢野郎になるとは思えません。
「恥ずかしいところをお見せしました。殿下にご心配いただき、すっかり癒えてしまいました。」
私はにっこりと笑いました。
王子もまた、ほっとしたかのようにほほ笑みました。
それから、王子とは親しくなりました。
正直なところ、婚約者と言うよりも姉弟のようでしたが…。
やがて私は、この子を守らなくてはいけないと思うようになりました。
とういうのも、王子を取り巻く環境は決していいものではありませんでした。
帝王学の勉強に加え、幼いながらに打算交じりの貴族たちと交流もしなくてはいけません。
何よりもお優しかった王妃様が亡くなられたのが大きかったでしょう。
陛下は、為政者としては素晴らしい方でしたが、父親としては失格でした。
王子のことを政治上の手駒としてか扱わなかったのです。
これでは、王子がヒネるのも当然だと思いました。
そうして、私は彼の味方であることを決めたのです。
ゲーム本編では不仲だった私が支えたのが良かったのか、王子は特段スレることなく成長しました。
いわゆる、クーデレと言うやつですね、あんな感じです。
「シンシア、何を考えているんだい?」
「来年、殿下と学園に行くことが楽しみだと思っていましたの。」
「ああ、全寮制だしね。これで暫くの間、王宮の狸達とも別れられる。」
殿下はさばさばした口調でおっしゃいました。
そう、とうとう決戦の時が来たのです。
ヒロインが王子を選ぶのか、それとも他の殿方を選ぶのかによって私も身の振り方を決めなくてはいけません。幸いなことに周囲の方たちに出来るだけ優しく接した所、いざという時には味方になってくれる人もできました。
学園に王子と入学すると、さっそくヒロインが現れました。
イリラーヌ・ガルレット男爵令嬢、それが彼女の公式の名前です。
儚げな姿にも芯の強さをうかがわせる彼女は、人を惹き付ける魅力がありました。
ただ、周囲にいつも顔が良くて身分の高い男性がいるのが気がかりでした。
そういえば、攻略対象は全員イケメンで高位の方達でした。
人の魅力とは地位や顔ではありません。
私は、不思議に思いました。
やがて、ヒロインは王子と親密な仲になりました。
当然、私は子供が独り立ちをする母親の気分で見守っていて折、妨害など致しませんでした。
そうしたら、なんと彼女の方から接触を図ってきたのです。
「殿下との婚約を放棄して下さい。私と彼は愛しあっています。殿下を想うなら彼を開放してあげて下さい。」
「イリラーヌ嬢、婚約は簡単に放棄できるものではありません。それに放棄した所で貴方は殿下を幸せにすることが出来るのですか?」
私は相手の目を見て話をしました。
「何ですって?」
彼女はヒステリックな声をあげました。
「貴方のことを調べさせていただきましたわ。生まれ持った美貌の割に、男爵家と言う貴族では出自の低い家柄を恥じて高位の男性達に取り入っていたことは知っています。」
相手が、基本的に顔のいい男性なのは乙女心と言うものだろう。
「そうよ!はじめは、彼が王子だから近づいたわ。けれども、冷たそうに見えて不器用でお優しい所を私は…。」
彼女は、涙をぼろぼろ零しながら泣き叫びました。
どうやら、彼女は本気のようです。
私の出る幕はありませんでした。
ところが、自分が恋愛対象ではないとを悟っていた殿下とヒロインに相談を受けたのです。
本来なら、私との婚約を放棄させ、二人が愛を誓った所で「イケメン☆ゲットしよ♪ 学園編」の王子ルートはハッピーエンドです。ですが、この世界には続きがあったのです。
まず、私が手をまわして婚約破棄をしても、男爵家の令嬢では王妃となるのは難しいのです。
正直なところ、乙女ゲームの世界でヒーローとヒロインの身分差結婚問題に真剣に頭を抱えることになるとは思いませんでした。いわば、完全に盲点だったのです。
正直なところ、「イケメン☆ゲットしよ♪ 学園編」の王子エンドの後で、別の身分の高い婚約者が用意される展開しか思い浮かびません。二人が愛を誓った所で終るから、ハッピーエンドなのです。
初めから、身分が違うことは分かっていたといえ、恋とは止められないものなのでしょう。
どうしたら結婚できるか真剣に苦労している二人を見ていたら、私にある考えが浮かびました。
結局のところ、王子は即位と同時に私と結婚をし、ヒロインは妾にしました。
つまるところ、こういうわけです。
王子に恋愛感情を持っていない私が王妃としての公的な責務を担い、王子を愛しているヒロインが妾としての子供を産む役割を担うことになった。
やはり、男爵令嬢が王妃となるには、厳しいものがありました。
他の貴族の反発は避けられませんし、婚約者となった途端、有力な後ろ盾を持っていない彼女は暗殺の対象になりかねません。話し合った結果、彼女には妾の立場から王を支えていただくことになったのです。
幸いなことに、我が国では正妃が子供をなせない場合、妾の子供を王太子として指名することはままあることでした。
勿論、私と王子は閨を共にすることはありません。
ヒロインと王子はいつまでたっても恋人同士の様で大変微笑ましいです。
え、それでは私がかわいそう?
いいえ、私が愛することのできる男性はこの世界の中にはいないのです。
そういうわけで、前世の夫が目の前に現れるまでは王子のことを賢妻して支え続けようと思います。